2016年12月22日木曜日

ランサーズとクラウドワークスに潜入してみた件 ~1円ライターって、高単価だったのね!~



 前回の記事

ライターの哲学 ~1円ライターは組織的窃盗団の片棒を担がされたのか~

http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/12/blog-post_13.html

で、



 ライターとは何ぞや



とか



 1円ライターとパクリメディアについて



とか、いろいろ書いたので、クラウドソーシングの実態について知りたくなって、




今さらながら




クラウドワークスとランサーズにどんな案件が出ているのか



について潜入捜査してみました(^^




 そしたら、「聞いて驚け見て笑え」な状態で、



1文字1円どころか、(初心者向けライティングでいえば)1文字0.1円


が相場だというから、ビックリくりくりタマゲッゲーでございます。





 そして当然のごとく、先日からキュレーションパクリ問題の余波として、



 1文字0.1円以下なのに、コピペ・パクリは許しません!



な条件がバンバンついており、貧者はますます追い詰められてゆくのでありました。




 これも前のブログで書いたとおりになってるだけですね。



ライター業の終焉 〜ライターという仕事、肩書きが無力化される!〜
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/12/blog-post_7.html



 まさに「悪貨は良貨を駆逐する」であり、かつ「水は低きに流れる」感じです。





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 ヨシイエは、職業的に言えばモノ書きではありませんが、モノを書いてお金を貰うことは多々あるわけで、そういう意味では右足の指先くらいは、ライター業に突っ込んでいる気もします。


 しかし、基本的には「お金を貰わない」こういったブログもそうだし、あるいはお金を貰う案件であっても



 自分の書きたいことしか書かない



というのが基本的スタンスです。



 そんな「どこそこの観光地についてデートプランを書け」とか、「借金の体験について書け」とか言われても、デートするキラキラ女子を先に紹介してほしいし借金取りまがいの債務者を追いかけた話しか書けません。



 ええ、百歩譲って「作家として、見てきた風に実際と違うことを書け」と言われたら、書ける事は書けるけれども、



 あんたのプロットより、わしのプロットのほうが絶対に面白いから、そんなもん書けるか~!



となってしまうのがオチです。



 結局のところ、私にとっては



「文字は道具」である


ので、あくまでも主体はこちらにあって、


「文字の奴隷」になる


ことは嫌だなあ、と思うわけで。




 ただ、青少年の頃から、「溢れんばかりの自己表現」に満ち満ちていたヨシイエ少年の過去を振り返ると一つだけいえることがあります。


 ヨシイエは小説も書くし、論文も書くし、雑誌記事だって書いたことあるし、音楽もやるし映像も作るし、モノづくりもしますが、



 そりゃ、一番自分の表現したいことを如実に表すことができるのは映像



だと思っています。 これは間違いない。思ったとおりのものを「目で見てわかる」モノに仕上げるのは、とてつもない快楽です。表現者からすればね。




 しかし、「一番金がかかり、自分では思い通りにいかないのも映像」だったりするのです。演者や対象物や対象者が必要なので、それは自分ではないため


「けして思い通りにならない存在を相手にする」


ことになるからです。




 その点、文章はすごいです。


 なんせ金がかからず、自分の身ひとつで完結することができるからです。



 もちろん、金をかけて取材するなどもできますが、金をかけずに済ます方法がなんぼでもある、というのは魅力です。


 だからこそ、ライターの報酬もダダ下がりになりつつあるのでしょうが、 それなら



 好き放題ブログでも書いて、アドセンス貼っとくほうがマシ



なのかもしれません。



 いろいろご意見あるとは思いますが、ヨシイエ的にはこの問題は難しいです。それぞれの立場もあるしね。













2016年12月13日火曜日

ライターの哲学 ~1円ライターは組織的窃盗団の片棒を担がされたのか~




 毎度おなじみ、ネットの片隅で何かを叫ぶヨシイエ孝太郎です。



 WELQをはじめとした一連のキュレーション騒動で、「激安ライターを使って、パクリ記事を大量量産するビジネスモデルはどうやねん」という問題が燃え上がったわけですが、ここにきて、テーマが少し移動してきたように思います。


 それは、そもそもの定義に関わるところの



 ライター



とは何か問題、についてということになるでしょうか。



 キュレーションが、本来たくさんの情報をある一定の表現のために「まとめたり寄せたり編集して見せたり」するような作業であるのに対して、


 パクる


ことが実態になっているという件と同じように、”ライター”によるライティングが本来は「取材して整理して中身を編集して書く」作業であるのに対して、



 ただ文字を書く



ことが実態になっているのが、どうやねん!ということです。「それをライターと呼んでいいのか問題」ですね。



 この問題については、ここ1日2日で、専業の方から1円ライターの方まで、いろいろな意見を述べておられるので、少しだけ拝読してみましょう。




1円ライター問題、「現場の声」から見るキュレーションサイトが生まれた問題
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinoharashuji/20161212-00065323/

(篠原修司さん)


はてな匿名ダイアリー
http://anond.hatelabo.jp/20161210001409

(おそらく本業の?ライターさん)


1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場
http://magazine-k.jp/2016/12/08/writing-for-curation-media/

(コグチスミカさん)




 これらの意見をさらりとまとめてみると、



■ 本業(高級)ライターから言いたいのは、「パクるな!コピるな」ということ

■ コピる作業は、ライターとは定義できない。


■ ライターとは、自力でネタを集めてきて処理して出力するまでの仕事である。

■ 書くという作業が介在しているだけで、コピペ・キュレーションとは定義が異なる。


■ 子育て一円ライターという職業の場によって救われている人たちもいるのではないか。

■ パクリメディアがあるから食いつなげている人もいる。



ということになるでしょうか。




 上の6行を読んだだけで、勘のいい人はすぐわかることがあると思いますが、それは、



「ライターとは何ぞや」という問題と、「貧者が食べていく」問題はまったく無関係の話である



ということでしょう。



 このことについてはヨシイエも完全に同意します。


 たとえば、古本屋さんという業種があって、そこで大量の中古物品が買い取りされたり販売されたりしているわけですが、街のゴミ捨て場から古本を拾ってきて売っている個人がいるとして、「わしこれで食べとりまんねん」と言われても、



 いや、ゴミ捨て場からまず勝手に取ってくるのはあかんやろ



という次元の話なので、貧者であったり子育てママであったりすることは言い訳にはなりません。





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 ヨシイエは、ふだんは世を忍ぶ仮の姿で会社員をしています。しかし、このブログをずっと読んでいる人にはもうバレていると思うので書きますが、


  その昔、高校で国語を教えていたプロだったりする


わけです。おまけに、「情報」という科目も教えていたので、コンピュータ業界にも一応は精通しています。


 あるいは、いちおうは小説家として、ほんの片足だけ生足を外にちらりと覗かせたこともあるので、


モノを書くとはどういうことか


については、それなりに理解している”はず”だったりします。


 
 そうした背景がある中で「ライターとはなんぞや」という原点に戻るならば、それはやはり



「ライターとは、自分の心のうちを表現する存在である」



ということが根幹になってくるのではないかと思います。



 それが純粋に創作的な心のうちであれば、作家という職業に寄ってゆくでしょうし、外界のありようを通じて「自分のそれに対する思い」を表出するのであればルポライターなどに寄ってゆくのだと思いますが、



「誰かに何かを伝えようとする、書き手の外に溢れる意思」



がなければ、ライターとは呼べないように感じます。(個人の感想です)





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 とすれば、 書くという作業を介在させたとしても、「自分の思いではない何かを書き写し、あるいは右から左へ受け流す作業」というのは、自分の意思のない



文字の奴隷



に他なりません。文字の奴隷になっているから、物理的にも報酬が少なく、こきつかわれることになるわけです。






 とまあ、ここまでは哲学であり、理想論です。



 しかしながら、この話には続きがあって、「いや、だが、まてよ。本来であればライターとはそうであるべきだが、


 食べていく
 

となると、話は別だ」


という第二ラウンドが待っているのです。



 職業としてモノを書くという作業は、自分の思いの表出とは異なる仕事です。 お金を貰って書くというのは、


「自分の思いを持っているクライアントの依頼で、アウトプットの作業を代行する」


という側面が出てきます。


 だから宣伝記事を書いたり、コピーを考えたりするわけですが、いくら代行作業とは言え


「思いを持っているクライアントの意図を汲み取り、聞き出し、変換し、確認して書き起こす」


という任務が待っていることを忘れてはいけません。



 出発点が「自分の思い」では無いだけで、やることは本質的には同じなのです。





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 ここまでくると、職業ライターとは何か、という定義までなんとか辿りつけたように思いますが、最後に今回のキュレーション炎上問題の本質をあぶり出してみたいと思います。



■ 1円ライターの方々は、職業ライターとしても実は用件を充たしていない任務をしていた。それは、「クライアントから、テーマにあった文章を書けとは言われたが、クライアントの”思い”の代行どころか、その”思い”なんてものが最初から存在しない案件であった」ということである。


 これが、第一段階です。


 1円ライターさんは、「依頼主の要望に答えよう」とはしています。ところが、普通であれば、クライアントは「こういう思いを代行してね」と頼むのが普通なのに、そこには最初から”思い”なんてものが無い依頼だったのです。






■ キュレーションメディアがさせようとしていたのは、「いいか君たち、ゴミ捨て場でもどこでもいいから、落ちている古本をとにかくたくさん拾ってきて、それを綺麗にして持ってくるんだ」という任務だった。


・・・わかりやすいようにたとえ話にしていますので、 「コピペされたネタ元記事をゴミ扱いしている」わけではないです。そこは誤解なきよう。あくまでもたとえ話です。


 ヨシイエの意図はそこではありませんので、あしからず。


 さて、第二段階です。1円ライターがさせられていた仕事は、古本集めです。それも集め方の指示があり、おまけに、どうすれば集めてきた古本が綺麗に出来るかまで指導していました。






■ キュレーションメディアは、大きな店舗で集めてきた古本を綺麗な体裁にして大々的に売り出した。外から見ると、「なんとかオフ」みたいに立派な店ではあったが、そこに並んでいた古本が入手された経緯は、すでに述べたようなものであった。



