早いものでもうすぐそこに3月末がやって来ています。おかげさまで僕個人は、消費税増税前の超忙しさで、仕事にバタバタしていますが、「そういえば4月といえば新年度なんだなあ」とふいに思い出してしまったり。
そんな折、新社会人が春からいよいよいろんなところでデビューするわけで、気になる記事を見つけたのでレポしてみたいと思います。
学生フリー編集者、就活で「働く」を見失い、「俺を見てくれ」と叫ぶ!(現代ビジネスさんより)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38765
記事は、現在大学3年生にして、フリーで編集っぽい仕事をいくつかやっているという小川未来さんのもので、いろんな意味で面白い記事です。
いろんな意味、というのは、文字通り多様な側面を内包しています。学生時代から見た社会人生活や、社会への期待ならびに理想のようなものの観点も面白いし、逆に現社会人の我々からみたツッコミどころ、という意味でも面白いです。
まあ、今回は、さらりと小川さんの文章から「いろんなこと」を紐解いてゆこうと思います。
<採用試験とは何か>
”ジャネット・イエレンについて説明せよ”という試験問題を突きつけられて「なんだこれは」と思った小川さんの話。思わずニコニコして読んでしまいました。
そう、そうなんですよ。就職試験というのは、こういうもんなんです(笑)。僕にだって、これと同じような経験がある。
とある就職試験をうけて「芸術における○○について論述せよ」という問題を突きつけられて撃沈した記憶が、私にもあります。(当然落ちた)
そこで、小川さんは当惑して怒りを覚えておられます。”こんな問題出すのか”とか”なぜ知識を問うのか”とか、いろんな気持ちが錯綜して、わさわさしておられる感がひしひしと伝わるから、面白い(失礼)のです。
今年40歳になる僕は、今では当時の某就職試験の答えを知っています。いいですか?小川さん、そしてみなさん。試験とはどういうものなのか。
そのネタが”ジャネット・イエレン”であるかどうかは、実はどうでもいいかもしれない。出題した当人が、「そんなもん答えられるわけない」とわかっていて出している場合もあります。
その「ふつうなら回答不可能な設問に、どう答えて書き込むのかを知りたい」という出題者がいるかもしれません。
あるいは、そもそも採用予定者が内密に決まっている場合もあるかもしれません。その人物が知っていそうなテーマ、範囲に出題することで「ほら、この人が回答できたでしょ」と理由付けに使っていることだってありえます。
もしかしたら、本当に設問に正しく回答できた人だけをピックアップするための試験かもしれません。それが出題者の意図だとすれば、回答できない人はまさしく「不要」だと思われているわけです。
そして恐らく、その試験の目的は「たいていの人を合理的にふるい落とすための設問」だったのかもしれません。
・・・・・・そうです。就職試験とは、そういう意図のある試験なのです。だから、そもそも設問は公平ではないし、その意図は万人に正義ではないかもしれない。
いいですか?ある会社にとって、採用したい人物というのは「恣意的」な存在です。つまり、多くの受験者にとって、その基準はそもそもゆがんでみえるものなのです。
だから「こんな問題出すのか」の問いには、こう答えられます。「だってわざと出してるもん」
「なぜ知識を問うのか」には、こう答えましょう。「だって知識を問うふりをすれば公平に見えるでしょ」と。
社会に出るというのは、「ああ、社会にはそういう恣意的な意図があるのだ」ということを知る側に回る、ということでもあります。
だから、社会人は、心の中では学生を「ほほえましく」思うのです。「ああ、自分も知らなかった純粋な時代があったのだ」と懐かしんで。
<学生兼フリー編集者として>
インターネット時代になって、この点だけは同感できることが多いのでさらに「面白く」読んでしまったのが「仕事を経験している学生」という項目です。
学生時代に起業したり、何がしかの経営をしている学生というのは、これまでにはあまり存在しなかった人種であるため、「就職」という点において、新しい時代に入っていることは確かです。
