2014年3月28日金曜日

■【新社会人に贈る10の金言 その1】話し合いで物事は解決しない

 春なので、前回から引き続いて「新社会人に贈る10の金言」なるシリーズを勝手に立ち上げてみました。

 前回が「概論」みたいな感じだとすると、いよいよここからが本題になります。

 
 その前にお前自身が社会人としてどうやねん!と突っ込まれるかもしれませんが、そうですね。確かに僕なんかまだまだの若輩者だと思います。日々勉強の最中だと思っています。

 まあ、そんな中でも、とりあえず公務員と民間と、それから起業というほどもないプチビジネスと、もちろん、アルバイトも(笑)織り交ぜながらいろんな仕事を経験した中で、社会人として知りえたことを小出しにしてみたいと思っています。

 新卒のみなさんは、ぜひご一読ください。



 本編第一回は、「話し合いで物事は解決しない」ということを知っておいて欲しいと思います。

 これは、たとえば国と国の問題などでもそうなのですが、大きいネタから小さいネタに至るまで「話し合いで物事は絶対に解決」しません。

 それを肝に銘じて仕事に当たるかどうかは、人生をも大きく左右する重大なツボだと思ってください。


 ここまで読んで、「ん?僕らは子供時代から、戦争やケンカではなく話し合いで解決するように指導を受けている」とか「世界平和は話し合いで実現するべきものなんじゃないの?」と思われる方が大半だと思います。

 そうですね。その言説は、一見当たっていますし、確かに僕らはそういう風に大人たちから聞いて育ってきています。


 しかし、そこには大きな解釈の齟齬があります。だから勘違いが生まれ易いのです。




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 まず、きちんと定義しておきましょう。


「話し合いで物事は解決しない」の裏には、こんな事実があります。


「物事を解決するのは『力(ちから)=フォース』である」


ということが真実です。


 ここで、早まってはいけません。力(ちから)、フォースとは物理的な力(戦争や暴力)を指しているのではなく、バックグラウンドの力関係や、無言の圧力、上位と下位などのすべての「力関係」を示しているということを覚えていてください。


 学生のみなさんが、よく誤解しているのは「話し合いで物事は解決するはずだから、いつか粘り強く説得すれば、自分の意を汲んでもらえる」ということです。


 それは違います


 丁寧な説明をすることによって、相手方が気付いていなかったメリットを伝えることができて、その結果自分の意図した方向に物事が進むことは確かにあります。


 しかし、完全に力関係が均衡していれば、「物事は話し合いで解決するのではなく、新しい力関係の創出によってのみ解決する」ことを知っておくべきです。


 もっと、平たく言いましょう。みなさんが社会人になって知ることは、「力関係が弱い立場の者は、確実に争わずして負ける」ということです。


 もっと具体例を言いましょう。



 商売において、売り手と買い手はにあっては、売り手のほうが基本的には不利です。なので価格交渉などでは、基本的に売り手が買い手の要求を飲む場面が多いです。
 その場合、話し合いで解決するとはつまり「相手の言いなりにならざるを得ず、妥協する」ということになります。


 
 上司と部下にあっては、上司の方が有利です。フォースを持っているからです。なので、上司に対する提案で「話し合いで解決する」とは、上司そのものに対してメリットがあることで、上司がそのメリットに気付いた時にはじめて提案は受け入れられる、ということになります。


 
 A案とB案と、どちらが成果を挙げるかまったく予想できない場合、A案とB案のよさをそれぞれ支持する者は山ほど列挙するかもしれません。しかし、それが本当に拮抗している場合は、力を持っているほうが選択した案が善になります。
 もし、その案を選択して結果が悪かったとしても、「ほらやっぱりB案を選べばよかったんじゃん」とは社会ではなりません。
 「A案を実現するのに、全員が協力しなかったからだ」くらいのことは平気で言われます。




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 社会や仕事において、このように「力によって何かが決定される」ことがおそらく95%ぐらいの確率で起こると思っていてください。


 ところが、確かに5%くらいは、それを裏切るようなウルトラCの展開が起きることがあります。



 「力関係の弱かった方が、力を持つ方に提案を受け入れてもらえた(成果を挙げた)」とか

 「絶対に実現無理そうな意見を目に留めてもらえた」とか

そういうビジネスにおける美談みたいなものが生まれることが実際に起きるのです。

 その時に、その事件の当事者は「熱意をもって望んだのでそれがわかってもらえた」とか、「全力で事に当たったので成果が挙がった」とか、いろんな物語をくっつけますが、残念ながらそれはあまり信用なりません。


