2014年5月22日木曜日

裁判所は正義の執行機関ではない。そして弁護士は・・・。

 前回の記事に続いて


「裁判所は正義の執行機関ではない」


というお話をしましょう。


 すでに当ブログの古くからの読者の方はご存知の通り、僕は一般の会社員として売掛金回収のための訴訟や法的手続きを数十件やっています。

 あの頃は、ヒラのいち営業マンであり、弁護士に頼らずに自分たち(あるいは時に社長と)だけでそうした裁判をやってきました。


★拙著「営業刑事は眠らない」はその時の経験を元に軽いタッチで書いていますが、ほんとうはもっと濃い出来事がいくつもあります。






 事例として、こういうことを想像してください。


 あなたは何か商売をしています。分かりやすくするために、あるモノをつくる職人さんだとしましょう。

 そのモノをたくさん作って、取引先に納入してお金をもらっているのがあなたです。取引先は個人商店で「卸売、□□商店」を名乗っているとしましょう。


 ところが、その□□商店が、2ヶ月分の商品代100万円をいっこうに払ってくれない。仕方がなくあなたは、そことの取引をやめ、新しい商品を納品しなくなりました。

 するといっそう、□□商店との当面の利害関係がなくなったのをいいことに、□□商店は何度請求してもお金をぜんぜん支払ってくれない状況が長引きはじめました。


 □□商店は、個人商店ですので、社長の□□というおっさんが一人で運営しています。どうやら人づてに聞くと、おっさんはパチンコにハマって数百万の借金があるらしい。

 何度尋ねても会社にはおらず、それもどうやらパチンコ屋を転々としており、奥さんも出て行ってしまったと聞きます。


 仕方がなく、あなたは□□商店を裁判に訴えました。


 さあ、裁判所はどうしてくれるのでしょうか。



==========


 ふつうの人、一般の人、法学部出身でない方だったら、おそらく


「この職人さんは裁判で勝って、□□商店からお金と、できれば慰謝料なんかも払ってもらえるんじゃないかな」


と思うと思います。


 僕も昔はそう思っていました。


しかし、法学部出身者・法曹関係者・そして裁判経験者は、ここまで読んで

「ぷぷっ」

とちょっと笑って吹き出し、

「まあ、勝とうが負けようがあかんやろな」

とここから後を読む必要もないはずです。



==========

 実際にどうなるのかは、何パターンかあります。


<1>裁判が行われた場合

 あなたは1万円程度の費用を払って裁判の申し込みをします。そして、裁判所で期日を決めて話し合いをします。

 □□商店のおっさんが裁判所に登場し、裁判官とあなたとおっさんの3人で話をすることになりました。

 あなたが言いたいことを言います。

「すぐに100万円払ってください」

 おっさんが言います。

「借金まみれで無理」

 裁判官が言います。

「では、3年分割にして、月2万7千円ずつの分割36回払いでどうですか?」



 あなたが言います。

「いや、うちも仕入先に支払いがあるので、もっと払ってほしいです」

 裁判官が言います。

「じゃあ、2年でどうですか?□□さん払えますか?」

「それならなんとかします」

「どうですか?これで和解できませんか?」

「・・・」

 裁判官が言います。

「差し出がましいようですが、こうして出廷してくださることは珍しいことです。たいていの人はここにも現れません。なので、□□さんがここに出てきたことをある程度考慮していただけると、よいと思いますが・・・」


 ここから先は、あなたの判断です。しかし、読んでいて分かるとおり、裁判官はけして「正義の執行者」ではありません。むしろ「□□商店」のおっさんの肩を持っているように見えるはずです。

「一刻も早く、きりきり払いやがれ!この桜吹雪が目に見えねえのか」

なんてことは全く言ってくれないのです。



 そしてあまつさえ、裁判官は最後に言います。

「和解ですので、手続き費用は、双方の負担でいいですね」

と。

 結果として、あなたは分割払いを裁判手数料を払って飲まされただけです。


 ジャパネット以下です。金利手数料無料なのですから。


 

