2015年6月13日土曜日

【営業刑事】  「営業刑事はドラゲない」 ~人にはそれぞれ正義がある~

 ちょっとした長い沈黙を経て帰って参りました「営業刑事」シリーズ!

 営業刑事とは、ワタクシ吉家孝太郎が実体験を元に書き下ろした短編小説ですが、


「フツーの営業マンが、売り掛け金を払わない顧客と裁判しまくった話」


を下敷きにしております。小説の「営業刑事は眠らない」では裁判の話は出てきませんが、いっちばん面白いのは、裁判が始まってからなのですよ、奥さん!

 
 まあ、営業刑事という体験をしてから、顧客の生き様のすべてと対面することになるわけですが、ワタクシ吉家も


「人生観そのものが大きく変わった」


と言っても過言ではありません。


 お金を稼ぐとはなにか、お金を払うとはなにか、お金をつかうとは、お金とは・・・・。


 ああ、もうひっくるめて「正義ってなんだ!」という話にまで通じるわけで。



 というわけで、今回は正義にひっかけて


「営業刑事はドラゲナイ」


でお送りします。


 ちなみにドラゲナイを知らない人のために・・・。セカイノオワリというアーチストが歌っている「ドラゴンナイト」という歌です。発音がドラゲナイに聞こえるらしい(^^


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「借りたものは返すのが当たり前」


と、おそらく100人中100人がそう思っていることと思いますが、実際にはそうではないことはたくさんあります。


 それが当たり前かもしれないけれど、「返せないものは返せない」ということも往々にしてあるわけで、難しいものです。


 しかし、日本における経済活動の中で、少なくとも「商品を買った代金を支払うのは、当然のことであり、それに反するのは悪である」ということくらいは、誰もが当たり前にそう思っていることでしょう。


 ところが奥さん!そうじゃないんです。


 代金を支払うのは正義でしょうが、代金を支払わないのは悪ではないのです。


 そういうことを、営業刑事を長年やっていると否が応にも知ってしまうわけで。ていうか体験、体感してしまうのです。


 それも奥さん!あろうことか、そこらへんのおっさんに


「金なんかほっとけ、はらわんでもええんじゃ」


とか言われるくらいならまだしも、


天下国家の裁判官に、


「金は払わんでも可」


なんていわれると、これはもうギャフン!!!というしかありません。


 ここではたと考えさせられるわけです。正義ってなんだ?と。




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 ここに、ある商品を販売したお店A(卸し店)と、ある商品を買ったお店B(小売店)があるとします。


 小売店Bの商売がうまくいかず、仕入れた商品の代金を払わなくなったので、たまらず卸店Aのほうは裁判に訴えたとしましょう。

 普通に考えたら、Aのほうが正義の側で、Bのほうは悪の側だと思います。


 もっとわかりやすく、Aのほうは一生懸命仕事に励んでいる小さな卸し店をやっているおじさんだとして、Bのほうは飲んだくれでパチンコばかり行っているやる気のない店主だとしましょう。


 これまた普通に考えたら、卸店のおじさんは善で、店主のおっさんは悪だと思うことでしょう。


 ところが、裁判がはじまると、はじめは和解に持ち込もうとしますので、裁判官やその関係者はおかしなことを言い出すのです。


「まず、分割で払うってのはどうですか?」

と。

「あのさあ、Bさんは実際お金がないわけだから、お金がないところからいくら貰おうとしても無理でしょう。Aさんはちょっと譲歩して、分割払いを承知してあげたら?」

と裁判官は言い出すのです。


 正義感の強いあなたは

「いや、裁判官たるもの、Bに対して"キリキリ全額払わんかい!"というべきだろ?」

と思うのが普通ですが、実際はそんなことは裁判官は言いません。


 続けて、こんなことを言います。

「いや、Aさんがそれを希望するなら、裁判官は判決を出せるので『キリキリBは全額払え』という判決文を書けるけど、実際それでBさんは全額払えないよ?無意味でしょ」

と。


 あまつさえ、こんなことまで言い出します。

「だいたい、こうやって裁判をするでしょ?Bさん今日法廷に来てるけど、こういう場合相手方ってのは大半ここに来たりしないからね。欠席するのが普通。まあ、Bさん今日は、あなたと話し合う意志があってここに来てるんだから、その辺を考慮してやってよ」

と。


 このあたりまでくると、だんだんAさんは「義理も人情もない酷いやつ」みたいなイメージにされてきます。裁判官は、暗にお前は、譲歩しない鬼のような取立人である、と言い出すのです。



  民事裁判を何度もやっていると、裁判官はみんなおんなじことを言うので、基本的には


「貸したり、売掛債権を持っているほうが悪代官で、借りたりお金を払わないほうは哀れな長屋の住民」


みたいな構図にどんどんされます。


 裁判官や司法委員という裁判官の手先までおんなじことを言うので、思わず、


「もしや自分は悪代官なのではないか」


と思わず洗脳されて、錯覚するほどでです。


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 さて、ここでそのことを怒っても仕方ありません。これは


「そうするのが、裁判官の正義だからそうする」

のである、ということを理解しないといけないのです。


 判決を出す、というのは強権発動です。裁判官としては「うまく丸くおさめたほうが、手腕がある」とされるのもわかるでしょ?「判決文を出す数よりも、和解に持ち込んだ数が多いほうが正義」なのです。



 パチンコでスッてしまおうが、飲んだくれだろうが、「返す意思がある者」は「返す意思がない者」より善良なる市民であるため、裁判官はそこを評価します。


 そもそも、裁判に出てこないやつは、裁判官の言うことすら聞かないので悪なのですが。



 ですから、営業刑事もそうだし、あるいは弁護士もそうですが、「ある特定の人間の正義」とは一見逆であっても、自分たちに不利益にならないように弁を立てるようになるのです。




 営業刑事は正義を振りかざしたりしません!




 それよりもむしろ、善良で哀れな卸し店店主が、いかにひもじい思いをしていて、そのお金がないと一家離散の憂き目にあうので、どうしても弁済してもらいたい旨を、


 イメージで演じる


わけです。ここは事実認定は別の話なので、あくまでそういう雰囲気で(^^



 簡単に言えば、どっちがよりかわいそうで可愛くみえて、裁判官がキュンとするかが勝負なわけですから(笑)

 なんてね。







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