 これが最終形態です。このように出来上がった立派な店舗が、キュレーションサイトそのものだったというわけです。



 これで、全体像がわかりましたね。



 こういうのを見て、みなさんはすべてが腑に落ちたことと思います。



 ええ、これは「組織的窃盗団」以外の何モノでもありません。





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 さて、ここで1円ライター食べてゆく問題へと話を戻しましょう。キュレーションメディアという依頼者・クライアントが1円ライターにさせていた仕事は、


 ライティングでもなんでもなく、窃盗作業


だったことが、今明らかになったわけです。





 ヨシイエは上のたとえ話で、「書店から新しい本を盗んでこい」と言われた話ではなく、あえて「落ちている古本」「ゴミ捨て場の古本」という表現を使いました。


 重ねていいますが、コピペされた記事主さんの表現物を「ゴミ」とたとえているわけではなく、本当の意図はそこではありません。


「新書を本屋さんでパクってこい」


と言われれば、すべての1円ライターはさすがに「それはまずいやろ」とすぐに気付きます。



 ところが、「ゴミとして捨てられているものを拾ってきて」と指示されたのです。


 それが「引用」という作業です。



 「ゴミ捨て場から不要なものをもってゆくのなら、まあいいのかな」と思わせるのがミソなのです。

 「引用だから、まあいいのかな」と思わせるのがミソなのです。


  この微妙なラインをついてきた窃盗団の、いやらしさがわかるというものです。





 ~~~~~~~~~~



 1円ライターがやらされたことは、組織的窃盗団の巧妙な罠にかかっての仕事でした。


 貧者は往々にして、こうした話に知らず知らずのうちに乗せられ、ただのバイトだと思っていたらいつのまにか犯罪の片棒を担がされていた、ということが起きるのです。


 この記事をもしコグチスミカさんが読んだとしたら、何か感情が変化するかもしれません。


  
 みなさんは、どう思われたでしょうか?
 








 





 











2016年12月9日金曜日

新卒でも転職でも、採用面接で訊けばすべてがわかる魔法の質問はたったの2つ!





 ふだんは、某中小企業の管理職としてサラリーマンをしている吉家ですが、これまでにいろんな職や役割をしてきた中で


 誰かを選抜するとか、試験する


ということを多々実施してきた経験があります。



 それは、今の会社で言うなれば、採用の可否を判断するとか、以前の仕事であれば、何らかの合否を判定するとか、成果物に点数をつける、とかそういうことなのですが、この日本社会においておそらく最も重要な試験や選抜となっているのは



 就職試験、採用選抜



において他はないと思います。




 この就職における採用選抜というのは、古くは



■  家柄などの出自に関わるもの


■ 学歴や出身校などの学力にかかわるもの




などが用いられてきて、それから近年はそれらに対する反省も踏まえて


■ コミュニケーション能力や、これまで身につけてきたもの


などを重視しているのが昨今だと思います。




 ところがどんどこしょ。





東洋経済オンラインより
「コミュ力だけ就活生は通用しない」
http://toyokeizai.net/articles/-/96991



などの記事にもありますが、実態としてはコミュ力だけある就活生に騙されて、実はあまり実務能力がない人を採用してしまう、などの問題が頻発しているのも事実なのです。




 では、採用試験や採用選抜、あるいは面接でどのようなことを注意すれば、その人の本来の力を判定することができるのでしょうか。



 吉家孝太郎的には、とても簡単で、かつ「その人物の仕事に対する真実を判定できる」ものすごい質問を2つ挙げたいと思います。




 明日からでも、さっそくすべての企業がこの質問を投げかければ、すばらしい人材が採用できることは請け合いです。




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 その前に、この質問では何を見ているのかを解説しておきます。


 仕事というのは、基本的にはプロとしてその業務内容をきちんと遂行することと、それによって利益を稼ぐことが中心です。


 そして、学生と社会人の大きな違いは、 



「学生時代までに行うことは、全て努力すれば一定の成果が現れるもの」

 であるのに対して 

「社会においては自分だけがいかに努力しても結果が出なかったり、あるいは完全なる不本意の状態でも任務を遂行しなくてはいけないことが多い」


 ということに尽きると思います。



 であれば、学生時代にどんなサークルでどんな成果を挙げたかとか、学生時代にどんなことに取り組んだかとかは、




 実はあまり関係がない




ということになるわけです。



 未来のことは誰にもわかりません。その人材がこの会社でどのような未来を「作り出せるのか」は採用面接者にはわからないのです。


 なので、採用人事では、これまで「学生時代という過去に何をやってきたか」ということを尋ねて、会社に入社後の未来に彼に何ができるのかを推測しようとしているのですが、実はそれは



「過去の実績と未来の実績はほとんど無関係」



と言ってもよいくらい、万人に予想するのが難しい命題だと言えるでしょう。



 すべての企業では、例えるならハンカチ王子が活躍するかどうかを高校生の時に面接で決めて判定する、ということをやっていますが、



 ハンカチ王子があんなことやこんなことになるなんて、どうして未来がわかりましょうや。


ということなのです。




 そこでヨシイエ式採用面接では、2つの質問をします。その質問は実は「尋ねている」のではなく


 未来を担保する


という作業を実はしています。これは受験者・就活生においても「未来を担保する」ということでもあるし、会社の方も「未来を担保する」ということをやります。

(会社と社員は公平な立場である、という前提に基づきます)




 では、いよいよ、その質問を公開しましょう。




■ 質問1

「うちの会社は、年商20億円です。従業員が50人ですから、一人当たり年間4千万円ずつ売り上げていることになり、毎月では333万円ずつ売り上げていることになります。


 さて、ここで会社はひとつあなたにお約束をします。あなたにはこれから、すぐかどうかはわかりませんが、何か一つの仕事を自由に遂行できる権限をお渡ししようと思っています。

 つまり、あなたが責任者で、あなたがリーダーとなって一つの仕事を立ち上げてくれてかまわないということです。


 そこで質問です。


 あなたは、毎月333万円売り上げるために、どんな仕事をしますか?あるいはどんなプロジェクトを立ち上げますか?そのアイデアと、実際にその任務についた時にあなたが何をするかを説明してください。」



 
■ 質問2


「最初の質問で、当社はあなたに一つのプロジェクトをいつか必ず任せるということをお約束しました。しかし、ここでもう一つだけ、お断りをしておかなくてはいけないことがあります。


 当社においては、すべての従業員に最初のお約束を叶えようとしていますので、そうなるとこれもすぐかどうかはわかりませんが、あなたの思いとは異なったり、アイデアや手法があなたの理想とは違う手段で仕事が遂行されている部署での勤務をしていただくことが必ずあります。その部署では、あなた以外の人が、その人なりのアイデアと手法で、最初の問題を解決しようとしているからです。


 このように全くあなたの意に添わず、あなたの考えるあなたらしさが発揮できない仕事内容が生じることも確実に生じることをお約束しておきます。


 では、あなたはこの任務についた時に、333万円に到達するためにどのように行動するかを教えてください」





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 これは大変に難しい質問です。


 どのようにすれば毎月333万円のお金を稼げるのか。そのアイデアを出せというのは、


■ 業界の状況と、業務の内容をしっかりと理解していること

■ 自分なりに意欲的に行動することの具体的中身

■ そのアイデアに誠意があり、コンプライアンスに適合するかの人間性

■ 口先だけでない実現可能性(必ず君にやらせる、と言っていることから)


などを総合的に判定することができるのです。



 まず、意欲や能力がない人材は、この質問に回答する前に辞退します。

  とにかくお金を稼げばいいんだ、という荒い発想の人間は、コンプライアンス的にグレーな方法を提示するでしょう。

 正直に、「思いつかなかった」と謝る人間もいるでしょう。その人材を合と見るか否と見るかは、会社次第です。


 滅私奉公的な労働量で実現させようとする者もいるでしょう。そういう人材が欲しければ採用すればいいことです。


 仮に、本当にいいアイデアを持ってくる若者がいれば、早期に彼を抜擢してさせてみればいいわけです。



 
  2つ目の質問では、逆境や苦しい・不本意な状況で受験者や就活生がどのような思考をするかを見ています。


 もちろん、この質問でも、辞退しようとする人材がいると思います。


 口先だけでは、破綻します。なぜなら会社はそういう状況に君を置く、と約束しているからです。


 そして恐ろしいことにその状況でも333万円を売らねばならないのです。




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 これから書くことは、面接における模範回答でも、正解でもありません。


 上の質問には答えなんか最初からありません。どんな人材でも、パーフェクトな正解を答えることは、難しいと思います。




 ですが、実際にあなたやわたしの会社では、毎月333万円を売り上げているから、今会社員でいられるということも



 紛れもない事実



です。



 なぜ、それが可能になっているのでしょうか?



 それは、「嫌なことや、自分が望ましいと思っていない状況下でも努力している」とか、「1人では達成できないけれど、チームやシステム全体でそれを実現している」とか、「表舞台もあれば裏舞台もあって、それぞれが誠実に任務を遂行している」とか、



 そういう日々の積み重ね



が、会社の成立を実現させているのです。



(だからといって、「日々の積み重ねとチームの仕事で333万円稼ぎます」と回答するヤツは、どうして合格することができるでしょう。

事実がそこだからといって、これは回答ではない、というのはそういう意味です)



 大事なのは、そうした事実の下であっても、自分は何が出来るかを考え、また答えのない業務であってもくじけずに励むことができる人材のはずです。



 上記2つの質問は、まさに最初からそのことを直接尋ねていることになります。


 ご活用ください。










 

































2016年12月7日水曜日

ライター業の終焉 〜ライターという仕事、肩書きが無力化される!〜



 ついに、他メディアも含めて、全面凍結の勢いになりつつある「キュレーションメディア問題」ですが、ネットメディアのあり方がどうあるべきかとか、著作権と引用の話とか、モラルとか、そういうのをぜんぶすっ飛ばして



 ライター業界が終わった!



ということを感じずにはいられない今日この頃です。




 それを痛感したのは、女子SPAさんのこんな記事



DeNAだけじゃない、300円でパクリ・嘘記事を書く”ブラック内職”の実情
https://joshi-spa.jp/628011



からです。


 ここでも、記事募集の実態が暴露されていて



■ コピペでよい、は当たり前


■ 架空記事でもよい


■ もはや妄想でもOK


みたいな無茶苦茶な実態が挙げられているわけです。




 そしてなおかつ、それらの駄文記事が、1文字1円以下の低報酬で調達されていることが、「ブラックである」と指摘されているわけですが、問題はここからです。




 じゃあ、今回のような事実が明かになったからといって、ネットメディアにおけるライター報酬が上がるか?



と言われれば、おそらくそういう方向にはいかないだろう、ということが想像できるのではないでしょうか?




 そうならないことが良いのですが、実際にこれから起きてくるのは、



「低予算、低報酬で、できる限り信頼性のある良質な記事を書くように」



という命令が生まれてくるだけで、 「高収入で責任ある文章」がライターに課せられるのではない、と考えるのです。




 なぜ、そう思うのか。





 もし、高品質かつ高収入な文章がライターとの間でやりとりされるとすれば、その書き手は、品質を担保できる人間でないといけない、ということになります。


 となると、仮に吉家孝太郎というライターがいて、この人物が品質を担保できるかどうかは誰にも判断できないことに、わりと早い段階で気づきます。



 そうすると、品質の確かな、たとえば医療記事であれば「医師、吉田浩一郎」さんが書き手であれば、その内容が担保されうるだろうと推定できます。



 ここで生じるのは、一人のライターが不要になり、一人の有資格者が文章を書くことになるという動きだと思うのです。




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 このことが示すのは、ライターという肩書きの無力化に他なりません。ライターという肩書きだけでは文章の品質を担保できないので、


「研究者が書いています」

「従事者が書いています」

「専門家が書いています」


というスタイルにせざるを得ないのです。(そこにゴーストを介在させたとしても)




 こうした肩書きなしではライター業が成り立たないとすれば、プロのライターであっても、生きていくのが厳しくなるのは必至でしょう。



 もちろん、今回のパクリメディアで利用された、兼業主婦ライターとか、クラウドネットライターなどがお払い箱になるのは言うまでもありません。