<2>裁判が行われなかった場合

 そして、恐ろしいことに、たいていの場合、裁判所が指定した期日に「□□商店」のおっさんが現れることはないのです。

 現れなくても、□□商店のおっさんは捕まることはありません。ほとんどお咎めなしです。

 裁判官はいいます。

「相手方が出廷しませんでしたので、100%あなたの言い分が通ります」

 あなたは言います。

「ありがとうございます」

 裁判官は言います。

「では、判決は□□商店に100万円支払いなさい、という命令になります。この判決は□□商店にも送られます。お金の支払いを受けたら裁判所に報告してください」

これだけです。


あまりにあっさりしているので、あなたは裁判官に尋ねます。

「お金はどうやって支払ってもらえばいいのでしょうか」


「相手方は敗訴していますので、相手方のところへあなたが行って支払ってもらってください。

 もし、支払ってくれない場合は、つぎの手続きができます。あなたが自分で相手の財産を調べてください。

 通帳や不動産、車などがある場合は差押さえの手続きを、あなたが手数料を払って申請すれば行うことができます」


「差押さえの手続きのあとはどうなりますか?」


「銀行の場合はもし、その時点で残高があれば銀行へあなたが行って受け取ることができます。


 不動産の場合は数十万円の費用を事前にあなたから預かって執行官という人が実際に差押さえに行きます。

 執行官の仕事料はあなたが先に納付しておき、後から□□商店から受け取ったお金から取り戻してください。

 そして、言い忘れましたが、銀行に残高がなければパーです。そして、不動産が売れなければパーです。手数料は丸損です。

 執行官の仕事料は、あなたが全部持ち出しで損する可能性もあります。それでもよければどうぞやってください」



==========

 要するに、


 全部自分でやれ。

 手数料はもらうけれど「命令書」は書いてやる。

 そして、その命令に従わない場合は、公儀仕事人の「給料」をお前が立て替えたら、代わりに行ってやる。

 もし、相手がそれだけの資産をもってなければ、すべてパーで費用は全部お前の丸損だ。



ということを教えてくれるわけです。


 裁判所は、けして正義の執行機関ではありません。

 もちろん、応援はしてくれます。お金をくれたら。手続き費用を払わなければ何もしません。



 刑事事件でも同じです。犯人が誰かを殺した。正義が執行されるためには、そいつは死に値することでしょう。

 でも、情状酌量できることがあるならば、そこは差っぴいてやらねばならない。


 正義マイナス可哀想な部分=ある程度正義。完全な正義かどうかは、誰にもわからない。


というのが裁判の思想なのです。



==========

 弁護士という仕事は、こういう世界で生きています。なので、絶対的正義、絶対的善。神様から見ての本当の正義。なんてことは無価値なのです。

 裁判所が食い込んでくる、「こっちの利害に対しての侵害」に対して、いかに食い止めるか。逆に言えば、「どれだけ相手方の利害に食い込んでいくか」をモットーにしているのです。


 そもそもの正義とは次元が違うところで活動が行われているということを知れば、


「依頼人にとっての利益」


とは何か、について理解が深まります。

 それは犯罪者であれ、被害者であれ、原告であれ、被告であれ、シーソーゲームのようなものだということになるわけです。



 






2014年5月21日水曜日

「PC遠隔操作事件」について思うこと2つ スゲーことをやろうと思うヤツのスゲーことはなぜ犯罪なのか

 世間を騒がせた、そして4人もの冤罪を生んだ「PC遠隔操作事件」が終結したようです。

 僕は、片山被告のことを個人的に全く知らないので、この事件そのものについては何も語るつもりはないのですが、2つほど思った観点があるので、それをちらりと。



<1>スゲーことをやろうと思うヤツの「スゲーこと」ってなんで犯罪なのか。

 なんでなんでしょうね。

 秋葉原連続殺傷事件しかり、このPC遠隔操作事件しかり、「スゲーことやろう」と思いついたとある人物がいたり、あるいは「世間をあっと言わせてやろう」と思いついた人物がまずいるわけです。