「熱意を持って望んでも95%の失敗はある」し「全力で当たっても95%は撃沈」することが多々あるからです。


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 なので、逆にみなさんに言っておきますが、「話し合いに負けても、フォースに打ちのめされても」そんなもんだ、と思っていてください。

 けして腐る必要はありません。だって社会はそんなもんなのですから。


 最後に、話し合いで物事が解決しない実例をみなさんにも考えてもらってこの節を終わります。


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 とある高校の職員会議で、教師たちに2つの意見が出た。


 ある先生たちは「高校生はこれから社会に出るのだから、社会のルールを厳格に適用して社会の厳しさを教えなくてはいけない」と考えて、厳しい生活指導をするべきだ、と言った。


 ある先生たちは「高校生はこのあと社会に出るのだから、自由を謳歌できるのはこれが最後の期間なので大目に見るべきだ」と言った。


 前者の先生たちは、服装頭髪をはじめ、すべてのルールを明確に定めて厳格に運用しようとした。

 後者の先生たちは、そうしたルールは必要なく、学習指導にのみ徹しようとした。


 もちろん、どちらの教師たちも高い技量と知識を持っていて、いずれもまったく悪意がない。前者の先生たちは、立派な社会人を作ることを心から目指しており、後者の先生たちは、心豊かなのびのびとした人格を本当に育てたいと願っている。

 さて、この学校は、どうしたらいいか。解決してほしい。


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 この2つの意見を持つ教師たちについて、話し合いで解決すると思いますか?また、どうしたらこの学校の方針が決定できるでしょうか。


 解決そのものは簡単です。でも、その方法はおそらく「何かフォース」を使うことになると思います。そのとき、あなたは気付くのです。

 ああ、話し合いが解決したのではなく、フォースが決めたのだ、ということに。











2014年3月27日木曜日

■【新社会人に贈る10の金言 概論】 ~就活をしている君に知られたくないこと~

 早いものでもうすぐそこに3月末がやって来ています。おかげさまで僕個人は、消費税増税前の超忙しさで、仕事にバタバタしていますが、「そういえば4月といえば新年度なんだなあ」とふいに思い出してしまったり。

 そんな折、新社会人が春からいよいよいろんなところでデビューするわけで、気になる記事を見つけたのでレポしてみたいと思います。



 学生フリー編集者、就活で「働く」を見失い、「俺を見てくれ」と叫ぶ!(現代ビジネスさんより)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38765



 記事は、現在大学3年生にして、フリーで編集っぽい仕事をいくつかやっているという小川未来さんのもので、いろんな意味で面白い記事です。


 いろんな意味、というのは、文字通り多様な側面を内包しています。学生時代から見た社会人生活や、社会への期待ならびに理想のようなものの観点も面白いし、逆に現社会人の我々からみたツッコミどころ、という意味でも面白いです。


 まあ、今回は、さらりと小川さんの文章から「いろんなこと」を紐解いてゆこうと思います。



<採用試験とは何か>

 ”ジャネット・イエレンについて説明せよ”という試験問題を突きつけられて「なんだこれは」と思った小川さんの話。思わずニコニコして読んでしまいました。

 そう、そうなんですよ。就職試験というのは、こういうもんなんです(笑)。僕にだって、これと同じような経験がある。


 とある就職試験をうけて「芸術における○○について論述せよ」という問題を突きつけられて撃沈した記憶が、私にもあります。(当然落ちた)


 そこで、小川さんは当惑して怒りを覚えておられます。”こんな問題出すのか”とか”なぜ知識を問うのか”とか、いろんな気持ちが錯綜して、わさわさしておられる感がひしひしと伝わるから、面白い(失礼)のです。

 今年40歳になる僕は、今では当時の某就職試験の答えを知っています。いいですか?小川さん、そしてみなさん。試験とはどういうものなのか。


 そのネタが”ジャネット・イエレン”であるかどうかは、実はどうでもいいかもしれない。出題した当人が、「そんなもん答えられるわけない」とわかっていて出している場合もあります。


 その「ふつうなら回答不可能な設問に、どう答えて書き込むのかを知りたい」という出題者がいるかもしれません。

 あるいは、そもそも採用予定者が内密に決まっている場合もあるかもしれません。その人物が知っていそうなテーマ、範囲に出題することで「ほら、この人が回答できたでしょ」と理由付けに使っていることだってありえます。

