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2018年11月27日火曜日

<実国学を考える 27> ユートピアは幻想なのか? ~共同体の本質を暴く~





 よろしく~、ねっ!


というのはかの有名な「ゆーとぴあ」のネタですが、今日は真面目なほうの


ユートピア(理想郷)


について考えてみたいと思います。




 この話へ至るには、いろいろな複線があるのですが、



■ ひきこもりと労働
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/11/blog-post_9.html



というネタを数回前に書いたり、あるいは




■ 新しき村が100年続いた理由
https://withnews.jp/article/f0181127000qq000000000000000W0ae10101qq000018362A
(WithNewsさんから)



 などを読んだりして、人の生活はどうあれば幸せなのかについて、いろいろと考えているからです。



 今回のwithnewsさんの記事では「武者小路実篤」の「新しき村」が取り上げられています。


 まあ、一種の理想郷ですね。


 この手の話だと、「ヤマギシズムはどうなんだ?」という話も出てくるでしょう。




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 ただし、この連載は「実国学」という視点、つまり日本の歴史における日本人のありように焦点をあてて考えているので、理想郷のあり方においても



「日本と日本人という国家システム」



を念頭に置いた考え方をしようと思っています。



 そうすると、「新しき村」というのは、実国学の目線で見ると、かなり面白い点がいくつかあることがわかります。


 その面白さは以下のような感じ↓



■ 自給自足が理念ではない。太陽光発電もするし、実篤のコンテンツもお金にする。3億の売上を上げたっていい。


■ 人数が増えることが目的ではない。どれだけの人間がどれだけ食えるか、ということを意外にシビアに計算している。


■ 村の内部だけでなく、外部からもお金や労働力を得る手段を考えている。賛助会員など。


■ 私有財産OK


■ 来るものを拒んだりもする




 この、なんていうかお金に対してストイックで真面目な感じが、ヤマギシとはやや違うかな、という気もします。




 もちろん、村落共同体という面では、どのような問題や課題が生じるかについても言及があります。



■ 男と女の問題は、こじれる


■ 怠け者は意外と排除される


■ 何か言う前に自分でやれ


 要するに、ニャートさんなどがアイデアとして考えるような「弱者のための共同体」とはまた、ちょっと違うんですね。



 実は、「新しき村」を知れば知るほど、この集団スタイルは



「高度な自律と自立が要求される」



ということが見えてくるのです。



 ぶっちゃけて言えば、新しき村では「仕事ができなくなった者を抱えておくための集団ではない」ということだと思います。


 むしろ、「自ら自律して活動できる人たちが、共同体というメリットを享受するために集団でいる」というほうが近いかもしれません。


 なので、自ら文化的なコンテンツを起こしたり、事業的なものをやったり、実篤の遺産を「活用」してお金に換えてゆくことができているのでしょう。



 いわば、生活そのものを主題とした「トキワ荘」かもしれません。






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  実国学の視点で見ると、「自分達が食べるために、集団というスケールメリットを生かしてゆく」というポイントは大変興味深いです。


 事実、新しき村の重要な関心事は



「この人数が食えるか、食えないのか」



というサイズ感をしっかり見ていることです。



 日本の歴史は、実はこの繰り返しで、


天皇家から子供達が臣籍降下して源氏や平氏が生まれて、全国各地へ散らばっていって「自活」しなくてはならなくなった



とか、 あるいは、国内では



農地が足りなくなったから北海道や樺太や満州やブラジルへ出て行って土地を必要とした


とか、


 田舎の次男や三男が、都市へ出てきて、サラリーマンという新しい形態が成立した



とか、ぜんぶおんなじ話なんですね。



 つまり、ある定まった範囲範疇の中で、「食えるだけのサイズ感」が残念ながら存在したり、「食えないから外へ出たり、新しいことを始めたり」という動きからは逃れられないんです。




 ということは、ユートピアは無限に広がったり、増殖できるものではない、ということでもあるでしょう。





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 これまた興味深いことに「新しき村は、自給自足が主ではない」という点もヒントになりそうです。



 つまり、


1) 農地農村で作物を育てるだけでは「食える人数が限られる」


のです。ですから、現金化するには


2) 農作物だけでなく、文化的コンテンツをマネタイズする


ということが必ず必要になります。

 

 日本が第一次産業から第二次産業・第三次産業へ移っていって「そのおかげで次男や三男も食えるようになった」のと同じです。




 実は、この産業構造の変容と推移も、ユートピアの作り方と密接な関係があります。



 なぜなら、「個人個人ではできることが限られているが、集団になればなるほど、総体としてできることが複雑で大きくなる」からです。



 だから、個人で理想郷を作るよりは、ある程度「食える集団」でスケールメリットのあるシステムを作ったほうが、



「結果としてより多くの人が食える収益が上がる」



といえるでしょう。




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 そうすると、この理念にかなった共同体が実は既に存在していて、


「トヨタに入って、トヨタの車をみんなで作って、トヨタの社宅に住む」


というのは、ある種の「新しき村」だったのだなということがわかります。



 なので、高度成長期の日本ではこぞってこの「会社ムラ」がどこにもかしこにも誕生し、うまく回っていたことに気付かされます。


ああ!ぼくらはユートピアに住んでいたのね!




  それがうまくいかなくなったのは、どうしてでしょうか?



 これまでの流れを読み解けば、すぐにわかりますね。



 要するに「食える人数が飽和した」のです。



 農地が足りなくなったのと同じように、少なくとも「モノづくり」においては、日本における産業の生産分と、その分け前を分け合う人数とのバランスが崩れてきたということかもしれません。


 かつて、繊維製造産業は、女工哀史の時代をふくめて日本が世界のトップメーカーでしたが、現在ではモノづくりの主役はアジアの別の国になっています。



 都市部では第二次産業ではなく、「第三次産業」が働くことの主流になっていますが、第三次産業の特徴は、もともと物的交換が少ないので、「それがいくらの価値なら妥当かわかりにくい」ため、いくらでも収益が下がってしまう傾向にあります。


 感情労働の正当な貨幣価値


なんてのは、誰にも正しく評価しにくいのは、わかりやすい例でしょう。


 コールセンターで顧客から嫌味を言われ続けることは、はて、いくらの給料なら妥当なのでしょうか?

 誰かに罵倒されることのコストをきちんと積算できる人は、いるのでしょうか?