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 しかし、現実には、上の仮説のように「責任ある高コスト文章」ばかり調達するのは不可能ですから、数の上では通常のライターにかかせた文章も調達する必要があります。


 すると何が起きるのか。


  答えは簡単です。 低価格のままで、「責任ある文章を書けよ」という圧力に他なりません。


 クラウドソーシングでライターをやっている人の中には、それでご飯を食べようとしている人もいますから、完全にお払い箱になるよりは



 それでも、従わざるを得ない



人は多いことでしょう。



 まあ、こういうのはネットライターに限らず、下請け構造ならどこも同じなので、これからは胴元ビジネス側としては



「私たちはいっさい指示はしていません。誤りを犯したとすれば末端が勝手にやったことです」



という構造に持っていきたいと考えるのは、これまた自然なことだと思います。







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  このように全体像を考えていくと、どちらに転んでも



 ライター業の終焉




を感じざるをえない、ということになります。


 それより何より、低レベルの記事であれば、すでにAIでも書けるし、それが実際にネットに流れているのでは?という指摘を山本一郎さんがしているのも恐ろしいです。


DeNA「サイト炎上」MERY、iemoの原罪とカラクリ
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20161202-00065073/



 さあ、ほんとうにライターは終わった!のかどうか。ここから先はあなたの目で確かめてくださいね。









 

2016年12月3日土曜日

新型フリード 「フリード」と「フリード+(プラス)」の大きな違いは、おしりを見ればわかる!





 こんにちは


 嫁が乗っている旧型フリードは、まだまだ元気なのですが、私が乗っている某普通車がそろそろ、というか17年落ちでかなりくたびれているので、次の車検までには買い換えようとずっと画策しているところです。



 田舎なので、普通車+軽でもいいんですが、ここのところフリードに夢中なので、多人数乗車は旧型フリードに任せて



 いっそ、フリード+(プラス)を買ってしまおうか?!



と絶賛迷い中です。




 ところが、今回の新型フリードちゃん、



 フリードが6・7人乗り

 フリード+が5人乗り



という単純な話ではありません。


 そもそも、人数で区分けされているなら、5人しか乗れなかったらむしろ



 マイナス(-)やないけー!!!!



というつっこみが全国のホンダファンから入るところですが、 そこはホンダさんのことですから



「いいえ、絶対にプラスです」(キリッ)


と主張するだけのバックボーンがあるというのです。




 さらに、なんと6人乗り・7人乗りの「フリード」よりも、5人しか乗れない「フリード+」のほうが値段が高い!というその理由についても、これから違いをお見せすることで納得してもらおうじゃありませんか!





 そのためにも、フリードちゃん。理由がわかるおしりから見てみましょう!いやん。




(フリードのおしり。画像はホンダさんのサイトからの引用です)



(フリード+のおしり。画像はホンダさんのサイトからの引用です)




 間違い探しみたいですが、違いがわかりますか?



 そう!!!!



 フリード+(プラス)のほうは、おしりが割れているのです!!!!!




 ・・・いや、おしりだから割れているのは当然・・・ってオイ!(笑)




 そうじゃなくて、フリードのバックドアとフリード+のバックドアの形状が明らかに違いますよね?



 これが、すべての謎を解くカギなのです。



 ホンダさんのサイトで詳しく載っていますが、



 実はフリード+のほうが、はるかに開口部が広く、下の低いところまでオープンになるのです。



 今回の新型フリードでは従来よりも剛性の高い鋼板を採用しているのですが、 フリード+のほうは、リア部を強化するのに、



 3列目のイスよりも高いコストをかけている



ということが判明。だからお値段も高くなっている、というわけです。



 社内でも「3列目がないんだからマイナスじゃないの?」という声があったという新型フリードですが、


 手間隙かけた、大型空間がプラスされている



という意味だったんですね~。がってんがってん。



 








2016年12月1日木曜日

<吉家流儲かる起業塾15> WELQ(ウェルク)問題が見せつけてしまったネットビジネスの闇

 

 前回の起業塾でも取り上げましたが、「ネットビジネス」を取り巻く闇というか半分



 詐欺



みたいなことがやたら起きていて、このギョーカイに幻滅しそうな今日この頃です。





 で、「詐欺みたいな謳い文句でネットビジネスみたいなものに勧誘し、お金をいただこうとするヤカラ」について前回お話したところなのに、今度は



 ネットの最大手でもやってることはそれほど変わらない



という事実が出てきたので、みなさんも心がワサワサしているはずですね(苦笑)




 問題になっているのはWELQというサイトで、DeNAが運営しています。



 やっていたことは簡単に言えば、やっすい金額で素人ライターに大量に駄文を書かせ投入。しかし、SEO対策だけはきっちりやっていてキーワードやら構成には指導が入り、そのせいで



 駄文やら間違っている情報が大量に検索の上のほうに出てくる問題



を引き起こした、というもの。



 WELQはそもそも健康やら、医療に関係する情報を扱うサイトだったので、よけいに


命に関わるわ!


ということが大問題になっているのです。




WELQ問題のツボは




DeNAの「WELQ」はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言

https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/welq-03?utm_term=.eoALwoLQD#.vpAz3wzqb




の記事やら、



WELQ元ライターが告発した1文字1円以下の実態

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8340




の記事あたりを参考にするとよくわかります。



 こういうのを見ていると、安い金額で労働者(この場合は素人100円ライター)をこきつかいながら、物量のパワーで支配力を増そうとするネットビジネスの




 なんというか、うさんくささであったり、詐欺性



みたいなものがじわじわと染み出してくるので、しんどくなりますね。




 ヨシイエは、いちおう物書きのはしくれ(というか切れ端くらい)ですが、やっぱり

粗製濫造されたテキストが本来の良質なコンテンツを駆逐してゆく


のは、つらいなあ、と思います。





 その昔、つまらんゲームばかりが登場して衰退したというコンピュータゲーム界の戒めである


ATARIショック
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF



というものがありましたが、そういうことがネット上でも起きてくるのではないか、と危惧しているわけです。






 もちろん、それらの元凶となっているのは、ネット界隈では当たり前になっている



PV至上主義



なんですが、「良い文章でも駄文でも関係ない、とりあえずクリックさせれば勝ち!」という風潮を、



プロだからこそ



変えていかないと、ネットビジネスはどんどん詐欺化してゆくのは必定だと言えるでしょう。




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 じゃあ、ヨシイエはそうした詐欺性とは関わらずに、クリーンにネットビジネスができているのか?と問われれば、正直よくわかりません。



 ネットでもリアルな店舗でも「コンテンツや商品を知ってもらわなくてはならない」ということは正義正論ですから、



 ネットのどこかに、自分や自社のコンテンツや商品の情報をばらまく



ことはせざるを得ないわけです。






 ここに、まず詐欺性がなく、クリーンな広報活動であることが求められますが、じゃあ、仮に



ツイッターで一回だけつぶやくのは善かつ正義







ツイッターでおなじ情報やら商品を複数回つぶやくのは詐欺的(いやらしい)




のかどうか、と問われれば、これはめっちゃ難しい問題だと思います。





 また、この記事のタイトルにしている「儲かる」という語句も、本来は儲かるかどうかなんてわからないから詐欺的で煽ってると言われれば、そうだとも思います。



 とすると、合法なことはともかく、情報商材などで見られる「よくわからないけど、倫理的にスレスレ」なことは、悪だとは断ずることができないわけで、そこがこの界隈にからむ人間として悩ましいところなんだと思います。






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 もし、ネットビジネスの倫理憲章みたいなものを作るとしたら、そこにはどんな項目が立てられるでしょう。

 できるだけ、詐欺性や悪意のある誤謬を排除するための憲章にしたいなあ、と希望的観測で述べるならば、ですが。




<ネットビジネスの3大倫理憲章> 



■ 利益には、再現性があること


■ コストには、正当性があること


■ 反復には、純粋性があること




ちょっと哲学的で、理想論に寄ってますが、僕はこのあたりをベースにしたいし、してほしいなあ、と思っています。


 少し解説をするなら、こういうことです。



1)

 ネットビジネスでは「誰にでもできる」とか「簡単にできる」とか、そういう言葉で人を煽りがちですが、実際には「ごく限られた人にしか不可能」である商売が多かったりします。


 そこを誠実に説明していないのは倫理違反ではないかと考えます。


 なので、利益を産む行為は、やはり再現性(ちゃんと成り立つこと)がベースにないと倫理的ではない、と考えるわけです。



2)

 今回の問題もそうですが、安いコストでライターを募集し、コンテンツを粗製濫造することは、倫理的に問題があると言えるでしょう。

 なので、専門性のあるコンテンツであれば、相当の対価を払って責務に耐えられるライターにかかせる必要があるでしょうし、逆にどうでもいいコンテンツだったとしても、嘘やいつわりをそこらへんの人材に書かせて「お遊びです」で逃げるのも倫理的ではないと考えるわけです。


 まあ、このあたりは常識的に考えるところの「ちゃんとやるし、ちゃんとお金もかける」という普遍的な話なんですが。



3)

 「こうすれば儲かるよ」と言いながら、実はそれに乗ってくるカモの数が増えることによって成立するネットサロン系ビジネスのあやしさは、実は「看板と中身がちょっとずれてきている」ことが問題でもあるし、「看板そのものだけでは、反復性に難がある」というところだと思います。


  なので、反復できる理論が、純粋にその商材やらコンテンツに付随しておらず、ズレていたり意図的な誤解をさせるようなしくみが存在しているのであれば、それは倫理的に「純粋ではない」ので問題があると言えるかもしれません。






==========



 これらの憲章に、もし付け加えられるような内容があったら、みんなで考えてみるのもよいと思います。



 ヨシイエは、個人的にはいくつかのネットがらみのビジネスをしていますが、今のところこの3憲章には違反していないと思います。


 私が考えた『絶対に儲かるビジネス』は、再現性があるので、誰にも言わないようにしているし(したら、真似されてしまう)、コストと利益もある程度きちんと設定しています。


 ただ、反復は純粋なのですが、「そういうサービスがあるんだ」ということを知っている人を増やすには、やっぱり広告めいたことが必要になる、というのは実感しています。


 看板だけ設置しておいて、誰かが見てくれるのをじっと待っている、のは高潔だけれども、それでは食べていけない、という事実も一方で現存します。




 渇しても盗泉の水は飲まず!



といいたいところですが、せめて泉を探しにゆく努力はしたいものだなあ、と思います。


















2016年11月18日金曜日

<吉家流儲かる起業塾14> ネット副業「稼げる・儲かる」は詐欺なの? ~逮捕事例で見るネットせどり詐欺~



 まいどおなじみ「絶対に儲かるビジネス」を実践中のヨシイエでございます。


 というわけで、久しぶりの「ココナラの売上を晒す」コーナー、今回はこんな感じ。






ドン!



 11月18日現在で、¥60196円なり。


 前回は5月末で4万3千円ぐらいでしたので、5ヶ月で1万7千円ぐらい・・・。月3000円かあ。

★前回はこちら
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/05/blog-post_30.html


 まあ、かなり停滞していると自覚していましたので、残念ですが仕方ありません。


 ただまあ、ちょっとCMしていただいたりした関係で、件数をちょっとこなしたのでこの後入金確定分がまだありますので、もうちょっと伸びてるかな。





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 さて、ネット上には「儲かる」「稼げる」なんて甘い言葉がたくさん並んでいますが、



逮捕




されましたね!甘い言葉でネットビジネスへ誘っていた輩が。




朝日新聞デジタルさんより 古本ネット転売「稼げる」とうその疑い 3人逮捕
http://www.asahi.com/articles/ASJCH3CJJJCHUNHB002.html


BLOGOSさんより 「せどり」発摘発!
http://blogos.com/article/198147/




 ”せどり”ということばは、本来は専門用語だったのに、ネットビジネスのおかげで有名になってしまいました。