 もしかしたら、本当に設問に正しく回答できた人だけをピックアップするための試験かもしれません。それが出題者の意図だとすれば、回答できない人はまさしく「不要」だと思われているわけです。

 そして恐らく、その試験の目的は「たいていの人を合理的にふるい落とすための設問」だったのかもしれません。




 ・・・・・・そうです。就職試験とは、そういう意図のある試験なのです。だから、そもそも設問は公平ではないし、その意図は万人に正義ではないかもしれない。

 いいですか?ある会社にとって、採用したい人物というのは「恣意的」な存在です。つまり、多くの受験者にとって、その基準はそもそもゆがんでみえるものなのです。


 だから「こんな問題出すのか」の問いには、こう答えられます。「だってわざと出してるもん」

「なぜ知識を問うのか」には、こう答えましょう。「だって知識を問うふりをすれば公平に見えるでしょ」と。

 
 社会に出るというのは、「ああ、社会にはそういう恣意的な意図があるのだ」ということを知る側に回る、ということでもあります。

 だから、社会人は、心の中では学生を「ほほえましく」思うのです。「ああ、自分も知らなかった純粋な時代があったのだ」と懐かしんで。



 
<学生兼フリー編集者として>

 インターネット時代になって、この点だけは同感できることが多いのでさらに「面白く」読んでしまったのが「仕事を経験している学生」という項目です。

 学生時代に起業したり、何がしかの経営をしている学生というのは、これまでにはあまり存在しなかった人種であるため、「就職」という点において、新しい時代に入っていることは確かです。


 だって、僕自身が、会社員でありながらちっぽけですが別にビジネスもしているし、いろんな「顔」を使い分けて生きているわけですから、就職前からそういう活動をしている学生が増えても全然おかしくはありません。


 ただ、そのことの受け止め方が、「会社員+起業家」である僕と、「学生+起業家」である小川さんとでは全く逆であることがさらに面白いのです。


 小川さんの思考ベクトルでは、「自分で企画できる・活動できる・マネタイズして収入になっている」事実が、とても生き生きと受け止められていますが、僕の場合は全然違うところに着眼点を持っています。

 それはつまり、自分で起業したからこそ、「自分の力ではなく、会社という組織や環境が、どれほどすばらしいか」ということを有りがたく感じる、という点です。

 「バリバリやれそうな自分」を感じるのではなく「会社員であることのありがたさ」や「組織・環境・しくみ」の素晴らしさを再確認する、というのがプチ起業家としての僕が毎日感じることです。


 それは、年収で比較するとわかります。年収100万円起業で稼ぐのは簡単です。しかし、年収500万円起業で稼ぐのは、どれほど骨身を削る必要があるか、ということ。

 僕の場合は、年収数百万円をいただけているからこそ、その余力を自分のネタに使えることを心から感謝しています。(同時に会社が理解して下さっていることにも心から感謝しています)


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 少し話はずれますが、僕の会社、あるいは業界の方で先輩に当たる人たちがこれまで「これなら自分でやれそう」と勘違いをして独立・あるいは新規立ち上げをして、おなじ業界で仕事をやりかけた人をたくさん知っています。

 ところが、彼らは現在全員破産もしくは自殺しています。いろんな悪い意味で(苦笑)

 僕が今やっている仕事は、「一見自分でやれそう」に見えます。しかし、実は「組織や環境や資金や、バックグラウンド」にあるものは、会社に積み上げられているものです。そこを理解しないと、確実に過ちを犯すことになるわけです。


 そういう意味では、起業や兼業は、昔よりはるかに「やりやすい」状況にあると思います。しかし、本質を見失うと、そこにあるのは滅びなのです。




<忍耐力と忠誠心>

 会社が求めるのは、忍耐力と忠誠心です。なぜ、それを求めるのかわかりますか?

