2015年6月27日土曜日

<実国学を考える 11> 地方再生も、少子高齢化も一発解決! ~本領発揮運動と本領復帰運動~

 たらたらと書いている「実国学」シリーズですが、現代の吉田松陰(新)を自称するヨシイエは、一体何をどうしてほしいのかちっともわからん!というおしかりを受けそうなのでそろそろまとめておきましょう。


 実国学者、吉家孝太郎は、こんなとんでもないことを考えているのです!

 少子高齢化も、地方再生も、自衛隊と安全保障も、日本中のありとあらゆる問題を一発解決するこの方策で、頭くらくらしてみてくださいね。

==========

 そもそも、明治維新から現代までは何が起こっていたか。すべては土地に由来していることを思い出してみましょう。

 墾田永年私財法により、開拓地はすべて開発者の者となり、豪族が力をつけ戦国武将が生まれます。彼らが自分の土地を増やそうと戦った挙句、信長秀吉家康によって一応の勝者と再分配が決定し、それから200年もの間、江戸時代は国内でほぼすべてのものを賄う完全循環社会になりました。

 ところが、時代が変わり、欧米列強が侵略を仕掛けてこようとしたので、日本はこれではいけないと、産業革命に準じ、新しい体制へと移行します。しかし、江戸時代は完全循環社会であると同時に飽和状態であったため、新しい「欧米型金のかかる体制」 へ移行するためには、カンタンに言えばGDPを増やさなくてはならなくなったわけです。

 ところが、当時の日本はまだ土地依存社会ですから、金融でお金を増やすことなんてできません。そのため、北海道を開拓し、満蒙を開拓し、中国へ出て行くという

「墾田永年私財法の、国外版」

みたいなことをして物理的に金がさを上げようとしたわけです。

 ところが、敗戦という形でそれに失敗し、土地に関しては、ほぼ元の枠内に留められることになりました。

 しかし、良かったことがひとつだけあって、戦後はこれまでのように「土地生産物からの収益で経済が回る」のではなく、「工業生産物によって、経済が拡大する」ということを知るようになります。

なので、だんだんと実際の土地がいらなくなっていったのです。

 そのため、現実の土地に価値がなくなり、地方に分散していた人間は、より高い現金を求めて都市へ出てくるようになりました。

 その昔、次男や三男に分け与える土地がなくて、北海道や中国あるいはブラジルなどへ移住したことが嘘のようになってしまったわけです。


==========

 しかし、そうやって拡大肥大した経済も、工業生産が別の国へ移ったこともあって縮小へと転じます。田舎に土地だけが余り、子供は親と同数もしくは減少へと転じてしまいました。

 北海道から、町がどんどん消え、元の野原に戻ろうとしている始末です。

 戦国時代からの「家制度」は、個人主義になったため崩壊。年寄りは個人で死んでゆき、若者は個人で貧しいままになっています。そのため、なんでも政府が面倒をみなくてはならなくなり、政府負担はもう破綻寸前になっているのです。


==========

 そこで、現代の国学者吉家孝太郎は次のような宣言を行います。日本の古来からのあり方に基づいた提言です。


① 家制度をまろやかに復活させること。

 欧米型個人主義制度は、日本にはなじみません。家制度をまろやかに復活させ、家族親族のつながりを取り戻すことが大切です。氏族としての枠を確認し、裁量権をもたせることが必要かもしれません。
 独居老人を生むのではなく、氏族として迎え入れ、独身青年が孤立することなく、氏族集団の中でも地位を得られるようにする必要があります。

 家父長を復活させる必要はなく、氏族集団の枠のみを復活させることで日本人に力を養うのです。



② 本領復帰を勧めること。

  氏族集団は、いわゆる「本領・本貫地」と密接に結びついています。都会に出ることで、失われた実家や本来の出身地を見直し、氏族が再びそこへ結集することで地域に活力を取り戻します。

 家族の中で重要な地位を占める長男の都市での大学生活から、Uターンさせることに重きをおいて優遇します。優秀な頭脳を地方で活躍させられるように、自治体の採用等や奨学金免除など、意図的な采配を進めます。


 
③ 本領発揮を推進すること。

  地方において氏族が力を発揮できるように、都市の機能を解体して地方へ分散することで、地方に小都市を増やす方向性を持たせます。
 具体的には、領地としての機能がないマンション建設を停止し、個人住宅は一戸建てを基本にします。すべての人に土地を持たせ、未来の領地領民を育て上げます。
 総子供数が増加に向かわず、同数もしくは下降するという現状があるからこそ成立する話です。(子供数が親世代より増加すると、土地が足りなくなるからです)

☆本領とは、本来朝廷から賜ったり、土地を開墾したり、所領を得たりして自分のものとした土地のことですが、現代ですから経済活動で得た土地も本領として認定してよいでしょう。しかし、集合建築物の区分所有は土地として機能しませんから、一刻も早く廃止すべきです。



④ 専守防衛に努めること。

  日本という国の枠内は、実は歴史上それほど大きく変動しておらず、また侵略を受けたことも数えることしかありません。

 つまり、日本全体の国防については、「攻められないように、守る」ということこそが、防人時代から続く基本路線であると確認できます。

 領土問題は存在しますが、南に島ひとつ、北に島四つくらいのことで、いわゆる日本という大枠においては、守るべき領地は如実に明らかで、国民全員が大幅合意できるアノ範囲しかありません。

 そこから逸脱して、国防軍が活動するのは、あまり得策とはいえないでしょう。



==========

  歴史的素養や、文化的認識がある方であれば、ヨシイエの話は荒唐無稽ではあるけれど、言いたい事はなんとなくわかる、とにんまりなさるところだと思います。

  まあ、こういう思考パターンが現代国学の真髄なのですが、これに倫理観やら宗教観やら、社会観などを肉付けしてゆくとさらに面白くなるわけで。


 そのあたりはいずれまた。
 









<実国学を考える 10> 徴兵制に賛成か、反対か

 アゴラに


 「徴兵制は嫌だ!」という皆さんへ
 http://agora-web.jp/archives/1646462.html


という論説が載っていて、言わんとしていることはわからんでもないので、ふむふむと読んでいたのであったが。


 どんな話かといえば、カンタンなことで、そもそも現役の自衛隊員ですら、志願して自衛隊に来たはずなのに、


「戦争して、死ぬ」


ということをまだリアルに捉えきれておらず、いざ戦争になったら、いろんなメンタル面を含めた問題が噴出するのに、「徴兵制」で兵隊になった人間なんか、足手まといで役に立つわけなかろう、という話なのである。


