世界中で大ブームになっているポケモンGOですが、さっそくうちの奥さんもハマってしまい、昨日は日曜日だったので、モンスター探しに同行させられたヨシイエでございます。
もちろん、ヨシイエはあまりゲームというものにハマることがなく、どちらかと言えば、
「消費よりも、創造」
を重視するタイプですから、ゲームに費やす時間は、他の人よりもはるかに小さいものになります。
ところが、このポケモンGOを端からみていて、
「なるほど、これはビジネスとしてよく考えられているな」
と思った点がいくつかあるので、そこから「ポケモンGOとは、つまり何なのか」を探ってみたいと思います。
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ポケモンGOを始めると、かなり早い段階で気付くいくつかのポイントがあります。それは
<1> ポケモンGOで遊ぶにはグーグルさんのアカウントが必要なこと
<2> ポケモンGOで登場するスポットは、公共の場所や名所旧跡が多い。
<3> 現地に行かないとわからない現場の写真が載っている
ということ。
プレイヤーからみると、たいしたことのない話なのですが、これは、プログラムを作る側からすると、けっこう大変なことで、
「ん?ポケモンGOの地図データは、おそらくグーグルマップから提供されているな」
とか
「その場所が公の場所かどうかは、基礎となるデータベースがあるんだろうな」
とか
「現地の写真を世界中で撮るのは大変だから、原型はストリートビューかな」
とか、そんなことが想像できるわけです。
さて、そうした開発側の目線で考えると、このポケモンGOが一体何者なのかは、おのずと明らかになってきます。
そもそも、ポケモンGOは任天堂のゲームではありません。
キャラクター版権はもちろん任天堂から出ていますが、ゲームの基本設計は、
Niantic,Inc(ナイアンティック)
https://www.nianticlabs.com/
というアメリカの会社が行っています。
で、この会社のルーツがどこにあるか、といえば、実はグーグルさんの社内ベンチャーだったのが独立した、という歴史があるのです。
おまけに、グーグル社内でこのチームが実験していたのが「GPSの位置情報を使って、何かできないか」ということだったので、
まさに、これこそがポケモンGOの素地
だということになります。
ナイアンティック社の代表であるジョン・ハンケさんは、もともとはグーグルアースとストリートビューなどの責任者だったので、これはまさに
「ポケモンの皮をかぶったグーグルアース&ストビュー」
なのだということがわかるわけです。
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これらのことから言えるのは、ポケモンGOは「課金できる地図、遊べる地図、地図上で”何か”ができること」の世界的リリース第一段だということでしょう。
今は、ポケモンGOにおいては「公共の場所を利用する」というスタンスでプログラムが組まれていますが、地図データをどのように加工し、利用するかによっては
「無限のお宝」
に化ける可能性も、大なのです。いやむしろ、これからそういったアプリがどんどん出てくる前夜祭なのでしょうね。
2016年7月25日月曜日
2016年7月11日月曜日
<吉家流儲かる起業塾11> ココナラのバナー広告がすごい! 無料であなたをCMしてくれる方法
ここ数日ぐらいから、ネット広告・バナー広告がすごいことになっているのに気付いているでしょうか?
ヨシイエはbloggerでグーグルのAdsenseを使っているので、その変化に驚いているのですが、
やるな!やりやがったなココナラ!
と飛び上がっています。
何が起こっているかというと、ココナラさんが、ネット広告、とくにバナー広告に出稿していて、 いろんなブログやらサイトやらで、広告付きのところに軒並み
「ココナラのバナー」
が貼り付いている、ということが最近起こっているわけで。
ココナラ の本家サイト
coconala.com/
ところが、このバナー、ただ単に「ココナラというサイトやサービスがあるよ」という普通のバナーではないのです。
そこがミソ。ココナラが本気出してきたことに、ちょっと身震いしますよ。
どうなっているかというと、今回のココナラバナーは、
「ココナラに出品している誰かのサービス」を、そのサイトやブログ記事、あるいは検索語に合わせた内容で表示してくれる
システムになっているのです。
このすごさ、わかります?
