2015年5月28日木曜日

「賢い」ことに価値のない時代 ~博士も大臣も世も末だ~

 ”賢い”ということが、たいして価値を持たなくなって、どれくらい経つのでしょう。

  まあ、残念ながらこうした議論があまりまともにされておらず、まだまだ日本人は


「しっかり学校で勉強をして、いい成績をとっていい学校へ行く」


ということを美徳とする風潮をやめていませんが、実はこれらの価値観が早々に破綻していることに気づいている人は、多くはありません。


 たとえば、今日のニュースにこんなのが出ていました。



 「逮捕ドローン少年 偏差値70、母親思いの15歳がなぜ?」
  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150527-00010003-jisin-soci

 元ネタは女性自身さんだそうですが、このタイトルがたいへんに興味深い


 偏差値70だったら、ドローン飛ばして警察をからかってもいいのか?悪いのか?

 偏差値70だったら、優れているのか?優れていないのか?



 まあ、いろんな突っ込みどころがあることは、疑いようがなく。つまりは

「偏差値70という賢さは善であり、正義であるのに、なぜ彼が悪の道を走っているのか」という矛盾を考えよう、ということなのでありましょう(笑)


 しかし、残念ながら、現代において「賢さは正義・賢さは善」では、もうないのです。


 タイトルからして、時勢を読み誤っているということです。

==========

 賢い、勉強ができるということに価値をおいた思想発想で物事を考えるのは、これまではうまくいきました。しかし、これからの時代は、180度視点を変える必要がありそうです。


 そもそも、昔は賢い子供の未来を夢見て、「末は博士か大臣か」と言われたものですが、今は、

 博士では食えないし、大臣だと、たいていしょーもないことをして辞任

というのが定説になっています(笑)


 弁護士だろうが、高学歴女子だろうが、ポストドクターだろうがリケジョでもなんでもいいのですが、


 「頭が良くて、出世したり、報酬をたくさんもらったり」


することが、かならずしもイコールではないのが、これからの日本なのです。


==========

 それはなぜか?

 とてもカンタンな理屈で、これからの日本社会が優秀さを求めなくなることを説明できます。


  たとえば、日本人のうち10%が優秀な人たちだとしましょう。未来の日本をひっぱってゆくような、賢い頭脳の持ち主だとしてよいでしょう。そして、残りの90%が、優秀ではない人たちだとします。時には過ちを犯したり、時には迷ったり、時には間違った選択をしてしまう普通の人たちです。


 そうすると、日本の行く末を決定してゆく中で、どういうことが起こるか。

 多数決をとれば、優秀ではない90%の意見が通るようになる、ということに他なりません。


  これが、戦後民主主義の真骨頂というやつです。

==========

 では、どうしてこれまでの日本は、90%の普通の人たちの力が発動されず、優秀な人たちが優秀とされる位置にたたずむことができたのでしょうか?


 それは、よく言われる簡単な理由として、「優秀とされる人たちのパーセンテージ比率が昔は低かった」ことがまず挙げられます。

 高卒資格を90%以上の人が持つようになり、大卒資格も半数以上の人が持っています。大卒者の真に何パーセントが優秀なのかは別にして、少なくとも、博士も弁護士も濫造されていることは事実です。


 つまり、昔は「真に優秀な人たちの数と、制度上の優秀な人たちの数が合致していたが、現在は、真に優秀な人たちの価値が相対的に下がっている」と言えるのが第一の理由でしょう。


 第二の理由として、重要なのは、「民主主義がいきわたり、誰もが偉くなった」ことが挙げられます。


 ”センセイはえらい” ”大臣はえらい” ”社長はえらい” ”上司はえらい”

という封建的観念が失われ、なんならただの一介の一般ピープルでも、


「何かおかしなことを見つけたら、ツイッターに挙げてやるぞ」

「掲示板でよってたかって私刑にしちゃうぞ」

ということがまかり通る現在、えらいのは「私・あたし・僕」になっているのです。


 賢いことは、民主主義には必要ありません。衆愚政治と呼ばれようが、えらいのはわたしたちの時代なのです。


==========

  そのあたりの矛盾を、さすが昔の共産主義者はよく考えていたもんだと関心します(笑)


 「共産主義というのは、人民はみな平等なのだけれども、人民の大半はアホで、優秀な人材は確率的に少数しか生まれないので、共産主義をちゃんと遂行するには、アホに任せず賢い一部の人間がきちんと守っていかなくてはいけないのだっ、だっだっだだ」


 ということが最初から組み込まれているのですもの!!すごいよね。

(なので、共産党一党独裁が、どこでも許されているのです)


 
==========

 では、賢さ、優秀さに重きをおかない時代において、本当に求められているのはなんなのでしょうか?


 学校の勉強が役に立たない?学歴不要?出世に意味はない?
 


 果たしてそうなのでしょうか?