  話がずれてきましたが、そういう意味では、日本の人口が減少に転じることはもしかすると



「食える人数の適正化」



という意味では本来は、とてもよい傾向だと思います。



(なので、吉家は移民政策には、実国学の視点からみて大反対です)




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 話がやたら長くなってきたのでまとめです。



<ユートピア・理想郷とは>


1) 自主自立した個人が、なんらかのコンテンツを製造し、提供し、頒布することで、食えること。

2) あるていどのまとまりのあるサイズ、スケールによって、食えることの中身が物理的に増えたり、充実したりすること。 また、そのために集合すること。

3) 社会の変容に合わせて、その提供物を変化させられる智恵と行動力を持つこと。

4) その成果を、互いに快く分け合えること




2と4は関係あるし、大事なポイント。


 社会やムラは、当初2の目的のために集合してゆくのだけれど、成果をどうしても「限られた人間が独占するようになる」と嫌な社会が生まれてしまうわけで。


 逆に、この4つの意識がない人には、「来て欲しくない」となるのもわかります。


 それがユートピアというものが、「宗教的で、時に外部から見て恐ろしく感じられる理由」なのかもしれません。


 
 ムラ社会が閉鎖的なのは、そのほうが理想的だからかもしれませんね。


 

2018年9月24日月曜日

<実国学を考える 26-2> 田舎暮らしの本質とは何か



 前回の実国学シリーズでは「地方移住の実態」について「国学」の視点から解説しました。


 今回も、実質的にはその続きになります。「田舎暮らし」の本質について、かなり核心をついた部分を解説したいと思います。



 まずは、今度は「東洋経済」さんから、次の記事を事前にお読みくだされば、理解が進むと思います。



 夢の田舎暮らしにつきまとう「耳を疑う」現実
 https://toyokeizai.net/articles/-/238254



 国学的に地方を研究しているヨシイエからすれば「耳を疑う」どころか、しごくまっとうな話なのですが、ここで取り上げられている

『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』(清泉亮著、東洋経済新報社)


の著者さんは、ある程度国学的な視点を、「身をもって発見」なさったようです。


 記事の概要を簡単にまとめると以下のようになります。


■ 日本はどこまでいってもムラ社会である。

■ 移住にはこれだけは守るべき、という鉄則がある。

■ 永住が比較的簡単に成功する者は、その土地の血縁者か出身者しかいない。

■ 新入りはもっとも下層として扱われる。


 移住におけるこれらの現実を知ると、都会生まれ都会育ちの人は、ひとことで言えば田舎に対しての幻想的な気持ちが



「萎える」



ことは、当然であろうと思います。あるいは、そうした実態を知って「戸惑いや不快感を覚える」という気持ちを持つ人もいることでしょう。



 しかし、もう一方で、前回の私の記事を読んで一定の理解をしてくださった方は、今回の現代ビジネスさんの記事を読んで「かなり似たことを言っている」ということに気づいてくださるのではないか?とも思います。


 そこで、今回は、 清泉亮さんの言葉を「国学的に補いながら」その事実をお伝えしようと思います。
 


 今回引用されている言葉、それは、


『 山間部であれ海沿いであれ、共通するのは、開拓の苦労である。
田舎はことごとく開拓、開墾の地である。どこまで行っても山岳地帯しかないこの日本列島に田園風景、畑が広がるのは、彼らが戦前から戦後も永く、開墾し続けてきたからである。
それは北海道への開拓移民や満蒙開拓団に並ぶ、それぞれの土地の者の血と汗の結果としての風景にほかならないのだ。
その歴史を直視せずして、素晴らしい風景、素晴らしい空気に水、などという表現は、それこそまず移住第一歩からして歴史を顧みぬ、風土と地元民に敬意を払わぬ、おちゃらけにしか映らない。』



というものでした。


 このことをもう少し厳密に説明すると、以下のようなことが背景にあるので、理解しておく必要があります。





1) 日本の農村の風景、里山の風景はすべて人工物である。

  農村の研究、あるいは植生と自然の研究をしている人たちの間では当然のことですが、日本における田園の風景、つまり、私たちが「自然豊かだなあ」と感じる景色は、すべて人工物です。

  江戸時代などに現在見える形に整備されてはいるものの、すべての里山の風景は人工的に整備され、特に最大限稲作に効率化された「システマティックに設計されたもの」なのです。山林は植林され、人間に必要なものが採れるように組み立てられています。

 逆に本当の自然に任せると、道、田畑、山林の境もまったくない「ジャングルのような植生」に埋もれてしまいます。

 たとえ人里離れた限界集落のように見えても、そこは少なくとも十数年前までは高度に整備された人工世界であったことを忘れてはいけません。
 
 ということはすなわち、「都市者が感動する風景や自然は、誰かが管理整備している」ということにほかなりません。田舎に住むということはその「管理整備の実務担当」の役割を、あなたが公的にも私的にも担う、ということなのです。

 美しい田園風景の享受者ではなく、提供者側の仕事を無償で求められる(日役)ということに他なりません。






2) 開拓の話は、戦前戦後どころではない。実は奈良時代の「墾田永年私財法」以降すべてのムラは開拓の歴史である。

 清泉亮さんのことばでは、戦前戦後という比較的イメージしやすい近年のことのように見えますが、実はこの営みは、制度的には「墾田永年私財法」によって「自分で開墾した土地は自分のものになる」というところからスタートしています。

 そのため、自力開墾による「領地」が生じ、日本中の荒地や沼地などが開拓されたことで、「江戸時代に向けて、農作物の栽培量が増えることで、それに釣り合う人口増が成し遂げられた」ということでもあります。

(逆に言えば、土地開墾が進んでいった平安時代~江戸時代までは、人口は微増です。日本の人口は江戸時代にいったん倍増し、明治維新まではまた微増で横ばいでした。人口爆発が起きたのは、コメ経済から貨幣経済(産業革命)へ変わった明治維新以降です。つまり、今ある農地は、その頃にはもう極限まで広がっていた、ということです)

参考>
http://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf




3) 田舎に存在するのは、基本的にはすべて「本家」であり「長男」であり、「祭祀の継承者」である。それ以外の人たちは外部に放り出されている。

 江戸時代の始まりによって「検地刀狩り」で、農村における「領地」は確定しました。そこから 享保時代ごろまでは、農作技術の発展やコメ以外の生産が伸びていわゆる「開拓の成果」が飽和するところまで成長します。

 しかし、そこから明治時代までは飽和状態で、それ以上の人口を養うことができていません。

 明治維新によって、北海道開拓、満蒙開拓が始まるのは「飽和した長男以外の子孫を外部に出す」ということが実態なのです。

(そして、また彼らは家を新たに起こして「領地を得る」ことを繰り返しました)



