2016年9月9日金曜日
■iphoneの停滞について思う 〜革新は、実はたった一度だけでいいのではないか?〜
新しいiphoneが登場する度に、世界中でなんだかもやもやした気持ちが発生しているのは、ぶっちゃけていえば
iphoneにおける革新
が停滞してしまっているからに他なりません。
そもそも、アップルという会社はIT機器において革新的なデバイスを出すことだけをテーマにしているような企業でしたので、これまで
マッキントッシュとか
imacとか
ipodとか
iphoneとか
さまざまな機器が、「セカイを新たにするような、すばらしい機器」というイメージで登場し、また登場させてきた会社でもありました。
そのアップルにおいて象徴されるように
「革新的で、新しく、すごく、これまでにできなかった何かをできるようにする」
ということは、特に21世紀の企業における使命であるかのように思われてきています。
しかし、ヨシイエ的には、ふと振り返ると、「果たしてそれが正しいのか?」と思う瞬間があるわけです。
革新的なデバイスを生み出すことが、完全なる善であり、それができれば未来は輝き、それができなければ株価は低迷し、会社は消えてゆく。
そんな風潮が、新自由主義の欧米や日本に吹き荒れていますが、それでは今回のiphoneのように
「陳腐化し、停滞し、それほどできることが増えず、結果どうでもいい」
という評価を「どんな商品でさえも」受けてしまう、ということになります。
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果たして、「革新」は常に更新されつづけなくてはいけないのか?
この問題に、私たちはずっと「そうあるべきだ」という呪縛に囚われているけれど、よくよく考えてみると、そうでない「革新的」な商品は、いくらでもあることに気づきます。
たとえば、エレキギターの
ギブソン レス・ポールモデル とか
フェンダー ストラトキャスター とか
これらのデバイスは、かつてたしかに一度だけ
「革新的な変化」
を巻き起こしました。しかし、その革命はたった一度だけで、レスポールで言えば
1952年に起こした革命的変化が、今まで永遠のように続いているモデル
であり、ストラトキャスターであれば
1954年に生まれた革新的なデバイスが、現在も永遠のごとく続いているモデル
であるわけです。
そして恐ろしいことに、これらの「一回だけ革命を起こしたモデル」は、なんと現在でも日本円にして二十数万円もの価格で販売され続けているというのですから驚きです。
”iphoneは電子機器だから、機能がいつかはチープ化するのだ”
と言う人もあるでしょう。しかし、
"電子どころか電気機器であるギブソンやフェンダーの製品が、いつまでも価値を毀損しない”
ということは、 不思議でおかしな話です。
もちろん、iphoneは大衆向けのマス製品ですし、エレキギターは一部の人たちの趣味製品であるという違いがあるため、その大衆性や広がりについては、同じ土俵で語ることはできません。
しかし、数十万円する趣味性の高いマシンであったマッキントッシュと比較するならば、なぜマックは陳腐化し、レスポールはそのままでいられるのかをうまく説明できなくなってしまうという矛盾もあるのです!!
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エレキギターは単なる一例ですが、もしかすると
「革新はたった一度でよい。そのたった一度の革新をやり遂げた製品が、セカイを制する」
のかもしれない例がたくさんあります。
カルピスは、もはや類似製品も撤退した唯一無二の革新的(むかーしにですが)飲料です。
軍用輸送機 C-130は、なんと1954年から現在まで「世界最高の輸送機」でありつづけている「たった一度の革新」を成し遂げた機体です。
まだ2代めな「ジムニー」とか、「ランドクルーザー40/70」とかも、自動車界のそれに匹敵するでしょう。
こんな例は数えきれないほどあり、そして「それらを産んだ企業は、今日も安定した収益を上げている」ことに、あるいは羨望と妬みを覚えるほどではありませんか?
今日も、明日も、あさっても革新を追い求めることが正義だと、私たちは錯覚していますが、それで疲弊してゆく人々が山ほどいるのだとしたら、
「革新は、たった一度でいい。たった一度の革新的デバイスが、永遠に用いられつづけることこそ、真の正義だ」
と言ってやってもいいのではないでしょうか?
iphone7 そろそろ厳しいです(^^;
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