2015年6月5日金曜日

東京の老人よ、田舎へ行け!という提言について 現代の吉田松陰は考える


 いやあ、それにしてもえらいはっきりと露骨に言うなあ、と思った表題の件です。


 昨日あたりからニュースになっていますが、



 <東京圏高齢者>移住促進を 25年、介護人材90万人不足
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150604-00000079-mai-pol



 「日本創成会議・首都圏問題検討分科会」なる、好き勝手言う団体が

東京に老人が増えすぎて、社会保障的に面倒みれないから、地方へ移住してもらったらいいんじゃない?

説を掲げて騒ぎになっています。



 いくらなんでも、国民の大多数がアホかもしれませんが、そのアホでも何を言ってるかくらいは理解できます。


 ようは、「若い間都市に税金を落としてもらって、労働力も発揮してもらい、でも、老人になったら老人に金払えないからどこか他所へいけ」ということです。


 まあ、露骨過ぎてえげつない。





 ・・・・もっとも、アホにだって最低限の理解力はあるわい!と私たち庶民もネットのコメントでは、ほとんどが


賛成も反対もないわい!なんちゅーこと言い出すねん


という反応が大半で、至ってまともなのですが、しかし、見方を変えれば



「東京のお金持ちにとって、この心地よかった都市がスラム化してゆくのは、耐えられない」


という危機感の表れなのかもしれません。



 この会議のすごいところは、ちょっと前に「消滅可能市町村」を発表してますので、もっと恐ろしいことに



「ここは人がいなくなって、つぶれるよ。東京の老人が余っているから、移住させちゃったりしてみない?」


という提言をしているということになるわけで、学者か識者か産業界の人か知りませんが、言ってることは



「文化大革命」



とまったく同じなわけです。ああ、おそろしい。




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 まあ、そんなわけで、創生会議の言ってることには、「よくもまあ、そんな恥ずかしいこといえるな」と思うヨシイエですが、


 現代の吉田松陰の思想、実国学


的な観点から言えば、ちょっと面白いことになったりします。


 その前に、少しだけ、これまでの日本の歴史の流れを実国学の観点からおさらいしますね。



 まず、幕末から太平洋戦争にかけて、日本はそれまでの「土地依存社会」でしたので、人口増加に伴ってだんだんと土地が足りなくなってきました。


 これは実国学が着目する「墾田永年私財法」以来の、「開墾した土地は俺のもの」=すなわち本領という土地に主権がくっついていた時代の名残なわけです。


 そこで、どこの農村でも長男は土地屋敷田畑を相続できるけれど、次男や三男はもらえる土地がない、仕方ないから「北海道」を開拓したり、「満蒙開拓団」として満州へ行ったり、南米やハワイに移住していったわけです。


 なぜ、日本人が外へ出て行かねばならなかったか。その根底には、律令制度依頼の「土地依存・土地主権・土地中心社会」があり、おのおのが「本領」をもとめて物理的に土地をゲットしなくてはいけないという不文律があったわけです。



 ところが、その作戦は失敗に終わります。戦争に負けたからです。土地依存社会では、そこからどれだけ農作物や鉱物が取れようが、戦費調達に追いつきません。

 近代以降の戦争を遂行するには、高度に経済化されたシステムが必要ですから、要は簡単にいえば現金が山ほどいるわけです。


 それはちょっとやそっと土地が増えたくらいでは調達できないものなので、これまた簡単に言えば、日本軍は現金がなかったので負けたわけです。


(そもそも、年金制度ができたのも戦争のせいですよね。目先の現金が欲しかったので年金制度を作ったわけです)


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 さて、そんなこんなで戦争には負けたものの、ちょっとだけ日本にとってラッキーだったのは、給料が安くいろんなものを作れる民族として「世界の工場」役を引き受けることができた時代がありました。

 それが、戦後の高度成長期です。


 この間まで、日本人は「自分たちが一生懸命頑張ったから、日本は高度成長したんだ」と信じていましたが、そうじゃなかったことがわかってきました。


 中国さんを見ていればわかる通り、「給料が安い未開の国は、時流に乗って世界の工場役を引き受けると、ズバババーンと勝手に伸びる」ことがバレてしまいましたね!努力とかじゃないんです。ある種の運っぽい面も。


 ていうか、そう仕向けたのはアメリカなんですが(笑)


 なので、今から先は、給料の安い東南アジアとか、そういう未開の国々の出番が自然に順番待ちなのですね。


 それはともかく、世界の工場になるべくして、日本はこれまでの「土地依存・土地主権社会」から、「工業製造社会&商業バンバン取引社会」へと変化していったわけです。


 こうなると、次男や三男は土地が必要なのではなく、労働力として資本家に必要とされますから、「金のたまごっち」として都市へどんどん出てゆくことになりました。


 じゃあ、都市って何?