  ということは、逆にいえば、いわゆる「田舎」に現在も存在するのは、「長男の家系」です。ですから「先祖代々の墓」が継承され、先祖代々の田畑を所有しているのです。


 彼らから見れば、Iターン者、Uターン者は、いわば「領地の継承権を失った者の出戻り」に他なりません。「継承者が断絶しそうな場合は、継承権の復帰」が望まれますが、それ以外の場合には、もともと「継承権を与えることができず、望むと望まざるとに関わらず、追い出したものの子孫」であるということなのです。


 

4) 田舎の人たちは、経済的に困窮しているのではなく「自分たちのみの食い扶持はあり、それを永遠に継承できる」人たちである。


  現代は貨幣経済になっていますが、仮に人口と食料生産が釣り合った場合には、「田舎の本家の人たちのみの食い扶持があって、それ以外は飢え死にする」というバランスになっています。

 なので、もし戦争などが起きると、都市生活者は困窮し、飢えます。(それはアニメ映画の火垂るの墓を見ているとよくわかります。西宮や神戸の人たちが、田舎の人たちと比較してどうなったかを思い出してください)


 2)で引用した人口カーブをもう一度読み解き直してください。明治維新以降増えていったのは、農家の次男三男の家計で、彼らは北海道や満蒙へ出てゆき、戦後は都市へ「金の卵」として出てゆきました。

 それが元に戻るのですから、実は「絶滅するのは、田舎の人たち」ではありません。増えた次男三男の家系が、元に戻るだけです。

  それが証拠に、都市生活者の若者ほど、結婚や出産をしていません。農家の後継ぎは、現在でも積極的に結婚が維持されようとしているのです。




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 前回も口をすっぱくして主張したように、田舎に住むということは


「本領復帰、本領発揮」


以外ではありえません。単なる感傷的な田舎暮らしなんてものは存在せず、「領地をどのように得るか」という主体的な氏族の戦いなのです。


 しかし、戦国時代のようにそれを「主張」すれば、互いの領地や主義を争って殺しあう以外にはありません。


 現在の国内の平穏は「武器を秀吉や家康に奪われて、お上の元に『互いの和平を維持しあう』約束をしている」状態、というわけです。


 そのために、田舎では休戦協定ならぬ、互いの和がその中心になる、ということなのかもしれません。


 




 

2018年9月19日水曜日

<実国学を考える26> この国で地方移住が進まない理由



 しばらく書いていなかった「実国学」シリーズですが、この日本での生活、暮らし、そして生き方の背景にある


「国学(日本学)」


を把握しながら、現代社会を読み解いていこうというコーナーでございます。



 さて、今回のお題は「地方移住と地方創世」について。まずは現代ビジネスさんにこんな話が載っていました。




 この国で、地方移住がまったく進まない根本理由がわかった
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57571





 筆者の方は、理系で工学やら金融に詳しい方のようですが、ごめんなさい。私は彼をまったくDISるつもりはないのですが、



「地方移住がまったく進まない理由が、根本的にわかってない!」



ということを申し上げざるを得ません。ほんとうにごめんなさいね。悪気はないのです。




 この加谷さんの論では、地方移住が進まないことに対しての処方箋というのは、



■ 若年者の地方移住希望は増えている

■ しかし仕事がなかったり給料が安い。仕事のミスマッチもある

■ 自治会に入らないと村八分でゴミが出せない

■ 結論→金銭的な補助だけではなく、田舎の社会システムに手を入れろ



となっています。




 これらの話は、一見すると都会人で田舎に移住しようとしている希望者からするともっともなのですが、実は、話はそう簡単ではなく、すべての原因は




「国学と国の成り立ち」



にあるのですね。



 それがわかると、すべてが解決しますので、今日は国学者としてそのお話をしましょう。






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1)『村八分になるのは、理由がある』


 まずは、ネットでも話題になった、自治会に入らないとゴミ出しができず、あるいは自治会に入るのも「旧来の住民が許可してやっと入ることができる」などの制度についてお話します。



 これは、いくつかの「もともとは切り分かれた別々の事情」がベースになっているのですが、これらのトラブルの原因はすべて「国学的発想」にあります。



 たとえば、とある田舎の自治会ではこういうことがあります。


「市の広報が全世帯に配布されるのだが、市は月に一回公民館に広報を届けて、それを自治会の役員が分担して各世帯に配っている」


「そのため、自治会では、毎年広報配布係を交代で選出して、その人に配布を担ってもらう」


「自治会に入らない!という新入居世帯が現れると、『では、勝手に市役所へ行って、置いてある広報を持って帰ってください。自治会では配布しません』と宣言される」



 はい。これで広報の村八分のできあがりです。



  このお話、新入居者から見ると、「自分の家だけ広報を配ってくれない。差別である」と思いがちですが、自治会入会者から見ると、


「あんたのところだけ、広報係を免れるのに、受益だけ得ようとするのはおかしい」


となるわけで、広報を配ってもらえるという受益には、「広報係に何年かに一度なる」という負担がくっついてくる、ということが裏にあるわけです。



  この話にはもっともっと裏があって、実は「広報を各家庭に配ってもらうために、市は各自治会に対して年間一個あたり数百円の「ポストイン代行手数料」を払っている、ということがあります。



 自治会では、その代行手数料をプールして、自治会活動に当てているので、「みんなで共同して負担をし、また金銭的な受益も得ている」ということになっています。



 だとすれば、市としては、村八分にされた個別の家に対して、たとえばヤマトのメール便などで、市の負担で個別配送をすればいいのですが(実際、そういう対応になる)、それでは費用が膨大になりすぎるので、



