2015年5月11日月曜日

<実国学を考える 9> ”まだ東京で消耗してるの?”なイケダハヤト氏をきっかけに

 実国学者、現代の吉田松陰こと吉家孝太郎(40)ですこんにちは。


 このシリーズ「実国学で考える」は、基本的には「地方」と「土地」に目をむけて物事を捉えています。

 なので、東京一極集中で、おまけにタワーマンションが乱立していて空中で生活している人たちがたくさんいる現状にクラクラしている毎日なのですが、


 本当に、地震と津波と富士山噴火がやってきたら、どうするんだろうこの人たちは


と心から心配している昨今です。


 まあ、そんな感じで「都市」を中心にした現代ジャパンのあり方に疑問を持っていることは、前々から語っているのですが、そんな東京に背を向けて


「まだ東京で消耗してるの?」
http://www.ikedahayato.com/



なんてケンカ腰で議論を生んでいるイケダハヤト氏の理屈も、わからんではないなと思う今日この頃。


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 イケダ氏を個人的に好きかどうかは別にして、東京対地方という観点を実国学的にまとめたり考察してみようと思えば、以下のようなことが浮かび上がってきます。



① 消耗という言い方の妙。私たちは、実際にはこのセカイで消費させられている。



② 東京時代はいつ終焉するのか。東京が大都市になった理由とこれから。



③ では地方には、何があるのか。ユートピアなのか、消滅なのか。



④ 真の地方活性化と実国学の実現に何が必要か。今の地方に決定的に欠けているアレ。



 まあ、このへんをゆったりと書いてみたいと思います。



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① 消耗という言い方の妙。私たちは、実際にはこのセカイで消費させられている。


 私たちの生活は、本当は「消費させられている」毎日なのだと気付いている人はどれくらいいるのでしょうか。


 金額の高い住宅を買わせられ、一生期間のローンを背負わされ、共働きで一見稼ぎは増えても、こどもの面倒をお金で見てもらうようになり、高い教育費をかけても高学歴ニートが増えるだけというこの現実に、よくもまあ誰も文句を言わないなあ、と思います。


 そう、私たちは消費させられているだけなんです。それは企業や政府によってではなく、「社会そのもの」に惑わされているだけ。


 私は大都市での生活も、地方での生活もどちらも経験があります。100万人くらいの人口の町も、数十万の町も、5000人くらいや1万人くらいの町も、まんべんなく住んできましたが、言えるのはたった一つ


「都市における経済生活とは、買わされることだ」

そして

「地方における経済生活とは、与え合うことだ」


の大きな違いです。




② 東京時代はいつ終焉するのか。東京が大都市になった理由とこれから。



 東京でも大阪でも、都市が都市足りえる理由は、そもそも次男三男の「金のたまご」たちが相続できる土地がなく、仕事をもとめて都市へ出てきたことにはじまります。


 ここに、土地を持たない生活者の巨大市場が生まれ、彼らが消費のまち東京を肥大化させてゆきました。

 ところが、それがそうなったのは、賃金の安かった日本人が経済成長を果たした曲線と合致していたからで、経済成長が今や別のアジアに移動したことは周知の事実です。


 そう、もう東京が都市でなくてはいけない、本質的な理由は実はもうあまり残っていないわけです。

 しかし、東京に人がいる限り、そこで消費されるモノやコトの手当てはしなくてはなりません。なので、サービス業ばかりがどんどん増え、比較的低賃金で使われる人たちが、見かけ上の高賃金で第三次産業に勤しむ、といういびつな構図が出来上がってしまいました。


 この町から消費を取りのぞけば、もしかすると東京は破綻してしまうのかもしれません。


 それはまるで、長屋の住民の大半が大工であった江戸の町が、大火事ごとに再生したかのような怪しさをかもし出しています。




③ では地方には、何があるのか。ユートピアなのか、消滅なのか。


 地方とは何か、を象徴的に示したのが、イオンモールという存在でした。あるいは、マクドナルドでも、ユニクロでもいいでしょう。


 別に都市でなくても、それらしく都市っぽいものはどこの地方にもあり、アマゾンと楽天があれば、消費に関して都市と地方の大きな差はなくなってしまった現代。


 それをユートピアと見る人たちは、いわゆるマイルドヤンキーとしてそこそこな幸せを謳歌しています。


 一方年老いた両親だけを残して、朽ちてゆく限界集落や、統廃合や廃校になる学校が象徴するように、地方の村はどんどん縮小しつつあります。


 地方はユートピアなのか、それとも消滅へ向かうのか。それは鉄道をみればわかります。


 かつて日本中に網の目のように張り巡らされて便利になっていったはずの鉄道が、どんどん塵に戻っていっている日本ですから、地方は縮小しています。確実に。


 時代とともに便利になったのは都市だけで、地方は悪徳国会議員の力でなんとか持ちこたえていただけでした。しかし、彼らが悪徳呼ばわりされた今、地方が便利になることはないでしょう。



 しかし、地方には確実に土地がある。あまるほど、捨てるほどの土地があることは実は隠れた資産であることに、まだ誰も気付いていません。


 高度成長は、地方の土地を捨てさせました。しかし、次男三男どころか、人口減少のこれからは、誰もが土地を持てるチャンスがあるわけです。そこに気付くかどうかが実国学的なポイントです。



④ 真の地方活性化と実国学の実現に何が必要か。今の地方に決定的に欠けているアレ。


 今の地方に欠けているものは、実はたったひとつです。それは、都市の大学に行って、知恵と知識を得た「頭脳」です。人材です。


 田舎の両親は、長男に大学へ行って学んでほしいと願います。そして、大学へ行かない次男に実家を継がせているのが現代の地方です。


 せっかく都市で得た知識も、知恵も、長男は生かすことなく都市で生活しています。


 これまではそれでよかったのですが、これからはどうでしょう。その長男は企業から放り出されそうになっています。あるいは、企業そのものが存在しなくなりつつあります。


 そして、地方には、知恵と知識とノウハウを持った者がいないのです。すべての地方が、頭脳と人材を求めているのです。


 

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 実国学的には、起業や活動を通じて社会貢献したい、やりがいをきちんと求めたいという若者に最も向いているのが、



 地元へ戻って、その優秀な力を生かすこと



だと考えています。


 地方には仕事がないと思われがちですが、そうではない。



 ライバルがいない。ということでもあります。


 十分な先端教育を受けたものがいない。ということでもあるのです。


 そして、かかるコストがやたら低い。ということをなぜ見逃すのですか?




 田舎ではMBAは役に立たないと思っているでしょう。そんなあなたはMBAという資格を都市で消費させられているだけなのです。


 もし本当にあなたにMBAの実力があるなら、ど田舎村の一つや二つ、大きく変えることができるのではありませんか?


 もう一度言います。ライバルはいません。あなたしかいないのです。


 
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 イケダハヤト氏のように、「なぜ高知なのか」といった問題や、「実際にどの地方がいいのか」といったことは、実国学的には、実はあまり問題ではありません。



 私はこう提案します。



「あなたには、あなたの先祖が開拓した本貫地がある。先祖代々守ろうとした一族の本領がちゃんとあるはずだ。その本領へ帰ればいい。そこはあなたたちの土地であり、あなたたちこそそこを栄えさせるのにふさわしい者はいない」


と。


 この本領復帰運動、を自分の心のテーマにしてみませんか?





 
 

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