 ましてや、現代のように高度化された戦争遂行に当たって、促成栽培された素人がどこまで手を出せるかなんて、プロから見ればアホみたいな話に違いない。

日露戦争のように、肉弾戦でどこかの山を攻める(頭数が多いほうが勝ち)わけじゃないんだから、現実はシビアで、兵力と兵士数はかならずしも比例するわけではない


 それこそ、一発の核弾頭は、数万の軍勢をしのぐのである。



==========


 で、現代の吉田松陰を自称するヨシイエ的には、プロなのか素人なのか(職業軍人なのか、民間人なのか)が問題なのではなく、基本的には


「なぜ戦うのか」


という部分がすっかり抜け落ちているから、そんな不毛な話になるのだ、と思うわけである。


 吉田松陰と吉家孝太郎は国学者であるので、国学者的発想で語れば、理由はカンタンである。


「そりゃ、自分の領地を守るために、領地を奪いに来るやつがいたら戦う」


ということ以外にない。その領地の中で、職業軍人もいれば平時は農民だっているのだけれど、すわその時が来たら、農民だろうが軍人だろうが戦いまくる、というのが戦国時代のおはなし。

 付け加えるなら、戦国武将と農民なんて分けて考えるのは、豊臣秀吉が一応天下統一を成し遂げて、「内部でケンカするなの令」を出したからであって、 つまり、領地をめぐって争うことが理論的には成立しなくなったので、職業軍人はそれ専門になりえた(豊臣家に仕えるという新しい仕事が生まれた)わけである。


==========

 こんな話をすると、ちょっと左曲がりの人は、


「それじゃあ、民間人が竹やり持ってアメリカの飛行機に立ち向かおうとしたのと同じじゃないか」

とか、わけのわからん話を持ち出すかもしれないが、なぜアレがいけないのかみなさんわかってらっしゃる??

 日本国民が総出で戦争に借り出されたのは、「天皇陛下を守るため」であり、その理論が間違っていることをまず押さえておきたい。


  天皇陛下とか関係なく、あなたの家族や、あなたの家屋敷や、あなたの田畑を荒らし、危害を加えようととしている異国のモノが現れたとしたら、あなたはきっと職業が何であろうが立ち上がるに違いない。アホだったら竹やりを持ってくるだろうし、もう少し賢ければ重機を持ち出すとか、車で体当たりするとか、あるいは何ステップか飛び越えて、銃火器を扱いたい!と思うことだろう。

 その延長線上に、つまりは自衛隊への志願が増えることになるわけである。

 (ちなみに、ベン・ハーことチャールトンへストン率いる全米ライフル協会は、どちらかといえばこの主張をしている。わが家を守るために、銃を持つのは権利である、と。

 刀狩で武器を差し出さなかった農民と理屈は同じだ。)

==========


  というわけで、結論は、ヨシイエは徴兵制ではなく志願制で十分だと思うが、日本人に足りないのは


「あんたは何を守り、何を背負っていきていくのか」


という根幹部分であって、それが完全に欠落しているほうが問題だと考えるのである。

 そして、それは大上段に振りかざした

「国(領土)を守る、日本を守る」

なんてショボイことではなく、

「俺は、自分の家と家族を守る」

というそれだけのことなのだ、という当たり前の意識を確認するべきなのだ。


 そのためにも、一刻も早く


本領復帰運動

本領発揮運動


をスタートさせなくてはいけないのである。


==========


 現在は、お金中心の経済社会であるが、実は貨幣を力とするということは、 土地・領土に対するアンチテーゼであることに気づかなくてはいけない。


  土地・領土が安定的であると、そこから確実に生きる糧を得られるため貨幣に依拠しない生活ができる。

 ところが、土地がないと頼みにできるのは交換できるモノもしくはその代替である貨幣しかない、という状態に陥る。


  モノを生み出すにも土地が必要なので、結局、土地を持たない流浪の民こそ経済発展するしか生きるすべがない、ということになるわけだ。


 そのため、ユダヤの人々や、華僑など、「土地に根ざさない流浪の民」は、独自の経済ネットワークをいち早く拡大化させて、欧米社会で生き延びるようになっていったわけである。


 日本は、経済発展したものの、もはやそこから転落が始まっているのだから、いまこそ「領地領民の幸せ」に根ざした生活へと戻る必要がある。

 それとも、日本人は、本気で領土領民を奪われないと、そのことに気づかないとでも言うのだろうか。そんなアホな!



 だからヨシイエは「実国学」だの「本領復帰」だの「本領発揮」だの言い続けているわけだ。


 この国学的視点が、疲弊する地方を救い、少子化を合理的に解決し、そして、外交の指針ともなるというものすごい可能性を秘めているわけだが、残念ながら誰もたぶん理解してくれないだろうなあ(笑)

2015年6月23日火曜日

【営業刑事】  「営業刑事はやりきれない」 ~あなたの正義感を試す究極の問題~



 突然ですが、あなたは「正しいこと」を「正しい」と言える人ですか??


 ・・・いきなり大層な質問から入った今回のお話ですが、今日はみなさんの



 正義感



というものを試すひとつの問題を投げかけてみようと思います。



 このブログを読んでいる人たちの大半は、おそらく「正しいことと間違っていることくらい、簡単に分別できる」とか「いいことと悪いことの区別くらい、ちゃんとつく」と思っておられると思いますが、本当にあなたが基本的に善悪の区別がつくのかどうか、



お試しさせていただきたい!



と思ってこの記事を書いています。



 さあ、あなたの「正しい」と思う感覚は、本当に正しいのでしょうか?それとも、あなたの感覚はどこか間違っていたり、ズレていたりするのでしょうか?