 簡単に言えば、ブックオフで100円均一の中から本を選んでヤフオクで1000円で売る、みたいなことを「せどり」と言います。


 実は、ヨシイエがメシを食わせてもらっている業界でも「せどり」という言葉は使っていて、ある商品をAという工場(業者)にあるのをBという工場に持ってきて(売ってもらってきて)、Bの工場でトラックに積む、みたいなときも「商品をせどりしてくる」と言ったりします。

 どちらかといえば、こちらはマイナーな使い方ですね。競り取り、という意味なのかな?






 さて、この事件、犯人たちは「せどりが儲かりますよ」とバーコードリーダーなど薦めて買わせ6800万円もの収益を上げていたそうなので、


す、すっげー!


と思う一方、被害者たちが実際にせどり作業をして稼げたのは、月に


1000円


 ぐらいだというので、さらに


し、しょっぺー!!


と撃沈。



 ちなみに、「せどり」行為は、古物を扱うので、古物商免許がいるんだよ、というのはまた別のお話。




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 で、ブログやらネットやらに詳しい人とちょうどそんな話をしていて、結局こういうことなのだ、という結論に落ち着きました。



【結論】 ネットビジネスを煽る側は儲かる。しかし、煽られてネットビジネスをやるものは儲からない



これで決まりです!



 なんでも胴元が一番儲かる、というのと似ていて、



「こうやれば儲かりますよ」という話を売るのが一番儲かる



ということなんです。


 実際に何かをしたり、物品を販売して儲かるためには、その商品や行為に「価値と魅力」がないといけませんが、「こうやれば儲かるよという話」には、その話そのものに


欲望という魅力


があるので、みんなひっかかるのですね。





 ヨシイエも自分がやってる現行のビジネスを「こうやれば儲かりますよ」といえば、もう少し儲かるのかもしれませんが、


月3000円ぐらいしか儲からんもんを薦めるな!!!!!


 という声がありそうなので自粛しています。いや、そうじゃなくて、この技術は他者に教えるつもりはありませんので、あしからず。














2016年11月5日土曜日

もし、国語の教書に「PPAP」が載っていたら ~PPAPはなぜ面白いのか~

 世界的に大ヒットとなっているピコ太郎氏の「PPAP」ですが、世の評価としては


「どこが面白いのかよくわからない」


という感想も多いようです(^^;



 そもそも、お笑いとか、この手の「ナンセンスギャグ」に「どこが面白いのか」の講釈をつけるのは、それこそナンセンスで無意味だったり、笑いとはそういうものではないということになるのでしょうが、国語の教材としては、この「PPAP」はとても



面白い(興味深い、よくできている)



と思います。 というわけで、”もし中学校や高校の国語の授業でPPAPを取り上げたら?”というスタンスで、その面白さ(学術的な、教育的な意味での)を実践してみようと思います。


では、元高校国語教師による、「PPAP」の授業をお楽しみアレ。

※今回、教育的観点から「PPAP」の歌詞について全文引用しております。古坂大魔王氏の著作物ですので、引用お許しくださいませ。




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♪キーンコーンカーンコーン


「はい、では今日の授業は、新しい単元です。現代文、詩歌「PPAP ピコ太郎」のページを開いてください」

(一同、教科書を開く)

「じゃあ、最初に、まずは一度朗読してもらおうかな。山田君。朗読お願いします。ちょっと注意事項ですが、なるべく英語っぽい、外国人っぽい発音を意識して読んでください」

山田「はい。読みます。

PPAP

I have a pen.

I have an apple.

ah

apple-pen.


I have a pen.

I have  a pineapple.

ah

Pineapple-pen.


Apple-pen

Pineapple-pen

ah

Pen-pineapple-apple-pen (読了) 」


(一同クスクス笑い)


「はい、ありがとう。文章の意味を考える前に、まずは、この詩に用いられている技法を、見つけて発表してください。わかったら手を挙げて・・・はい!吉田さん」


吉田「繰り返しがあります。アイハブなんとか、がたくさん出てくるところとか」


「いいですね。OKです。まずは『繰り返し』を使ってますね。これ、別の言い方があったのを覚えていますか?以前にも詩歌の単元ではよく出てきましたが・・・はい!山本君」


山本「リフレイン!


「そうですね。リフレインです。リフレインや繰り返しを使うと、内容を強調したり、意味を強めたりできますが、今回のPPAPの場合はアイハブなんとかにあまり意味はなさそうです。では、どんな効果が得られるでしょう・・・前川さん」


前川「んーっと。あまり意味はないけど、リズムにはなっている気がします」


「いいでしょう。リフレインによって、ことばのリズムを生み出している。これも一つの効果ですね。はい、ではもう一つ! この詩で特徴的な、リズムや語調を整えている別の技法がありますが、それはなんですか?」


鈴木「を踏んでいると思います!」


「はい、鈴木君、いいですね。ことばの最後に同じ音や似た音を配置して韻を踏む、というのを漢文でもやりました。漢文の時には、これをなんと言うんだっけ?鈴木君」

鈴木「押韻(おういん)」


「よく覚えてますね。正解です。 ちなみに、このPPAPでは、どんな韻が登場しますか?はい・・・上山さん」


上山「・・・エン♪とかアン♪のところですか?」


「とっても発音がいいですね(笑)文末ではエンが、といってもペンしか出てこないので当然っちゃ当然なんですが、韻になってます。上山さんの言うとおり、アンのところもいいリズムになってますね」


「さて、今度は内容に入ります。この文章、言ってることはペンやらリンゴやらをくっつけているだけですが、全体としてはあまり意味はありません。じゃあ、こうした表現をすることはどんな意味があるのでしょう。太田君どう思いますか?」


太田「うーん。あんまり意味がない、ってところが面白かったり、逆にそこがいいんだと思いますが・・・」


「そういうジャンルが、なかったっけ?」


太田「あ!ナンセンスとかナンセンス文学!」


「はい、OK。ありましたね。ナンセンス、つまり意味をなさないところにユーモアを成立させるという技法やらジャンルがある、と現代評論のところで習ったと思います。ナンセンスは言葉遊びだけの場合もあるし、何かを風刺するときなどにも使われますね。ちなみに、この詩では、どこが一番ナンセンスですか?」


泉「そりゃ、ペンパイナーッポーアッポーペンでしょ!(一同爆笑)」


「お、学年一のお笑い王子、泉君さすがだね」


泉「アポーペンの時に既にあやしくなってるけど!」


「ですね。でもまあ、リンゴの形をしたペンがあるとしたらそれはアポーペンなので、そこまではまだ許せます。パイナッポーペンも同様です。でも、最後のやつは、どう頑張っても意味不明ですね!
ではもうちょっと突っ込んで尋ねてみましょう。ペンパイナッポーアッポーペンは、究極のところ、何が面白い?」

(全員少し考える)


泉「やっぱり、リズム・響きちゃいますかね?ペンパイナッポーアッポーペンという響きだけで笑えるっていうか」


「いい指摘ですね。もともと、Pの音には人を和ませる力みたいなのがあります。たとえば、”おならプー!”というだけで小学生は爆笑します」


(何人か声を上げて笑う)


「ほら、うちにもまだ小学生レベルのヤツがいるでしょ?(笑)”ぴゅー”とか”ぺろぺろ”とか、なんか聞くだけでちょっと可笑しいみたいな力が隠れてるんです。音声とか音の響きと感情の関係でいえば、『怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか』という黒川伊保子さんという人の本があるので、より深く知りたい人は、ぜひ読んでみてください」



「さて、ここからまた真面目な話に戻りますが、実はみなさんがこれまでにならった詩歌で、構造的には今回のPPAPとまったく同じ構造を持っている詩があるんです。知ってますか?」

(シーン)


「学校で習う、詩歌の単元で、一番強烈なやつといえば?(ニヤリ)」


(何人かが失笑する)


「はい、吉田さん。今笑ったのなんで?」


吉田「合ってるかわからないんですが。詩の授業の時は”オノマトペ”という言葉を聞くと絶対笑っちゃうみたいな・・・」


「出た!オノマトペ!」


(一同爆笑)


「オノマトペって何だっけ?だいたいみんな”オノマトペ”という言葉は覚えるんだけど、それが何なのかは忘れてしまうという謎の言葉ですね。・・・はい!鈴木君」


鈴木「擬音語?擬態語?なんかそんなのだったような気がします」


「OK、OK。擬声語という言葉もありますが、リアルな音とか様子を文字にしたものですね。ペタペタとか、ブーブーとか。はい、じゃあ、吉田さんがオノマトペを出してきたのはいい線いってるんですが、思い出しましょう。詩歌の単元で最強のやつ。上山さんどうぞ」


上山「中原中也でしたっけ。ゆあーんゆよーんのヤツ」



「はい(拍手)大正解。中原中也「サーカス」という詩を前にやりました。構造的には、PPAPとかなり近い、というかおんなじだということを今から証明しますね」


(板書する)


”幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん”



「まだ続きますが、ここまでにします。繰り返しもある、韻も踏んでる、そして肝心のところ

”ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん”



”アポーペン パイナッポーペン ペンパイナッポーアッポーペン”

とまったく同じ構造ですね。ゆあーん ゆよーん、まではまだ分かりやすいけど、最後は”ゆやゆよん”ですから強烈です。PPAPも最後に強烈なのをもってくるんです。だいたい中原中也の詩も、誰も戦争とかサーカスの話だとは覚えていませんよね?覚えているのは、ゆあーんゆよーんだけ、という(笑)」


「さて、では、この詩のタイトルPPAPはなぜ”PPAP"なのか、考えてみましょう」


(ちょっとざわつく)


泉「ペンパイナッポーアッポーペンの略だからPPAPなのじゃないですか?」


「そりゃ、誰でもわかるがな」


(爆笑)


「でも、泉はいいところに眼が言ってます。じゃあ、なぜタイトルがペンパイナッポーアッポーペンではダメなんでしょう」


泉「・・・あ!そうか!出オチになるんや!」


「はい。それです!・・・この詩の一番面白いところは最後の一文なので、そこは見せてはいけない、ってことが大事なんですね。そしてPPAPという伏字にしてることで、そこには何か意味があるはず」


泉「何かわからんから、なんやろ?って思いますね」


「いいねえ、さすがは泉君です。PPAPって何?と思いながら客っていうか読み手はその先へ行くわけです。すると、おもむろにペンやらアポーペンが出てきて、まだ何かよくわからず、また先へ行く・・・」


太田「クライマックスへ山を登っていく感じですか?」


「それもいい見立てですね。文章の構成で、一番山になるところ、なんていい方をしますがそれがクライマックスです。PPAPの場合は最後の一文へ行くまで期待値を最大限上げながら一気に落とす、みたいな笑いがありますね。じゃあ、そろそろ授業も終わりに近づきましたが、ここで問題。みなさんがもしタイトルをつけるとしたら、なんてつける?PPAPは使えないとして」


(考え込む)


「アップルでもペンでもないし、それぞれ一つの事象に囚われてもいけないし、ネタをばらしてもいけないし・・・」


山田「ポーペン、とかどうですか」


「うん、それ!私は意外と嫌いじゃない!タイトル”ポーペン”と聞いてどう思う?鈴木君」


鈴木「意味がわからん(笑)」


「わからない、っていうのはちょっと利点ですね。なんせオチを言ってはまずいのだから、ポーペンだったら「え?ポーペンって何?」からはじまって、ちょっとずつ答えがわかってゆく感じがあります。オチもばらしてないので使えそうですね」


泉「えー?、でもポーペンの場合は笑いが分散するっていうか、アポーペンのところでちょっとだけネタバレになっちゃうじゃないすか。やっぱり最後の最後まで引っ張りたいという意味ではPPAPの方が勝ちかなあと思います」


「するどい意見が出ました!まあ、このあたりは感性の問題になるので、ピコ太郎さんの場合は、最後の瞬間までネタを明かさない、という姿勢だったことが判明したということで、このあたりにしておきましょう。それでは、宿題です。リフレインと韻を使った詩をひとつ、次回までに書いてきて提出してください。ピコ太郎氏はこれで数千万円稼ぎましたので、みなさんも世界にヒットするようなネタをぜひ書いてみてくださいね。では本日はこれにておしまい」



キーンコーン♪



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とまあ、授業としてはちゃんと成立すると思います。英語科の先生には英語詩を作る、みたいな単元と絡めてもできるのではないかと。


 上記で解説したとおり、このPPAPは非常に教育的にも面白いです。誰か実際に授業でやってみてください(笑)


2016年11月3日木曜日

新型フリードで「ダウンサイジングターボ・1リッターターボ」エンジンが採用されなかった理由



 旧型フリード乗りの吉家孝太郎です。こんにちは。



 このブログでも再三、新型フリードちゃんについて取り上げてきましたが、その理由はもちろん



 新型フリードがほちい!



からに他なりません(笑)



 ところが、実は吉家の興味は、「新型だから欲しい」のではなく、



1リッターダウンサイジングターボエンジン



だったらすげええええ!



というのが根幹でありました(苦笑)




 想像してみてください!1リッターですよ!軽自動車に毛が生えたようなエンジンで、7人乗りを引っ張るという凄さ!その技術力に注目していたのです。



 ところが、新型フリードに1リッターターボエンジンは搭載しない



という結果に。トホホ。




