2015年5月28日木曜日

「賢い」ことに価値のない時代 ~博士も大臣も世も末だ~

 ”賢い”ということが、たいして価値を持たなくなって、どれくらい経つのでしょう。

  まあ、残念ながらこうした議論があまりまともにされておらず、まだまだ日本人は


「しっかり学校で勉強をして、いい成績をとっていい学校へ行く」


ということを美徳とする風潮をやめていませんが、実はこれらの価値観が早々に破綻していることに気づいている人は、多くはありません。


 たとえば、今日のニュースにこんなのが出ていました。



 「逮捕ドローン少年 偏差値70、母親思いの15歳がなぜ?」
  http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150527-00010003-jisin-soci

 元ネタは女性自身さんだそうですが、このタイトルがたいへんに興味深い


 偏差値70だったら、ドローン飛ばして警察をからかってもいいのか?悪いのか?

 偏差値70だったら、優れているのか?優れていないのか?



 まあ、いろんな突っ込みどころがあることは、疑いようがなく。つまりは

「偏差値70という賢さは善であり、正義であるのに、なぜ彼が悪の道を走っているのか」という矛盾を考えよう、ということなのでありましょう(笑)


 しかし、残念ながら、現代において「賢さは正義・賢さは善」では、もうないのです。


 タイトルからして、時勢を読み誤っているということです。

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 賢い、勉強ができるということに価値をおいた思想発想で物事を考えるのは、これまではうまくいきました。しかし、これからの時代は、180度視点を変える必要がありそうです。


 そもそも、昔は賢い子供の未来を夢見て、「末は博士か大臣か」と言われたものですが、今は、

 博士では食えないし、大臣だと、たいていしょーもないことをして辞任

というのが定説になっています(笑)


 弁護士だろうが、高学歴女子だろうが、ポストドクターだろうがリケジョでもなんでもいいのですが、


 「頭が良くて、出世したり、報酬をたくさんもらったり」


することが、かならずしもイコールではないのが、これからの日本なのです。


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 それはなぜか?

 とてもカンタンな理屈で、これからの日本社会が優秀さを求めなくなることを説明できます。


  たとえば、日本人のうち10%が優秀な人たちだとしましょう。未来の日本をひっぱってゆくような、賢い頭脳の持ち主だとしてよいでしょう。そして、残りの90%が、優秀ではない人たちだとします。時には過ちを犯したり、時には迷ったり、時には間違った選択をしてしまう普通の人たちです。


 そうすると、日本の行く末を決定してゆく中で、どういうことが起こるか。

 多数決をとれば、優秀ではない90%の意見が通るようになる、ということに他なりません。


  これが、戦後民主主義の真骨頂というやつです。

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 では、どうしてこれまでの日本は、90%の普通の人たちの力が発動されず、優秀な人たちが優秀とされる位置にたたずむことができたのでしょうか?


 それは、よく言われる簡単な理由として、「優秀とされる人たちのパーセンテージ比率が昔は低かった」ことがまず挙げられます。

 高卒資格を90%以上の人が持つようになり、大卒資格も半数以上の人が持っています。大卒者の真に何パーセントが優秀なのかは別にして、少なくとも、博士も弁護士も濫造されていることは事実です。


 つまり、昔は「真に優秀な人たちの数と、制度上の優秀な人たちの数が合致していたが、現在は、真に優秀な人たちの価値が相対的に下がっている」と言えるのが第一の理由でしょう。


 第二の理由として、重要なのは、「民主主義がいきわたり、誰もが偉くなった」ことが挙げられます。


 ”センセイはえらい” ”大臣はえらい” ”社長はえらい” ”上司はえらい”

という封建的観念が失われ、なんならただの一介の一般ピープルでも、


「何かおかしなことを見つけたら、ツイッターに挙げてやるぞ」

「掲示板でよってたかって私刑にしちゃうぞ」

ということがまかり通る現在、えらいのは「私・あたし・僕」になっているのです。


 賢いことは、民主主義には必要ありません。衆愚政治と呼ばれようが、えらいのはわたしたちの時代なのです。


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  そのあたりの矛盾を、さすが昔の共産主義者はよく考えていたもんだと関心します(笑)


 「共産主義というのは、人民はみな平等なのだけれども、人民の大半はアホで、優秀な人材は確率的に少数しか生まれないので、共産主義をちゃんと遂行するには、アホに任せず賢い一部の人間がきちんと守っていかなくてはいけないのだっ、だっだっだだ」


 ということが最初から組み込まれているのですもの!!すごいよね。

(なので、共産党一党独裁が、どこでも許されているのです)


 
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 では、賢さ、優秀さに重きをおかない時代において、本当に求められているのはなんなのでしょうか?


 学校の勉強が役に立たない?学歴不要?出世に意味はない?
 


 果たしてそうなのでしょうか?


 ここには、まだまだいろんなスリルとサスペンスが潜んでいますが、それはまた別の機会にお話しましょう。


 

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