2018年9月19日水曜日
<実国学を考える26> この国で地方移住が進まない理由
しばらく書いていなかった「実国学」シリーズですが、この日本での生活、暮らし、そして生き方の背景にある
「国学(日本学)」
を把握しながら、現代社会を読み解いていこうというコーナーでございます。
さて、今回のお題は「地方移住と地方創世」について。まずは現代ビジネスさんにこんな話が載っていました。
この国で、地方移住がまったく進まない根本理由がわかった
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57571
筆者の方は、理系で工学やら金融に詳しい方のようですが、ごめんなさい。私は彼をまったくDISるつもりはないのですが、
「地方移住がまったく進まない理由が、根本的にわかってない!」
ということを申し上げざるを得ません。ほんとうにごめんなさいね。悪気はないのです。
この加谷さんの論では、地方移住が進まないことに対しての処方箋というのは、
■ 若年者の地方移住希望は増えている
■ しかし仕事がなかったり給料が安い。仕事のミスマッチもある
■ 自治会に入らないと村八分でゴミが出せない
■ 結論→金銭的な補助だけではなく、田舎の社会システムに手を入れろ
となっています。
これらの話は、一見すると都会人で田舎に移住しようとしている希望者からするともっともなのですが、実は、話はそう簡単ではなく、すべての原因は
「国学と国の成り立ち」
にあるのですね。
それがわかると、すべてが解決しますので、今日は国学者としてそのお話をしましょう。
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1)『村八分になるのは、理由がある』
まずは、ネットでも話題になった、自治会に入らないとゴミ出しができず、あるいは自治会に入るのも「旧来の住民が許可してやっと入ることができる」などの制度についてお話します。
これは、いくつかの「もともとは切り分かれた別々の事情」がベースになっているのですが、これらのトラブルの原因はすべて「国学的発想」にあります。
たとえば、とある田舎の自治会ではこういうことがあります。
「市の広報が全世帯に配布されるのだが、市は月に一回公民館に広報を届けて、それを自治会の役員が分担して各世帯に配っている」
「そのため、自治会では、毎年広報配布係を交代で選出して、その人に配布を担ってもらう」
「自治会に入らない!という新入居世帯が現れると、『では、勝手に市役所へ行って、置いてある広報を持って帰ってください。自治会では配布しません』と宣言される」
はい。これで広報の村八分のできあがりです。
このお話、新入居者から見ると、「自分の家だけ広報を配ってくれない。差別である」と思いがちですが、自治会入会者から見ると、
「あんたのところだけ、広報係を免れるのに、受益だけ得ようとするのはおかしい」
となるわけで、広報を配ってもらえるという受益には、「広報係に何年かに一度なる」という負担がくっついてくる、ということが裏にあるわけです。
この話にはもっともっと裏があって、実は「広報を各家庭に配ってもらうために、市は各自治会に対して年間一個あたり数百円の「ポストイン代行手数料」を払っている、ということがあります。
自治会では、その代行手数料をプールして、自治会活動に当てているので、「みんなで共同して負担をし、また金銭的な受益も得ている」ということになっています。
だとすれば、市としては、村八分にされた個別の家に対して、たとえばヤマトのメール便などで、市の負担で個別配送をすればいいのですが(実際、そういう対応になる)、それでは費用が膨大になりすぎるので、
「市は自治会を下請けに使って、広報費用や連絡伝達業務を安価に抑えている」
ということが背景にあるわけです。
仮に、日本の行政から自治会業務を切り離すと、災害の場合の人員把握や、必要な物資の供給などはすべて頓挫します。
なぜなら、市は、すべての家庭に情報伝達と物資(チラシや広報物を含む)を個配送しなくてはならなくなり、その費用負担だけでパンクすることになります。
つまり、市は自治会を下請けとして上手に使っている、というわけです。
2)自治会の正体
さて、では市の下請けとして機能している自治会は一体なぜ市の下請けに甘んじているのでしょうか。
それは、現在の自治会機能が戦中に発展した「隣組」の影響を受け、また、それ以前をたどれば江戸時代の「五人組」の影響を受けているから、
「お上の言うことをある程度集団で聞く」
というシステムができることになったのですね。
隣組も五人組も、広報、物資の供出や分配(配給)、有事の際の避難防衛などを基本としながら「思想統制」や「相互監視」、「年貢の連帯責任」なども負っていました。
つまり、自治会の機能そのものが、「会員、つまり住民の意思統一を行政の支配下で推し進める」という側面があるために、
「入らないものは、当然除外せざるを得ない」
というシステムになってしまうのです。
ゴミ捨てにおける村八分の問題にしても、当然「ゴミ集積所の設置と維持管理を自治会に下請けさせた」以上は、自治会に入らずして、受益することは不可能なのです。
それはあえて言えば、「全地域にゴミ集積所を配置し、定期的に維持管理を直接行う」というコストアップを避けた、市の怠慢とも言えるわけですね。
3)自治会の本質
しかし、それではまるで「自治会は市の手先」のように思えてしまいますので、そこは改めて置きたいと思います。
結果として、江戸時代や戦時体制のせいで「市の手先」として使われていることは事実ですが、本質としての自治会は、あくまでも
「自治、自警のための権利集団」