 で、彼らはたしかに「大きな何か」コトを起こすのですが、なぜそこで「犯罪」をやるはめになるのか。

 一般的な感想として特に今回の事件についてなどは


「それだけの知識と腕があるのなら、他のことに生かせばよかったのに」


と誰もが感じることでしょう。でも、そうはならず、たいていの場合、彼らは犯罪に走るわけです。


 今回のような事件が起こると、「承認欲求」の問題であったり、「中二病」の問題であったり、「自己顕示欲」の問題であったり、いろんな議論が巻き起こるのですが、そうした議論や研究がいくら積み重なっても


こういう犯罪を犯す人は、やっぱり出てくる


わけで、「スゲー犯罪をやろうとする人を未然に防ぐ方法」はないわけです。


==========

 なんでか。

 それは、実は僕たち全てに「承認欲求」があり、「中二病」の時期があり、「自己顕示欲」が備わっていて、それらをちゃんと持っているわけで、そして幸いなことに、


 僕たちは、それらを日々の生活でうまく結果に結び付けている


から犯罪を起こそうとは思わないのです。

 評価されたいから仕事を頑張る。

 目立ちたいから一生懸命やる。

 他の人と差をつけたいから、取引先にだって頭を下げる。

 給料アップのために、おべっかを使う。

 髪型をゆるふわにする。

 グッチのバッグを買ってみる。

 ロレックスをはめてみる。


 ・・・なんでもやってます。いいね、が欲しかったり、ブログ書きたかったり、女の子にモテたかったり、いろいろします。

 
 そう、全ての人は「中二病で承認欲求にまみれていて、自己を誰かに認めてほしい」のです。当たり前に!

 それを日々の小さな消費生活の中で、ちょっとずつ満足させたり、妥協したりしてにこやかに生きている。

 ところが、そうした生き方ができない「問題がある人」は劇場型犯罪を犯すのです。


スゲーことをやりたい!


と思った瞬間。それが出世やエステやブランドや車や整形やマイホームや、髪型や服装や、小説を応募したり、youtubeに動画をアップしたり出来ない人は、


犯罪傾向をそもそも有している


という問題がある、という仮説はどうでしょう。



 


<2>正義と裁判と弁護士と おそらく世間の大半の人が勘違いしていること。


 今日のお話の2つめは、今回の事件で「すっかり騙された」形になっている弁護士さんのことです。


 結果論として、やっぱり犯人だった片山被告を「無罪だと弁護した弁護士さんは問題がある」という考え方をする人たちが一定数いるようですが、この点についてきちんと書いておきましょう。



 弁護士というものは「依頼人の利益のために最大限働く」ということは当然の話です。なので、片山被告の弁護士について


「弁護士として正当な仕事をしている。あたりまえのことだ」


ときちんと評価している人たちもたくさんいます。僕もそちらに立ちます。



 なぜ、そう言えるのか。


 それにはそもそも「一般の人たちは、大きな誤解をしている」ということをまず挙げたいと思います。


 かつて僕もそうでした。一般のひとたちと全くおなじ感覚でいました。でも、実際は違うのです。


 それは、


「弁護士どころの騒ぎではない。そもそも裁判所自体が、正義の執行機関ではないことを、誰も知らない」


ということが問題なのです。


 何を言っているのか?裁判所が正義に基づいて裁かなければ、善と悪はどうなってしまうのだ!と誰もが思うことでしょう。

 僕だってそう思います。でも実際には少しニュアンスが違うのです。


 一般の会社員として、訴訟・裁判等の実務を数十件経験してきた者だから言えます。そして、法律にかかわる「プロ」ではないからこそ言えることがあるのです。


(もっと言えば、法学部を出て法律について学んだ者なら、「裁判所が正義の執行機関ではない」ことにみんな気付いています)


そこにはどんな恐ろしい事実が潜んでいるのか!