 では、以下のお話を少しだけ読んでみてください。





==========


 あなたは、とある会社に勤めている営業マンです。先日までは、東海地区担当で商品を販売していましたが、今回近畿地区担当になり、以前の担当者と入れ替わりで顧客を相手にすることになりました。



 そこで、前任者から、困った話を引継ぎで聞かされました。



「いやあ、この顧客リストにある個人客のA商店なんだけどさあ、困ってるんだよね」



と前任者は、頭を抱えています。どういうことか尋ねると、



「商品を納品しても、お金払ってくれないので、裁判みたいになったんだけど、それでもまだ未払い金がたくさん残っているのさ。で、全額払ってくれていないので、催促をずっとしていたんだけれど、2年ほど前に弁護士から文書が来てね。”破産手続きをしますから、もう催促とか取立てとかしないで、連絡は全部弁護士にしてください、って言うんだよ」



 なるほど、そういうこともあるでしょう。それで、仮に破産をしてしまったのなら、当社としてはお金は戻ってこないんだろうけれど、それはそれで損金として処理する以外にないわけで、まあ仕方ないことなのかな、とあなたは思うことでしょう。



 それは全くその通りで、誰でも同じように考えることと思います。ところが、前任者は続けます。



「ところが、おかしなことにその弁護士は、破産手続きを全然進めていないのさ。普通は、弁護士が破産手続きに入ると、依頼者の借金とか、残金とかをぜんぶ計算して裁判所に持っていって手続きするので、すぐに裁判所から『誰それさんの破産手続きは終わりました』という連絡がくるんだけれど、いくら待っても裁判所からは連絡がないのさ」



 それはたしかに変な感じがしますね。弁護士はどう言っているのでしょうか。



「弁護士に尋ねたら、必要な書類がAさんから出てこないとか、Aさんに連絡をなかなか取れないとか、のらりくらりとずっとかわされてる感じなのさ。それで困ってるんだ。損金処理もできないし、お金を支払ってもらうこともできないわけで、そんな感じのまま君に引き継ぐのは申し訳ないんだけれど、事実はそういう状態なんだよ」



 と、前任者は、申し訳なさそうに頭を下げます。あなたは、とりあえず事情を知っただけで、しかし、それ以上何かできそうなわけではありません。


 自分はどうしたらいいんだろう、と思ってあなたも困り顔になってゆくのでした。



 さて、そんな顧客の引継ぎを受けてしまったので、あなたはたまたま学生時代の同級生で、弁護士になっている友人に相談してみました。



 すると、その弁護士は、あなたが思いもよらなかったものすごいことを言い始めたのです。



「まず、一般の人にもわかりやすいように基本的な事柄を説明しておくよ。借金に追われるなどして、困った人が弁護士に相談に行って正式に依頼をすると、弁護士は『受任通知』というものを作って債権者、つまりお金の貸し主に郵便で送るんだけどね。基本的には、この受任通知が届けば、貸し金業者は、電話をかけたり、会いに行ったりするなどの取り立て行為ができなくなるんだ。だから、そのA商店が弁護士に依頼をした時点で、お金の貸主は手出しができなくなる、というのはとりあえず合ってる。その通りだってことだね」



 じゃあ、やっぱりどうしようもないのか。とあなたは弁護士の友人に尋ねます。ところが、彼はあなたをちょっとだけ遮って、続けました。



「ちょっと、まって。まあ、聞いてくれ。どうしようもないか、そうでないかの前に、その弁護士が考えていることを説明しておこう。これは彼の作戦なんだ。受任通知を送れば、とりあえずの集金や取立ては止まる。だから、お前の会社だって集金に行ってない。とまあ、ここまではよしとしよう。それとは別に、借金や未払いの売掛金などには『時効』というものがあってね。刑事事件の時効とおなじさ。逃げ回っていれば無罪になるというあれだよ」



 そこで、あなたは聞きなれない未払い金の「時効」という言葉に、興味を持ちました。なんだか嫌な予感がするからです。



「そう!そんな顔になるのも当然だ。おまえが思っているとおり、未払い金は2年、借金は5年というように時効があって、その間無視しつづければA商店は返済の義務がなくなるんだよ」



 なんてこった!とあなたは思います。たしか、前任者は、2年前に弁護士から受任通知が来たと行っていたので、もしかすると時効とやらにひっかかるのかもしれない、とあなたは焦る気持ちになってきました。




「と、まあここまでは教科書通りのおはなしさ。ここからは個別の話をするから、まだ慌てなくていい。その時効だが、たとえば時効を迎えても借金をした本人が払うつもりだったら、時効にしなくてもいいんだ。だから、時効後でも、いくらかでも支払いを受ければ時効はなかったことになる。また、おまえの会社のように、途中で裁判をかましていれば、その時点で時効は中断するので、厳密にいえば10年間は期間が延びると考えていい」



 それを聞いて、すこしあなたはほっとします。前任者の時に、裁判をしているおかげでA商店の残金は、しばらく時効にはならないようだからです。



「それはその弁護士の作戦だ、とさっき言ったろ?そいつの作戦はこうだ。おまえの会社の残金はほっておくにして、とりあえず他に貸し金業者からも借金があったりしてA商店は首がまわらなかったんだろ。そこで受任通知だけ出して、ほったらかしにしておくのさ。すると、5年で時効を迎える債権が出てくるって寸法さ」



 そこで、あなたはちょっと怪訝な顔をします。それって、何か、どこかおかしな話じゃないか?と思うのです。あなたは、つい語気を荒げて友人に食ってかかります。



「ってことは何か?弁護士ってのは、受任通知を出して業者に手出しできないようにさせておいて、そのまま時効まで塩漬けにして時効が来たら、はい残念でした!って言うのが仕事なのか?!」


 友人は、にやりと笑いました。



「・・・・・・そういう作戦を取る弁護士がいる、ってことさ。全員が全員そうじゃない。変な話だが、そうするつもりがなくても、結果的にそうなってしまうことだってある。たとえば、依頼者が手付金だけ払って、手続きにかかる弁護士費用を完納しない場合、我々はその時点で仕事をストップせざるを得ない。費用を支払ってもらってはじめて、裁判所に手続きにいけるわけだから、弁護士が故意にやらなくても、受任通知を受けたあと何年も時間が経つことだってありうるのさ」


