2014年10月30日木曜日

【高校生のための”人生”の教科書20】 自分以外はみな”バカ”である

 すべての高校生といってもいいくらい、かなりの高確率で中高生が心の中で思っている事実というのがあります。


 それは「自分以外はみなバカである」という思想・信条・イメージです。


 なぜそんなことを考えてしまうのかと言えば、ぶっちゃけて言えば「それが普通、当たり前」だからに他なりません。


 中高生にとって、今のみなさんの人生は「まだ、何者にもなっていない過程」であり、「まだ何者にもなれていない」途中の段階で大変不安定です。


 職業も決まっていないし、生き方も決まっていません。すべてが曖昧であやふやな時期であり、また「成人」といった社会的な認知もされていない時期なので、本来であれば「吹けば飛ぶような小さな存在」であることは確かです。


 その存在自体が「あやうい」状態の自分自身を維持するには、「自分がここに存在している」ということを自意識の上で確認せねばなりません。


 そこで過剰なまでの「自己肯定」というものに頼るようになるのです。




 世界の歴史を見ていると、自国があやうい立場であったり、問題を抱えている国ほど「自分の国は素晴らしい!」と過剰に宣伝したり、「自国民は優秀である!」というナショナリズムに走るようになりますが、それに似ています。


 本当に先進的な国は、自国を褒めるような言動をするのではなく、むしろ「わが国の問題点はここだ」とか「こういう部分がダメだ」とまっすぐマイナスポイントを直視しているのが普通です。


 
 
 しかし、高校生にとって「自分以外はバカである」病は避けては通れない通過儀礼のようなものですので、ここでは正しい「自分以外はバカである」病との付き合い方をまとめておきたいと思います。


 まず、「バカ」という言葉でひとくくりにしていますが、これは知識知能に関するものだけではありません。


 勉強ができる生徒は、「自分以外はみんなアホだ」と考えます。

 女子で可愛い子は、「あたし以外はみんなブスだ」と考えます。中に1人くらい「あたしを超える可愛い子」がいることは認めますが、たいていのクラスの女子より「あたしはマシ」なはずです。

 スポーツができる生徒は「あいつらはトロい」と考えるし、イケテる生徒は「あいつらはダサい」と考えるでしょう。


 その要素や項目・ジャンルはいろいろとあるかもしれませんが、たいていの場合「自分はあいつらよりも■■の部分で上に立っている」と考えることが自然なことなのです。


 

 中高生の時点で、こうした「優越感・自己肯定感」を抱くのは正常なことですから、逆にいえば、みなさんのような高校生の時点で


「自分は何一つダメだ」

とか

「あたしは全然可愛くないし、イケてない」

とか

「自分は一生童貞だろう、処女だろう」

とか

「友だちは一生できそうもない。なぜなら自分はキモいからだ」

といった感情に支配されている人は、はっきり言いますが、現時点で「病気」です。



 何がしかの発達障害を発症している可能性が高いので、早めに手を打たないと、問題の多い、苦労する人生を送る可能性もなきにしもあらずです。




 つまり、まとめておきますが、中高生の時点では、「わけもわからず、俺は偉い」と感じるのは、普通であり、むしろ健全で、それが社会に出て揉まれてゆくなかで、「そうじゃなかったんだ!俺はまだまだダメだなあ!」と思うのが正常に近い、ということです。


 そして、中高生の時点の「俺はえらい」が、最後までそのままいくと「社会生活不適合」になり、仕事をコロコロ辞めざるを得なかったり、コミュニケーションがとれなかったり、一生童貞だったりすることになる、というわけです。


 また、中高生の時点で「自分はどうしようもないキモさだ」と思っている人が、手を打たずにそのままいくと、やっぱり「社会不適合」になったり、重大な問題や事件を起こしてしまうこともある、というわけです。




 ということは、「ふつうに成長する」というこは、実はちょっと狭き門であり、道を誤ってしまう可能性は、誰にでもあるんだ、ということでもありますね。


 なまじっか勉強ができて、コミュニケーション不適合や社会不適合のまま大学や大学院まで行ってしまったりすると、もう手がつけられなくなったりするので要注意です。


 ですからここまでのお話でも、「明るく元気で爽やかにできない人」は社会においてはマズい、と口をすっぱくして言っているわけです。




 では、いったいどうすれば「普通の」「健康的な」「ヤバくない」成長を遂げることができるのでしょうか。


 一言でいえば、健全な成長とは「ものごとを捉えるモノサシ・基準が”主観”から”客観”に変わってゆく」ということに他なりません。


 こどもというのは、自分の世界観の中で「僕はなんでもできる、一人で歩けるし、おねしょもしないし、ごはんも食べられる」という万能感に支配されています。


 それから小学校・中学校・高校へと進む中で「できること」が積み重ねられてゆくので、基本的に「俺は賢くて、みんなはバカだ」という世界観が形成されるのです。


 ところが、大人になってゆくと、自己の限界に気付き始めます。いろいろなジャンルや要素で、「自分より賢いヤツ」「自分より明らかにカッコいいやつ」「自分よりできるやつ」に出会ったり、自分自身のスコアが伸びなくなったりして、


「あれ?これはなんか様子が変だぞ?おかしいぞ?」


と思い始めるのです。


 そこから、「他者の基準で自分を判定する」という客観性が備わりはじめ、社会全体の中での自分のポジショニングを考えるようになるわけです。


 そうした一連の「自分の視点からの脱却」が確率するのが、高校時代だと言ってもよいでしょう。


 特に、女子の場合は中学生まではすべての心身の発達が男子に先行していますので、高校で男女の能力差が逆転します。


 学力や体力面でも、いままで「できる子」とされていた女子が、急に「ふつうのレベル」になってしまい、「子供っぽかった」男子が、急に「大人びてくる」のが、高校3年間だと言うわけなのです。




 最後に、現時点で「自己肯定感」が得られていない人(自分はダメだと思い込んでいる人)へのアドバイスですが、たいていの場合、それは「何者かによってそう思い込まされるような事象に支配されている」ことが多いので、その解決を急がねばなりません。


 こじらせる前に、適切なサポーターに「助けてほしいこと」を意思表示しなくてはいけないと思います。自分ひとりで解決できることは、まずありません。


 なぜなら、あなたが今持っている「モノサシそのもの」の目盛りや基準がすでに正しいものではないからです。


 まちがったモノサシをなんど当てて測っても、正しい数字はけして出てきません。



 

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