であることは覚えておきましょう。
いわゆる田舎における自治、というものは、現代リベラル社会における「公民自治」とは少し異なる概念から発生しています。
ここが「国学(日本の国としての成り立ち)」に関わる根幹なのですが、いわゆる戦国時代には
「領主である武士がいて、武士は職業武士と農業を兼務しながら自分の土地を経営ならびに自警していた」
ということが、とりあえずのスタートになるでしょう。
戦国時代には、それぞれの武将がドンパチやりながら領地を増やしたり減らしたりしていたのですが、秀吉の天下統一によって「はいそれまで」となり、その場所で全員椅子取りゲームの曲が止まった状態で、静止させられてしまうのですね。
その最終局面での領地の確定が「検地・刀狩り」です。
ここで、いわゆる職業武士は幕藩体制へと移行してゆくのですが、在地の領主は武士から刀が取り上げられて「帰農」せざるを得なくなります。
しかし、領地は確定していますから、秀吉の時代から徳川の時代に入ると、ひとつの土地に対して
「この土地の所有権はあなたにあり、この土地の支配権・行政権は私たち幕府にあるので、年貢は5公5民としましょう」
というわけで、土地に対する領有権を半々で手を打ったわけです。
それがそのまま、明治まで来ていますので、つまり
「田舎の土地の所有者は、もともとは戦国武将で、その土地の領主であり、時代の流れで徳川の世になり世を忍ぶ仮の姿の農民ではあるが、今でもこの土地の領主である」
ということなんです。それを明治になって登記しているだけで、このことを「先祖代々の土地」と一般的に言うわけです。
では、自治会とは何か。これは端的に言えば、「領主会議」です。
年貢というのは、実は農民に科せられたわけではありません。年貢の徴収を受けるのは、先ほどお話したようtに「土地の領主と行政の権利者が収穫物を半分こに分ける作業」ですので、「領主」に科せられているのです。
それが、村でいうところの「庄屋」「長百姓」などで、彼らは農業経営者であり、元武将の領主であり、水飲み百姓という土地を持たない農民をこきつかって経営をしていたわけですね。
(つまり、行政者である藩と庄屋はどちらも領主なのです。このあたりから、行政の下請けがはじまります)
(ちなみに、庄屋が藩側についた地域もあれば、農民寄りだった地域もあります。このあたりは江戸時代が現代に近づくについて変動します)
したがって、「自治会」とは「領主たちが行政者である藩と、どのように協力したり、あるいは時にはどのように自分たちの意見を挙げてゆくか」という高度な政治の場であり、元々は水飲み百姓は土地の権利がないので除外されているのです。
ところが、戦後の農地改革で、地主層から水飲み百姓への土地の移譲が進み、自治会が「領主層の支配者会議」ではなくなってきました。
しかし、「土地を持つものの権利会」であることは変わっていません。その対象者が増えた、ということです。
4)領主たちの権利会
自治会がそうした経緯を引きずっている以上、特に田舎ではそれに似たような付随した権利の会がたくさん生き残っています。
たとえば田園農村であれば「水利組合」というのがあり、その名のとおりどのように水を配分するかで領主たちが協議を重ねたり、誰かがでかい口を叩いたり、新参者に対してぎょろりと目を見開いたりしています。
分りやすいのは「村で持っている松茸山の権利」というのもあります。これなんかは、先祖代々の領主たちの利権を引き継いでいるので、
「自治会入会OK、村の神社の氏子会もOK、でも松茸山権だけはよそ者には加入させない」
なんてのはどこでもそうです。なんで新参者のおまえに売上をわけてやらなあかんねん、ということです。
いま、少し書きましたが、「寺の檀家がらみの会」とか「神社の氏子」とか「祭りの係」とか、戦国時代からの歴史によって継承されているいろんなことが、
田舎の村にはある
のが普通です。それは、何度も言うように「国学的視点」がないと理解不能です。
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こうした問題点のすべては
「土地をもった領主たちが、自分たちの権益を守るためにその村で最大限努力してきたことの証」
でもあり、
「時には藩という行政と対立し、一揆を起こしたりしながら自治を勝ち得てきた」
という歴史的な経緯も含まれています。
ですので、移住者がふらりと田舎に舞い降りても、消費社会の真っ只中でしか生きていない都市の人間には、理解できなことだらけなのです。
消費者ではなく、「権益を維持し、発展させる」ことに全力を注いでいる人たちですから、「何かをしてもらう」というフリーライド発想を極端に嫌うのです。
ですので、実国学者である私は、単なる田舎への移住ではなく、
「あなたの氏族が本来領地として持っていた本領へ帰ろう!」
ということを推奨しています。それが「本領復帰・本領発揮運動」です。
都市生活者の大半は、昭和時代に「農家の次男・三男で本来の領地を継げなかった人たち」の子供もしくは孫です。
それが金のたまごやら集団就職やら、大学卒業後に都市へ定着したのがみなさんですから、できることならば
「本来の田舎で、領地継承者が途絶えている本領へ、関係者として戻る」
のが一番です。これなら、血縁・地縁の手助けによって、田舎ぐらしの継承も多少はうまく行くのです。
田舎が領地継承者の絶滅に困っているのであれば、そこへ「本領復帰」するのが氏族としてもふさわしいことではないかと思います。
ご先祖さまの土地を守るためにも、ぜひ一考してみてください。
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