 そして、小声でいいます。



「結果的にそうなったのか、そういうことにして故意にやってるのかは、誰にも判断できないしな」



と。



 しかし、納得のいかないあなたは、まだ怒りがおさまりません。



「でもそれって法的にはどうなんだ!ルール違反って言うか、何か法的に問題があるんじゃないか?どう考えてもおかしいぜそれ。我々に手出しできない状態にしておいて、時効だなんて無茶苦茶じゃないか!」




 そこで、まあまあまあ、と友人はあなたをなだめます。



「さあ、本題はここからさ。実はこの作戦にはいろんなポイントがある。抜け道というか、法の盲点というか、そんな感じに見えるかもしれない。弁護士側から言えばね、お金に困った借金漬けの依頼者を助けるのは正義なんだよ。どんな手をつかっても、依頼者を守るというやつさ。弁護士の理屈はこうだ。まず、受任通知だが、受任通知は『依頼を受けました』ということを知らせるもので、貸し金業者にはその後の接触を禁じるものだが、おまえのように普通の会社の売り掛け債権の場合は、ガンガン取り立てしたってそれを禁じる法律はない。紳士協定みたいなもんだな。それに、相手が貸し金業者の場合でも、受任通知を受けてから後に訴訟を起こすのは全然問題ないので、つまりは『時効になるまでの間に裁判する時間があったのに、そっちだってほったらかしにするのが悪い』という理屈で戦うわけさ。だからこれは、作戦なんだよ。勝つか負けるかはわからんが、戦法のひとつというわけだ」



 一息ついて、友人は続けます。


「もしおまえが、住宅ローンやら嫁はんの借金やなんやで、弁護士に相談に行くとする。今の話を聞いて、おまえならその手を使おうと思うか、思わないか、どっちにする?本当に破産しちまうか、破産せずに逃げ切るかどちらが、おまえの正義か、考えてみるのも、悪くないぜ



==========



 さあ、いかがだったでしょうか?あなたの正義感は、ゆらぎましたか?それとも、確固たるものであったでしょうか?


 
 営業刑事にとって、覚えておかなくてはいけない座右の銘というものがあります。


 あなたが営業刑事を目指すなら(いや、誰も目指さないって^^;;;)、この言葉だけは覚えておきましょう。





 法律は弱きものの味方ではない。ただ、法律を知っているものだけの味方なのである。


 法は権利の上に眠る者を守らない。




 そう、何も知らないあなたを法はけして守ってはくれないのです。



















2015年6月20日土曜日

大学から文系学部をなくしたら  ~団塊Jrの回顧録 ボクらの時代の大学感~

 はじめは冗談かと思っていましたが、どうやら事態はかなり本気で進んでいるようですね。

 L型大学とG型大学だとか、「文系学部をなくす」だとか、新卒採用の学歴フィルターだとか、根っこは全部関係しているのですが、お国のみなさんは真剣に




 国立大学の文系縮小策について
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150614-00000004-pseven-bus_all



 優秀なる一部の大学を残して、あとは職業学校にしちまえばいいんだぜベイベと思っておられるようです。



 さて、ヨシイエの個人的感覚からお話をするならば、基本的には国や財界が言っていることを否定するつもりはありません。


 しかし、そこには前提となる条件のようなものが存在するとは思うのです。



 そのことをきちんと理解するには、私たち団塊Jr世代が受けた教育システムや、むしろそれ以前の人たちが受けたシステムというものを思い出しておく必要があろうと思います。


==========

 どういうことか?


 カンタンに言えば、私たちが学生だった頃は、


① 旧帝大を全身とする優秀なる国立大学と、

② 歴史と実力のある上位私立大学と

③ とりあえず公立である堅実路線のその他国立・公立大学と

④ あまり優秀ではない私立大学と

⑤ 実業教育に力を入れる専門学校


という序列がしっかりはっきりくっきり偏差値で分かれていました。


 そして、そこへ入学する手段として

A) 試験による選考

B) 指定校推薦などの選考

C) 一般推薦などの選考(一芸含む)

D) 出願=合格という応募


 があったわけです。


 ①から⑤の学校別ランクは、いまでもある程度現状に引き継がれているので、わかりやすいと思います。

 試験の方は、Cがわかりにくいかもしれませんが、評定平均3.8以上なら誰でも受験資格がある、みたいな「自己推薦」に近い制度がありました。


==========

 さて、こうした学校種別と選考種別があったわけですが、いわゆる優秀でランクの高い大学では、純粋な試験と指定校くらいしか設定されておらず、学力で選別されるというのが当たり前だったように思います。

 なので、これらの学校の序列はそのまま社会に出てもほぼ維持されていたし、少なくとも①~③までの大学と称するところでは、文系理系問わず


 教養としての学問


はきちんと尊重されていたわけです。


 ところが、少子化によってこの序列は大きく変動します。

 まず、それぞれの学校が少子化で経営難に陥り、「男女をなんとか一緒にしてしまおう」と考えるところが激増しました。

 また、経営改革の一環として、いわゆる職業教育に近い分野の領域までが「大学」と名乗るよう、システムを改めるようになったわけです。

  観光学部とか、映像学部とか、どう考えても旧来であれば職業教育であった分野までが、カリキュラム的にかさ上げされて「学部教育」のように見せかけられてしまったのは、大問題だと思います。


 結果、専門学校の大半は、男女共学のよくわからん大学へと変貌を遂げ、医学部でもないのに「なんとか医療大」とか、英語もしゃべれないのに「なんとか国際大」とか、そういう意味不明なダイガクが増えるということになってしまったわけです。


==========

 なので、「大学を職業教育機関に改める」とか、「文系学部を減らす」とか、 そういう話は、

④と⑤の大学をターゲットにしている

というのであれば問題ないのですが、

①~③もそうだ、とか、③はどうしようか、②はどうしようか

なんてひと括りにされた上での議論だと、話が変わってくるのです。


 だから難しい!!