 ここには、まだまだいろんなスリルとサスペンスが潜んでいますが、それはまた別の機会にお話しましょう。


 

2015年5月21日木曜日

<実国学を考える 番外編> 自衛権ってなんだ? 戦後日本とアメリカの関係を実国学で読み直す

 最初にお断りしておきますが、「実国学」というのは、あくまでも試論ですので、これからの日本のために「こうすべきだ」とか「これが正義だ」とか「これが善だ」と決め付けるものではありません。

 今回のネタは、けっこうディープなので、誤解を招く失言が飛び出すやもしれないので、最初に謝っておきますね。ごめんなさい。


==========


 さあ、何の話をするかといえば、国防の話です。さすがに現代の吉田松陰を自称するだけあって、尊皇攘夷とか、開国とか、いちおう諸外国とのお付き合いの仕方についても、ある程度のビジョンを持たないわけには参りません。というわけで、今回はそのへんの話を。


 さて、日本という国そして日本人というものの大半は、たいへんにすばらしいGHQによるある種洗脳、ある種教育、そしてある種の縛りによって


「戦争をしてはいけない、武力を持ってはいけない、平和大好き」


な国民として育て上げられているわけですが、これはこれでまあ悪いことでもないので、ここではそっとしておきましょう。


 ある、国民が平和主義なのは、よいことです。また世界に対して「武力行使は嫌いなんだ」と宣言するのも、まあ悪いことではないのかもしれません。

 しかし、それはそれとして、少し視点を変えて見ると、おかしなことに気づきます。


==========

 日本という国がここにあります。しかし、一体全体どうして、横須賀やら沖縄に、在日米軍が今でもいらっしゃるのでしょう。

「そりゃ日米安保条約が」

とか

「そりゃ日米は協力し合って」

とか、建前的な話はいくらでも説明してくれる方がいそうですが、そうじゃなく、


「ある、ひとつの主権国家に、別の国家の軍が駐留している状態って、なんかおかしくないかい?」


ということを指摘しているのです。


「山田さんと、おとなりの杉山さんはとても仲良しで、一緒に協力して夏休みにバーベキューをやったり、おしょうゆの貸し借りっこをしています。地域で空き巣被害が増えたときには、一緒に夜中に見回りをしたことがあったりします」

という二つの家を考えてください。

 つづけます。

「そして、山田さんの家の4畳半の部屋には、杉山さんちの三男の息子が住んでいます。杉山さんは『何かあったら息子に任せてくださいね』と言っているし、山田さんは『杉山さんの息子さんなら、心強いわ』とご飯を食べさせてあげています」


・・・こうなると、誰にでもわかりますね。山田さんの家は、頭がおかしい。完全にこの両家は、いかれているとしか思えません。


  いうなれば、在日米軍というのは、こういう状態なのですね。この状態がおかしいことは、誰でも気づきます。

 つまり、「平和のため」とか、「戦争がどう」とか、それ以前に、


主権国家が、別の主権国家の軍を置くことを了承している状態


というのは、 主権がある2国間の状況として、日米修好通商条約より、はるかに不平等条約であるということを、認識しておく必要があるわけです。


 普通の国、普通の家というのは、基本的には、「自分の家のことは、まず自分で守る」というのが当たり前のことです。


 ところが、そうなっていないのが現在の日本なわけですから、ここに何かトリックが隠されていると見てよいと思います。


==========

 では、日本というのはどういう状況なのか。大前研一さんが面白いことを言っていましたが、沖縄から在日米軍が出て行かない理由はカンタンに言えば


「沖縄の民政統治権を日本に返還したけれど、軍政統治権を返してはいないから、沖縄に米軍は駐留できるんだ」

ということなのだそうです。


 これを大きく広い視点から見れば、結局日米安保条約というのは、カンタンに言えば、

 「日本の民政統治権は日本に返しているが、GHQは軍政統治権は日本にも大韓民国にも返していないもんね」

ということなのだとわかります。


 ということは、つまり。カンタンです。


「日本は、戦後、真の独立国になったことは一度もない」


という真実に行き当たるわけです。


 真の独立国とは、つまり、国内のすべての統治統率権を所有するということですから、当然、他の国の軍が喉もとで活動できるなんてことを許しません。



 しかし、じゃあ、現実問題として「真の独立国になるのが完全なる善で良か」となるか、一概にそうとは言えないから恐ろしいわけで。



   真の独立国は、たとえばお隣さんとケンカするときに、本気で戦わなければいけません。そして、友達はもういないので、自分だけで戦わなければいけないのです。

 となると、「平和が好きなの(はあと)」なんてふざけたことは言ってられず。お隣の中で華なあの国と、まともにやりあえるくらいの軍備は用意していて当然、ということになるわけです。


  第二次世界大戦の後処理として、欧米はとりあえず、日本を独立国にしない方向に持っていきました。ちょっとずつ、ちょっとずつ小出しにして、いろんな権利を返していますが、もっとも巨大なフォースである


軍事権


は、まだ返ってきていない、これは大事です。教科書に出ます!