「市は自治会を下請けに使って、広報費用や連絡伝達業務を安価に抑えている」



ということが背景にあるわけです。



 仮に、日本の行政から自治会業務を切り離すと、災害の場合の人員把握や、必要な物資の供給などはすべて頓挫します。



 なぜなら、市は、すべての家庭に情報伝達と物資(チラシや広報物を含む)を個配送しなくてはならなくなり、その費用負担だけでパンクすることになります。




 つまり、市は自治会を下請けとして上手に使っている、というわけです。








 2)自治会の正体


  さて、では市の下請けとして機能している自治会は一体なぜ市の下請けに甘んじているのでしょうか。


 それは、現在の自治会機能が戦中に発展した「隣組」の影響を受け、また、それ以前をたどれば江戸時代の「五人組」の影響を受けているから、


「お上の言うことをある程度集団で聞く」



というシステムができることになったのですね。



  隣組も五人組も、広報、物資の供出や分配(配給)、有事の際の避難防衛などを基本としながら「思想統制」や「相互監視」、「年貢の連帯責任」なども負っていました。



  つまり、自治会の機能そのものが、「会員、つまり住民の意思統一を行政の支配下で推し進める」という側面があるために、



「入らないものは、当然除外せざるを得ない」



というシステムになってしまうのです。



 ゴミ捨てにおける村八分の問題にしても、当然「ゴミ集積所の設置と維持管理を自治会に下請けさせた」以上は、自治会に入らずして、受益することは不可能なのです。



 それはあえて言えば、「全地域にゴミ集積所を配置し、定期的に維持管理を直接行う」というコストアップを避けた、市の怠慢とも言えるわけですね。









3)自治会の本質


 しかし、それではまるで「自治会は市の手先」のように思えてしまいますので、そこは改めて置きたいと思います。


  結果として、江戸時代や戦時体制のせいで「市の手先」として使われていることは事実ですが、本質としての自治会は、あくまでも


「自治、自警のための権利集団」


であることは覚えておきましょう。



 いわゆる田舎における自治、というものは、現代リベラル社会における「公民自治」とは少し異なる概念から発生しています。


  ここが「国学(日本の国としての成り立ち)」に関わる根幹なのですが、いわゆる戦国時代には


「領主である武士がいて、武士は職業武士と農業を兼務しながら自分の土地を経営ならびに自警していた」


 ということが、とりあえずのスタートになるでしょう。



 戦国時代には、それぞれの武将がドンパチやりながら領地を増やしたり減らしたりしていたのですが、秀吉の天下統一によって「はいそれまで」となり、その場所で全員椅子取りゲームの曲が止まった状態で、静止させられてしまうのですね。


 その最終局面での領地の確定が「検地・刀狩り」です。


 ここで、いわゆる職業武士は幕藩体制へと移行してゆくのですが、在地の領主は武士から刀が取り上げられて「帰農」せざるを得なくなります。



 しかし、領地は確定していますから、秀吉の時代から徳川の時代に入ると、ひとつの土地に対して


「この土地の所有権はあなたにあり、この土地の支配権・行政権は私たち幕府にあるので、年貢は5公5民としましょう」


というわけで、土地に対する領有権を半々で手を打ったわけです。



 それがそのまま、明治まで来ていますので、つまり



「田舎の土地の所有者は、もともとは戦国武将で、その土地の領主であり、時代の流れで徳川の世になり世を忍ぶ仮の姿の農民ではあるが、今でもこの土地の領主である」


ということなんです。それを明治になって登記しているだけで、このことを「先祖代々の土地」と一般的に言うわけです。



 では、自治会とは何か。これは端的に言えば、「領主会議」です。

 

 年貢というのは、実は農民に科せられたわけではありません。年貢の徴収を受けるのは、先ほどお話したようtに「土地の領主と行政の権利者が収穫物を半分こに分ける作業」ですので、「領主」に科せられているのです。


 それが、村でいうところの「庄屋」「長百姓」などで、彼らは農業経営者であり、元武将の領主であり、水飲み百姓という土地を持たない農民をこきつかって経営をしていたわけですね。


 (つまり、行政者である藩と庄屋はどちらも領主なのです。このあたりから、行政の下請けがはじまります)


(ちなみに、庄屋が藩側についた地域もあれば、農民寄りだった地域もあります。このあたりは江戸時代が現代に近づくについて変動します)



 したがって、「自治会」とは「領主たちが行政者である藩と、どのように協力したり、あるいは時にはどのように自分たちの意見を挙げてゆくか」という高度な政治の場であり、元々は水飲み百姓は土地の権利がないので除外されているのです。




 ところが、戦後の農地改革で、地主層から水飲み百姓への土地の移譲が進み、自治会が「領主層の支配者会議」ではなくなってきました。

 しかし、「土地を持つものの権利会」であることは変わっていません。その対象者が増えた、ということです。






 4)領主たちの権利会


  自治会がそうした経緯を引きずっている以上、特に田舎ではそれに似たような付随した権利の会がたくさん生き残っています。



 たとえば田園農村であれば「水利組合」というのがあり、その名のとおりどのように水を配分するかで領主たちが協議を重ねたり、誰かがでかい口を叩いたり、新参者に対してぎょろりと目を見開いたりしています。


  分りやすいのは「村で持っている松茸山の権利」というのもあります。これなんかは、先祖代々の領主たちの利権を引き継いでいるので、



「自治会入会OK、村の神社の氏子会もOK、でも松茸山権だけはよそ者には加入させない」


なんてのはどこでもそうです。なんで新参者のおまえに売上をわけてやらなあかんねん、ということです。



 いま、少し書きましたが、「寺の檀家がらみの会」とか「神社の氏子」とか「祭りの係」とか、戦国時代からの歴史によって継承されているいろんなことが、



 田舎の村にはある



のが普通です。それは、何度も言うように「国学的視点」がないと理解不能です。






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 こうした問題点のすべては



「土地をもった領主たちが、自分たちの権益を守るためにその村で最大限努力してきたことの証」



でもあり、



「時には藩という行政と対立し、一揆を起こしたりしながら自治を勝ち得てきた」



という歴史的な経緯も含まれています。




 ですので、移住者がふらりと田舎に舞い降りても、消費社会の真っ只中でしか生きていない都市の人間には、理解できなことだらけなのです。


 消費者ではなく、「権益を維持し、発展させる」ことに全力を注いでいる人たちですから、「何かをしてもらう」というフリーライド発想を極端に嫌うのです。


  

 ですので、実国学者である私は、単なる田舎への移住ではなく、



「あなたの氏族が本来領地として持っていた本領へ帰ろう!」



ということを推奨しています。それが「本領復帰・本領発揮運動」です。





 都市生活者の大半は、昭和時代に「農家の次男・三男で本来の領地を継げなかった人たち」の子供もしくは孫です。



 それが金のたまごやら集団就職やら、大学卒業後に都市へ定着したのがみなさんですから、できることならば


「本来の田舎で、領地継承者が途絶えている本領へ、関係者として戻る」



のが一番です。これなら、血縁・地縁の手助けによって、田舎ぐらしの継承も多少はうまく行くのです。


 田舎が領地継承者の絶滅に困っているのであれば、そこへ「本領復帰」するのが氏族としてもふさわしいことではないかと思います。



 ご先祖さまの土地を守るためにも、ぜひ一考してみてください。



2017年8月12日土曜日

<実国学を考える22> 実はマイホームも結婚も幻想だった?! これから日本人が勤勉ではなくなる話



 まいどどうも孤高の国学者、ヨシイエ孝太郎です。



 文春オンラインに少し興味深い記事が出ていたので紹介します。


「地方出身者が作り上げたマイホーム神話という幻想」
http://bunshun.jp/articles/-/3613



 実はこの記事と似たようなことを、ブログに書こうとしていて、あまりにタイムリーだったので、ちょっとばかし引用したい次第。



 この話題、吉家的にはちょっと別の切り口から書こうと考えていました。


 それは・・・。



「日本人は本当に勤勉なのか?あるいは、これからも勤勉であり続けるか?」


という観点です。



 日本人は、勤勉でまじめに仕事を続ける傾向があるので、高度成長などの大きな発展をすることができた、みたいな言説が一般には信じられていますが、どうもこれは鎌倉幕府以来の