 商売をする以上、これは忘れてはなりません。


 すなわち顧客は、忍耐力と忠誠心をあなたに求める、ということです。


 学生には一見「会社」がそうさせていると見えるかもしれません。しかし、実際には違います。


 「忍耐力と忠誠心を求めているのは、お金を払う者たち」


なのです。

 だから廻り廻って、会社がそれを社員に求めるし、上司がそれを部下に求めるのです。


 これが嫌だ、という場合は、マネタイズを根底から考え直す必要があります。


 つまり、「どうだ、俺様のこれが欲しいだろう。お金を出せば売ってやるよ」という商品を提示する以外にありません。

 これはかなり特殊な、技術や頭脳やアイデアを伴う「一部の人たち」にしかできないことです。


 そして、ここからはぶっちゃけ話です。


 とはいえ、世間の社会人やビジネスマンたちは、そこまで「忍耐力や忠誠心」があるわけではありません。みんな普通の人間だし、生きている限りいろんな感情を持っているからです。


 だから、裏ワザを使います。


「忍耐力や忠誠心があるフリをする」


のです。


「クソ上司が!」と思いながら耐えたり、「自分のことばっかり言いやがって」を思いながら顧客に頭を下げるフリをするのです。


 だから、会社は「そのフリすらできない人材は、いらない」と考えます。どうせフリです。でも、そのフリすら無理なら、それは社会人として使えないのです。


 
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 そんな風に考えると、「上司や先輩やお父さんたちは、めっちゃくちゃ大変だし、世知辛いなあ」と思うかもしれません。


 その通りです。なので、そっち側の人間になると、この点については涙をながして共感してくれると思います。

 それが無理な人たちは、独立自営をはじめるか引きこもるかの二つに一つですね。ちゃんちゃん。

2014年3月20日木曜日

なぜ公募校長ではダメなのか

 また大阪市の公募校長が一人更迭されたそうです。


 教頭が口論の末に土下座も・・・ 大阪市の公募校長を更迭(ヤフーニュースより)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140320-00000505-san-soci


 これまで、大阪市の公募校長制度では、3ヶ月で「自分のキャリアと合わない」という理由で辞めた人や、セクハラ校長が更迭されていますが、それらに引き続いての3人目です。

 今回の校長は元新聞記者で、更迭理由は教職員や保護者からのクーデターだそうです(苦笑)


 さて、教育行政に詳しい吉家孝太郎さんに言わせれば、「公募校長制度は絶対にうまくいかない」と断言できます。


 そもそも、公募校長制度というのは、


 ①各学校に特色ある取り組みとオリジナリティを出したい。

 ②そのためには、リーダーシップと権限ある校長を創出し、彼に引っ張っていってほしい。

 ③その人材として民間から多様な分野で経験と実績のある人を公募しよう。


という意図で企画されている制度です。


 ところが、理念は良いのですが、実際には、この考え方が「学校運営・学校行政」とそもそも合致していないのです。




 どう合致していないかは、次の「学校のしくみ」を読めばすぐわかります。


①学校のふつうの先生は、大学卒で採用されてから最初の学校は田舎・もしくは小さな学校へ行かされる。

②ふつうの先生は、何度かの転勤を経て、だんだん希望が叶うようになる。たとえば都市部へ行きたいとか、実家の近くに戻りたいとか。

③ベテラン先生になればなるほど、その学校に籍を置く年数が長くなる。(転勤せずともよい)

④初心者が5年未満だとすれば、ベテラン先生の勤続年数は10年~15年も可能。



ここまでがふつうの学校の先生の場合。で、ここからが管理職。


①教頭でも副校長でもいいが、管理職への道はとりあえず試験を受ける。

②教頭になったらまず、小さい学校か田舎の学校の「教頭」として赴任する。

③教頭の任期は3年程度、何校か転勤したら今度は校長試験を受ける。

④校長として、また小さい学校か田舎の学校に赴任する。

⑤校長の任期も3年程度。学閥や派閥等にもよるが大きい学校や都市部の学校へ転勤する。


ついでに、お金の管理ができる「事務方(学校事務)」についても。


①学校事務員は、3年程度の短い任期で転勤する。(お金を扱うので、汚職防止のため)

②事務長になっても、やっぱり3年程度の短い任期で転勤する。


 なんとなくわかってきたでしょ?