==========

 ふだん、私たちは「韓国って実はまだ戦争継続中なんでしょ~。大変だね~」とか「韓国って、アメリカが手を引いたら、真っ先にやられそうだよね~」とか言ってますが、


 ミー、トゥー。


  いやいやいや、「日本もまだ米国軍政統治継続中で、アメリカが軍政から手を引いたら、某国はやりたい放題だよね~」ということを忘れてはいけません。



===========

 さて、では実国学では、日本のあるべき姿をどう考えるか。

 それは、戦争するかどうか、平和好きかどうかは別にして


「主権は、すべてその国家にある」


というのがフツーであろうと思います。だからといって、積極的にそれを推進するのが善かどうかわからないのが難しいところ。


 韓国という国が、歴史上ずっと中国の顔色を伺いながら何千年も「属国あるいは、朝貢国」というわけのわからんフリをしてきたように、 日本も現時点では、

「何がしかのフリ」

をせざるを得ないのかもしれません。悲しいかな。


 その意味では、明治維新の時と今は全くおなじなのです。


 「日本という主権を守るためには、尊皇攘夷じゃボケえ!!!!」

と息巻いたものの、

「いや、やっぱりもっと強くなってからじゃないと無理かも」

と開国欧化した明治維新のように、


「自衛権って何なんじゃわれーーー!!!」

と、みんなで頭をひねっているものの、

「いや、やっぱり今はアメリカの言うことを聞いておかないと無理かも」

と引っ張られるわけです。



 そういう意味では、韓国の戦争が終わっていないように、日本も戦後体制はまだ終わっていないのです。



 いつか、日本が日本としての主権を取り戻せたらいいな、と思ったり、でもそうなったら徴兵制じゃないと無理だよな、と思ったり、悩ましいものです。


2015年5月18日月曜日

非大阪在住関西人から見た「大阪都構想」失敗の理由

 昨日は、というか正確に言えば今朝は「大阪都構想」ネタでひとしきり盛り上がった関西地方ですが、結果からいえば



 橋下徹氏率いる大阪維新の会が提唱する大阪都構想は、失敗に終わった



ということになります。


 個人的には、「大阪都構想」じゃなくて、最初から「大阪首都構想」で突っ走っていれば、あるいはまったく違った結果になりそうな気がしますが、そこは笑うところ。


 政治理念や理論は別にして、キャッチコピーは


「東京に負けない!大阪を首都に!」


とか

「いざ、大阪春の陣!」


「敵は永田町にあり!」


とかにして、橋本市長が真田丸跡地で演説をすれば、来年の大河と相まって完璧に勝利したと思うのですが、いかがでしょうか?!


 で、肝心な政策がどうかは、あとでじっくり説明すればよかったのです(笑)



==========

 冗談はともかく、今回の「大阪都構想」が崩壊した理由として、私が個人的に一番「それが真実に近いだろうな」と感じた記事があったのでご紹介しておきます。



古谷経衡さんの記事
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150518-00045813/



 この記事では、大阪のキタとミナミの実状を元に「南北問題(経済格差)」が根っこにあるという話を示しておられますが、生まれも育ちも関西人であり、かつ大阪人ではない吉家孝太郎からみれば、なかなかいい所を付いておられるように思います。



 もっともっとぶっちゃけたことを言えば、ではどうしてそうした経済格差があるのかとか、大阪市に根付くさまざまな歴史的問題点とか、いろんなことが横たわっているのですが、それらをひとつずつきちんと新たにしてゆくのは、相当に骨が折れるだろうな、ということは感じています。



 関東の人には、わかりにくいかもしれませんね。これまたぶっちゃけ、関西人にとっても、そうした問題に正面から切り込むのは、タブー視されているところもあって、難しいお話なのです。


 ご推察くださいませ。


 

==========

 さて、私が生まれたのは、記事の中でも触れられていた「阪神間モダニズム」の某市であり、いわゆる経済的にはどちらかといえばリッチで恵まれているほうの町に生まれ育ちました。


 なので、この記事の言わんとするとことはすぐにピンときますし、おなじ関西だとか、大阪だとか、阪神地区といっても


「阪神電車に乗る人たちと、阪急電車に乗る人たちの、オーラが違う」


といった差異は、これまた関西人にとっては明白なベースとしてあるわけです。


 それはまさしく、記事中でも触れられていた「涼宮ハルヒの憂鬱」と「じゃりんこチエ」の世界観の違いとして如実に現れてくるのです。


 
==========

 そうした中で、これからの関西を牽引してゆくエリアを再設定するとしたら、それは実は大阪ではありません。


 地名で言えば、西は神戸から芦屋・西宮・尼崎・梅田にかけて、北は宝塚・三田・箕面・川西・高槻・茨城などの北摂地域、東は京都や滋賀(大津近辺)を含めた


 北部関西エリア


が中心になってくると考えられます。


 別の見方をすれば、梅田・大阪駅を基点として、「複線・複々線電化」がなされている線路エリアをみてゆくと、この地域の広がりがつかめると思います。



 これまた個人的には、このあたりに「東京を補完する第二の首都機能」をもってくればいいのになあ、と思っています。


 いわゆる大阪市は、これから起きる地震で壊滅的被害を受けるので、もう少し北のエリアに首都を置きたいな、というわけです。



 新世紀東京補完計画、なかなか面白そうでしょ?!