~~~~~~~~~~




 で、ここからが本題。なぜ、新型フリードには、ダウンサイジングターボが搭載されなかったのでしょう。そこにはいろんな理由があったそうです。


 ちょびっとホンダの事情に詳しい人のお話だと、概略はこんな感じ。





【理由その1】 ダウンサイジングターボの先輩、ステップワゴンがコケた。

 2015年に登場した現行5代目ステップワゴンSTEPWGNは、2リッタークラスのエンジンを「1.5リッターダウンサイジングターボ」に置き換えたいわば


 フリードの先輩


に当たるはずだったのですが、これがいろんな意味でコケた(販売が低調)ので、戦略が変わったのだとか。


 個人的には、ヨシイエは現行ステップワゴン嫌いじゃないし、わくわくゲートも



バスの非常口みたい(うふふ)



で好きなのですが、 世間のうわさでは「フロントのデザインが嫌い」とか「奥様ウケしない」とか、逆に


「2Lじゃないから非力感が・・・」


みたいな話もあるようで。


 結局、ダウンサイジングターボなる技術は、 男にとっては、「えーそんなんで走るの?マジ?各上リッター車に負けないの?試したい!」になるのだけれど、奥様にとっては、


「なにそれ。わかんなーい」


ってことだったのかもしれません。








【理由その2】 多品種生産になってしまった新型フリード。これ以上バリエーションが増やせない。


 スパイクを廃して、最初期のように「フリード&フリード+」の展開になった新型フリードですが、なんと最近明らかになったのは


「7人乗りより、5人乗りの方が値段が高い」

 という驚愕の事実と

「7人乗りと5人乗りの、そもそもの構造が違う」

という仰天の事実でした。


5人乗りのほうは、イス代よりも高い値段をかけて車体後部の剛性を高めているので、「両モデルとも車体は共有」ではないのです。


 おまけに、「1.5リッターガソリン」と「ハイブリッド」と「4WD」設定を設けたので、バリエーションがそもそも多くなっています。


 となると、ここにさらに「1リッターダウンサイジングターボ」を追加するのは、


組み合わせが複雑になりすぎる


という結果になるわけで・・・。







【理由その3】 世間は「ハイブリッド」という言葉が好きだった。


 そして最後はこれしかないでしょう!


