2015年5月21日木曜日

<実国学を考える 番外編> 自衛権ってなんだ? 戦後日本とアメリカの関係を実国学で読み直す

 最初にお断りしておきますが、「実国学」というのは、あくまでも試論ですので、これからの日本のために「こうすべきだ」とか「これが正義だ」とか「これが善だ」と決め付けるものではありません。

 今回のネタは、けっこうディープなので、誤解を招く失言が飛び出すやもしれないので、最初に謝っておきますね。ごめんなさい。


==========


 さあ、何の話をするかといえば、国防の話です。さすがに現代の吉田松陰を自称するだけあって、尊皇攘夷とか、開国とか、いちおう諸外国とのお付き合いの仕方についても、ある程度のビジョンを持たないわけには参りません。というわけで、今回はそのへんの話を。


 さて、日本という国そして日本人というものの大半は、たいへんにすばらしいGHQによるある種洗脳、ある種教育、そしてある種の縛りによって


「戦争をしてはいけない、武力を持ってはいけない、平和大好き」


な国民として育て上げられているわけですが、これはこれでまあ悪いことでもないので、ここではそっとしておきましょう。


 ある、国民が平和主義なのは、よいことです。また世界に対して「武力行使は嫌いなんだ」と宣言するのも、まあ悪いことではないのかもしれません。

 しかし、それはそれとして、少し視点を変えて見ると、おかしなことに気づきます。


==========

 日本という国がここにあります。しかし、一体全体どうして、横須賀やら沖縄に、在日米軍が今でもいらっしゃるのでしょう。

「そりゃ日米安保条約が」

とか

「そりゃ日米は協力し合って」

とか、建前的な話はいくらでも説明してくれる方がいそうですが、そうじゃなく、


「ある、ひとつの主権国家に、別の国家の軍が駐留している状態って、なんかおかしくないかい?」


ということを指摘しているのです。


「山田さんと、おとなりの杉山さんはとても仲良しで、一緒に協力して夏休みにバーベキューをやったり、おしょうゆの貸し借りっこをしています。地域で空き巣被害が増えたときには、一緒に夜中に見回りをしたことがあったりします」

という二つの家を考えてください。

 つづけます。

「そして、山田さんの家の4畳半の部屋には、杉山さんちの三男の息子が住んでいます。杉山さんは『何かあったら息子に任せてくださいね』と言っているし、山田さんは『杉山さんの息子さんなら、心強いわ』とご飯を食べさせてあげています」


・・・こうなると、誰にでもわかりますね。山田さんの家は、頭がおかしい。完全にこの両家は、いかれているとしか思えません。


  いうなれば、在日米軍というのは、こういう状態なのですね。この状態がおかしいことは、誰でも気づきます。

 つまり、「平和のため」とか、「戦争がどう」とか、それ以前に、


主権国家が、別の主権国家の軍を置くことを了承している状態


というのは、 主権がある2国間の状況として、日米修好通商条約より、はるかに不平等条約であるということを、認識しておく必要があるわけです。


 普通の国、普通の家というのは、基本的には、「自分の家のことは、まず自分で守る」というのが当たり前のことです。


 ところが、そうなっていないのが現在の日本なわけですから、ここに何かトリックが隠されていると見てよいと思います。


==========

 では、日本というのはどういう状況なのか。大前研一さんが面白いことを言っていましたが、沖縄から在日米軍が出て行かない理由はカンタンに言えば


「沖縄の民政統治権を日本に返還したけれど、軍政統治権を返してはいないから、沖縄に米軍は駐留できるんだ」

ということなのだそうです。


 これを大きく広い視点から見れば、結局日米安保条約というのは、カンタンに言えば、

 「日本の民政統治権は日本に返しているが、GHQは軍政統治権は日本にも大韓民国にも返していないもんね」

ということなのだとわかります。


 ということは、つまり。カンタンです。


「日本は、戦後、真の独立国になったことは一度もない」


という真実に行き当たるわけです。


 真の独立国とは、つまり、国内のすべての統治統率権を所有するということですから、当然、他の国の軍が喉もとで活動できるなんてことを許しません。



 しかし、じゃあ、現実問題として「真の独立国になるのが完全なる善で良か」となるか、一概にそうとは言えないから恐ろしいわけで。



   真の独立国は、たとえばお隣さんとケンカするときに、本気で戦わなければいけません。そして、友達はもういないので、自分だけで戦わなければいけないのです。

 となると、「平和が好きなの(はあと)」なんてふざけたことは言ってられず。お隣の中で華なあの国と、まともにやりあえるくらいの軍備は用意していて当然、ということになるわけです。


  第二次世界大戦の後処理として、欧米はとりあえず、日本を独立国にしない方向に持っていきました。ちょっとずつ、ちょっとずつ小出しにして、いろんな権利を返していますが、もっとも巨大なフォースである


軍事権


は、まだ返ってきていない、これは大事です。教科書に出ます!


==========

 ふだん、私たちは「韓国って実はまだ戦争継続中なんでしょ~。大変だね~」とか「韓国って、アメリカが手を引いたら、真っ先にやられそうだよね~」とか言ってますが、


 ミー、トゥー。


  いやいやいや、「日本もまだ米国軍政統治継続中で、アメリカが軍政から手を引いたら、某国はやりたい放題だよね~」ということを忘れてはいけません。



===========

 さて、では実国学では、日本のあるべき姿をどう考えるか。

 それは、戦争するかどうか、平和好きかどうかは別にして


「主権は、すべてその国家にある」


というのがフツーであろうと思います。だからといって、積極的にそれを推進するのが善かどうかわからないのが難しいところ。


 韓国という国が、歴史上ずっと中国の顔色を伺いながら何千年も「属国あるいは、朝貢国」というわけのわからんフリをしてきたように、 日本も現時点では、

「何がしかのフリ」

をせざるを得ないのかもしれません。悲しいかな。


 その意味では、明治維新の時と今は全くおなじなのです。


 「日本という主権を守るためには、尊皇攘夷じゃボケえ!!!!」

と息巻いたものの、

「いや、やっぱりもっと強くなってからじゃないと無理かも」

と開国欧化した明治維新のように、


「自衛権って何なんじゃわれーーー!!!」

と、みんなで頭をひねっているものの、

「いや、やっぱり今はアメリカの言うことを聞いておかないと無理かも」

と引っ張られるわけです。



 そういう意味では、韓国の戦争が終わっていないように、日本も戦後体制はまだ終わっていないのです。



 いつか、日本が日本としての主権を取り戻せたらいいな、と思ったり、でもそうなったら徴兵制じゃないと無理だよな、と思ったり、悩ましいものです。


0 件のコメント:

コメントを投稿