「ご恩と奉公」


がその実態なのではないか、という仮説です。鎌倉幕府と源頼朝にみんな従ったのは


「領地をくれる(ご恩)ので、従属してしっかりはたらく(奉公)」


という関係があったからです。 これを擬似的に再現したのが、戦後の日本社会(あるいは明治以降の日本社会)だったのではないか、という訳です。



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 今回の文春さんの記事でもあるとおり、日本の農村では「長男だけが家屋敷や田畑を継承することができる」のが普通でした。


 次男以降は、基本的には分家を立てるか、どこかへ養子へいくか、あるいはまったく別の土地へ行って開墾するか以外には、「新生活を成立させる術はない」のが古来から実態だったわけです。



 分家も簡単ではなく、田畑を兄弟で分ける行為は「田分け(タワケ)」なことですので、それぞれの資産が小さくなることを意味します。本来望ましいことではありません。



 なので、人工増加に伴っては「北海道を開拓して新しい土地を創出する」「あるいは満蒙を開拓して新しい土地を日本人のものにする」ということは必須だったわけです。


 これが、土地(そこから生産される米・食料)に依存した日本の国の姿でした。





 ところが、「食べるのに物理的な食料生産を伴わなくてもよい=産業革命以来の経済変化」が生じます。


 それは「貨幣」というものの力で、明治維新を経て現物の米ではなく、経済的の数字上の力で食べていくことが可能になったわけです。 (だから年貢が廃止され地租が生まれた)



 この頃から、富岡製糸工場へ女の子が務めたりするように、「農家の次男や三男、あるいは農家の娘達が、集団でどこかの企業に入って就職する」ということが増えるようになりました。


 その最たるものが「金の卵」というやつで、田舎から都市への人口移動が始まったわけですね。



 吉家が考える国学的視点では、この都市化の際に



「本家を中心とする、次男や女子の家臣構造」から「企業を中心とする、次男や女子の家臣構造」へと変化したのだ


と考えます。戦後の企業構造が家族的であったということは、言い換えれば、「主従と家臣構造」にも似ていたということでもあるのです。



 さて、家臣はなぜ本家や主家、企業に従属する理由があったのでしょうか?


 それは、まさにズバリ「衣食住を保証してくれるから」に他なりません。いや、「墾田永年私財法」以降、日本の国体の基本を貫いてきたのはぶっちゃけ「土地」ですから、引用した記事どおり、



「企業の家臣になれば、土地・領地が手に入る」


という、ご恩と奉公の関係そのものだったわけです。


 だから、分家して”家”を新しく立てなければ、結婚もできなかった農家の次男や三男でも、嫁の貰い手をみつけて、一家を維持することができるようになったのですね。



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 ところが、21世紀に入ると、企業人として仕えることは、ご恩と奉公でいえば「あまりご恩がない状態」になってしまいます。

 派遣社員などはその最たるもので、家臣ではなく「傭兵」ですから、戦国武将的にはすぐに「牢人・浪人」にならざるを得ないわけです。


 そうすると、果たして主家のために「勤勉に働く」ということが成立するのか怪しくなってきます。



 簡単に言えば、今後の職業人が「領地を貰うことができない」のであれば、主家(企業)からは離反する行動がムーブメントになるだろうと思います。



 元寇の後、必死でモンゴル軍を追い返したものの、与える領地が増えたわけではないので、恩賞があやふやになって崩壊した鎌倉幕府と同じことが、日本の企業体で起きようとしていると考えられます。




 安住する領地・土地がもらえないとなると、「次男三男が(新しく)家を立てる」とか「結婚して家族をもうける」ということは、難しくなってきます。


 マイホームを買うとか、結婚するとかがある程度当たり前なのは現在だけで、未来にはそうした行動は現象するに違いない、という予想が立てられます。



 もちろん、少子化ですから、そもそも次男や三男も激減します。長男長女しかいない、という家が大半になるわけですが、田舎では「本家をその一子が維持しようとする」動きがしばらくは続くでしょう。

 逆に都市部では、恩賞である領地に依存しないので「傭兵として死んでいく」者達が増えることになります。


 ちょうど、江戸時代には、9割が男性で、その多くが未婚のまま亡くなったように、都市部では男女ともに「一人で朽ちてゆく」人たちが増えることになると考えられます。



 その時、日本人は果たして勤勉でいられるのか?



 いや、おそらく大半の日本人は「宵越の金はもたねえ」じゃないですが、江戸っ子の気質のように刹那的なものへと変化するのだと思います。










2017年6月6日火曜日

<実国学を考える21> まだ東京で絶滅してるの? つづきです!機会の平等か結果の平等か。




 前回の記事、


 「幸せなる人生というやつが、だいたいわかった件。 ~まだ東京で絶滅してるの?~」
 https://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2017/05/blog-post_31.html



は、数多くの方に読んでいただき、また敬愛するニャートさまにもツイッターでご紹介いただいたので、心より感謝申し上げます。



 で、これまで



■ 今現存している日本人のうち、3分の2は子孫が絶滅する。

■ これまで、子や孫は増えてゆくものだと思っていたけど、長男が一人代々続くのみ。

■ 都市生活者は、一人身で絶滅してゆくものが多い。



ということを明らかにしてきたわけですが、 元ネタとして引用した森田先生のお話に続きが掲載されていました。






THE PAGE
「7歳までは神のうち」 明治中期、農村で大人になれた子供は10人中7人
https://thepage.jp/detail/20170605-00000003-wordleaf






 江戸時代の都市生活者は子孫を残さず死んだ、というショッキングな話のつづきで、今度は農村に目を向けると、たしかに農村では子沢山だったかもしれないけれど、


「だいたい5、6人子供を産んだけど、大人になれたのは2、3人」


という事実が浮かびあがってきたわけですね。



 この理由は、もちろん、当時の医療水準が高くなかったからで、幼子も何割か死ぬし、もっと酷いことに、妊娠したお母さんも産中産後に、何割かが死んでいたことがわかります。



 では、このことを踏まえて、明治時代のような人口になっているはずの100年後を想像してみましょう。


 医療水準は格段に進歩し、食料水準も私がデブになるほど進歩しているわけですが、赤子の生き残り率はどうなっているでしょう。



 内閣府のデータでは

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webgaiyoh/html/gb1_s1-1.html