・・・あまりにも長くなるので、次回に続きます。






2014年5月20日火曜日

■【新社会人に贈る10の金言 その8】タバコ部屋と飲み会には気をつけろ

 つい昨日のプレジデントオンラインにこんな記事がありました。



 「タバコ部屋」では何が話されているのか
 http://president.jp/articles/-/12581?page=2


 
  記事の内容は読んでいただければわかるので割愛しますが、この記事のライターさんは「ゴルフ・飲みにケーション・タバコ」というもので、会社の一部の人たちが交流しているということと、それに対して「仕事が本質であって、趣味的なものでのつながりは2の次なんじゃないか」という趣旨のことを書いておられます。

 
 まあ、それはその通りなので、記事のほうはあっさり読んでおけばいいと思います。


 さて、ここからが本題ですが、私が社会人をしてゆく中で体験した「事例」をいくつか紹介しながら、このことを説明しようと思っています。

 そう、新社会人のみなさんには「気をつけろ」と言いたいからです。




①ゴルフとの付き合い方

 正直に言って、僕はゴルフをしません。よってゴルフを介した社内外の人たちとのコミュニケーションをとりませんので、この点については何も言う資格がありません。なので黙っています。




②飲み二ケーションとの付き合い方

 体育会系な一部の組織とは異なり、ふつうの会社で重要視されることは「飲む」ことではありません。

 大事なのは飲むことではなく「飲み会に出る」ことです。飲めない場合はその旨主張しても昨今は問題ありません。

 オリンピックと一緒です。参加することに意義がある。


 さて、飲み会の中で何か重要な話があったり、会社やその内部にとって重要な意思決定がなされることがあるのか、という疑問について言えば、

 断じてない

と言って大丈夫です。

 なぜなら、おっさんたちの大半は「酔っ払ってまともに覚えていない」からです。

 面白いことに、飲み会に出席した人物のことは誰も覚えていませんが、出なかった人物のことは覚えているから大変です。


 もし飲み会で何か重要な判定がなされるとすれば「あいつは会に出なかった」というレッテルがあなたに貼られる可能性がある、ということでしょうか。




③タバコ部屋には気をつけろ

 この手の話で一番やっかいなのは「タバコ部屋」です。僕にも経験がありますが、まともな会議で何かが決定したあとにタバコ部屋で、数人の主だった人間が

「でもやっぱり○○やなあ」

と言い出して、会議の内容をどんぶり返そうと始めた場面に何度も出会ったことがあります。

 
 また、社内や組織の内部で、「誰それのうわさ話」や「誰それを仲間外れのように嘲笑する」ことなどが、タバコ部屋で行われていることがしばしばありました。

 
 僕はタバコを吸わない人間なので、そうした傾向を「ああ、またやっとるわ」と横目で見ながらやり過ごしていましたが、あまり気分のいいものではありません。


 このような「空気の悪い」(文字通りの意味でも、雰囲気の意味でも)タバコ部屋が生まれるのは、人事が長年固着しているような組織です。

 少なくとも3年程度という短いスパンで人の入れ替わりが多いところでは、「うわさ話」くらいは起きても、そこで意思決定がなされることはありません。

 
==========


 さて、話の全体を通してですが、ゴルフや飲み会・タバコといった「非公式」なコミュニケーションと新社会人はどのように関わっていけばいいのでしょう。


 もちろん、学生時代から「そういうのが大好き」なタイプの人は一定数いますので、そういう人はそのようにやられたらよろしいと思います。


 逆に、「そういうのが苦手」な人にアドバイスすることがあるとするならば「飲み会には顔を出しとけ」と言いたいと思います。

 飲み会に顔を出すというのは、免罪符です。それだけで「あいつは付き合いが悪い」と言われることはありません。

 飲まなくても、隅っこのほうにいるだけでもOKです。どうせ途中で彼らはわけわからなくなります。二次会に出る必要もありません。二次会の終わりごろには、誰が二次会にいて誰がいなかったかもわからなくなるからです。