 そもそも、旧帝大卒者からすれば、「大学とは旧帝大のみでいいんじゃ!」くらいに思っているでしょうし、そういう人から見ると

「早稲田も慶応もなんぼのもんじゃい!徳島大?高知大?島根大?琉球大?それ国立なの私立なの?」

 という感覚でしょうから、果たしてそれらからも教養主義を引っこ抜いていいものかと悩むわけですよ。


 団塊Jr的には、このあたりの線引きはやっぱり①~③とそれ以外になりそうですが、団塊世代だと①とそれ以外になるでしょう。



 それにもましてややこしいのが、あえて選考の話を載せたのですが、現代では


 AO入試


という、一芸入試以下の「ネタ入試」があるので、大学名と学力が果たして合致するのかどうかもわけわからない状態になっているのです。


 一芸入試なら、スポーツや資格や何かの分野で「結果を出した人」なので使い勝手があるのですが、AO入試は、


「ボクってこんなヤツなんだけど、どうだい?」


という入試なので、 現実的には高校生活3年間における学力不足者の敗者復活ゲームと化している節があります。

 そして、定員割れ大学の最後の金づるとして機能しているので、お金さえ払えば誰でもOKな状況が生まれているといっても過言ではないわけで・・・。


 いっそ、youtubeのアクセス数とかで競ったほうが、論理的かもしれません。



==========

 もちろん、ヨシイエ的には、学校教育というのは究極の「教養主義」でないといけない、と考えています。


 文系・理系の教養があるからこそ、時代が変わっても、仕事が変わっても、嫁はんと別れても、会社がつぶれても生きていけると考えているのですがどうでしょう。


 実業教育は、たしかにその瞬間は高度な力を発揮しますが、80年という人生を支えるには短い間の出来事しか対応できません。


 私はぶっちゃけ、文学部の卒業なので、文系教養教育のど真ん中を歩んできましたが、今の仕事も前の仕事も、そしてこの国での生き方もすべて


純粋学問があったからこそ、生きる軸足を持てた


と感じています。



 そういう意味では、学問をないがしろにしていくら実学を身につけさせても、


 算数を教えないでレジの使い方を教えるようなもの


とか

 力学を学ばずにクレーンを使わせるようなもの


とか


 走れメロスを読まずにFBで友達を増やすようなもの


とか


 「ゼロ戦かっこええ!」と言いながら「戦争反対です」と言い出すようなもの


とか、そんなことになりそうで恐ろしいのです。

2015年6月17日水曜日

【営業刑事】  「営業刑事は待ちきれない」 ~時効は殺人事件だけじゃないんだぜ~

 どうも。久しぶりに営業刑事業務に就いているのでアドレナリン全開の吉家孝太郎です。


 売掛け債務をほったらかしにして逃走を図っている某氏に対して、現在追跡を仕掛けている営業刑事一課ですが、転居先はなんと


 120Km


先だと判明。 ちょっと遠いですが、仕方ないので、覆面パトカーならぬ営業車で現地捜査へと行ってきました。


 平日の昼間なので、さすがに当人はいないだろうと思っていましたが、なんと「ご家族」がおられ、話を聞くのとついでに


 3万円集金


に成功!!!!


 これは、長い間ほったらかしにするややこし債務者との対決においては、


とっても重要な事項


になるので、押さえておきましょう。


==========

 というわけで営業刑事の鉄則「債権には時効がある」というお話を。




  借りたものは返すのが当たり前、買ったら支払うのが当たり前


だと思っておられるみなさん。それは一見たしかにそうなのですが、そうした「債権」が消滅する時効があるのをご存知でしょうか?!


 そう!犯罪に時効があるように、「金を払わない」行為に対しても、それが許されてしまう「時効」が存在するのです。


 ふだん売ることばかり考えている人は、それを知らないことも多いかもしれませんが、「金を回収してこそ、営業マン」である営業刑事の鉄則は


「収入印紙と、時効は忘れちゃいけないぜ」


ということかもしれません。


 この民法にからむ時効については、現在民法改正案が閣議決定され、今後現行法とは異なる状況になるかもしれませんが、基本的にざっくり言うと



 払っていないお金の時効は5年


になる方向だと覚えておけばOKです。

 そもそも現行法でも、商行為における債権などの時効は5年(厳密には半年から10年まで、いろいろ規定がある)なので、5年間無視だんまりを決め込んでしまえば、


 時効


 になるわけで、これだと「支払わない悪人だけが得をする」ことになってしまいます。


==========

 なので、そんなことにならないよう、営業刑事は「時効中断」(時効にならないようストップさせる)手段をとります。


 時効中断の方法は大きくわけて2つあります。




<1> 相手に債務があることを認めさせろ!

 ひとつは「債権・債務の承認」という方法で、「金を支払わないヤツが、その状態にあることを認めること」が重要になります。

 ただし、「ただ、認めてるよ」とうそぶくだけでは証拠にならないので、

 ■一部入金させて支払いを続行させる。

 ■支払いを遅らせるためのお願い文書を作成させる。

 ■支払い約束の念書を書かせる。

 などの具体的文書が必要になります。


 

<2> 裁判しちゃえ!裁判!

 もうひとつは、カンタンに言えば裁判するということです。厳密には「支払い督促」とか「訴訟」とか、「民事調停」とか「破産手続き」とか細かな違いはあるのですが、要するに


 裁判所に介入してもらって債権・債務を公の下にする


ということです。



==========

 今回のターゲットの場合は、すでに「支払い督促」「差し押さえ」などの公的な処理を続けているので、時効は適宜中断しているのですが、今回の入金によって、



 さらに時効にならない期間が延びた


ということになります。


 逆に言えば、だんまりを決め込もうとする悪徳借主、悪徳業者のみなさんは、時効を迎えるためには



 絶対に一部でも支払ってはならない


ということです(苦笑)













2015年6月13日土曜日

【営業刑事】  「営業刑事はドラゲない」 ~人にはそれぞれ正義がある~

 ちょっとした長い沈黙を経て帰って参りました「営業刑事」シリーズ!

 営業刑事とは、ワタクシ吉家孝太郎が実体験を元に書き下ろした短編小説ですが、


「フツーの営業マンが、売り掛け金を払わない顧客と裁判しまくった話」


を下敷きにしております。小説の「営業刑事は眠らない」では裁判の話は出てきませんが、いっちばん面白いのは、裁判が始まってからなのですよ、奥さん!