2000年から最近までの出生数が年間100万人程度だということがわかります。

2016年に100万人を割り込んだので、そのニュースを覚えておられる方も多いかもしれません。





さて、その出生数に対して、人工妊娠中絶の数を拾うと、



平成25年度衛生行政報告例の概況

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei_houkoku/13/dl/gaikyo.pdf



 中絶数が、年間20万人程度だということもわかってきます。

(統計に出てない数がもっと多いという説もあります)



 日本人の死因のナンバーワンは、ガンでも脳卒中でもなく「中絶」だという問題提起は、最近

沖田×華さんの「透明なゆりかご」

でなされたばかりなので、記憶に新しい方も多いでしょう。




 また、これとは別に自然中絶(流産)の件数を拾うと、これまた、


 流産数は年間18、19万人くらいという推計もあります。




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 自然に起きてしまう流産は、江戸時代や明治時代にもあったでしょうからこれをカウントするのはフェアかどうか微妙なので除外するとして、平成に入っての現状をデータとしてみると


 120万人が生まれてくる可能性があったとして、生まれる前に殺されているのが20万人なので、




 平成時代、日本で大人になれた子供は10人中8人



ということになりますね。ここから、若年死亡者数や、若年自殺者数をひけば



 なんだ、明治時代とそれほど変わってないじゃん!



ということが見えてきます。荒っぽい推計けどね。




 そうなのです。衛生事情や食料事情が良くなって、コンドームまで発明されているのに、



「大人になれないぼくら」


の数は、ちっとも変わらんのですたい!!!






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 なので、表題の通りの疑問が浮かびます。



 子供を産んで淘汰させるほうがいいのか、最初から産まずに殺すほうがいいのか。


 チャンスの平等か、結果の平等か。




 生き残れるかわからないけど、産むだけうんで頑張れ。のほうがいいのか。


 こんな時代に生まれるくらいなら、生まれないほうが幸せなのか。




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 都市生活者のみなさんも、田舎暮らしの人も、自分や兄弟の子孫があと何代生き残れるのか。


 幸せなら生き残ったほうがよくて、不幸なら死んだほうがいいのか。


 絶滅した恐竜と、生き残ったゴキブリのどちらが幸せか。


 「シーラカンスとなるとも、三葉虫となるなかれ」なのか。




 いろいろ考えてみたらいいと思います。

 



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 おまけ。絶滅するあなたへの応援歌、書いてみました。高村光太郎さんの「道程」より。



 「童貞」

僕の前に道はあった
僕の後ろに道はない。
ああ先祖よ
父よ
僕を生み出してくれた広大な父や先祖よ
僕はあなたから離れ、守ることができない
常なる先人の血筋は僕で途切れた
この疎い童貞のため
この疎い童貞のため







(オリジナル 「道程」)

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため


















2017年5月31日水曜日

<実国学を考える20> 幸せなる人生というやつが、だいたいわかった件。 ~まだ東京で絶滅してるの?~






 人生とは一体何なのか。


 この疑問は人類共通の問いだと思いますが、残念ながら「おおむね答えが出てしまい」ました。


 そんな悟りを開いたようなヨシイエのヨタ話に、しばしお付き合いくださいませ。


 哀しいかな、今日のお話は、あまりに救いがないので、万人に読まれるべきものではないと思いますが、ヨシイエの数少ないファンの方には、お話してみようと思う次第です。




 さて、吉家は自称「実国学者」を名乗っています。国学というのは「日本のあり方、ありよう」をじっくり検討する学問ですが、


 万葉集の時代が良かったなあ!
 (荷田春満)


という考え方から国学を構築した先輩もいれば、


 やっぱり神道の精神だよねえ!
 (平田篤胤)


という考え方から国学を立てた先輩もいます。


 国学の流れについては

https://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2015/01/blog-post_23.html

にまとめてあるのでそっちから読んでくださいね。





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 さて、そんな国学の流れを念頭に置きながら、「この日本はどのように生きながらえ続けてきたのか」を実際の実像に迫りながら考えるのが実国学なる視点なのですが、今日はなんと



”実国学的に考える、日本人の幸せな人生”


について、あらかた答えが出てしまった、という恐ろしい話です。





 その前に、以前このブログで取り上げた、


『若い女性が貧困で風俗嬢になるしかないのと、妾・側室になるのとどっちが良いか』
https://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/01/blog-post.html


を予習がてら読んでおいてください。


 ここで何を頭の片隅において欲しいか、というと。


”江戸時代から明治頃までの女の人は、どういう暮らし方をしたのか”

”上流階級数パーセントの人はどうだったか。中流の数十パーセントの人はどうか。庶貧民の数十パーセントはどうだったか”


の2つの問いです。



 そして、このことを覚えておきながら、次の文章を読んでくださいね。





 THE PAGE より

商人は華やかだが、つらい仕事 明治期の彩色写真に記録された呉服屋の実態」
https://thepage.jp/detail/20170529-00000006-wordleaf 





 社会思想と哲学をやっておられる森田先生という方の文章です。簡単に言えば、江戸時代の男はどのように生きたか。というお話。


 たとえば、どこそこの藩主の話や「武士の家計簿」などで、なんとなくですが「上流~中流」の江戸の男子の生き方は想像がつくようになっている昨今ですが、


「中流~下流(つまり当時の日本の数十パーセントの人たち)の男子の暮らし」


というのが、この記事からわかるようになっています。



 先に女の子バージョンの「奉公人から家事手伝いまでの暮らし」について考えたのと、対になっています。





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 上の記事には、実は重要な「答え」が書いてあって、そこがまさに実国学的にはツボだったりします。



 それはどんなことかといえば、



「長男は、子供を産んで育てることができるが、そこからいかに子供が増えようとも、その長男以外は子孫を残していない。なので、日本の総人口は変わっていない」


ということです。江戸時代末(そしておそらく明治頃)まではね。


 それを目に見える生活レベルで描いて下さっているわけですが、一言でいえば


「都市生活者は男女とも子孫を残せないだろう」


ということです。年であれば商家の主人クラスか、地方であれば土地持ち地主クラス以外は、子孫を残すことができず、残せたとしても長男の直系(養子など含む)だけが続いてゆく感じ、なのです。


(もっと恐ろしいことに、記事によると独身で人生を終わるどころか「途中で死ぬ」と書いてある)



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 ここで、恐ろしい話の核となる人口推計を挙げておきます。