たとえば、ヨシイエが「起業のサポート」みたいなサービスをココナラで出品しているとするでしょ?
で、あなたが、起業について調べていて、誰かのサイトやブログを見たりするとするでしょ?
すると、ヨシイエのサービスが、「ココナラのバナーの中に表示されて、クリックするとヨシイエのサービスに飛ぶ」
んです。
すごくない?!!!!!
つまり、ヨシイエはココナラにサービスを出品するだけで、世の中のネット見ている人たちに(マッチングはあるものの)勝手にココナラ本家が宣伝CMを流してくれていることになるのです。
本来なら、バナーの広告主は、ヨシイエであって、ヨシイエがお金を払わなくてはならないのに、ココナラが勝手にそれをやってくれている、というわけ。
それでいて、バナー経由でヨシイエのサービスに誰かがやってきても、ヨシイエはそれを全然関知しないわけだから、
お金がとられるわけではない
というのです。 こいつはすごい!すごすぎる!
で、ここ3日くらいから、うちのサービスにやたら新規のアクセスがあるなあ、と思ったら、どうやらそういうことのようなのです。
これは乗らないと損でしょ?!
いやあ、ココナラの出品数が多すぎるようになって、ほとんどの人は生ける屍になりつつある昨今、
この手で来たか!!!
と、マジでやられた感があります。
たしかにこの方法なら、埋もれそうなサービスも、マッチング次第で掘り起こせるからです。
というわけで、今回は、感服しました。ココナラさま。参りました!!!
2016年7月5日火曜日
なぜ民主主義は崩壊したのか。
英国のEU離脱問題しかり、その背後にあるEU諸国の不満しかり、あるいはアメリカ大統領選挙の混迷や、日本の政治的迷走しかり、
どうも、第二次世界大戦後の民主主義や資本主義のありようはうまくいっていないのではないか?
という素朴な疑問を持っている方は多いと思います。
そのため、
「資本主義の次の時代はどうなるのか?」とか
「中世に逆戻りしているのではないか?」とか
「欧米型資本主義のアンチテーゼとしてイスラム国などの原理主義が台頭しているのではないか?」とか
さまざまな言説が、論壇をにぎわすことになっています。
しかし、ヨシイエは、この欧米型の資本主義の終焉の原因はとてもシンプルなのではないか?と考えています。
イギリスやアメリカ、そして日本も含めて、私たち先進国と呼ばれる国々が、どこで間違ってしまったのか、その原因を今日は
軽~く!
探ってみたいと考えます。
==========
まず、私たち先進国の国民は、2つの大きな思想的柱を持って生活していますが、本来はそれらは別々の視点であり、そもそもジャンルが異なります。
この柱2つというのはもちろん
「民主主義」
と
「資本主義」
ですが、 これらはつい、ごっちゃになってしまいがちの概念です。
さて、民主主義というのは、「私たち一人一人が主権をもっていて、えらい」という概念です。
それに対して資本主義というのは「お金持ちがお金を投資して、経済を回す」という概念ですから、この2つはまったく別次元のお話だということになります。
別次元ですから、他の組み合わせだって可能です。
封建主義や、帝国主義と資本主義を結びつければ、「主権を持っているのは金持ちの資本家で、彼らがお金を支配して、下々の者をこきつかう」ということになります。
その場合は、私たち一人一人には主権なんてあったもんじゃありません。
はい。ここで。図をひとつドーン。
古い時代には、封建主義が世界でも日本でも主流でしたから、「支配者や領主」が、それ以外の領民を支配していました。
ところが、フランス革命以降、「支配者じゃないけど貧民でもない」という「中間層や市民層」が、
おれたちにだって政治参加する意思決定権を持ってるんじゃないかバカヤロー!