 ダウンサイジングターボというのは、その目的は「これまでの走りを低燃費で」ということでした。


「2Lのガソリンを消費するより、1.5リットルのほうが少ないじゃん。だから低燃費」

ということに加えて

「ターボにしたからパワーは落ちないよ」

というのがダウンサイジングターボの発想ですから、 ようは燃費が目的だったのです。




 ところが、世間のみなさんは燃費と言えばハイブリッド!だと思っていますから、わけのわからん「ダウンサイジングなんちゃら」という言葉より


「ハイブリッドに飛びつくぜ!」


ということになってしまったのです。


 なので、新型フリードもハイブリッド押しです(笑)





~~~~~~~~~~


 というさまざまな理由により、ダウンサイジングターボが出なかった新型フリードですが、ヨシイエ的には、


1リッターで7人を運ぶ


という荒業がいつか実現することを願っています(^^




 しかし、実はそれを実現していた恐ろしい車が存在していたことを、誰も知りません・・・。



1リッターで7人を運んだ、驚愕のマシン。それは・・・。





初代スバル・ドミンゴじゃあああああ!!!!!



おあとがよろしいようで。





2016年10月11日火曜日

<吉家流儲かる起業塾13> 売上減で失業しそうなサラリーマンへ! 完全版!ブログで稼ぐ方法ベスト5



 どうにもこうにも、本業の売上低下が止まらない吉家孝太郎ですが、しがない雇われ管理職のあがきもむなしく、業界全体の縮小傾向は、個人の力では止めることができなさそうです。



 ああ!恐ろしい!



 このままサラリーマン孝太郎は散ってしまうのでせうか!!!



 というわけで、本業についてはまだまだ倒れる直前まで走りつづけようと思っていますが、ヨシイエはちょっとニヒルなところもあるので、



「あかん時は、あかんかもしれない」



という覚悟を懐に忍ばせながら毎日頑張っている次第。



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 で、じゃあもし万一、あってはならんことでありますが「失業」なんかしてしまった日にはどうして生きていけばいいのか?!ということで、今日はそんな時のために今日は



 ブログで稼ぐ方法の全て



を自分への励ましの意味を込めてまとめてみることにしました。

 








【ブログで稼ぐ方法1】 アドセンスで稼ぐ

 ブログを作って、書き始めてもっとも最初に誰もが手軽に取り組めるのが


google adsennse (グーグルアドセンス)
 https://www.google.co.jp/adsense/start/



です。基本的にはブログの横っちょとかに広告が入って、それを読者がクリックしてくれればお金がチャリンチャリンと入るシステムなので、


「クリックされただけで収入発生」


なのがいいところ。


 しかし、たしかに収入にはなりますが、PV(見られている数)に比例しますので、その記事を読んでくれる人が少ないと


「マジで、チャリンチャリン(数円)の収益」


ということになります(涙)


 日に100PV・月に3000PVぐらいだと、ようやくこれで数百円の収益が発生するぐらいなので、アドセンスだけで生きてゆくためには


 日に3万PV・月間100万PV で月20~30万円


 は必要になるのではないかと!おえっ!無理っ!








【ブログで稼ぐ方法2】 アフィリエイトで稼ぐ

 アフィリエイトは、ブログに広告を貼って、その商品の部分を誰かがクリックしてくれて、なおかつ実際に商品が売れれば「宣伝料・紹介料」が入るという仕組みです。

 ブログが営業マン代わりになるというわけですね。


 しかし、アフィリエイトで成功している人は、ごくわずか。


 月3万円以上稼いでいるアフィリエイターは、全体の3%くらい
 
 全体の80%は、0円から月1000円くらいしか稼げない

 
と言いますから、おえっ!儲からない!








【ブログで稼ぐ方法3】 物販で稼ぐ

 自分の作品やらコンテンツをブログで紹介して販売するというのがこの方法ですが、個人的にはネタがよければこれが一番可能性が高いと思います。

 実は、ヨシイエは別の名義でコンテンツの物販をやってますが、これが


 150万円くらいの収入!


になっているのです!!!(これだけは自信持って言える)


 データのみの販売と現物を組み合わせての収益ですが、ブログで紹介して即物販なので、実は


「利益率100%」


も夢じゃないのがこの方法。


 ヨシイエは、ふだんは「卸し会社」の社員さんなので、販売価格に対しての「利益率」というものにはいつも心を悩ませています。

 昔は、2割くらいは乗せられたのに、世知辛く不況な昨今では、どこの卸しさんも


「2割も乗せられるかアホー!!!」


という状況だと思います。(誰も高くて買ってくれないから)


 だがしかし!いくら150万売っても、年収150万円だったら貧民やないけー!!!!


 ということで、おえっ!生きていけない!







【ブログで稼ぐ方法4】 ライターで稼ぐ

 ちゃんとした中身のある記事を定期的に書いているブログ主さんだと、いろんな声がかかってライターの依頼が来たりすることもあるそうです。

 あるいは「記事募集」なんかに応募して「兼業ライター」になってしまうこともできるかもしれません。

 しかし、ヨシイエの場合は


「自分の好き勝手に書きたい!」


という欲求を抑えられないタイプなので、果たしてクライアントの求める記事をかけるかどうかわかりません。


 おまけに、記事を1本仕上げて「数百円~」という報酬単価らしいので、


「山ほど記事を書いてなんぼ」


の世界だそうです。おえっ!わしゃ無理!






【ブログで稼ぐ方法5】 オンラインサロンで稼ぐ


 今はやりだそうですね~。オンラインサロン。


 ようするに儲けてるブログを書いている人が主催して


「わしのように儲かるブログをみんなで書こうぜ!勉強しようぜ!」


というサロンです(^^;


 で、なんで収益が発生するかというと


「儲かりたい!あやかりたい!蚊帳吊りたい!」


というサロンのメンバーが「お金を払って入会」するために、 たくさんの人数が集まると、大きなお金になるという!



 実はこの手法、古典的なスタイルで、茶道とか生け花とかお琴とか三味線とか、そういう


「芸事の世界では当たり前の方法」


なのですが、ご存知でしょうか?ちょっと現代的になったら


「フラワーアレンジの教室」


なんかもそうですね。



 ようするに「何かを習うのに、入会金と月謝を払う」というシステムです。


 そのネタ元に「ブログでアクセスを増やすには」とか「ブログで収益を増やすには」という話をもってくるというしくみですね。



 残念ながら、ヨシイエ孝太郎さんには



 それほどファンがいない!!!


のでこの手法が通用しません!



 その前に、このブログのPV増やせよ!おえっ!





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 あかん!このままではブログの世界でも食べていけそうにありません。このままでは死んでしまうので明日も



 おえっ!営業に行こうっと!!!!




 じゃあね。











2016年10月3日月曜日

【学校をめぐる諸問題06】 ポストゆとり、の学校問題を考える。 ~これからガッコウはどうあるべき?!~



 こんにちは。

 ヨシイエが学校問題を扱うのは、久しぶりなのですが、新潮デイリーさんに、これからの教育にまつわる面白い話が載っていたので、そのへんを紹介しながら今日は書いていこうと思います。


 これまで、ヨシイエの記事では主に「学校管理職と職員がカスだと学校は悪くなるぜ!」みたいなノリで書いていたのですが、今回はもうちょっと広い視点で。


 まずは、以下の三本の記事を読んで下さいな。

 

(新潮デイリーさんの記事より)

「学力テストでトップ級」秋田県は、なぜダメなのか

http://www.dailyshincho.jp/article/2016/09301340/?all=1



いじめ自殺を考えた藻谷浩介さん「俺が死んで、あいつらを反省させてやる」

http://www.dailyshincho.jp/article/2016/09301305/?all=1



新時代のリーダーは「進学校」より「崩壊学級」で錬成せよ

http://www.dailyshincho.jp/article/2016/09301310/?all=1





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 話はたいへんに面白く、たとえば「県別学力試験」をやった結果上位に来ている県が経済的や文化的に潤っているかといえばそうではない事実とか、あるいはその県を卒業した人間が東大や京大で有意に多数入学しているかといえばそうではないこととか、


 学力、とされるものと、現代社会における何らかの成果


が、実はあんまりリンクしていなくて、これは変だぞ!?となっていることがまずはスタートラインでした。



 逆に、賢い子供を一生懸命都会に送り届けている田舎の県が衰退していたり、せっかく東大に入ったところが、企業社会の中で生きてゆけなかったり、と問題山積の”学校”なんですが、結論は


「学力や偏差値と、”生き抜く力”はどうやらそのままリンクするのではない」


ということなのです。


 だったら、学校で教えるべきことの内容を見直したほうが、いいよね。ということになるわけで。




 ところが、記事にも出てきますが、


「じゃあ、学校に対して望むことや、あるべき子供たちの成長の中身に対して、共通認識やビジョンがあるか?」


となると、



実は、日本中、誰も望ましい子供の成長なんてわかってない



ことが露呈するわけですよ。



 記事の中では「まともな大人」という言葉が出てきますが、実はだれも


「まともな大人像」


を定義できないのが昨今の日本人なわけで。



 ホリエモンのような起業家はまともな大人なのか。


 政治家はまともな大人なのか。


 シャープやJALの経営者はまともな大人なのか。


 ブラック起業の従業員はまともな大人なのか。


 みたいに具体例を挙げてゆくたびに、



もう、まとも、とか普通の大人像がわからない!


ことになっているのです。





 なので、相変わらず旧来の基準である「偏差値」とか「大学名」とかに頼らざるを得ない、ということが問題点。


 せっかく「ゆとり教育」からも脱して、新時代の「教育のあり方」を模索できるチャンスなのに、単純に「詰め込み復活」みたいになっているのも大問題だとヨシイエは思います。



 恐ろしいことに、賢い大学教育を受けても、世間の荒波にもまれてすぐに



 ポキン



となってしまう子供たちが多いのが実際で、類稀なる「メンタルブーム」は、まさにそこらへんにも根源的問題があると考えます。



 記事の提言では、ガリ勉ヤンキー入り混じった「泥臭い環境」の中で、いろんな視点から立ち上がることができる人材が「新しいリーダー像」として求められていることが出てきますが、個人的にはそうした



 清濁併せ持った人材



が魅力的だとは感じますが、そこへ至るまでにいろいろ叩かれて出る杭が打たれたりもするんだろうな、と思います。


 なんせほれ、失敗とか逸脱を許容しない度は、さらに増しているのが現代日本ですから。



 というわけで、現時点ではまだ学校がめざすべき「ポストゆとり」の理念は未発見なのだと思います。


 とりあえずは学力回帰でしのごう、と誰もが思っていますが、センター試験も改革されるようで、大学全入をどうするかとかを含めて、



 迷走が続く



ことは疑いないわけで。



 そんな中で個人的には、ヨシイエにも子供がいますが、うちの子にはまず



「タフであることと、コミュニケーションがとれること」