 つまり、その学校のことを一番わかっているのは、「その学校に長く勤務している一般ベテラン教員」であって、校長でも教頭でも最長3年しか勤務しないので、たいしたことはできないわけです。

 なので、校長がリーダーシップが取り易い学校というのは「田舎の小さい学校」であり、だからこそ某お辞めになった公募校長が送りこまれたというわけです。


 逆に大きな学校や都市部の学校では、すでに長くいる教員が「これまでの伝統や流れ」を取り仕切っていますので、校長が大きな改革をしようとしても「実績が出ない」し、ベテラン教員から見れば、

 3年ぐらいゆるゆると抵抗していれば、あいつはすぐいなくなる

とタカをくくっているということになります。



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 というわけで、学校のトップである校長を「あれこれいじってみても」無駄です。では、真の学校改革とはどうすればいいかというと


 全ての教員を3年ぐらいの短期で異動させる


こと以外にありません。


 これで校長の実権が増しますし、その学校に「長く在籍している」教員もいなくなるので、改革は即浸透します。


 ところが、本気でこれをやろうとすると


 教員組合とガチンコバトルが勃発


することは確実です。


 なぜか?今度は、先生の立場になるとこれもすぐわかります。大学を卒業して、最初の学校で5年、次の学校で5年くらい経験し、いよいよベテランの仲間入りということで「本人の希望が通り易くなり、かつ長い間その学校にいられる」とすると、ちょうど3校めくらいで


 家を買う(定住する)・子供が小学校・中学校へ通う


ということが落ち着いてできることになります。それが3年スパンになると「子供はいつも転校」「いつまでも教員住宅」「つぎつぎに引越し」ということになり、


 そんなんいやだ!


とすべての教員が言い出すからです。組合員じゃなくても、ふつうのノンポリ教員でも嫌だと思います。


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 今言ったようなことは、すべての教育委員会・教育庁はわかっていますので、つまり元々


 校長公募性そのものが、某市長の思いつきか、もしくはポーズ、パフォーマンスに過ぎない


と思われても仕方ないわけです。


 いやあ、教育ってほんとうに面白いですね。















2014年3月14日金曜日

少子化を解消する画期的な方法

 こんにちは


 ビジネスジャーナルさんに掲載されていた江端智一さんの記事がとても面白かったので、ついつい全シリーズ読んでしまったのでご紹介します。

 一番最初に目にしたのが「出産させないシステムが完成した日本」という記事で、とてもわかり易かったので、ぜひみなさんもご一読ください。



 出産させないシステムが完成した日本 破滅衝動=結婚をなぜ超えられないのか
 http://biz-journal.jp/2013/11/post_3295.html



 さて、日本がすでに少子化社会を突き進んでいて、これが近未来に様々な問題を引き起こすであろうことは予言され尽くしているわけですが、僕なりにその解決策を考えてみました。


 それが、公務員に学ぶ「2段階採用制度」なるものなのですが、簡単に言えば、

 国家公務員Ⅰ種、Ⅱ種や地方公務員上級・中級・初級のように、一般企業の採用も段階をつけて差をつければいい


というアイデアです。


 この発想。練れば練るほど面白い仕組みで、どうも日本の抱えるいろんな諸問題も一緒に解決できそうな勢いなので、ぜひみなさんもこれがいいのか悪いのか考えてみてほしいと思います。


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<制度のあらまし>

 雇用数が一定以上の企業において、新卒(あらため、新規)採用者については、一定数(半数が望ましい)を「Ⅰ種採用」と「Ⅱ種採用」に分けて実施する。


 Ⅰ種採用もⅡ種採用も、どちらも正規雇用であり、正社員であるが、その採用条件が異なるものとする。


<制度の内容>


 Ⅰ種採用は、教育機関卒業ののち概ね25歳までの採用とし、主に企業におけるキャリア(幹部候補)育成を目指した採用とする。


 Ⅱ種採用は、教育機関卒業ののち概ね35歳までの採用とし、ノンキャリア人材の育成を主とした採用とする。


 Ⅰ種採用とⅡ種採用の初任時における給与は、ほぼ同等とするが、その後の給与体系について既定するものではない。


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 いかがでしょうか?まずは、基本的なルールとして上のようなことを設定してみました。企業が採用活動を行う際、Ⅰ種、Ⅱ種をある割合で分けて両方採用することを義務付けることがスタートです。


 ★ここで起きそうなこと★

 たいていの企業においては、Ⅰ種採用を少なくして、Ⅱ種採用を増やそうとするでしょう。幹部候補生が一般職より多くなることはないからです。

 初任時の給与は同じでも、キャリアとノンキャリアでは、公務員では俸給表が違います。一般企業でも、給与に差をつけてかまわないとすれば、よろこんで企業はダブルスタンダードの給料体系を作り出すでしょう。