 タバコについては簡単です。タバコ吸いに「質問攻め」にすればいいのです。

「僕はタバコは吸えないんですが、やっぱり1ミリと8ミリとでは全然違うんですか?」

とか

「味って一緒じゃないんですか?」

とか

「箱のやつとパックのやつってどう違うんですか?」

とか、ニコニコ聞きまくっていれば、相手も嬉しそうに教えてくれます。それで「吸わなくても」コミュニケーションはバッチリです。


2014年5月13日火曜日

■【新社会人に贈る10の金言 その7】人は目の前で見ていることしか理解できない

 日本の学校というところは、基本的に学生や生徒に優しく、できるだけ励まし、元気づけようとしてくれる傾向にあります。

 ライオンさんではないですが、「突き放したり、突き落として這い上がるのを待つ」ような、ひどい仕打ちはしないようになっています。


 なので、たとえば


「結果よりも経過(プロセス)が大切」


といった言説が、先生や上の人から生徒・学生に向かって投げかけられていることが多いようです。


 ところが、社会人になってこの点は大きく変わってしまう場合があります。そう、よく言われるように

「結果を出すことが重要」


だったりします。つまり、経過や経緯はとりあえずどうでもいい、結果は出せたのか?ということが問われることが多々あります。


 しかし、ここで新社会人のみなさんが間違ってはいけないのは


「じゃあ、経緯はどうでもよくて、結果だけ出せばOKなんだな」


と早合点することです。

 
 経験が乏しく浅はかな時代は、どうしても「結果が大事なのならば、経緯や経過は軽んじても良い」といった極論に走りがちですが、そういうものではなくて、実は



「経緯や結果は、誰にも理解されないながら、陰で積み上げるもの」


だったりするのです。


 言い換えるならば、「結果を出すべきなのは、当たり前なのだが、逆に結果を出そうと思えば、日頃から目に見えないところで経緯を積み重ねないと結果は出ない」というさらに難しい課題があるのだ、ということでしょうか。


 このあたりは、なかなか難しいところです。


 もう少しズバリ言ってしまうならば


「結果が出せないのならば、経緯をいくら説明してもそれは言い訳にしか聞こえない」


ということでしょう。



==========



 さて、そのことと少し関連してくるのですが、今回のテーマは


「人間というものは、目の前で見えていることしか理解できない」


と掲げました。これは、もちろん結果を出せば、「結果は目に見える」ので、それが誰かにはっきり伝わるのですが、それだけではなく、「経緯・経過」においても


目に見えない経緯や経過は、まったく理解されない


という点を覚えておいてほしいから取り上げたわけです。


 難しいことは言いません。かなりぶっちゃけた話をしますが、あなたがもし100の仕事を済ませなくてはならないとして、

70の仕事を終えて、30の仕事を自宅に持ち帰って処理したとしても誰もわかってくれません。

しかし、

70の仕事を終えて、残業で残り30の仕事に取り組めば、誰もがあなたを評価するでしょう。


 あなたがいくら30の分量を陰で努力しても、誰にも見えないから誰にも理解できないのです。


 これが、日本の会社から無駄な残業がなくならない理由です。その是非はともかくとして、人は物理的にそういう「仕様になっている」のである程度は「そういうもんだ」と思わないといけません。