2015年5月15日金曜日

<吉家流儲かる起業塾4> 絶対に儲かるビジネスモデル の、経過報告

 以前の記事で「絶対に儲かるビジネスモデル」を発見したというお話をしましたが、実際にスタートした売上げ・販売経過の報告をちょびっと。




<以前の記事>

【吉家流儲かるビジネス塾】絶対に儲かるビジネスを考える
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2015/04/blog-post_24.html




 ・・・まあ、ここで取り上げた商品とおなじ原理でプチ商売を始めたわけですが、どうせなら自分でお勧めしているんだから、ココナラを利用してスタートしております。


 いいですよ。ココナラ。考え方によっては、かなり面白いツールです。




<以前の記事>

coconala ココナラが起業のトレーニングに最適な10の理由
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2015/04/coconala.html



==========

 というわけで、”絶対に儲かるビジネスモデル”の直近までの売上げを晒します。


 


 ココナラの累積売上げの画像そのまんま。


 ココナラは一件500円~で売買されますので、私も価格を500円で設定しています。


 ココナラ本体が150円の手数料を取りますので(15%)、実入りは一件につき350円ということになります。


 上に挙げた「累積売上げ」は、総販売額ではなく、実入り350円分の総数ですから、



 6510÷350=18.6


で、これまで18件売り上げた、ということです。(端数が出るのは、ちょびっとおひねりがあったから)



 まあ、こんな感じで、スタートしてからボチボチと売れております。おかげさまで(^^



==========


 このビジネスのいいところは、コストがほとんどかからず、かつ需要があるので、絶対に損せず、少しずつ積み重ねで売上げをアップできるところでしょうか。



 爆発的に儲けることはできますが、ちょっと準備しないといけない点があるので、私はまだそこまで手が空いていないので、たったひとつの商品だけでやってます。


 前のブログでも書きましたが、商品数を増やすのは難しいことではないので、暇ができたら準備します。



(だいたい、まだ本格始動じゃなくてプレなんだってば)



 あ、あと何度でも言いますが、絶対に儲かるので他人には一切話さないことにしてます(笑)

2015年5月13日水曜日

借金してアパートを建てるのは、バ◎か◎ホか節税か

 久しぶり、というわけでもないですが、本来は当ブログのメインである不動産ネタを。



 『1億円の借金で賃貸アパートを建てた老夫婦の苦悩』という記事が出ていたので、興味深く拝読しました。

 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150512-00010000-scafe-bus_all

(シェアーズカフェ・オンラインさんより)


 不動産投資関係やら、建築関係に務めている方なら誰でも知っているネタではありますが、NHKで取り上げられていた、というのがなかなかいい感じです(^^


 話はカンタン!


「節税(とくに相続税)目的で、老夫婦が田んぼに借金して賃貸アパートを建て、その企業が家賃保証とやらをしてくれるんだけど、あんなことやこんなことになってしまう」


というお決まりのパターンです(笑) ・・・いや、笑ってはいけませんね。失敬失敬。



==========

 いちおう、話をよく知らない方のために、カンタンな補足をしておきましょう。


 まず、使わなくなった田んぼや空き地を持っていると、おじいちゃん・おばあちゃんが死んで息子たちに相続するときに、もともと面積が広かったりするもんですから金がさが高くなってしまい、相続税が発生します。


 ところが、そのまま資産としてもっている田んぼや空き地には税金がかかりますが、借金があると相殺されますので総資産額を減らすことができます。ここまではOK?



 なので、こんな話はどうですか?と業者さんがやってくるわけです。


「その空き地に、借金をしてアパートを建てましょう。空き地の資産の分に対して、借金がありますので、相続税が生まれません。そしてなんと、そのアパートから賃料がもらえるので、資産がどんどん増えることになるのです」


 これを聞いて、おじいちゃんたちは、「それは良い話だな」と耳を傾けてしまいます。業者さんはさらに続けます。


「もちろん、アパート経営ですから空き家が出てしまうなどのリスクもあります。しかし、心配ご無用!常に満室状態とおなじように当社が一括借り上げしますので、空き室リスクは当社が背負います」


 これを聞いてさらにおじいちゃんたちは喜びます。「それは素晴らしい。すぐ契約するべ!」と。


==========

 この素晴らしい成功パターンで、うまくいくケースももちろんあります。うまくいくケースは、ほとんど条件が決まっていて、


「大都会に畑を持っていて、駅近ハイソな賃貸住宅のニーズがある場所のおじいちゃん」


は成功することが多いです。なんせ相続税が高いので、賃貸化借金は大変に助かる!