 すごく荒っぽいので、詳しい数字が知りたい人はググッてください。

 簡単に言えば、こういうことです。

 鎌倉時代の日本の人口は700万。室町で800万。江戸幕府が出来た1600年で1200万。

 日露戦争で4700万。1900年ごろのお話。


 そこから2000年にかけて100年で日本の人口は1億2千~3千近くまで行くわけです。


 単純に約2.7倍に増えるわけですが、この間


「お父さんとお母さんから子供が3人~5にんぐらい出来て、みんな成人してそれぞれ孫を作って、孫が5人~15人ぐらいになったよね」

 というおじいちゃんおばあちゃんが存在したということです。


 ところが少子高齢化にすでになっており、このままいくと人口推計は、次の100年~で元に戻るとされています。

 2100年時点で、推計は6500万~8000万くらい。


 この時のおじいちゃんおばあちゃんは、


「お父さんとお母さんから子供が2人くらい出来て、子供のうち一人は結婚したけど一人は独身のままで、一人だけ孫が一人出来て、 その孫一人きりだねえ」


という人が大半だということです。


 これが、江戸時代に起きていた「長男の家系だけが存続する」というやつです。



 となると、単純計算で、日露戦争ごろに存在していた家系は、今3倍くらいに膨れ上がっているけれど、元にもどるわけだから、3分の2の今の人たちの子孫は、100年後にはいない、ということになります。