 
 まあ、営業刑事という体験をしてから、顧客の生き様のすべてと対面することになるわけですが、ワタクシ吉家も


「人生観そのものが大きく変わった」


と言っても過言ではありません。


 お金を稼ぐとはなにか、お金を払うとはなにか、お金をつかうとは、お金とは・・・・。


 ああ、もうひっくるめて「正義ってなんだ!」という話にまで通じるわけで。



 というわけで、今回は正義にひっかけて


「営業刑事はドラゲナイ」


でお送りします。


 ちなみにドラゲナイを知らない人のために・・・。セカイノオワリというアーチストが歌っている「ドラゴンナイト」という歌です。発音がドラゲナイに聞こえるらしい(^^


==========


「借りたものは返すのが当たり前」


と、おそらく100人中100人がそう思っていることと思いますが、実際にはそうではないことはたくさんあります。


 それが当たり前かもしれないけれど、「返せないものは返せない」ということも往々にしてあるわけで、難しいものです。


 しかし、日本における経済活動の中で、少なくとも「商品を買った代金を支払うのは、当然のことであり、それに反するのは悪である」ということくらいは、誰もが当たり前にそう思っていることでしょう。


 ところが奥さん!そうじゃないんです。


 代金を支払うのは正義でしょうが、代金を支払わないのは悪ではないのです。


 そういうことを、営業刑事を長年やっていると否が応にも知ってしまうわけで。ていうか体験、体感してしまうのです。


 それも奥さん!あろうことか、そこらへんのおっさんに


「金なんかほっとけ、はらわんでもええんじゃ」


とか言われるくらいならまだしも、


天下国家の裁判官に、


「金は払わんでも可」


なんていわれると、これはもうギャフン!!!というしかありません。


 ここではたと考えさせられるわけです。正義ってなんだ?と。




===========



 ここに、ある商品を販売したお店A(卸し店)と、ある商品を買ったお店B(小売店)があるとします。


 小売店Bの商売がうまくいかず、仕入れた商品の代金を払わなくなったので、たまらず卸店Aのほうは裁判に訴えたとしましょう。

 普通に考えたら、Aのほうが正義の側で、Bのほうは悪の側だと思います。


 もっとわかりやすく、Aのほうは一生懸命仕事に励んでいる小さな卸し店をやっているおじさんだとして、Bのほうは飲んだくれでパチンコばかり行っているやる気のない店主だとしましょう。


 これまた普通に考えたら、卸店のおじさんは善で、店主のおっさんは悪だと思うことでしょう。


 ところが、裁判がはじまると、はじめは和解に持ち込もうとしますので、裁判官やその関係者はおかしなことを言い出すのです。


「まず、分割で払うってのはどうですか?」

と。

「あのさあ、Bさんは実際お金がないわけだから、お金がないところからいくら貰おうとしても無理でしょう。Aさんはちょっと譲歩して、分割払いを承知してあげたら?」

と裁判官は言い出すのです。


 正義感の強いあなたは

「いや、裁判官たるもの、Bに対して"キリキリ全額払わんかい!"というべきだろ?」

と思うのが普通ですが、実際はそんなことは裁判官は言いません。


 続けて、こんなことを言います。

「いや、Aさんがそれを希望するなら、裁判官は判決を出せるので『キリキリBは全額払え』という判決文を書けるけど、実際それでBさんは全額払えないよ?無意味でしょ」

と。


 あまつさえ、こんなことまで言い出します。

「だいたい、こうやって裁判をするでしょ?Bさん今日法廷に来てるけど、こういう場合相手方ってのは大半ここに来たりしないからね。欠席するのが普通。まあ、Bさん今日は、あなたと話し合う意志があってここに来てるんだから、その辺を考慮してやってよ」

と。


 このあたりまでくると、だんだんAさんは「義理も人情もない酷いやつ」みたいなイメージにされてきます。裁判官は、暗にお前は、譲歩しない鬼のような取立人である、と言い出すのです。



  民事裁判を何度もやっていると、裁判官はみんなおんなじことを言うので、基本的には


「貸したり、売掛債権を持っているほうが悪代官で、借りたりお金を払わないほうは哀れな長屋の住民」


みたいな構図にどんどんされます。


 裁判官や司法委員という裁判官の手先までおんなじことを言うので、思わず、


「もしや自分は悪代官なのではないか」


と思わず洗脳されて、錯覚するほどでです。


==========

 さて、ここでそのことを怒っても仕方ありません。これは


「そうするのが、裁判官の正義だからそうする」

のである、ということを理解しないといけないのです。


 判決を出す、というのは強権発動です。裁判官としては「うまく丸くおさめたほうが、手腕がある」とされるのもわかるでしょ?「判決文を出す数よりも、和解に持ち込んだ数が多いほうが正義」なのです。



 パチンコでスッてしまおうが、飲んだくれだろうが、「返す意思がある者」は「返す意思がない者」より善良なる市民であるため、裁判官はそこを評価します。


 そもそも、裁判に出てこないやつは、裁判官の言うことすら聞かないので悪なのですが。



 ですから、営業刑事もそうだし、あるいは弁護士もそうですが、「ある特定の人間の正義」とは一見逆であっても、自分たちに不利益にならないように弁を立てるようになるのです。




 営業刑事は正義を振りかざしたりしません!




 それよりもむしろ、善良で哀れな卸し店店主が、いかにひもじい思いをしていて、そのお金がないと一家離散の憂き目にあうので、どうしても弁済してもらいたい旨を、


 イメージで演じる


わけです。ここは事実認定は別の話なので、あくまでそういう雰囲気で(^^



 簡単に言えば、どっちがよりかわいそうで可愛くみえて、裁判官がキュンとするかが勝負なわけですから(笑)

 なんてね。







2015年6月12日金曜日

【営業刑事】  「営業刑事は逃がさない」 ~帰ってきた”営業刑事”~

 前ブログではさりげなくファンが多かった「営業刑事」シリーズネタですが、ここのところ裁判関係はあんまりやってなかったので、出番がありませんでした。



 ところが、今回”営業刑事復活!”の事案が発生、ワタクシ吉家は活動開始であります。

 事案は、売り掛け債務が200万近くある某おっさん。現在は業界を去っているので、顧客でもなんでもありません。だから、おっさんでOK。

 
 彼は、弁護士に債務整理を依頼して、受任通知だけ送らせたあと、すべてをほったらかしにしているという確信犯です。


 営業刑事としては、弁護士に「はやく辞任しろゴルァ」とか、「そもそもなんで受任してほったらかしてるねん」と突っ込みを入れまくっているのですが、弁護士もわかっててやってるので、


「依頼者がうつ病で文書が上がってこない」

とか

「弁護士としても困っている」

とか、のらりくらりとかわされる始末。




==========


 まあ、そんなホシに対して、こちらも様子を伺いながらマークしていたのですが、本日久しぶりに部下が偵察にいくと、なんと勝手に転居している始末。


「ヤマさん!星が逃げたみたいです!」

「よし、追跡開始だ!」


とパトカーならぬ営業車を走らせるのでありました!