 それ以外の「ちょい田舎のおじいちゃん」とか「クソ田舎のおじいちゃん」とか、勝利の方程式から外れたおじいちゃんたちは、後に大失敗が待っている場合があるので要注意です。



 どういうことか。


 仮に6戸セットの賃貸アパートを都会と田舎に建てるとしましょう。土地は抜きにして、上ものはまったく同じです。ということは、借金の金額は全く同じということになります。


 これをどういう計算で返済してゆくかですが、都会だと6戸が常に借りてもらっている状態を長く維持できますから、総金額を順調に返済することができます。


 ところが、田舎だと常に6戸が埋まっている状態を維持できません。なので、時には4戸しか埋まらないとか、半分しか入ってくれていない、という状態が生じるのです。


 これがあると返済計画に狂いが生じます。


 なので、おじいちゃんたちから見ると、これが一番怖いので、「一括借り上げ・家賃保証」という契約がついていると、飛びついてしまうわけです。


==========

 ここで、よく考えてみてください。賃貸アパート経営には空き室リスクが伴います。田舎のおじいちゃんは、そのリスクを常に恐れて賃貸経営をしなくてはならないのですが、そこで登場した「一括借り上げ」の場合、空き室リスクはどこで処理されているのでしょうか?


 リスクがある以上、何らかの手当てをしておかないと、業者さんも損しますよね?それなのに、どうして一括借り上げができるのでしょう。


 その秘密はたった一つです。


「一括借り上げ、家賃保証という契約は、当初の家賃を全額ずっと払ってくれるわけではない」


ということです。


 最初の契約から一定期間は、たしかに満額の家賃が保証されますが、途中で見直しが入ります。その見直し率は、その建物が建っている場所の実需に合わせて変動します。


 業者さんは、途中でこう言ってくるのです。


「あのー、現在の家賃では、近隣の相場より高くて入居者さんがいなくなってしまいます。実際、あっちのアパートやこっちのアパートは、おたくよりも1万円家賃が低いので、それに合わせて満室にする方向で」


と。


 ここから、1万円低い金額での一括借り上げが始まるわけです。


 すると、当初の借金の返済計画と狂いが生まれてきます。つまり、いくら一括借り上げが約束されていても、金額が異なるため、収益が当初より低くなるのです。



==========


 こうして、おじいちゃんとその息子の代まで、返済不可能な借金漬け人生が始まることになります。

 返済がショートすれば、しかるべき法的処置がなされ、彼らは資産を失う、という壮大な物語なのです。



 小さな家を一軒建てようと思えば、うわものだけで1000万円は軽くするでしょう。ということは6戸のアパートでは5千万~6千万くらいして当然ですね。


 記事の事例では1億のアパートとありましたが、1階5軒・2階5軒くらいの文化アパートでも、それくらいかかるということです。



 おじいちゃんがいくら田んぼや空き地をもっているとはいえ


1億円という巨大な勝負をするのに、バクチの素養も知識もない


とは、完全にバカとしか言いようがありません。


 奇しくも、あのシャープが資本金を1億円にしようとしているなんてニュースがありましたが、おじいちゃんにシャープとおなじくらいの経営バトルを繰り広げる自覚があるとは、とうてい思えません。