を主眼に置きながら育てようとは思っています。



 よくも悪くも、タフさは、ある種のキーワードになってくるんじゃないかな〜、と思いながら。












2016年9月28日水曜日

<実国学を考える20> 平田オリザ 「下り坂をそろそろと下る」 ~日本にとって理想的な下り方とは?~



 車のネタを記事にすると、爆弾のようにアクセスが増えるのに、「実国学ネタ」はさっぱり人気がないヨシイエ孝太郎です。こんにちは。



 もう、実国学の話もずいぶんほったらかしにしていたので「一体それは何の話だったのかな」と怪訝に思われる方もいるかもしれませんが、要するに


「日本という国のありようを、わりと真面目に考えるシリーズ」でありまして、『古典に由来する”国学”を現代風にアレンジしたらどうなるか』という観点で書いているネタ」


ということになります。



 というわけで、実国学ネタをやるときには


「平成の吉田松陰(新)」


を名乗ることにしているこの吉家孝太郎が、今日も実国学を考えてみたいと思います。



※↑原案はつボイノリオ(1976)さんです。女性のみなさんごめんなさい。ごめんなさいm(_ _)m




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 さて、今日の実国学ネタは、



 プレジデントオンラインさんより 「下り坂をそろそろと下る」 平田オリザ
  http://president.jp/articles/-/20149


 ですよ。幕が上がります。


  司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代から、いよいよ加速度的に下降しはじめた我が国、日本。


 坂の上を目指した生き方から、坂を下る生き方が求められている昨今、私たちはどうすればいいのでしょうか?


  平田オリザさんは劇作家なので、演劇を中心としたワークの中から、着想・考察なさっているようですが、ポイントは


「文化」


という視点。文化資本の充実や、そこから文化立国を目指すことはできないものか、という提言でもありました。




 この本の内容が、どういうものか。わかりやすい書評がありましたので紹介しておきます。




【読書感想】下り坂をそろそろと下る  琥珀色の戯言のfujiponさんの記事
http://blogos.com/article/176073/



 実にポイントをついたまとめにもなっているので、ご一読あれ。



 さて、実国学において吉家は、日本と世界のバランスの中で”(まるで鎖国の時のように)小さく存在する日本”をイメージしていることは、正直に認めようと思います。

ところが、その「小さな日本」に適した人数が3000万人程度、だというのですから、これはなかなか興味深いものがあります。


 ちなみに3000万人台は江戸末期から明治の人口、6000万人は大正から昭和初期の人口だと見るとわかりやすいです。



 さて、そこで平田さんは、教育現場での経験も絡めながら


「いわゆる旧来の学力ではなく、文化の側面を重視した人間設計をしてゆくことで、新しい時代の人材が育てられるのではないか」


といった方向へ話を進めておられるのですが、



 実国学者、吉家孝太郎はまったく違う着眼点をもって、このあたりを読んでいました。



 小さな国家、日本を救うのは「文化」という側面であることにはかなり同意するのですが、ヨシイエが見ているところは全然違いました。


 それはたとえば、ヨシイエ的には


「小京都」


といった言葉で表すことができます。


 現在、全国京都会議に加盟している「小京都」は45市町村。そのそれぞれに、伝統的な建築(これはつまり、ある程度金をかけて作った立派なもの)がたくさん現存し、それぞれに、文化的な発展があった、ということを示します。


 小京都を歩けば、たとえば「豪農の家」「豪商の家」「立派な武家屋敷」などに遭遇します。


 そこには、経済と文化の発展の痕跡があった、ということです。



 これに、いわゆる「城下町」を足すと、もっと面白いことがわかります。

 一説には、現在人口10万人を超える町の半数は、「城下町を起源にもつ」とも言われているとおり、各地の城下町にも


「経済基盤と文化の基盤がある」


ことが伺えるのです。



 こんな話をして、何を言いたいかといえば、とても簡単なことです。



 私たちの日本は、全国各地に



「経済的、文化的基盤を持っていたのに、欧米的資本主義とグローバリズムの弊害である資本の偏りによって、東京一極集中の資源活用体制にしてしまったことで、地方と日本全体の元気を失わせてしまった」


ということです。



 もっと言えば、



「藩主や戦国領主が活躍していた時代のように、資本は国内に分散して発展させるべきだ。それがひいては、日本という国の国力地盤を支えることになるのではないか」


という提言をしたい、というわけです。



 これを阻んでいるのは、大企業と中央官僚ということになります。彼らは東京にいて、「所得の高い生活」をずっと享受したい!という変な幻想に取り付かれており、地方の発展にブレーキをかけているのかもしれません。


 ヨシイエ的には、首都移転もありです。あるいは、本当の意味での地方分権もありだと思っています。


 それは、さながら群雄が割拠した「戦国時代への逆戻り」のように見えるかもしれませんが、一部の者達が富を独占して、そこに集った庶民がスラム化するよりは、日本中に


「そこそこのお山の大将が分散しながら、切磋琢磨する社会」


のほうが、面白いような気がしてなりません。



 それが、世界的経済大国から降りた、「小さな国、ニッポン」のあるべき姿のような気がするのですが、いかがでしょうか?














2016年9月16日金曜日

新型フリード 旧型フリード これは確実に進化!新型フリードはフルフラットになる!




  いよいよ本日発売となった新型フリードですが、詳細が明らかになってこそ判明した



 旧型とはココが違う!大きな変化



が発見されました。


 運転席からのインプレッションなんかは、前回の記事をご参照いただくとして、明らかに新型が進化したポイントとして





 座席がフルフラットになる!!!!
 (寝られる)




ということを挙げて置きたいと思います。



(ただし、全席フルフラットではありません。あしからず)


というわけで名づけて セミ・フルフラット(笑)



新型フリードのサイトはこちら。
http://www.honda.co.jp/FREED/




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 初代フリードの中列(2列目)の稼動範囲は200ミリでした。


 それが、マイナーチェンジで240ミリになり、


 今回はなんと360ミリになっているのです!!!


 ぐいぐい動きます。



 おまけに全長が50ミリ伸びているので、1列目から3列目までのそれぞれの間隔が大きく広がっています。



 その結果、こんなことや


 
(画像はホンダさんのサイトからの転載です)


1列目・2列目でフルフラット



こんなことができる!というわけ。

(画像はホンダさんのサイトからの転載です)


2列目・3列目でフルフラット





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 このシートアレンジのおかげで



 「寝られるフリード」だったフリードスパイク


を無くしてもOKになったわけですね。



 そのスパイク代替モデル フリード+(プラス) も、やっぱり寝られる仕様のようで、



(画像はホンダさんのサイトからの転載です)



 こんな感じ。




 ああ、だんだん新型フリードが欲しくなってきたーーーーーー!!!!!!





2016年9月11日日曜日

新型フリード 旧型フリード ここが違う!スペシャル!



 前回の記事では、登場したての「新型フリード」のファーストインプレッションを余すところなく書きまくったのですが、


★前回記事
 http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html



 現行フリード乗り



としては、結局、今のフリードと新型フリードは何が違うのかをまとめてみたいと思います。


 もちろん、デザインや、全長、2列目のスライド幅や、細かいところを挙げるときりがないのですが、


「逆にいえば、そのへんは全部瑣末な部分」


と言っていいかもしれません。



 まず、現行フリード乗りは、



運転的に座った瞬間、「なんじゃこりゃああああ!」



と叫ぶこと請け合いです。



 それほど、運転席の感覚が変化しています。


 でも、これは、ことばや写真などでは伝わりませんので、ぜひ一度本物を触りに行ってください。


 

 ヨシイエ的には、できるかぎりこの差を伝えたいので、できるかぎりやってみますが・・・。



 (旧)


 (新)


 写真は平面になるのでわかりにくいですが、旧型は手前のテーブル層と、奥の本来のインパネ層のレイヤーになっていて、その奥にメーターがあるというデザインです。


 新型では、手前のテーブル層が少なくなっており、インパネ層が意外と手前に来ています。


 なので、旧型の「車内を遠くまで見通せるような広さ」は若干失われていますが、運転に必要な情報がより手前にあるように感じるという意味では、使いやすく?なっています。


 ナビの画面を見るとわかりますが、旧型はナビ画面が遠く、新型は近くなっているのが特徴です。


  右手前方の三角窓にも注目です。新型のほうが、窓が大きくなっているのがわかると思います。




 


 (旧)



(新)


 助手席側は一目瞭然ですね!


 いわゆる旧型のテーブルは必要最小限に小さくなり、足元がぐりーっとえぐれています。その分、助手席の足元は広々になっているというわけ。


 三角窓の大きさの違いも、この角度だとよくわかると思います。


 層になっているレイヤーデザインは、新型でも踏襲されていますが、その実態は大きく変わっています。


 2列目、3列目のシート編成があまりいじれない中、この前席のダイナミックな変化は、新型フリードの魅力だと思います。



(後席については、ディーラーさんとも話しましたが、2列目の移動可能幅が増えているくらいで、大きな違いはありません。ただしシートそのものの感触はよくなっています。旧型よりもシートが厚く、しっかりとしたシートに変わっています)

↑9月16日追記 大きな変化あり!新型は稼動幅が増えたのでフルフラットになるそうです!




(三列めは、意外なほど現行どおり。両側跳ねあげシートなのも同じです)




 







新型フリード レビュー 来て見て触ってきましたよ! ~トヨタ シエンタと比較する~



 さあ、みなさまお待ちかねの



 新型フリード



先行発表内見会に行ってまいりました!!!


 正式には、9月16日発表ですが、本日まだ9月11日!!一週間先取りの



 フリード実車レビュー



です!!!



 まずは概観から!!!



 一部では「ステップワゴン似」とされている新型フリードの顔ですが、初代よりもボンネットが高めになって(厳密には、初代は下からぐいっと新幹線のノーズのように上がっているだけ)ちょっと顔面の肉厚感が増しました。


 このあたりは事前の写真どおり、フリードスパイク寄りです。


 ただ、実車を見て思ったのは


 デザインのおかげで、車幅が初代よりも(横幅が)コンパクトに見える


という不思議な現象が!


 実際には十分5ナンバーサイズの横幅なのですが、「シュッっとしている感」がありました。


 概観からも十分に乗りやすそうな感じが伝わってきます。





 この概観、新型シエンタと比較するとやっぱり「背が高い」イメージが強いです。