と言い出したのが、民主主義のはじまりです。
というわけで、上の図は、フランス革命後の「ちょっと民主的な世界」を描いてみました。
旧来の世界では「領主・支配者層」が権力とお金を牛耳っていました。
それはそれでOKです。すべて領主や支配者の思い通りで、たいていの民衆は搾取されています。
ところが、フランス革命後の「ちょっと民主的な世界」前夜では、
「領主・支配者層」が権力とお金を持っていて、
「中間・市民層(いわゆるブルジョワ)」がお金を持っていて権力を持っていない
状態だったので、
「わしにも権力をわけろ」
と言ったわけです。簡単に言えば。
なので、「ちょっと民主的な世界」では、領主層と中間層が、権力とお金を持つことになったわけです。
==========
これで、多数決をとればどうなりますか?
基本的には、支配層と中間層がめざしている方向は同じです。
「わしらは権力を持ち、金を持っている」
ということで、それが実現できる階層が合体した、ので、経済的にも、政治的にも、矛盾は起きませんでした。
第二次世界大戦後まで、基本的には先進国はこういう状態だった、というわけです。
貧困や弱者は存在したけれど、たいていの人間は中間層までで満足していて、支配者たちと一緒になってこの方向をめざしていれば幸せである、と考えていたのです。
==========
ところが、民主主義というやつは、お題目の上では「すべての人は平等であり、すべての市民が主権を持っている」ということだったので、政治的には
「一人の1票はおなじ価値を有する」
というのが建前でした。
で、今はこんな図になっています。
世界の富を一部の資本家や支配者たちが牛耳ることで、中間層や市民層は
「主権は持っているけれど、金がない」
という状況になったのが近年の先進国です。
日本でも、「一億総中流が崩壊」したと言われていますね。
こうなると、一人一票の重みがおなじなら、政治スタンスは、どうしても弱者寄りになります。
つまり、目先のことをなんとかしろ!という欲求ばかりが増える、というわけです。
金がないということは、長期的な経済展望よりも今日のパンを心配せねばならない、ということです。
だから衆愚政治と呼ばれるような、ビジョンのない政治が生まれます。
じゃあ、どうしたら世界は平和になるのか。
簡単です。
お金持ちは、弱者にまでお金をやる必要はありません。
中間層が多数派になるくらいまでだけ、下位層にお金を再配分すればいいのです。
「21世紀の資本」でピケティは、資本の再配分を主張していますが、それは正しいと思います。
弱者を救済するのではなく、「中間層を支配者たちの味方につける」ことが、最もスピィーディーな解決法だったのです。
たとえば、今回のバングラデシュでのテロの犯人が「富裕層」だということに衝撃が走っていますが、それも上の図に関係しています。
富裕層で、支配層だと思っていた若者が「資本家や支配者は、金を牛耳っている。それは正義ではない」と感じているということです。
これが、大問題なのです。
さて、これで欧米型資本主義が「民主主義」によって崩壊する様がわかりましたね。
支配層やエリートたちは「民主主義がやばい」と感じていますが、その言説における「民主主義」とは、実は
フランス革命前後の意味での民主主義
であって、中間層は上側にいる話なのです。
さあ、世界の中間層がだんだん下へと下がってきた今、資本家たちよ、どうしますか?!
タックスヘイブーン!
どうも、第二次世界大戦後の民主主義や資本主義のありようはうまくいっていないのではないか?
という素朴な疑問を持っている方は多いと思います。
そのため、
「資本主義の次の時代はどうなるのか?」とか
「中世に逆戻りしているのではないか?」とか
「欧米型資本主義のアンチテーゼとしてイスラム国などの原理主義が台頭しているのではないか?」とか
さまざまな言説が、論壇をにぎわすことになっています。
しかし、ヨシイエは、この欧米型の資本主義の終焉の原因はとてもシンプルなのではないか?と考えています。
イギリスやアメリカ、そして日本も含めて、私たち先進国と呼ばれる国々が、どこで間違ってしまったのか、その原因を今日は
軽~く!