 つまり、22歳新卒一斉採用をやめさせる、大きなインセンティブとしてこの制度が魅力的に映るように設計しているのです。



 さて、それぞれに求められる人材像について考えてみます。


Ⅰ種採用者


 まず、いわゆる企業人としてバリバリ働こうという意思・意図のある人材に向いている制度です。そして、ほとんどの新卒22歳男性は、この制度を利用して入社しようとするはずです。また、25歳までの既定を設けることで、第二新卒や、大学院修士卒業者にも対応しています。

 もちろん、女性がこの制度に応募することになんら妨げありません。


★ここで起きそうなこと★

 Ⅰ種採用のレベルを上げることで、いわゆる学歴と応募のミスマッチを取り除けます。大学のレベルに不相応な状態でやみくもに企業を受けまくる事例がⅠ種採用においては減ります。Ⅱ種採用においてはこれまで通りかもしれませんが、キャリアが限定されるのがⅡ種ですから、自然と自分に見合ったレベルへと揃います。

 もちろんⅠ種採用には高度な知識を問う試験が必須です。

 


Ⅱ種採用者


 この制度があることで、まず転職者が応募できます。これまでの新卒制度とは異なり、「新しくその企業に応募する」人のための制度ですから、転職者も利用できます。
 しかし、給与水準が「新規」のためいわゆる旧新卒水準に下がります。従ってキャリアアップ・引き抜きによる転職応募とは別のルートであることを理解する必要があります。


★ここで起きそうなこと★

 一般転職者に対して、これまでのように「前職での給与」について考慮する必要が薄くなります。必要な人材であればその金額を提示して採用できますが、そうでない人数合わせの場合は、「新卒同程度だけど、それでもいい」という人間を採用できます。



 この制度を利用して、35歳までの就職経験がない人間も応募可能です。その人材が果たして合格するかどうかは、また別問題であり、個々の企業が判断することです。


 この制度を利用して、新卒採用後ミスマッチを起こして退職した新人等も新しくチャレンジできます。35歳までは、事実上再チャレンジが可能です。


 この制度を利用して、22歳卒業後に、結婚・出産をした女性を採用することができます。つまり、子供を望む女性が、就職を選ばずに育児後安心して30代からキャリアをスタートすることができるわけです。バリバリ働きたい女性のためには、もちろんⅠ種採用があります。



★ここで起きそうなこと★

 企業にとって、現実的にコストアップになっていた「女性のキャリア中断」問題を、根底から解決できます。女性は35歳から安心して就業できる、というスタンスを日本中の企業で担保すれば、少子化問題の解決の糸口になるはずです。

 また、保育所の数を増設したり、保育士を確保したりといった社会負担を減らすことができます。


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 Ⅰ種採用とⅡ種採用の制度設計を上手に設定してやると、企業は全体を通して賃金を下げることに成功するでしょう。

 それと同時に、女性を「妊娠適齢期」において企業活動から外す、ということを「互いが望む形」で実行することができるかもしれません。

 

 誤解をされては困りますが、22歳女性が、22歳時にⅠ種採用されてもいいし、Ⅱ種採用されてもいいのです。つまり、22歳から35歳まで独身女性に飢えよ、と言っているのではないということです。

 35歳まで門戸が開かれていることで、「線路の上に自由に乗ったり降りたりできる」ということを意図しているのです。


 もちろん、「それなら現状の採用方法のままで、線路に乗ったり降りたりできる制度を作れ」と言う方もたくさんおられることだと思います。

 しかし、それでは恐らくその制度はできません。企業に「おいしい」インセンティブがないし、働く女性に「とかいいながら結局線路から降りたら終わりじゃん」と思われてしまうからです。


 企業におけるインセンティブとは、「自由に乗ったり降りたりすることを許可する代わりに、また給与体系を一から始めていいよ(初任給に戻していい)」ということでもあります。


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 とまあ、上記システムはひとつの案ですが、今の日本の企業においては多様な働き方のデザインができないことに問題があるように思います。

 正社員と非正規社員とか、正社員と限定正社員とか、そういう横方向の身分軸だけでなく、縦方向(つまり、年数や年齢)における軸をあえて設定しないと、現状は打開できないのかもしれません。

 日本社会ではキャリア形成制度は年齢と密接に結びついています。なので、年齢に着目しないと少子化はいつまでたっても解決しないかもしれませんね。








2014年3月13日木曜日

『年100万円』貯金できるたったひとつの方法

 こんにちは

 前ブログでは主に、マイホームに関することを書いてきましたが、当ブログではもう少し範囲を広げて、思いついたことをざっくりまとめようと思っています。



 まあ、概ね僕のブログを読んでおられた方は、だいたいの傾向はわかってらっしゃると思うので(苦笑)、こちらでも素っ頓狂な話をいろいろ書くかもしれませんが、ご容赦ください。