 1億円のアパートを建てるということは、1億円を資本金にして賃貸業をはじめるということなのですから。



==========

 さて、ここにきて吉家孝太郎が、家を2軒持ち、かつ数々の金融裁判に関わり、また本物の営業刑事として活躍してきた実績をもとにお話をしたいことがあります。



 それは、みなさんがこれまでの人生でどれだけお買い物をして、いろんなものにお金をつかって消費者として暮らしてきたことはヨクヨク理解し、共感するとしても、


不動産というものに関してだけは、けしてみなさんは「消費者」なんてものにはなりえないし、なってはいけない


ということです。


 もっと平たく言えば、


「すべての商品を買うとき、私たちは『お客さん』でいられる。しかし、不動産を買うときだけは、誰も『お客さん』ではいられない」


ということです。


 お客さんでいられるとか、いられないとはどういうことでしょう。


 例えば、普通の商品であれば、商品に問題があれば「交換してもらう」とか、生産した会社を悪者にすることができます。

 しかし、不動産に関してだけは、意図的に騙されてその物件を掴まされたり、そういうこと以外では、全く持って「交換してくれたり、誰かを悪者になどできない」のです。


 仮に、あなたが土地を買い、その土地が翌日の地震で陥没して池になったとしましょう。あなたは誰にも文句を言うことができません。あるいは近隣の住民から、

「子供が落ちたらいけないので柵をしてもらえませんか」とか、

「蚊がわくから、薬剤をまいてくれ」とか、

言われまくっても、それはすべてあなたの責任なのです。


 そんなことは誰にも予見できず、誰にも責任が追えないことは、土地の所有者の責任だということです。




 なので、不動産に関してだけは、その土地の範囲内の「主権を買う」ということと同等だと思っていてください。

 まさに小さなエリアの国主・城主・領主としての全責任を負うのです。


===========


 逆に、いいこともあるので、それもちらっと書いておきましょう。


主権を持つということは、不動産に関してだけは、「自分で値段をつけてよい」ということでもあります。



 1000万円で売りに出ている物件をみつけて


「俺はこの家に300万円しか出さない!」


と主導権を発動することは全然かまいません。そんなことができるのは、不動産取引だけです。


はいっ!と手を挙げて、


「ワシはこの値段でしか買わんもんね!」


と言っていいのです。なんといっても主権発動です。あなたの意思は尊重されます。



 ここから先は主権と主権の戦いですから、相手が


「よし、300万円で売った!」


といえば、それで完全に取引成立なのです。


(こういう買い方を「指値をする」といいます。不動産投資の世界では当たり前のやり方です。ちょっとオークションに似ていますね)



==========

 私が実際に指値をして、面白い結果になったこんな事例があります。


 不動産会社の販売提示価格が780万円で、私の指値が580万円で、さて、結果はどうなったと思いますか?



 ・・・・売主の主権780万。ワシの主権580万。


 ・・・・そこに思わぬ陰の主権者登場!


 ・・・・売主が借りていた銀行の主権発動!



 <結果>銀行が、980万じゃないと売買を許可しない、と言ったので話は流れた。


 売主が780万でいい、と言ってもだめなんです。ワシが580万円と言っても、それはそれとして、本来の権力を持っている銀行が


980万回収しないとゆるさへんのじゃーーーー!!!


と言い出したら、それが主権なのでした(笑)



(ちなみに後日談。この物件を980万で他の人が買って行きましたが、本来不動産屋さんが780万しか価値がないと判断した物件なのに。980万も出してしまったその人は、かわいそうですね。こんな風に、不動産の価値って無茶苦茶なんです。だから主権を持ってこっちも臨まなくてはいけないのです)



2015年5月11日月曜日

<実国学を考える 9> ”まだ東京で消耗してるの?”なイケダハヤト氏をきっかけに

 実国学者、現代の吉田松陰こと吉家孝太郎(40)ですこんにちは。


 このシリーズ「実国学で考える」は、基本的には「地方」と「土地」に目をむけて物事を捉えています。

 なので、東京一極集中で、おまけにタワーマンションが乱立していて空中で生活している人たちがたくさんいる現状にクラクラしている毎日なのですが、


 本当に、地震と津波と富士山噴火がやってきたら、どうするんだろうこの人たちは


と心から心配している昨今です。


 まあ、そんな感じで「都市」を中心にした現代ジャパンのあり方に疑問を持っていることは、前々から語っているのですが、そんな東京に背を向けて


「まだ東京で消耗してるの?」
http://www.ikedahayato.com/



なんてケンカ腰で議論を生んでいるイケダハヤト氏の理屈も、わからんではないなと思う今日この頃。


==========

 イケダ氏を個人的に好きかどうかは別にして、東京対地方という観点を実国学的にまとめたり考察してみようと思えば、以下のようなことが浮かび上がってきます。



① 消耗という言い方の妙。私たちは、実際にはこのセカイで消費させられている。



② 東京時代はいつ終焉するのか。東京が大都市になった理由とこれから。



③ では地方には、何があるのか。ユートピアなのか、消滅なのか。



④ 真の地方活性化と実国学の実現に何が必要か。今の地方に決定的に欠けているアレ。



 まあ、このへんをゆったりと書いてみたいと思います。



========


① 消耗という言い方の妙。私たちは、実際にはこのセカイで消費させられている。


 私たちの生活は、本当は「消費させられている」毎日なのだと気付いている人はどれくらいいるのでしょうか。


 金額の高い住宅を買わせられ、一生期間のローンを背負わされ、共働きで一見稼ぎは増えても、こどもの面倒をお金で見てもらうようになり、高い教育費をかけても高学歴ニートが増えるだけというこの現実に、よくもまあ誰も文句を言わないなあ、と思います。


 そう、私たちは消費させられているだけなんです。それは企業や政府によってではなく、「社会そのもの」に惑わされているだけ。


 私は大都市での生活も、地方での生活もどちらも経験があります。100万人くらいの人口の町も、数十万の町も、5000人くらいや1万人くらいの町も、まんべんなく住んできましたが、言えるのはたった一つ