==========

 一般論ですが逃げたターゲットをどうやっておいかけるのか。簡単です。住民票を取りにいきます。

 このあたりの方法については、


拙著「営業刑事は眠らない」 無料なので読んでね!

https://itunes.apple.com/jp/app/ying-ye-xing-shiha-mianranai/id570139408?mt=8



にて書いているので、当ブログのファンの方はすでにご存知と思いますが、


 市役所に行って「住民票の除票」をもらう


だけで次に引っ越した先が書いてあります。(夜逃げで住民票を移していない場合は載りません)


 まあ、たいていは行政サービスを受けるために住民票をいつかは移しますので、まずこれをやっておくに限ります。


 せっかくのブログなので、どんな感じで住民票を取るのかという「住民票交付申請書」を大公開!


 こんな感じで取りにいきます。(個々の事例、状況によりますので、参考程度)




================================

                               平成○○年○月○日

                  住民票交付申請書

○○市長 様

                        住所 

                        ほにゃらら株式会社
                         代表者 代表取締役 ほにゃらら
                         本件担当者  吉家孝太郎

 下記の通り、住民票(転居の場合は除票)の交付を申請いたします。

                      記

1.交付を願う住民の住所・氏名

  ○○市なんちゃらかんちゃらの1
  たらりら借之助

2.交付申請の理由

  債権請求に必要なため。

 (当社は、たらりら氏と△△関連資材の売買契約を結んでいる商社であり、
売り掛け金をめぐって○○簡易裁判所平成■■年(ロ)第28号事件におい
て支払督促の経緯があります。当該事件においては、一部支払いがあった
ものの、残金が残っており、かつ連絡がとれなくなっているため、現在の住所
等を明らかにして債権請求の手続きを取る予定です)

3.交付に当たっての誓約

 交付された住民票の写しは、当申請書記載の目的以外には使用しないこと
を誓約いたします。

4.添付書類

 ○○簡易裁判所における支払督促の写し      1通

                                       以上


=================================


 文面はわかりやすく簡潔明解であれば、自分のことばで書いてOKです。

 裁判等していない場合は、取引履歴の一覧(帳簿写し)や、当月の請求書の写しなど「金銭上の関係が存在することを示す証拠」になるものをつけておけばだいたいどこの市役所でも文句は言いません。




 まあそれはさておき、今回は「付近の住民への聞き込み」により、重要な情報をゲットしましたので、さっそく



 追跡に行ってきまーす!



=========

 ちなみに、大事なことですが、聞き込みに行くと、100人中90人までの第一村人は、その家の様子をベラベラ喋ってくれます。


 いいですか?近所の住民というのはスキャンダルが大好きなのです。その家と仲がいいとか悪いとか関係なく、そこに不幸という蜜がありそうな予感がすれば、


 ベラベラベラベラなんでも、あることないこと喋ってくれる


のです。(実話)


 そのためには強面で行ってはいけません。


「誰それさんに会いたいんだけど、捕まらないんですよ~。」


悲しげな顔をして、


「お金返してくれないんですよね~」


と言った瞬間、村人の顔は、


「まあっ!そうなの~?!」


とワイドショーを見るおばはんの顔に変わるのです。


 以上、テストに出るのでよく覚えておくように。


                           

2015年6月5日金曜日

東京の老人よ、田舎へ行け!という提言について 現代の吉田松陰は考える


 いやあ、それにしてもえらいはっきりと露骨に言うなあ、と思った表題の件です。


 昨日あたりからニュースになっていますが、



 <東京圏高齢者>移住促進を 25年、介護人材90万人不足
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150604-00000079-mai-pol



 「日本創成会議・首都圏問題検討分科会」なる、好き勝手言う団体が

東京に老人が増えすぎて、社会保障的に面倒みれないから、地方へ移住してもらったらいいんじゃない?

説を掲げて騒ぎになっています。



 いくらなんでも、国民の大多数がアホかもしれませんが、そのアホでも何を言ってるかくらいは理解できます。


 ようは、「若い間都市に税金を落としてもらって、労働力も発揮してもらい、でも、老人になったら老人に金払えないからどこか他所へいけ」ということです。


 まあ、露骨過ぎてえげつない。





 ・・・・もっとも、アホにだって最低限の理解力はあるわい!と私たち庶民もネットのコメントでは、ほとんどが


賛成も反対もないわい!なんちゅーこと言い出すねん


という反応が大半で、至ってまともなのですが、しかし、見方を変えれば



「東京のお金持ちにとって、この心地よかった都市がスラム化してゆくのは、耐えられない」


という危機感の表れなのかもしれません。



 この会議のすごいところは、ちょっと前に「消滅可能市町村」を発表してますので、もっと恐ろしいことに



「ここは人がいなくなって、つぶれるよ。東京の老人が余っているから、移住させちゃったりしてみない?」


という提言をしているということになるわけで、学者か識者か産業界の人か知りませんが、言ってることは



「文化大革命」



とまったく同じなわけです。ああ、おそろしい。




==========

 
 まあ、そんなわけで、創生会議の言ってることには、「よくもまあ、そんな恥ずかしいこといえるな」と思うヨシイエですが、


 現代の吉田松陰の思想、実国学


的な観点から言えば、ちょっと面白いことになったりします。


 その前に、少しだけ、これまでの日本の歴史の流れを実国学の観点からおさらいしますね。



 まず、幕末から太平洋戦争にかけて、日本はそれまでの「土地依存社会」でしたので、人口増加に伴ってだんだんと土地が足りなくなってきました。


 これは実国学が着目する「墾田永年私財法」以来の、「開墾した土地は俺のもの」=すなわち本領という土地に主権がくっついていた時代の名残なわけです。


 そこで、どこの農村でも長男は土地屋敷田畑を相続できるけれど、次男や三男はもらえる土地がない、仕方ないから「北海道」を開拓したり、「満蒙開拓団」として満州へ行ったり、南米やハワイに移住していったわけです。