 さて、一番最初のテーマとして、やっぱりお金のことを挙げようと思います。別に僕は守銭奴でも、お金持ちになりたいわけでもないのですが、「コスト対パフォーマンスは常に最適にしたい」とは思っています。

 なので、見栄や欲のために高い買い物をすることは好まないし、とはいえ、できるなら分相応の高い収入を得たい、とも思っています(^^;



 そこで、今回は、ふだん僕が心がけているたった一つのことをシュパッっと書いておこうと思います。

 前ブログは、当初のタイトルは「年収300万円台の僕が、オール電化4LDKの一戸建てを買えた理由」というものでした。

 そして、ブログの愛読者さんはご存知の通り、今持ち家は2軒に増えています。さらに、年収のほうですが、あの頃から比べたら倍くらいになっているのです。


 この難しい時代において、なんとか経済的にやってこれているのは、正直ホッとしているのですが、こうした良い面を享受できるようになったのには、いろいろとコツがあります。




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 ということで、今日は、貯蓄と節約に関する”たった一つ”のメソッドについて書こうと思います。


 よく、「家計簿をつけなさい」とか「レシートを捨てない」とか、「節約術」とか、いろんな情報が巷には溢れていて、みなさんも少しは試してみたり、挫折してみたりしたことと思います。


 しかし、難しいことは長続きしません。なるべくシンプルで、手間のかからない方法こそが、長く続けられる秘訣だと思っていますので、僕の場合は「一つ」のルールしか決めていないのです。


 現在、わが家では年間100万円の貯蓄をしています。ありがたいことに、年収300万円生活から、所得は倍増していますのでこれ自体は全然苦ではありません。

 しかし、年収300万円時代から、基本ルールは変わっていません。そのおかげで、中古ですが家を買ったりできたんだと思っています。




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 さあ、そのたった一つのルールですが、簡単です。


消費するな、創造せよ


これに尽きます。


 今から買おうとしているものが、「何かを生み出すための原資」になっているのかどうかを、一瞬考えるだけです。

 それが単なる消費であれば、やめておきなさい。ということ。


 その出資が、どうリターンとなって返ってくるかを明確に意識することだけが、創造なのです。

 

 よく「自分に投資する」なんて言葉を使いがちで、そのために資格を取ろうとしたり、勉強したり、あるいは「良いもの」を身に着けたりしようとする人がいます。


 しかし、勉強して資格を取っても、「その資格で給料をもらう」までは無意味だし、ロレックスを身に着けるだけでは、お金が入ってくることはありません。


 なので、大事なのは、「お金を生む勉強」に出費することだったり、「ちゃんとリターンがある投資」をすることなのです。

 言葉とイメージだけに惑わされず、「マジで、ガチでお金が入らない出費は、やめとけ」ということなのです。


 
 そのための訓練は、簡単です。あなたが先行投資だと考えて使ったものの内容と金額を控えておいて、1年後にそれがどんな収入に繋がったか調べるだけです。


 おそらく残念ですが、その投資は、結果として全くお金を生んでいないと思います。
 

 それが、お金が貯まらない理由です。



 ルールも簡単、やるべきことはたった一つ。これだけで、明日、明後日は何も変わらないかもしれませんが、来年の今頃には「通帳の残高が確実に増えて」います。




2014年3月11日火曜日

吉家孝太郎 新ブログ立ち上げました

 こんにちは、毎度おなじみ吉家孝太郎です。



 旧ブログ「年収300万円台のボクが、オール電化4LDKの一戸建てを買えた理由」ならびに「吉家孝太郎のマイホームあれこれどれそれ」をご愛読の皆様には、たいへんお世話になりました。

 ちょっとbloggerを使ってみたかったこともあって、新ブログに移行中です。しばらくの間(かなり当面)は、旧ブログと併用して記事を書こうと思っていますので、よろしくお願い申し上げます。


 yahoo!ブログのほうは、こちら

「吉家孝太郎のマイホームあれこれどれそれ」
http://blogs.yahoo.co.jp/nensyu_300


 最近、家ネタが少なくなってきているので、もう少し広範囲にいろんなことを呟こうと思ってます。

 ノンジャンルで!