2016年9月28日水曜日

<実国学を考える20> 平田オリザ 「下り坂をそろそろと下る」 ~日本にとって理想的な下り方とは?~



 車のネタを記事にすると、爆弾のようにアクセスが増えるのに、「実国学ネタ」はさっぱり人気がないヨシイエ孝太郎です。こんにちは。



 もう、実国学の話もずいぶんほったらかしにしていたので「一体それは何の話だったのかな」と怪訝に思われる方もいるかもしれませんが、要するに


「日本という国のありようを、わりと真面目に考えるシリーズ」でありまして、『古典に由来する”国学”を現代風にアレンジしたらどうなるか』という観点で書いているネタ」


ということになります。



 というわけで、実国学ネタをやるときには


「平成の吉田松陰(新)」


を名乗ることにしているこの吉家孝太郎が、今日も実国学を考えてみたいと思います。



※↑原案はつボイノリオ(1976)さんです。女性のみなさんごめんなさい。ごめんなさいm(_ _)m




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 さて、今日の実国学ネタは、



 プレジデントオンラインさんより 「下り坂をそろそろと下る」 平田オリザ
  http://president.jp/articles/-/20149


 ですよ。幕が上がります。


  司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代から、いよいよ加速度的に下降しはじめた我が国、日本。


 坂の上を目指した生き方から、坂を下る生き方が求められている昨今、私たちはどうすればいいのでしょうか?


  平田オリザさんは劇作家なので、演劇を中心としたワークの中から、着想・考察なさっているようですが、ポイントは


「文化」


という視点。文化資本の充実や、そこから文化立国を目指すことはできないものか、という提言でもありました。




 この本の内容が、どういうものか。わかりやすい書評がありましたので紹介しておきます。




【読書感想】下り坂をそろそろと下る  琥珀色の戯言のfujiponさんの記事
http://blogos.com/article/176073/



 実にポイントをついたまとめにもなっているので、ご一読あれ。



 さて、実国学において吉家は、日本と世界のバランスの中で”(まるで鎖国の時のように)小さく存在する日本”をイメージしていることは、正直に認めようと思います。

ところが、その「小さな日本」に適した人数が3000万人程度、だというのですから、これはなかなか興味深いものがあります。


 ちなみに3000万人台は江戸末期から明治の人口、6000万人は大正から昭和初期の人口だと見るとわかりやすいです。



 さて、そこで平田さんは、教育現場での経験も絡めながら


「いわゆる旧来の学力ではなく、文化の側面を重視した人間設計をしてゆくことで、新しい時代の人材が育てられるのではないか」


といった方向へ話を進めておられるのですが、



 実国学者、吉家孝太郎はまったく違う着眼点をもって、このあたりを読んでいました。



 小さな国家、日本を救うのは「文化」という側面であることにはかなり同意するのですが、ヨシイエが見ているところは全然違いました。


 それはたとえば、ヨシイエ的には


「小京都」


といった言葉で表すことができます。


 現在、全国京都会議に加盟している「小京都」は45市町村。そのそれぞれに、伝統的な建築(これはつまり、ある程度金をかけて作った立派なもの)がたくさん現存し、それぞれに、文化的な発展があった、ということを示します。


 小京都を歩けば、たとえば「豪農の家」「豪商の家」「立派な武家屋敷」などに遭遇します。


 そこには、経済と文化の発展の痕跡があった、ということです。



 これに、いわゆる「城下町」を足すと、もっと面白いことがわかります。

 一説には、現在人口10万人を超える町の半数は、「城下町を起源にもつ」とも言われているとおり、各地の城下町にも


「経済基盤と文化の基盤がある」


ことが伺えるのです。



 こんな話をして、何を言いたいかといえば、とても簡単なことです。



 私たちの日本は、全国各地に



「経済的、文化的基盤を持っていたのに、欧米的資本主義とグローバリズムの弊害である資本の偏りによって、東京一極集中の資源活用体制にしてしまったことで、地方と日本全体の元気を失わせてしまった」


ということです。



 もっと言えば、



「藩主や戦国領主が活躍していた時代のように、資本は国内に分散して発展させるべきだ。それがひいては、日本という国の国力地盤を支えることになるのではないか」


という提言をしたい、というわけです。



 これを阻んでいるのは、大企業と中央官僚ということになります。彼らは東京にいて、「所得の高い生活」をずっと享受したい!という変な幻想に取り付かれており、地方の発展にブレーキをかけているのかもしれません。


 ヨシイエ的には、首都移転もありです。あるいは、本当の意味での地方分権もありだと思っています。


 それは、さながら群雄が割拠した「戦国時代への逆戻り」のように見えるかもしれませんが、一部の者達が富を独占して、そこに集った庶民がスラム化するよりは、日本中に


「そこそこのお山の大将が分散しながら、切磋琢磨する社会」


のほうが、面白いような気がしてなりません。



 それが、世界的経済大国から降りた、「小さな国、ニッポン」のあるべき姿のような気がするのですが、いかがでしょうか?














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