探ってみたいと考えます。
==========
まず、私たち先進国の国民は、2つの大きな思想的柱を持って生活していますが、本来はそれらは別々の視点であり、そもそもジャンルが異なります。
この柱2つというのはもちろん
「民主主義」
と
「資本主義」
ですが、 これらはつい、ごっちゃになってしまいがちの概念です。
さて、民主主義というのは、「私たち一人一人が主権をもっていて、えらい」という概念です。
それに対して資本主義というのは「お金持ちがお金を投資して、経済を回す」という概念ですから、この2つはまったく別次元のお話だということになります。
別次元ですから、他の組み合わせだって可能です。
封建主義や、帝国主義と資本主義を結びつければ、「主権を持っているのは金持ちの資本家で、彼らがお金を支配して、下々の者をこきつかう」ということになります。
その場合は、私たち一人一人には主権なんてあったもんじゃありません。
はい。ここで。図をひとつドーン。
古い時代には、封建主義が世界でも日本でも主流でしたから、「支配者や領主」が、それ以外の領民を支配していました。
ところが、フランス革命以降、「支配者じゃないけど貧民でもない」という「中間層や市民層」が、
おれたちにだって政治参加する意思決定権を持ってるんじゃないかバカヤロー!
と言い出したのが、民主主義のはじまりです。
というわけで、上の図は、フランス革命後の「ちょっと民主的な世界」を描いてみました。
旧来の世界では「領主・支配者層」が権力とお金を牛耳っていました。
それはそれでOKです。すべて領主や支配者の思い通りで、たいていの民衆は搾取されています。
ところが、フランス革命後の「ちょっと民主的な世界」前夜では、
「領主・支配者層」が権力とお金を持っていて、
「中間・市民層(いわゆるブルジョワ)」がお金を持っていて権力を持っていない
状態だったので、
「わしにも権力をわけろ」
と言ったわけです。簡単に言えば。
なので、「ちょっと民主的な世界」では、領主層と中間層が、権力とお金を持つことになったわけです。
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これで、多数決をとればどうなりますか?
基本的には、支配層と中間層がめざしている方向は同じです。
「わしらは権力を持ち、金を持っている」
ということで、それが実現できる階層が合体した、ので、経済的にも、政治的にも、矛盾は起きませんでした。
第二次世界大戦後まで、基本的には先進国はこういう状態だった、というわけです。
貧困や弱者は存在したけれど、たいていの人間は中間層までで満足していて、支配者たちと一緒になってこの方向をめざしていれば幸せである、と考えていたのです。
==========
ところが、民主主義というやつは、お題目の上では「すべての人は平等であり、すべての市民が主権を持っている」ということだったので、政治的には
「一人の1票はおなじ価値を有する」
というのが建前でした。
で、今はこんな図になっています。
世界の富を一部の資本家や支配者たちが牛耳ることで、中間層や市民層は
「主権は持っているけれど、金がない」
という状況になったのが近年の先進国です。
日本でも、「一億総中流が崩壊」したと言われていますね。
こうなると、一人一票の重みがおなじなら、政治スタンスは、どうしても弱者寄りになります。
つまり、目先のことをなんとかしろ!という欲求ばかりが増える、というわけです。
金がないということは、長期的な経済展望よりも今日のパンを心配せねばならない、ということです。
だから衆愚政治と呼ばれるような、ビジョンのない政治が生まれます。
じゃあ、どうしたら世界は平和になるのか。
簡単です。
お金持ちは、弱者にまでお金をやる必要はありません。
中間層が多数派になるくらいまでだけ、下位層にお金を再配分すればいいのです。
「21世紀の資本」でピケティは、資本の再配分を主張していますが、それは正しいと思います。
弱者を救済するのではなく、「中間層を支配者たちの味方につける」ことが、最もスピィーディーな解決法だったのです。
たとえば、今回のバングラデシュでのテロの犯人が「富裕層」だということに衝撃が走っていますが、それも上の図に関係しています。
富裕層で、支配層だと思っていた若者が「資本家や支配者は、金を牛耳っている。それは正義ではない」と感じているということです。
これが、大問題なのです。
さて、これで欧米型資本主義が「民主主義」によって崩壊する様がわかりましたね。
支配層やエリートたちは「民主主義がやばい」と感じていますが、その言説における「民主主義」とは、実は
フランス革命前後の意味での民主主義
であって、中間層は上側にいる話なのです。
さあ、世界の中間層がだんだん下へと下がってきた今、資本家たちよ、どうしますか?!