 そして、あなたが賢い社会人を目指すなら、このことを逆手に取ることができます。


 ==========

 ふだん新社会人を凹ませる様なことばかり書いているこの記事ですが、今回は役に立ちます。

 そのアドバイスは

「上司に頼まれた仕事は、まっさきに処理せよ」

というものです。

 上司は、目の前で見ているあなたしか理解できません。陰で努力しているあなたに気付くのは、もっと後です。残念ながら無能な上司だと、いつまでも気付くことはありません。


 だから、「上司に頼まれたこと」は目の前で回答することです。おなじ100の仕事のうち、上司に頼まれた仕事量が10だとすれば、それは先に済ませましょう。


 それだけで、あなたは

「頼まれたことを優先してする有能な人間だ」

「仕事のレスポンスが速い使える人間だ」

「仕事ができる男だ」

と秒速で信頼を勝ち得ることができるのです。


 「いや、私には先にやるべきことがあります」

と思う人もいるでしょう。それは本当に、上司の頼んだ仕事より一刻一秒争う仕事でしょうか。それを優先しないと、何かトラブルが生じるような出来事ですか?

 たしかに、万にひとつくらいは、そういう時もあるでしょう。しかし、おそらく100回に99回は、そちらを後にしてもどうってことはない事例のはずです。


 後回しにして、上司の気付かぬところであなたが処理した仕事は、残念ながら上司は「頼んだことも忘れている」か、もしくは「あいつは仕事がおせえな」とあなたが陰で毒づかれているかのどちらかです。

 あなたに何の利益ももたらしません。



 


2014年5月10日土曜日

日本列島リストラ論 自治体の数が減るとどうなる?

 昨日のニュースで大きく取り上げられていた


 自治体の半数が消滅する!


 という記事は、国内にかなりの波紋を巻き起こしたようです。


 <消滅可能性>自治体半数 2040年20~39歳女性半減
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140508-00000117-mai-soci


  記事によると、全国1800の市町村のうち、半数近くの自治体において、子供を生める年齢の女性が半分になる、ということが示されました。


 これはつまり、「子供が増えなければ、その自治体はいずれ消滅する」ということを意味します。


 このニュースと同時に、これまで「老人が増えて『限界集落』なんて呼ばれていた地域が、限界どころか一気に『消滅集落』になる時期が迫っている」といった地方の話もたくさん聞こえてきました。

 
 毎日新聞では、たたみかけるように


 消滅可能性:東京都豊島区「昼人口多いのに」「寝耳に水」
 http://mainichi.jp/select/news/20140509k0000m040111000c.html