 なぜ、日本人が外へ出て行かねばならなかったか。その根底には、律令制度依頼の「土地依存・土地主権・土地中心社会」があり、おのおのが「本領」をもとめて物理的に土地をゲットしなくてはいけないという不文律があったわけです。



 ところが、その作戦は失敗に終わります。戦争に負けたからです。土地依存社会では、そこからどれだけ農作物や鉱物が取れようが、戦費調達に追いつきません。

 近代以降の戦争を遂行するには、高度に経済化されたシステムが必要ですから、要は簡単にいえば現金が山ほどいるわけです。


 それはちょっとやそっと土地が増えたくらいでは調達できないものなので、これまた簡単に言えば、日本軍は現金がなかったので負けたわけです。


(そもそも、年金制度ができたのも戦争のせいですよね。目先の現金が欲しかったので年金制度を作ったわけです)


==========

 さて、そんなこんなで戦争には負けたものの、ちょっとだけ日本にとってラッキーだったのは、給料が安くいろんなものを作れる民族として「世界の工場」役を引き受けることができた時代がありました。

 それが、戦後の高度成長期です。


 この間まで、日本人は「自分たちが一生懸命頑張ったから、日本は高度成長したんだ」と信じていましたが、そうじゃなかったことがわかってきました。


 中国さんを見ていればわかる通り、「給料が安い未開の国は、時流に乗って世界の工場役を引き受けると、ズバババーンと勝手に伸びる」ことがバレてしまいましたね!努力とかじゃないんです。ある種の運っぽい面も。


 ていうか、そう仕向けたのはアメリカなんですが(笑)


 なので、今から先は、給料の安い東南アジアとか、そういう未開の国々の出番が自然に順番待ちなのですね。


 それはともかく、世界の工場になるべくして、日本はこれまでの「土地依存・土地主権社会」から、「工業製造社会&商業バンバン取引社会」へと変化していったわけです。


 こうなると、次男や三男は土地が必要なのではなく、労働力として資本家に必要とされますから、「金のたまごっち」として都市へどんどん出てゆくことになりました。


 じゃあ、都市って何?


という根本的な問題にも答えちゃいます。都市とはつまり、作ったものを流通させやすい港湾部そのものです。都市は、港湾部以外の何ものでもないのです。


 特に、高度成長期の日本は、海外との取引が増えましたから、港湾を持つ町がそのまま都市化してゆきました。


 ちょっと考えれば誰にでもわかりますが、都市とはすなわち、港のあるところに他ならないのです。



 そういうわけで、人口が増え、余っていた次男三男は、都市労働者として内陸から海辺へと出てきて、現在の都市を形成しました。


(内陸と海辺ということばをつかうと、中国の都市・農村格差とまったくおなじ構造だと気付きやすいでしょ?)



==========

 そして、その状態で人口的にピークを迎えたわけですから、実国学の視点をもってすれば、これからどうなるか&どうすればいいかはけっこう簡単なわけです。


 ここで、当初の話が出てきます。老人を田舎へ戻すことの是非についてです。


 実国学的には、彼らは本領を捨て都市に出てきた、家督継承権のない者たちです。


 戦前までのことを思えば、そもそも土地が足りなかったので行き場がなかった弟たちなわけです。


 ところが、経済的に成熟してしまった日本は、これから少子化が進みます。つまり、親の世代と子の世代の所有できる土地数が同じ、もしくは減少するということなのです。


 これは面白い現象で、いわゆる実国学的に見るところの「家督相続される本家の土地屋敷田畑」は、世代間で同等に相続されるか、もしくは、失われてゆくということになるのです。


 
 つまり、現在すでに都市に出ている人たちを計算に入れないとすれば、地方はこれから世代間=イコールもしくは、新世代が減少傾向で進行するということになります。



 さあ、ここから先をどう見ればいいでしょう(ニヤリ)


 まず、田舎の話をします。


 もし、氏族の本領がどんどん失われていくのであれば、個々の個人が持っていた所領を氏族集団に戻したほうがいいということになりませんか?


 佐藤さんという一族がいて、孫世代になって継承者がほとんど存在しないのであれば、佐藤一族という集団で国庫に吸い上げられる財産を守りたい、というインセンティブが働くかもしれません。


 そうすると、擬似的な家父長制のような氏族スタイルが戻ってくるかもしれないのです。



 今度は都会の話をします。


 都市にこれまでのような仕事がなくなってきたとして、都市が単なる貧困層のスラム化に近づくのだとすれば、地方の中間層から富裕層は都市を目指さなくなり、かつての本領を守ろうとする方向へ切り替わるかもしれません。


 つまり、経済世界の魅力が半減すれば、土地主権・土地主義に戻らざるをえないからです。


 そうすると、地方の中間層~富裕層の中には、都市は教育を受けに行く場で、仕事は本領で行う、という動きが出てくるはずです。

 長男は大学へ通うのに都会へ出るが、田舎へ戻ってくるという現実が起きるのです。



 これを実国学では


「本領復帰運動&本領発揮運動」



と呼びたいところです!!!



(それぞれの氏族の本領へ戻り、その本領で力を発揮するムーブメント)



=========

 この本領復帰運動&本領発揮運動の面から考えると、


老人よ田舎へ帰れ!


というのは少々酷だとしても、これからの若者にとっては


いまこそ、故郷で貢献しろ!


というのは、面白い話だと思いませんか?結果的に、都市の人間を田舎へ返すという、大きな視点では似た発想になるわけです。



 ぶっちゃけ、老人を田舎へ帰すのは、きびしい。なぜなら彼らは、本領を持たないあぶれ者だからです。


 しかしもし、田舎で本領を持つ若者が、年老いた両親だけを残して都会に出てきているのであれば、


いまこそ本領復帰だ!そして、あなたの力を本領で発揮してほしい!


と思うのは、ヨシイエだけではないと思いますが、いかがでしょうか?