という根本的な問題にも答えちゃいます。都市とはつまり、作ったものを流通させやすい港湾部そのものです。都市は、港湾部以外の何ものでもないのです。


 特に、高度成長期の日本は、海外との取引が増えましたから、港湾を持つ町がそのまま都市化してゆきました。


 ちょっと考えれば誰にでもわかりますが、都市とはすなわち、港のあるところに他ならないのです。



 そういうわけで、人口が増え、余っていた次男三男は、都市労働者として内陸から海辺へと出てきて、現在の都市を形成しました。


(内陸と海辺ということばをつかうと、中国の都市・農村格差とまったくおなじ構造だと気付きやすいでしょ?)



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 そして、その状態で人口的にピークを迎えたわけですから、実国学の視点をもってすれば、これからどうなるか&どうすればいいかはけっこう簡単なわけです。


 ここで、当初の話が出てきます。老人を田舎へ戻すことの是非についてです。


 実国学的には、彼らは本領を捨て都市に出てきた、家督継承権のない者たちです。


 戦前までのことを思えば、そもそも土地が足りなかったので行き場がなかった弟たちなわけです。


 ところが、経済的に成熟してしまった日本は、これから少子化が進みます。つまり、親の世代と子の世代の所有できる土地数が同じ、もしくは減少するということなのです。


 これは面白い現象で、いわゆる実国学的に見るところの「家督相続される本家の土地屋敷田畑」は、世代間で同等に相続されるか、もしくは、失われてゆくということになるのです。


 
 つまり、現在すでに都市に出ている人たちを計算に入れないとすれば、地方はこれから世代間=イコールもしくは、新世代が減少傾向で進行するということになります。



 さあ、ここから先をどう見ればいいでしょう(ニヤリ)


 まず、田舎の話をします。


 もし、氏族の本領がどんどん失われていくのであれば、個々の個人が持っていた所領を氏族集団に戻したほうがいいということになりませんか?


 佐藤さんという一族がいて、孫世代になって継承者がほとんど存在しないのであれば、佐藤一族という集団で国庫に吸い上げられる財産を守りたい、というインセンティブが働くかもしれません。


 そうすると、擬似的な家父長制のような氏族スタイルが戻ってくるかもしれないのです。



 今度は都会の話をします。


 都市にこれまでのような仕事がなくなってきたとして、都市が単なる貧困層のスラム化に近づくのだとすれば、地方の中間層から富裕層は都市を目指さなくなり、かつての本領を守ろうとする方向へ切り替わるかもしれません。


 つまり、経済世界の魅力が半減すれば、土地主権・土地主義に戻らざるをえないからです。


 そうすると、地方の中間層~富裕層の中には、都市は教育を受けに行く場で、仕事は本領で行う、という動きが出てくるはずです。

 長男は大学へ通うのに都会へ出るが、田舎へ戻ってくるという現実が起きるのです。



 これを実国学では


「本領復帰運動&本領発揮運動」



と呼びたいところです!!!



(それぞれの氏族の本領へ戻り、その本領で力を発揮するムーブメント)



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 この本領復帰運動&本領発揮運動の面から考えると、


老人よ田舎へ帰れ!


というのは少々酷だとしても、これからの若者にとっては


いまこそ、故郷で貢献しろ!


というのは、面白い話だと思いませんか?結果的に、都市の人間を田舎へ返すという、大きな視点では似た発想になるわけです。



 ぶっちゃけ、老人を田舎へ帰すのは、きびしい。なぜなら彼らは、本領を持たないあぶれ者だからです。


 しかしもし、田舎で本領を持つ若者が、年老いた両親だけを残して都会に出てきているのであれば、


いまこそ本領復帰だ!そして、あなたの力を本領で発揮してほしい!


と思うのは、ヨシイエだけではないと思いますが、いかがでしょうか?






 















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