と、都会においても同様の危険があることを示唆しています。


==========


 しかし、こうしたことは考えてみれば当たり前のことで、「子供が減っている」のですから、物理的に今の規模の日本社会を維持することは困難です。


 僕は北海道に8年間住んでいたことがありますが、北海道では「既に消滅した町」というのをいくつも見てきました。

 もちろん、北海道の場合は「小子化でそうなった」というよりは「炭鉱の閉鎖などの産業の衰退」による町の消滅が多いので、多少理由は異なります。


 しかし、「町が消える」ということを実感を持って体験できたことは、僕なりの日本社会のあり方を考える上で、かなりベースの部分になっていると思います。


 また、北海道に限らず、うちの父親が鉄道員でしたので、特に「線路」というものから日本の社会構造を見ることが多々あります。

 ぶっちゃけて言えば「廃線」を見れば日本の実情がわかる、といっても過言ではありません。


 経済や文化が発展し、「日本が豊かになる」ということは、素直に考えれば


鉄道網が広がり、バス路線が広がり、町や村が広がってゆく


というイメージを持つことができます。


 ところが実際は逆で、明治大正昭和を経て、一度広がった線路網は昭和40年代からずっと全国各地で


廃線の嵐


なわけです。


 経済成長で、社会インフラが広がってゆくと思いきや、実際には「どんどん不便になってゆく」鉄道網

 たしかに、自家用車やトラックが増えて、その意味で「便利になっている」のかもしれませんが、


「すでに構築された社会インフラを失う社会」


が本当に豊かなのか?と問えば、僕には気持ち悪い感じが残りました。


==========

 前ブログを通じて、日本の「おうち」について考える中で、やはり都市への集中は良くない、と僕は考えるようになっています。


 都市だけが鉄道網が増え、地方がどんどん消滅する状況は何かがおかしいと思います。


 それは単純な地方擁護論なのではなく、


 実は都市こそが肥大化した不良債権化するのではないか


という危惧を持っているからです。


 地震などの災害が起これば、都市は壊滅します。その被害量は、都市であるがゆえに肥大化した価値により甚大になるでしょう。


 僕のメインテーマである「おうち」で平たく言い直せば、本来その土地に10の家があるべきところに、マンション化によって100の家があるわけですから、災害で起こる被害は10倍に膨れ上がる、ということです。


 FXが好きな人のために言い換えましょう。

 都市は「レバレッジが効いている」のです。都市である恩恵も倍増しますが、しっぺ返しも倍増するのが都市というものの性質です。


 人口面でも、資産面でも、都市は本来のキャパシティ以上に「ポリバブル化した価値」を内包しています。それらは本来は、より地方に均等に存在するほうが自然なものだと思うわけです。


==========

 ヨーロッパの都市を見ていると、日本のように高層ビルがばんばん立つような開発はなされていません。それよりも逆に古い時代の建物をそのまま残してあるようなスタイル、つまり「物理的に価値肥大を起こさない」ような設計が維持されて町が成立しているように思えます。


 ということはどういうことか。都市や都心に価値が集中していないのだから、よりたくさんの地方に価値が分散しているということです。


 地方に価値が分散しているということは、経済はその地方・地域で、ある程度廻るということです。


 
 というわけで、もしこれから本当に日本をよくしたいのであれば「日本列島を大リストラ」して「再構築」することが必要だと思っています。


 
 具体的には


 どこか一箇所に価値を集中させて肥大化させずに、分散して配置すること、ですね。



 都市とは、テラバイトのハードディスクのようなものです。それを一装置でずっと動かしているのが日本の経済です。


 危機管理のスペシャリストでなくても、そのへんの素人でも「そのハードディスクが壊れたらどうするの?」と誰もがわかることです。


 やり方はいくつかあります。RAIDといって、「まったくおなじハードディスクをコピー・同期させてバックアップさせる」方法。

 しかし、これは都市には応用できません。もうひとつの東京を作れないし、作ったところで、そこで生きている人たちはコピーではなくオリジナルだからです。


 とすれば、「すべてオリジナルデータで運用しなければならない」のですから、一つの装置でまかなう分量を減らして、とにかく分散して配置する以外にありません。

 データ単位が小さければ小さいほど、被害に対しての修復も早くできます。

(地震の時に仮設住宅を作りますが、そういうことです)



 地震の話で言えば、大都市東京で地震が起きた場合、仮設住宅を作る土地はもうないんですよ。

 100階建ての仮設住宅を作らないと人々を収容できない、というナンセンスが今の東京です。


 これはもうギャグとしか言いようがありません。


 



2014年5月2日金曜日

■【新社会人に贈る10の金言 その6】正義を決めるのはあなたではない

 小学校・中学校・高校・大学時代までの期間と、社会人になってからのこれからとを比較した時に、はっきりと一線を画して「違う」というものがいくつかあると思いますが、僕は最も重要なポイントとして次のことを挙げたいと思います。

 それは、


 「正義とは何か、を突きつけられるのが社会人」


だということです。


 正義、だなんて大げさな、と思うかもしれませんが、これは字面がカタイからそう思うだけで、僕たち社会人は、毎日・毎時間のようにこの問題にぶち当たっています。


 よりわかり易く言い直しておきましょう。

「この場合、どちらが正しいのか」

「優先すべきはどちらか」

「どちらが『良い』のか」

と書き換えれば、状況がわかり易くなるかもしれません。


 学生時代までの「正義(より正しいこと、正しいと思われること、善なること)」というのは、概ねどんな学校生活を送っていても「ほとんど全国共通で、誰もが納得しそうな共通認識がある」ことが大半です。

