小学校・中学校・高校・大学時代までの期間と、社会人になってからのこれからとを比較した時に、はっきりと一線を画して「違う」というものがいくつかあると思いますが、僕は最も重要なポイントとして次のことを挙げたいと思います。
それは、
「正義とは何か、を突きつけられるのが社会人」
だということです。
正義、だなんて大げさな、と思うかもしれませんが、これは字面がカタイからそう思うだけで、僕たち社会人は、毎日・毎時間のようにこの問題にぶち当たっています。
よりわかり易く言い直しておきましょう。
「この場合、どちらが正しいのか」
「優先すべきはどちらか」
「どちらが『良い』のか」
と書き換えれば、状況がわかり易くなるかもしれません。
学生時代までの「正義(より正しいこと、正しいと思われること、善なること)」というのは、概ねどんな学校生活を送っていても「ほとんど全国共通で、誰もが納得しそうな共通認識がある」ことが大半です。
そういう意味で、あなたはこれまで「正義に裏切られる」ことは経験していないはずです。
たとえば、
「勉強はしないよりしたほうがいい」
「足は速いほうがいいし、何か測定した結果は高いほうがいい」
「友達とは仲良くしたほうがいい」
「早寝早起きをしたほうがいい」
数え挙げればきりがないくらい、学校生活における「正しいこと」というのはわかりきっているし、決まりきっているし、そして全国の学生が共通して認識していることです。
ところが、社会人になると、そうした「正しいこと」というのは、一旦どんぶり返されます。
どういうことか。
「研修ばかり時間をかけないで、実務を早くやれ」
「お前ばかり目立つとチームがぎくしゃくするから、考えろ」
「俺の派閥に入れ、あっちの派閥とは距離を置け」
といった言葉を上司や同僚からかけられることは、おそらくしょっちゅうあります。
物理的にも、シフト制の勤務についた場合は、「通常勤務 → 昼夜逆転 → 変則勤務」を月にローテーションで組まされたりすると、「早寝早起きどころではない」ということになります。
(工場だけでなく、お医者さんや、警察官、鉄道会社など、こうした仕事はたくさんあります)
会社内だけでなく、顧客や取引先から「無理な圧力」をかけられることもたくさんあります。
「これ以上に値下げをしろ」
「うちのセールに社員を出して手伝え」
「需要が減ったから注文を半減させる」
など、正義や道理から考えて疑問符がつく要求をされることなど、日常茶飯事です。
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社会において、たとえば
「当初の契約どおりに履行することが正義」なのか
「状況が変わった顧客の希望を叶えるのが正義」なのか
2つの矛盾した状況に追い込まれても、どちらがより正しいのかは誰にも答えが出ません。
もっとシビアになれば
「利益が出ない案件でも、飲まなければ仕事がこない」とか、「支払いの段になってさらに値切られた」とか、「バックマージンを要求された」とか、そんなのは星の数ほど出くわすことができます。
こうした事例に出くわすことを、ボクは勝手に
「正義のゆらぎ」
と呼んでいます。
社会人になるということは、これらの「正義のゆらぎ」にたくさん出くわす、ということでもあるわけです。
この「正義のゆらぎ」は社会問題の根幹に関係します。
社会生活の上で「正義のゆらぎ」に対して耐性が少ない人は、「うつ病」になったり「離職」したりすることになるでしょう。
そして、タイトルに戻りますが、頭の片隅に置いていて欲しいのは、
「正義を決めるのはあなたではない」
ということです。
じゃあ、誰が正義を決めるのか。この答えは難しいです。そもそも「揺らいでいる正義」ですから、確定はしません。
あなたが「良かれ」と思ってやったことを、上司は違うというかもしれません。
でもさらに上の人は、また反対の評価をすることだってあります。
全ては結果論であり、明確なプロセスが無いのです。だから学校生活とは違うのです。
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仕事におけるベテランというのは、こうした「正義のゆらぎ」の事例を経験則として数多く持つ中で、確率統計的に
「おそらくこうしたほうが、この状況ではベターな結果になるのではないか」
と推測できる力を示します。しかし、あくまでも確率が高いだけで、確定的なものではありません。
そういう意味では、上司に相談するということは大切でもあり、そしてそれが全てでもありません。
ただ、あなたが新社会人だとするならば、
「これが正義だ」
と自分で決めてそれに全力を傾けるのは、待ったほうがいい。
常に「その反対の正義も、あるかもしれない」という視点を持って、仕事に臨んだほうが、確実に成長できると思います。
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