だって、僕自身が、会社員でありながらちっぽけですが別にビジネスもしているし、いろんな「顔」を使い分けて生きているわけですから、就職前からそういう活動をしている学生が増えても全然おかしくはありません。
ただ、そのことの受け止め方が、「会社員+起業家」である僕と、「学生+起業家」である小川さんとでは全く逆であることがさらに面白いのです。
小川さんの思考ベクトルでは、「自分で企画できる・活動できる・マネタイズして収入になっている」事実が、とても生き生きと受け止められていますが、僕の場合は全然違うところに着眼点を持っています。
それはつまり、自分で起業したからこそ、「自分の力ではなく、会社という組織や環境が、どれほどすばらしいか」ということを有りがたく感じる、という点です。
「バリバリやれそうな自分」を感じるのではなく「会社員であることのありがたさ」や「組織・環境・しくみ」の素晴らしさを再確認する、というのがプチ起業家としての僕が毎日感じることです。
それは、年収で比較するとわかります。年収100万円起業で稼ぐのは簡単です。しかし、年収500万円起業で稼ぐのは、どれほど骨身を削る必要があるか、ということ。
僕の場合は、年収数百万円をいただけているからこそ、その余力を自分のネタに使えることを心から感謝しています。(同時に会社が理解して下さっていることにも心から感謝しています)
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少し話はずれますが、僕の会社、あるいは業界の方で先輩に当たる人たちがこれまで「これなら自分でやれそう」と勘違いをして独立・あるいは新規立ち上げをして、おなじ業界で仕事をやりかけた人をたくさん知っています。
ところが、彼らは現在全員破産もしくは自殺しています。いろんな悪い意味で(苦笑)
僕が今やっている仕事は、「一見自分でやれそう」に見えます。しかし、実は「組織や環境や資金や、バックグラウンド」にあるものは、会社に積み上げられているものです。そこを理解しないと、確実に過ちを犯すことになるわけです。
そういう意味では、起業や兼業は、昔よりはるかに「やりやすい」状況にあると思います。しかし、本質を見失うと、そこにあるのは滅びなのです。
<忍耐力と忠誠心>
会社が求めるのは、忍耐力と忠誠心です。なぜ、それを求めるのかわかりますか?
商売をする以上、これは忘れてはなりません。
すなわち顧客は、忍耐力と忠誠心をあなたに求める、ということです。
学生には一見「会社」がそうさせていると見えるかもしれません。しかし、実際には違います。
「忍耐力と忠誠心を求めているのは、お金を払う者たち」
なのです。
だから廻り廻って、会社がそれを社員に求めるし、上司がそれを部下に求めるのです。
これが嫌だ、という場合は、マネタイズを根底から考え直す必要があります。
つまり、「どうだ、俺様のこれが欲しいだろう。お金を出せば売ってやるよ」という商品を提示する以外にありません。
これはかなり特殊な、技術や頭脳やアイデアを伴う「一部の人たち」にしかできないことです。
そして、ここからはぶっちゃけ話です。
とはいえ、世間の社会人やビジネスマンたちは、そこまで「忍耐力や忠誠心」があるわけではありません。みんな普通の人間だし、生きている限りいろんな感情を持っているからです。
だから、裏ワザを使います。
「忍耐力や忠誠心があるフリをする」
のです。
「クソ上司が!」と思いながら耐えたり、「自分のことばっかり言いやがって」を思いながら顧客に頭を下げるフリをするのです。
だから、会社は「そのフリすらできない人材は、いらない」と考えます。どうせフリです。でも、そのフリすら無理なら、それは社会人として使えないのです。
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そんな風に考えると、「上司や先輩やお父さんたちは、めっちゃくちゃ大変だし、世知辛いなあ」と思うかもしれません。
その通りです。なので、そっち側の人間になると、この点については涙をながして共感してくれると思います。
それが無理な人たちは、独立自営をはじめるか引きこもるかの二つに一つですね。ちゃんちゃん。
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