 新型シエンタが、背の低いコンパクトカーだとすると、新型フリードは、コンパクトなミニバンの感じ。しっかり高さはミニバンしてます。



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 運転席からのまず第一の眺めはこれです。


 初代フリードに乗っている方は、絶対一度新型フリードに乗ってみてください。




 全然、運転席の感覚が違います!!!!




 これは、カタログデザインでは初代に似せてきているだけに、実際に座った時の違いがビックリします!







 ハンドル付近は、あまり変化なし。



 助手席の足回りは、かなり広くなりました。フリードおなじみの「テーブル」の作りが変わっています。

 前方に広がるレイヤーデザインは踏襲しているだけに、この変化はけっこう驚きです。



 新型シエンタとの違いは、着座ポイントの高さによる「車ジャンルの、根本的な違い」が感じられます。


 簡単に言えば、新型フリードのほうが着座位置が高いので、


「新型シエンタの運転感覚は、普通車やコンパクトカーを運転している感覚」


であり、


「新型フリードの運転感覚は、やや着座位置の異なるミニバンを運転している感覚」


なのです。これは、運転者としては全く別物ですね。




 インパネまわり。初代フリードよりは質感が増しました。高級ミニバンのゴージャスさはありませんが。





 後席まわり。


 確実に、2列~3列めの間が広がっています。3列目シートそのものはあまり変化がないですが、その間の空間が広がっています。

  今回見せてもらったのはベンチシート車だったので、新型シエンタとの中・後席の差はあまり感じられませんでした。





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 まとめです。


 新型シエンタが大きく変化したのは「フリードに似せてきた」からでした。

 そのフリードは初代の完成度が高かったゆえに、「新型との大きな差はないのかな?」と思っていました。


 ところが、まず運転席の感覚が全く違う!ということに驚かされました。


 これはいい意味での裏切りですね。


 三列全体の雰囲気、配置、トータルでのパッケージが大きく変わらないということは、安心感でもあり、面白さの欠如でもあるという矛盾なのですが、


 一度座ればわかります。


 これは、変化なしとみせかけて「変わっている」車だと!



 残念ながら言葉や写真ではこの変な感じは伝わりません。ぜひ実車を触りにいってください!



 フリードユーザーほど、逆に新鮮な驚きがあると思います。





2016年9月9日金曜日

■iphoneの停滞について思う 〜革新は、実はたった一度だけでいいのではないか?〜



 新しいiphoneが登場する度に、世界中でなんだかもやもやした気持ちが発生しているのは、ぶっちゃけていえば


 iphoneにおける革新


が停滞してしまっているからに他なりません。


 そもそも、アップルという会社はIT機器において革新的なデバイスを出すことだけをテーマにしているような企業でしたので、これまで


 マッキントッシュとか

 imacとか

 ipodとか

 iphoneとか


さまざまな機器が、「セカイを新たにするような、すばらしい機器」というイメージで登場し、また登場させてきた会社でもありました。



 そのアップルにおいて象徴されるように


「革新的で、新しく、すごく、これまでにできなかった何かをできるようにする」


ということは、特に21世紀の企業における使命であるかのように思われてきています。



 しかし、ヨシイエ的には、ふと振り返ると、「果たしてそれが正しいのか?」と思う瞬間があるわけです。



 革新的なデバイスを生み出すことが、完全なる善であり、それができれば未来は輝き、それができなければ株価は低迷し、会社は消えてゆく。



 そんな風潮が、新自由主義の欧米や日本に吹き荒れていますが、それでは今回のiphoneのように


「陳腐化し、停滞し、それほどできることが増えず、結果どうでもいい」


という評価を「どんな商品でさえも」受けてしまう、ということになります。




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 果たして、「革新」は常に更新されつづけなくてはいけないのか?


 この問題に、私たちはずっと「そうあるべきだ」という呪縛に囚われているけれど、よくよく考えてみると、そうでない「革新的」な商品は、いくらでもあることに気づきます。



 たとえば、エレキギターの


 ギブソン レス・ポールモデル とか


 フェンダー ストラトキャスター とか



  これらのデバイスは、かつてたしかに一度だけ


「革新的な変化」


を巻き起こしました。しかし、その革命はたった一度だけで、レスポールで言えば


 1952年に起こした革命的変化が、今まで永遠のように続いているモデル


であり、ストラトキャスターであれば


 1954年に生まれた革新的なデバイスが、現在も永遠のごとく続いているモデル


であるわけです。



 そして恐ろしいことに、これらの「一回だけ革命を起こしたモデル」は、なんと現在でも日本円にして二十数万円もの価格で販売され続けているというのですから驚きです。



 ”iphoneは電子機器だから、機能がいつかはチープ化するのだ”


と言う人もあるでしょう。しかし、


"電子どころか電気機器であるギブソンやフェンダーの製品が、いつまでも価値を毀損しない”


ということは、 不思議でおかしな話です。



 もちろん、iphoneは大衆向けのマス製品ですし、エレキギターは一部の人たちの趣味製品であるという違いがあるため、その大衆性や広がりについては、同じ土俵で語ることはできません。


 しかし、数十万円する趣味性の高いマシンであったマッキントッシュと比較するならば、なぜマックは陳腐化し、レスポールはそのままでいられるのかをうまく説明できなくなってしまうという矛盾もあるのです!!


 


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 エレキギターは単なる一例ですが、もしかすると



「革新はたった一度でよい。そのたった一度の革新をやり遂げた製品が、セカイを制する」


のかもしれない例がたくさんあります。


 カルピスは、もはや類似製品も撤退した唯一無二の革新的(むかーしにですが)飲料です。


 軍用輸送機 C-130は、なんと1954年から現在まで「世界最高の輸送機」でありつづけている「たった一度の革新」を成し遂げた機体です。


 まだ2代めな「ジムニー」とか、「ランドクルーザー40/70」とかも、自動車界のそれに匹敵するでしょう。


 こんな例は数えきれないほどあり、そして「それらを産んだ企業は、今日も安定した収益を上げている」ことに、あるいは羨望と妬みを覚えるほどではありませんか?




 今日も、明日も、あさっても革新を追い求めることが正義だと、私たちは錯覚していますが、それで疲弊してゆく人々が山ほどいるのだとしたら、



「革新は、たった一度でいい。たった一度の革新的デバイスが、永遠に用いられつづけることこそ、真の正義だ」


と言ってやってもいいのではないでしょうか?


 iphone7 そろそろ厳しいです(^^;















2016年8月31日水曜日

『ミニバス』として使えるミニバンはこれだ! フリードは○、シエンタは×、その他のミニバンは?!




 ヨシイエは、これまでミニバンファンではなかったのですが、現在乗っている「フリード」のおかげでちょっとだけ



 ミニバンの魅力に目覚めた



気がしております。


 しかし、ヨシイエ的なミニバンの魅力とは、


「多人数が乗せられる」

とか

「シートアレンジが多彩」

とか

「車種によっては、寝られる」

とか、いろんな要素がある中で、まずは徹底してひとつのことを追求したい感じです(^^




 それは、大型自動車免許を持っているヨシイエならではの目線



「ミニバンであり、かつミニバスである」



という部分に他なりません。


 そうです!バスです。


 人を載せて運ぶ車の王者と言っていい、バスの要素をミニバンに求めたい!というわけです。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 いわゆる乗用車の中でバス要素が強いのは、なんといってもハイエースロングの10人乗りバージョンですが、これを含めて


「ミニバス」


と呼べるバスの必須事項として「ウォークスルー」で前列から後列まで歩けること、を絶対条件に考えています。



 というわけで、2列目がベンチシートだと、3列めまでは「バスのように乗り込めない」のでこれは除外!ですね。


  では、これを基準に各社のミニバンを「ミニバス」と呼べるかどうか判定しながら、リストアップしてゆくことにしましょう!!!




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ミニバスなミニバン一覧


<トヨタ>

 実は、トヨタ車のほとんどがミニバス仕様にはなっていません。キャプテン(独立)シートでも、ぴったりシートが横にくっついているので、歩くことはできないのです。

 前列から中列への移動もできない車が大半です。



×・・・アイシス/アルファード/ウイッシュ/ヴェルファイア/ヴォクシー/エクスファイヤ/エスティマ/シエンタ/ノア



■ △ 「ハイエースワゴン」

 いわずと知れた普通自動車の王ですが、実は後席はウォークスルーなのに、運転/助手席から中列への移動が、歩いてできません。なので△評価ですが、後席はもちろんバスそのものです。




<日産>

 日産車はミニバスがありません。キャラバンのマイクロバス仕様がありますが、普通車ではないので除外します。



×・・・エルグランド/セレナ/ラフェスタ/NV350/NV200






<ホンダ>


 トヨタや日産と対照的な設計思想で、キャプテンシートを横にくっつけず、基本的には離して空間を取る、というしくみになっています。

 シートがその分狭く、高級感がありませんが、ミニバス仕様としてはどの車種もよく出来ています。シートを変にたたんだり倒すことなく、最後尾までアクセスできます。



■ ○ 「オデッセイ」7人乗り

  3列ともに歩き回れるウォークスルーを搭載しています。ミニバス認定。




■ △− 「ジェイド」6人乗り

 中列がV字型に移動するため、位置によっては中列から後列への移動ができなくはないのですが、実用的ではありません、前列からは移動不可です。ミニバスにはちょっと遠いかも。


■ ○ 「ステップワゴン」7人乗り

 文句なしのミニバスです。前列から最後尾まで歩き回れる広さと高さを持った、ミニバス界の教科書と言ってもいいでしょう。



■ ○ 「フリード」6人乗り


 こちらもステップワゴン同様に、ミニバス仕様で前列から最後尾まで移動可能です。背は少し低めですが、「最小のミニバス」といえばフリードで決定!と言えるでしょう。




<マツダ>

■ ○  「ビアンテ」7人乗り

  ビアンテもホンダ車のように、前列から最後尾までフリーアクセスが可能です。キャプテンシートですが、きちんと中央に空間が取ってあり歩けます。ミニバス認定!



×・・・プレマシー



<三菱>

 いろいろと問題があって、比較対象不可能です。サイトでは情報が閲覧不可の車種も。



<スズキ・スバル>

 該当の車種ジャンルがありません。



 
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 まとめ 


 意外や意外!ミニバスってホンダ車の独壇場だったのですね!ミニバスファンは、ホンダ車を中心に探すしかなさそうです。


 トヨタ日産にも、独立キャプテンシートのミニバス車が出てくればおもしろいのにな!