前回の記事
ライターの哲学 ~1円ライターは組織的窃盗団の片棒を担がされたのか~
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/12/blog-post_13.html
で、
ライターとは何ぞや
とか
1円ライターとパクリメディアについて
とか、いろいろ書いたので、クラウドソーシングの実態について知りたくなって、
今さらながら
クラウドワークスとランサーズにどんな案件が出ているのか
について潜入捜査してみました(^^
そしたら、「聞いて驚け見て笑え」な状態で、
1文字1円どころか、(初心者向けライティングでいえば)1文字0.1円
が相場だというから、ビックリくりくりタマゲッゲーでございます。
そして当然のごとく、先日からキュレーションパクリ問題の余波として、
1文字0.1円以下なのに、コピペ・パクリは許しません!
な条件がバンバンついており、貧者はますます追い詰められてゆくのでありました。
これも前のブログで書いたとおりになってるだけですね。
ライター業の終焉 〜ライターという仕事、肩書きが無力化される!〜
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/12/blog-post_7.htmlまさに「悪貨は良貨を駆逐する」であり、かつ「水は低きに流れる」感じです。
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ヨシイエは、職業的に言えばモノ書きではありませんが、モノを書いてお金を貰うことは多々あるわけで、そういう意味では右足の指先くらいは、ライター業に突っ込んでいる気もします。
しかし、基本的には「お金を貰わない」こういったブログもそうだし、あるいはお金を貰う案件であっても
自分の書きたいことしか書かない
というのが基本的スタンスです。
そんな「どこそこの観光地についてデートプランを書け」とか、「借金の体験について書け」とか言われても、デートするキラキラ女子を先に紹介してほしいし借金取りまがいの債務者を追いかけた話しか書けません。
ええ、百歩譲って「作家として、見てきた風に実際と違うことを書け」と言われたら、書ける事は書けるけれども、
あんたのプロットより、わしのプロットのほうが絶対に面白いから、そんなもん書けるか~!
となってしまうのがオチです。
結局のところ、私にとっては
「文字は道具」である
ので、あくまでも主体はこちらにあって、
「文字の奴隷」になる
ことは嫌だなあ、と思うわけで。
ただ、青少年の頃から、「溢れんばかりの自己表現」に満ち満ちていたヨシイエ少年の過去を振り返ると一つだけいえることがあります。
ヨシイエは小説も書くし、論文も書くし、雑誌記事だって書いたことあるし、音楽もやるし映像も作るし、モノづくりもしますが、
そりゃ、一番自分の表現したいことを如実に表すことができるのは映像
だと思っています。 これは間違いない。思ったとおりのものを「目で見てわかる」モノに仕上げるのは、とてつもない快楽です。表現者からすればね。
しかし、「一番金がかかり、自分では思い通りにいかないのも映像」だったりするのです。演者や対象物や対象者が必要なので、それは自分ではないため
「けして思い通りにならない存在を相手にする」
ことになるからです。
その点、文章はすごいです。
なんせ金がかからず、自分の身ひとつで完結することができるからです。
もちろん、金をかけて取材するなどもできますが、金をかけずに済ます方法がなんぼでもある、というのは魅力です。
だからこそ、ライターの報酬もダダ下がりになりつつあるのでしょうが、 それなら
好き放題ブログでも書いて、アドセンス貼っとくほうがマシ
なのかもしれません。
いろいろご意見あるとは思いますが、ヨシイエ的にはこの問題は難しいです。それぞれの立場もあるしね。
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