「都市における経済生活とは、買わされることだ」

そして

「地方における経済生活とは、与え合うことだ」


の大きな違いです。




② 東京時代はいつ終焉するのか。東京が大都市になった理由とこれから。



 東京でも大阪でも、都市が都市足りえる理由は、そもそも次男三男の「金のたまご」たちが相続できる土地がなく、仕事をもとめて都市へ出てきたことにはじまります。


 ここに、土地を持たない生活者の巨大市場が生まれ、彼らが消費のまち東京を肥大化させてゆきました。

 ところが、それがそうなったのは、賃金の安かった日本人が経済成長を果たした曲線と合致していたからで、経済成長が今や別のアジアに移動したことは周知の事実です。


 そう、もう東京が都市でなくてはいけない、本質的な理由は実はもうあまり残っていないわけです。

 しかし、東京に人がいる限り、そこで消費されるモノやコトの手当てはしなくてはなりません。なので、サービス業ばかりがどんどん増え、比較的低賃金で使われる人たちが、見かけ上の高賃金で第三次産業に勤しむ、といういびつな構図が出来上がってしまいました。


 この町から消費を取りのぞけば、もしかすると東京は破綻してしまうのかもしれません。


 それはまるで、長屋の住民の大半が大工であった江戸の町が、大火事ごとに再生したかのような怪しさをかもし出しています。




③ では地方には、何があるのか。ユートピアなのか、消滅なのか。


 地方とは何か、を象徴的に示したのが、イオンモールという存在でした。あるいは、マクドナルドでも、ユニクロでもいいでしょう。


 別に都市でなくても、それらしく都市っぽいものはどこの地方にもあり、アマゾンと楽天があれば、消費に関して都市と地方の大きな差はなくなってしまった現代。


 それをユートピアと見る人たちは、いわゆるマイルドヤンキーとしてそこそこな幸せを謳歌しています。


 一方年老いた両親だけを残して、朽ちてゆく限界集落や、統廃合や廃校になる学校が象徴するように、地方の村はどんどん縮小しつつあります。


 地方はユートピアなのか、それとも消滅へ向かうのか。それは鉄道をみればわかります。


 かつて日本中に網の目のように張り巡らされて便利になっていったはずの鉄道が、どんどん塵に戻っていっている日本ですから、地方は縮小しています。確実に。


 時代とともに便利になったのは都市だけで、地方は悪徳国会議員の力でなんとか持ちこたえていただけでした。しかし、彼らが悪徳呼ばわりされた今、地方が便利になることはないでしょう。



 しかし、地方には確実に土地がある。あまるほど、捨てるほどの土地があることは実は隠れた資産であることに、まだ誰も気付いていません。


 高度成長は、地方の土地を捨てさせました。しかし、次男三男どころか、人口減少のこれからは、誰もが土地を持てるチャンスがあるわけです。そこに気付くかどうかが実国学的なポイントです。



④ 真の地方活性化と実国学の実現に何が必要か。今の地方に決定的に欠けているアレ。


 今の地方に欠けているものは、実はたったひとつです。それは、都市の大学に行って、知恵と知識を得た「頭脳」です。人材です。


 田舎の両親は、長男に大学へ行って学んでほしいと願います。そして、大学へ行かない次男に実家を継がせているのが現代の地方です。


 せっかく都市で得た知識も、知恵も、長男は生かすことなく都市で生活しています。


 これまではそれでよかったのですが、これからはどうでしょう。その長男は企業から放り出されそうになっています。あるいは、企業そのものが存在しなくなりつつあります。


 そして、地方には、知恵と知識とノウハウを持った者がいないのです。すべての地方が、頭脳と人材を求めているのです。


 

=========

 実国学的には、起業や活動を通じて社会貢献したい、やりがいをきちんと求めたいという若者に最も向いているのが、



 地元へ戻って、その優秀な力を生かすこと



だと考えています。


 地方には仕事がないと思われがちですが、そうではない。



 ライバルがいない。ということでもあります。


 十分な先端教育を受けたものがいない。ということでもあるのです。


 そして、かかるコストがやたら低い。ということをなぜ見逃すのですか?




 田舎ではMBAは役に立たないと思っているでしょう。そんなあなたはMBAという資格を都市で消費させられているだけなのです。


 もし本当にあなたにMBAの実力があるなら、ど田舎村の一つや二つ、大きく変えることができるのではありませんか?


 もう一度言います。ライバルはいません。あなたしかいないのです。


 
=========

 イケダハヤト氏のように、「なぜ高知なのか」といった問題や、「実際にどの地方がいいのか」といったことは、実国学的には、実はあまり問題ではありません。



 私はこう提案します。



「あなたには、あなたの先祖が開拓した本貫地がある。先祖代々守ろうとした一族の本領がちゃんとあるはずだ。その本領へ帰ればいい。そこはあなたたちの土地であり、あなたたちこそそこを栄えさせるのにふさわしい者はいない」


と。


 この本領復帰運動、を自分の心のテーマにしてみませんか?