 そういう意味で、あなたはこれまで「正義に裏切られる」ことは経験していないはずです。


 たとえば、

「勉強はしないよりしたほうがいい」

「足は速いほうがいいし、何か測定した結果は高いほうがいい」

「友達とは仲良くしたほうがいい」

「早寝早起きをしたほうがいい」

数え挙げればきりがないくらい、学校生活における「正しいこと」というのはわかりきっているし、決まりきっているし、そして全国の学生が共通して認識していることです。


 ところが、社会人になると、そうした「正しいこと」というのは、一旦どんぶり返されます。


 どういうことか。


「研修ばかり時間をかけないで、実務を早くやれ」

「お前ばかり目立つとチームがぎくしゃくするから、考えろ」

「俺の派閥に入れ、あっちの派閥とは距離を置け」


といった言葉を上司や同僚からかけられることは、おそらくしょっちゅうあります。


 物理的にも、シフト制の勤務についた場合は、「通常勤務 → 昼夜逆転 → 変則勤務」を月にローテーションで組まされたりすると、「早寝早起きどころではない」ということになります。

 (工場だけでなく、お医者さんや、警察官、鉄道会社など、こうした仕事はたくさんあります)



 会社内だけでなく、顧客や取引先から「無理な圧力」をかけられることもたくさんあります。

「これ以上に値下げをしろ」

「うちのセールに社員を出して手伝え」

「需要が減ったから注文を半減させる」

など、正義や道理から考えて疑問符がつく要求をされることなど、日常茶飯事です。


==========

 社会において、たとえば


「当初の契約どおりに履行することが正義」なのか

「状況が変わった顧客の希望を叶えるのが正義」なのか


2つの矛盾した状況に追い込まれても、どちらがより正しいのかは誰にも答えが出ません。



 もっとシビアになれば


「利益が出ない案件でも、飲まなければ仕事がこない」とか、「支払いの段になってさらに値切られた」とか、「バックマージンを要求された」とか、そんなのは星の数ほど出くわすことができます。


 こうした事例に出くわすことを、ボクは勝手に


「正義のゆらぎ」


と呼んでいます。


 社会人になるということは、これらの「正義のゆらぎ」にたくさん出くわす、ということでもあるわけです。


 この「正義のゆらぎ」は社会問題の根幹に関係します。

 社会生活の上で「正義のゆらぎ」に対して耐性が少ない人は、「うつ病」になったり「離職」したりすることになるでしょう。

 
 そして、タイトルに戻りますが、頭の片隅に置いていて欲しいのは、


「正義を決めるのはあなたではない」


ということです。


 じゃあ、誰が正義を決めるのか。この答えは難しいです。そもそも「揺らいでいる正義」ですから、確定はしません。


 あなたが「良かれ」と思ってやったことを、上司は違うというかもしれません。

 でもさらに上の人は、また反対の評価をすることだってあります。


 全ては結果論であり、明確なプロセスが無いのです。だから学校生活とは違うのです。



==========


 仕事におけるベテランというのは、こうした「正義のゆらぎ」の事例を経験則として数多く持つ中で、確率統計的に


「おそらくこうしたほうが、この状況ではベターな結果になるのではないか」


と推測できる力を示します。しかし、あくまでも確率が高いだけで、確定的なものではありません。


 そういう意味では、上司に相談するということは大切でもあり、そしてそれが全てでもありません。

 ただ、あなたが新社会人だとするならば、

「これが正義だ」

と自分で決めてそれに全力を傾けるのは、待ったほうがいい。


 常に「その反対の正義も、あるかもしれない」という視点を持って、仕事に臨んだほうが、確実に成長できると思います。