タックスヘイブーン!
2016年7月1日金曜日
マンションに移民がやってきたら
英国のEU離脱問題が、まだまだ禍根を残しそうな状況ですが、今回のことで世界の人たちがわかったのは
「たくさんの人たちが集まる、集団や組織における意思決定の難しさ」
ということではないでしょうか?
今回の離脱劇ではまさにそうだったのですが、100人の集団において
51対49
の多数決では、多い方が果たして合意であり、総意なのか?
という問題が突きつけられたわけです。
もちろん、49になったほうだって、「ほぼ半分」なわけですから、多い方の意見に賛成できるわけはありません。
そうすると、英国におけるスコットランドのように
「それなら私たちもその集団から独立します!」
という機運も高まってくるのは当然ということになります。
==========
集団で意志決定している組織というのは、本質的にこういう「あやうさ」が潜んでいます。
日本人である私たちにとっては、EUや英国の問題は、一見無関係のように思えますが、これと同じことが今日にでも身近に起こり得る、ということは知っておくべきでしょう。
それが「マンションに住む」ということのEU的リスクです。
一戸建てのマイホームを持っておられる方は、文字通り「一国一城の主」なので、こうした問題は起こらないのですが、マンション生活者は、
「マンション=EUであり、区分所有=英国」
ということになります。
たとえば、マンション管理において、住人であるあなたの考えと、あなた以外の住人の考えが異なる場合は、
「管理組合の総会」
において多数決がとられることでしょう。
大多数が賛成するようなマンションの管理案(修繕等)でしたらあまり気になりませんが、それこそ
51対49
になるような対立事項が起きれば、負けた方は、「かなり嫌な思いをして、その決議を呑む」か、あるいは
「マンションを出てゆく」
ことを考えるでしょう。あなたの生活とEU離脱問題は、実はとても似ているのです。
==========
そうしたことがもっと如実に明らかになる事例として、まさにEU諸国が「移民」問題でゆれたように
「マンションに移民がやってきたら」
ということが起こり得ます。
その場合、ここで言う移民とは、すなわち外国人、もっとズバリ言えば「中国人」ということになるでしょう。
実際に、マンションの購入者のうち、ある一定数が中国人を占めている物件も実在します。
マンション管理規約改正で、住民総会が中国語に
http://www.news-postseven.com/archives/20160413_402166.html
の記事などで指摘されるように、日本人の生活習慣と中国人の生活習慣が対立することは、これから増えてゆくことでしょう。
そしてそれが嫌なら、「離脱」するしかない、わけです。
まさに、経済的には損をするのはわかっているけれど、文化や生活習慣の違いから、「一緒にいることは難しい」と感じる場面が起きうるということなのです。
マンション・チラシの定点観測
http://1manken.hatenablog.com/entry/2015/08/22/061839
というサイトでも、「人種問題」がこれらのマンション問題として浮かび上がるだろう、という予測をなさっています。
==========
マンションを購入しよう、という比較的富裕な人には無関係に思えるかもしれませんが、実は日本じゅうの「公営住宅」や「市営住宅」を覗いて見ると、今や、
「様々な人種、さまざまな肌の色の人たちがたくさん生活している」
ことに気づきます。
一昔前なら、「若い間に夫婦が公営住宅に住んで節約して、頭金が貯ったら家を建てて出てゆく」なんてことがありましたが、今では公営住宅の姿はすっかり変わってしまい、比較的貧困層の人種のるつぼになっている実態があります。
ふつうの日本人は、そうした富裕層から貧困層まで、多数の外国人が日本に来ていることを「日本人が大多数で、外国人はマイノリティ」としか把握していませんが、
価格帯や、地域によっては、集合住宅で外国人が数の上で大勢となる
場面が、起こっていることを知っておくべきでしょう。
そして、公営住宅の住民層がここ20年くらいで大きく変わってしまったように、
「あなたの選んだマンションが10年後、20年後には、住民層が大きく変動している」
ことだってあり得るわけです。
そのことをきちんと考えて、意志決定をしたほうがよさそうですね。
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