 
 

<吉家流儲かる起業塾3> 正しいことや、当たり前のこと、常識的なことを信じるな

 先日より、ちまちまと書き連ねている「儲かる話」についてですが、私が、いろんな職業を体験したり、あるいは普段業務を行っている上で、気がついている話をきちんとまとめておこうと思います。


 現代の日本社会で生活し、そこで消費活動や企業活動を行う上で、見誤ってはいけないたった一つのポイントがあります。


 それは


「正しいことや、当たり前のこと、常識的なことを信じてはいけない」


ということです。いや、もうすこし厳密に言うならば、この日本においては



「一見正しいことや、当たり前のこと、常識的なことを信じてはいけない」


と、正確に申しておきましょう。



 これはいったいどういうことでしょう。



 もし、遠慮なくぶっちゃけて、上の言葉を言い換えさせていただくならば、



「ほとんどすべての人は、誤った選択をするから、それを忘れるな」


と言い換えさせていただきましょう(笑)


 これが、儲けを出したり、企業活動を行う上で、とても重要なポイントになるのです。


 単純ですが、奥深い謎が含まれていますので、ぜひじっくり考えてみてください。



=========

 たとえば、このブログで口がすっぱくなるくらい言ってますが、


「マンションを資産として買う」ということは、合理的理屈においては完全に誤りですが、ほとんどすべての人はマンションを買うことを実行している


という事実があります。


 あるいは、


「太陽光発電というのは、電気代を一括先払いして、月々多少お安く見せられている商材である」


なんてこともずっと書いていますが、たいていの人は太陽光発電は良いものだと誤解しています。



 また、あるいは、


「ハイブリッド車は、初期投資が高く、燃費は安くなるが、総維持経費は、ふつうの車より高くなる」


ということも、専門家は理解していますが、たいていの人はハイブリッド車を肯定しています。



 こういうことは、経済の専門家の間では、永遠のテーマとしてすでに議題に上がっていて、



「どうして人は経済的合理性に沿った行動をしないのか」


という論題がちゃんと提示されていたりするのです。



==========

 このことをひっくり返すと、企業人として考えなくてはいけないポイントが見えてきます。


 つまり、



「本当に経済的にきちんと合理性のある商品は、売れない」



ということに気付くべきなのです。


 もっと平たくいえば、「ほんとうに良い商品は、売れない」のです。恐ろしいことに!!!!



 こんな書き方をすると、「じゃあ、粗悪なものを騙して売りつけるのが企業人の本分なのか!」なんて誤解して怒り出す人がいるかもしれません。


 しかし、その人も、やっぱり単純なミスを犯しています。そうではなく、



「売り手にとって良いことと、買手にとって良いことを本当にすり合わせるのは、とてつもなく困難である」



ということなのです。


 そこで、すべての企業活動においては、この「本当に合理的にすばらしいもの」を提案するのは困難なので、


「一部、すばらしい機能を持つもの(ただし、総合的にすばらしいかどうかは別)」


という商品を提示することが常になっているわけです。


 平たくいえば


「ちょっと何かが良さげなものが売れる」


ということになるでしょう。



========


 私がふだん扱っている商品は、50年くらいノーメンテナンスで平気で持ちます。なので、私が1つそれらを販売すると、二度とそれを買った人に出会うことはありません。

 これは、買手にとって良いことですが、提供者にとっては回転率が極端に悪いのでよろしくない商品だということになります。


 しかし、現実には、この商品はめちゃくちゃ売れるわけではありません。


 実際には、10年もすれば追い金をして補修や交換してやらねばならない半額くらいの商品が売れ筋ということになっています。



 こうして、本当に良いものは売れず、性能的に劣るものが売れてしまうわけです。


「安い、という一部だけメリットがある商品が売れる」


ということです。




=========

 ブランド品なんかは、もっとわかりやすいですね。


 たしかにブランド品は、作りもしっかりしていて価値があります。しかし、1万円のバッグが5年使えるとして、


30万円のバッグが150年間使える


かどうかは定かでないし、150年使えることをPRするのはナンセンスですよね?



 つまり、人は、決定的に不合理である「ブランドとしてのかっこよさ」だけに+29万円を支払うものなのです。



 だから企業人は、「何に29万円を払ってくれるのか」を合法的に見極めることで儲けを出すのです。



============


 儲けるということは、本来の価値に対して、「見かけ上の価値(売れる価格)」がどれだけ取れるのか、ということを意味します。



 ただし、ここが重要ですが、消費者のほうは「売れる価格より、本来の(使用できる)価値が高そうだ」と誤解するものにしかお金を払いません。



 ここに、超矛盾が存在するので、すり合わせが難しいのです。



 だから、企業人は常に「この部分が、値段以上の価値がありそうですよ!」と声を大にしてPRしなくてはいけないのです。