 荒っぽいけど、今存在している日本人のうち、6割7割は、「自分は絶滅しないけど、子孫はかならず絶滅する」ということになります。



 現存している日本人のうち、100年後も子孫が続くのは4割以下だと思われます。


 あなたがどんなに頑張って人生を送っても、3人に2人はどこかで絶滅がやってくるというわけです。


 スーパーマリオの2面で終わるか3面で終わるかぐらいのことで、ほとんどの人はそこら辺で終わってしまうのです。


 あなたがすっごい頑張っていい人生を送っても、息子や娘が「クソみたいな人生を送るのを見る」可能性のほうが高いかもしれないという恐ろしい話です。






~~~~~~~~~~




 とすれば、逆にこの4割はどういう人たちが生き残るというのか。


 まずは、ベタですが、


「子供がいる人」


です。この際、結婚してなくてもいい。子供がいれば子孫はつながる可能性があります。


それから、子供ができてもそこで潰えてしまってはどうしようもないので、


「子供の代でも、その次の子供が作れる家庭を持てる人」


が、さらなる条件になります。


そのためには、


「ひ孫くらいまで、なんらかの形で資産を継承できる人」



が、重要ポイントになります。港区にタワーマンションを持っていてもダメです。孫の代に関東大震災が来て倒壊していたり、タワマンブームが終わっていたりしたらダメだし、孫がアホで定職につけなくてもダメです。


 そうすると、日本全体を見回すと、はるか昔からこれに該当しそうで、これからもこれに該当しそうな人種がいることに気付きます。




① 田舎や地方都市で、昔は庄屋さんだったのよなんて言われながら、

② なんだかんだいって田んぼやら畑を持っていて、それがいま不動産賃貸とかになってて

③ 駐車場とかアパートとか、ちょびっとだけある感じの。

④ お父さんは役場の人で、おかあさんが地域のケアマネージャーとかやってる。

⑤ 大学は都会へ出してもらったけど先祖代々の土地とかあるから、帰ってきて役場に入った息子がいる。

⑥ そんな家柄の長男とか。



なら、あと3代くらい今の暮らしを継承してゆけば持ちそうですね。



 大都会へ出て、大企業へ入り、「全国・海外を飛び回るぜー」とか行ってた人は、これからの100年で激減しますから、それが「勝ち組」になるかどうかはわかりません。


 そういう人は、みな中国人とかインド人になってしまい、日本人ではなくなる可能性が大で、日本人は

「海外じゃなくて内需だぜ」

とかその頃言い出してます。


 地方の役場は、なかなか無くなりません。無くなっても合併で生き残りますから、イスは徐々にしか減りません。




 日本の人口が、江戸時代やら戦国時代に戻るということは、「江戸時代やら戦国時代に領主層として生きていた人たちのスタイル」を実践するものが生き残るということです。


 それ以外は、都市へ出ても独身のまま途絶えるということです。



 ならば、日本人にとっての100年後の幸せは、もはやはっきりしています。


 地方の領主になること。イケダハヤトさんではないですが



 まだ東京で絶滅してるの?



です(苦笑)



 それも、江戸時代に「藩」があった中心地域などに根ざしてゆくことが大事です。そういう場所は、経済や政治においても、なかなか「削減」の対象にならないからです。


 間違っても「ど田舎村の僻地」へ行ったりしてはいけませんよ!





































2016年9月28日水曜日

<実国学を考える20> 平田オリザ 「下り坂をそろそろと下る」 ~日本にとって理想的な下り方とは?~



 車のネタを記事にすると、爆弾のようにアクセスが増えるのに、「実国学ネタ」はさっぱり人気がないヨシイエ孝太郎です。こんにちは。



 もう、実国学の話もずいぶんほったらかしにしていたので「一体それは何の話だったのかな」と怪訝に思われる方もいるかもしれませんが、要するに


「日本という国のありようを、わりと真面目に考えるシリーズ」でありまして、『古典に由来する”国学”を現代風にアレンジしたらどうなるか』という観点で書いているネタ」


ということになります。



 というわけで、実国学ネタをやるときには


「平成の吉田松陰(新)」


を名乗ることにしているこの吉家孝太郎が、今日も実国学を考えてみたいと思います。



※↑原案はつボイノリオ(1976)さんです。女性のみなさんごめんなさい。ごめんなさいm(_ _)m




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 さて、今日の実国学ネタは、



 プレジデントオンラインさんより 「下り坂をそろそろと下る」 平田オリザ
  http://president.jp/articles/-/20149


 ですよ。幕が上がります。


  司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代から、いよいよ加速度的に下降しはじめた我が国、日本。


 坂の上を目指した生き方から、坂を下る生き方が求められている昨今、私たちはどうすればいいのでしょうか?


  平田オリザさんは劇作家なので、演劇を中心としたワークの中から、着想・考察なさっているようですが、ポイントは


「文化」


という視点。文化資本の充実や、そこから文化立国を目指すことはできないものか、という提言でもありました。




 この本の内容が、どういうものか。わかりやすい書評がありましたので紹介しておきます。




【読書感想】下り坂をそろそろと下る  琥珀色の戯言のfujiponさんの記事
http://blogos.com/article/176073/



 実にポイントをついたまとめにもなっているので、ご一読あれ。



 さて、実国学において吉家は、日本と世界のバランスの中で”(まるで鎖国の時のように)小さく存在する日本”をイメージしていることは、正直に認めようと思います。

ところが、その「小さな日本」に適した人数が3000万人程度、だというのですから、これはなかなか興味深いものがあります。


 ちなみに3000万人台は江戸末期から明治の人口、6000万人は大正から昭和初期の人口だと見るとわかりやすいです。



 さて、そこで平田さんは、教育現場での経験も絡めながら


「いわゆる旧来の学力ではなく、文化の側面を重視した人間設計をしてゆくことで、新しい時代の人材が育てられるのではないか」


といった方向へ話を進めておられるのですが、



 実国学者、吉家孝太郎はまったく違う着眼点をもって、このあたりを読んでいました。



 小さな国家、日本を救うのは「文化」という側面であることにはかなり同意するのですが、ヨシイエが見ているところは全然違いました。


 それはたとえば、ヨシイエ的には


「小京都」


といった言葉で表すことができます。


 現在、全国京都会議に加盟している「小京都」は45市町村。そのそれぞれに、伝統的な建築(これはつまり、ある程度金をかけて作った立派なもの)がたくさん現存し、それぞれに、文化的な発展があった、ということを示します。


 小京都を歩けば、たとえば「豪農の家」「豪商の家」「立派な武家屋敷」などに遭遇します。


 そこには、経済と文化の発展の痕跡があった、ということです。



 これに、いわゆる「城下町」を足すと、もっと面白いことがわかります。

 一説には、現在人口10万人を超える町の半数は、「城下町を起源にもつ」とも言われているとおり、各地の城下町にも


「経済基盤と文化の基盤がある」


ことが伺えるのです。



 こんな話をして、何を言いたいかといえば、とても簡単なことです。



 私たちの日本は、全国各地に



「経済的、文化的基盤を持っていたのに、欧米的資本主義とグローバリズムの弊害である資本の偏りによって、東京一極集中の資源活用体制にしてしまったことで、地方と日本全体の元気を失わせてしまった」


ということです。



 もっと言えば、



「藩主や戦国領主が活躍していた時代のように、資本は国内に分散して発展させるべきだ。それがひいては、日本という国の国力地盤を支えることになるのではないか」


という提言をしたい、というわけです。



 これを阻んでいるのは、大企業と中央官僚ということになります。彼らは東京にいて、「所得の高い生活」をずっと享受したい!という変な幻想に取り付かれており、地方の発展にブレーキをかけているのかもしれません。


 ヨシイエ的には、首都移転もありです。あるいは、本当の意味での地方分権もありだと思っています。


 それは、さながら群雄が割拠した「戦国時代への逆戻り」のように見えるかもしれませんが、一部の者達が富を独占して、そこに集った庶民がスラム化するよりは、日本中に


「そこそこのお山の大将が分散しながら、切磋琢磨する社会」


のほうが、面白いような気がしてなりません。



 それが、世界的経済大国から降りた、「小さな国、ニッポン」のあるべき姿のような気がするのですが、いかがでしょうか?














2016年6月24日金曜日

<実国学を考える19>英国イギリスが、なぜEUを離脱するのかは簡単だ。 ~戦国時代に逆戻りする世界~



 なんということでしょう!


 まさかまさかの英国の国民投票による「EU離脱決定!」で世界は慟哭しています。

 

英国がEU国民投票で離脱を決断

http://bylines.news.yahoo.co.jp/kobayashiginko/20160624-00059221/

 

 今日の朝のニュースくらいまでは、「残留に傾いているのか?」という論調が多かったのに、夕方フタをあけてみれば、

まさかのEU離脱

 という展開で、世界の金融市場も大暴落の模様。えらいことです。

 

 しかし、ヨシイエがいつも考えている「実国学」の発想だと、これはすんなり理解できるし、おそらく今世紀の後半は、「世界中がこんな感じになる」と言っても過言ではないと思うわけです。

 

 今回英国人が、「離脱・独立」にかじを切った理由は、簡単に言えば2つです。

「政治経済的に、我々は独立していたい」

「移民はこなくていい、我々は自分たちでやる」

 

という、たった二つのメッセージなのです。

 

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 もちろん、この世界民主主義・資本主義の時代において、民主的で自由を愛する先進国の国民からすれば

「なんでそんなことになるんだ?」

 と疑問符がつくでしょうが、残念ながら、おなじことを日本人として考えれば、日本人も絶対にイギリスとおなじ路を歩むことになることを理解しておきましょう。

 

 簡単な例を挙げてみましょう。

 

 アジア連合とか、アジア経済圏なるものがもし出来上がったり存在していたとして、日本という国家は絶対に経済的にも政治的にも、その連合やら経済圏に「同化」したり、同一通貨を使ったりは、しません。

 

 もし将来的に、民主的経済的に考えて、アジアの国々がそうした連携をとったほうがよい、と頭ではわかっていたとしても、です。

 

 つまり、日本という国は、江戸時代末期に

 

 

 「開国はしたけれども、政治においても経済においても、独立し自主自立の道を歩みたい」

 

と考えているわけです。今、英国人が考えているのも、もちろんそうだし、アメリカでトランプ氏が勢いをましてくるのも、事情は同じです。

 アメリカですら、「世界のことより、俺のことを優先したい」と思っているのですから。

 

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 日本人は、基本的には島国ということもあって、こうした「他人から干渉されたくない」という感覚をめちゃくちゃ有しています。

 それは歴史を辿れば戦国時代からで、そもそも日本人がたくさんの名字を持っているのがその証拠です。

 

名字というのは、「自分の領地を表す土地名」から来ている

 

ので、簡単に言えば、おなじ源氏の氏族でも「ここから先は俺の領地だから干渉するな」とか、たとえ上位の支配者にであっても「ここは俺の領地だから支配権を認めろ(本領安堵)」ということばかり言っているのです。

 

 しかし、歴史と文化の進歩と発展の中で、「みんなで仲良くしようね。自由を謳歌しようね」というベクトルで進んできた結果がこれ→「やっぱり自分たちは自分たちで小さくまとまるわ」ということなのですから、

 

 

 

 

実はグローバル社会は、終焉に向かう


 

という予言をここらでしておいたほうがよさそうです。

 

 グローバルは、先進的で、自由で資本主義な西欧人が、一睡の夢として描いた夢物語だった、というのが未来人から見たオチだったりすることも十分ありえるのです。

 

 実国学では、「グローバル資本主義は崩壊して、最終的な理想形態は戦国時代になる」と考えます。

 日本も、確実にその波に飲まれますから、今こそ「帝国主義復活」にならないような、真の国づくり、国のありよう、を誰もがしっかり考えなくてはいけないと思います。