2016年12月13日火曜日
ライターの哲学 ~1円ライターは組織的窃盗団の片棒を担がされたのか~
毎度おなじみ、ネットの片隅で何かを叫ぶヨシイエ孝太郎です。
WELQをはじめとした一連のキュレーション騒動で、「激安ライターを使って、パクリ記事を大量量産するビジネスモデルはどうやねん」という問題が燃え上がったわけですが、ここにきて、テーマが少し移動してきたように思います。
それは、そもそもの定義に関わるところの
ライター
とは何か問題、についてということになるでしょうか。
キュレーションが、本来たくさんの情報をある一定の表現のために「まとめたり寄せたり編集して見せたり」するような作業であるのに対して、
パクる
ことが実態になっているという件と同じように、”ライター”によるライティングが本来は「取材して整理して中身を編集して書く」作業であるのに対して、
ただ文字を書く
ことが実態になっているのが、どうやねん!ということです。「それをライターと呼んでいいのか問題」ですね。
この問題については、ここ1日2日で、専業の方から1円ライターの方まで、いろいろな意見を述べておられるので、少しだけ拝読してみましょう。
1円ライター問題、「現場の声」から見るキュレーションサイトが生まれた問題
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinoharashuji/20161212-00065323/
(篠原修司さん)
はてな匿名ダイアリー
http://anond.hatelabo.jp/20161210001409
(おそらく本業の?ライターさん)
1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場
http://magazine-k.jp/2016/12/08/writing-for-curation-media/
(コグチスミカさん)
これらの意見をさらりとまとめてみると、
■ 本業(高級)ライターから言いたいのは、「パクるな!コピるな」ということ
■ コピる作業は、ライターとは定義できない。
■ ライターとは、自力でネタを集めてきて処理して出力するまでの仕事である。
■ 書くという作業が介在しているだけで、コピペ・キュレーションとは定義が異なる。
■ 子育て一円ライターという職業の場によって救われている人たちもいるのではないか。
■ パクリメディアがあるから食いつなげている人もいる。
ということになるでしょうか。
上の6行を読んだだけで、勘のいい人はすぐわかることがあると思いますが、それは、
「ライターとは何ぞや」という問題と、「貧者が食べていく」問題はまったく無関係の話である
ということでしょう。
このことについてはヨシイエも完全に同意します。
たとえば、古本屋さんという業種があって、そこで大量の中古物品が買い取りされたり販売されたりしているわけですが、街のゴミ捨て場から古本を拾ってきて売っている個人がいるとして、「わしこれで食べとりまんねん」と言われても、
いや、ゴミ捨て場からまず勝手に取ってくるのはあかんやろ
という次元の話なので、貧者であったり子育てママであったりすることは言い訳にはなりません。
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ヨシイエは、ふだんは世を忍ぶ仮の姿で会社員をしています。しかし、このブログをずっと読んでいる人にはもうバレていると思うので書きますが、
その昔、高校で国語を教えていたプロだったりする
わけです。おまけに、「情報」という科目も教えていたので、コンピュータ業界にも一応は精通しています。
あるいは、いちおうは小説家として、ほんの片足だけ生足を外にちらりと覗かせたこともあるので、
モノを書くとはどういうことか
については、それなりに理解している”はず”だったりします。
そうした背景がある中で「ライターとはなんぞや」という原点に戻るならば、それはやはり
「ライターとは、自分の心のうちを表現する存在である」
ということが根幹になってくるのではないかと思います。
それが純粋に創作的な心のうちであれば、作家という職業に寄ってゆくでしょうし、外界のありようを通じて「自分のそれに対する思い」を表出するのであればルポライターなどに寄ってゆくのだと思いますが、
「誰かに何かを伝えようとする、書き手の外に溢れる意思」
がなければ、ライターとは呼べないように感じます。(個人の感想です)
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とすれば、 書くという作業を介在させたとしても、「自分の思いではない何かを書き写し、あるいは右から左へ受け流す作業」というのは、自分の意思のない
文字の奴隷
に他なりません。文字の奴隷になっているから、物理的にも報酬が少なく、こきつかわれることになるわけです。
とまあ、ここまでは哲学であり、理想論です。
しかしながら、この話には続きがあって、「いや、だが、まてよ。本来であればライターとはそうであるべきだが、
食べていく
となると、話は別だ」
という第二ラウンドが待っているのです。
職業としてモノを書くという作業は、自分の思いの表出とは異なる仕事です。 お金を貰って書くというのは、
「自分の思いを持っているクライアントの依頼で、アウトプットの作業を代行する」
という側面が出てきます。
だから宣伝記事を書いたり、コピーを考えたりするわけですが、いくら代行作業とは言え
「思いを持っているクライアントの意図を汲み取り、聞き出し、変換し、確認して書き起こす」
という任務が待っていることを忘れてはいけません。
出発点が「自分の思い」では無いだけで、やることは本質的には同じなのです。
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ここまでくると、職業ライターとは何か、という定義までなんとか辿りつけたように思いますが、最後に今回のキュレーション炎上問題の本質をあぶり出してみたいと思います。
■ 1円ライターの方々は、職業ライターとしても実は用件を充たしていない任務をしていた。それは、「クライアントから、テーマにあった文章を書けとは言われたが、クライアントの”思い”の代行どころか、その”思い”なんてものが最初から存在しない案件であった」ということである。
これが、第一段階です。
1円ライターさんは、「依頼主の要望に答えよう」とはしています。ところが、普通であれば、クライアントは「こういう思いを代行してね」と頼むのが普通なのに、そこには最初から”思い”なんてものが無い依頼だったのです。
■ キュレーションメディアがさせようとしていたのは、「いいか君たち、ゴミ捨て場でもどこでもいいから、落ちている古本をとにかくたくさん拾ってきて、それを綺麗にして持ってくるんだ」という任務だった。
・・・わかりやすいようにたとえ話にしていますので、 「コピペされたネタ元記事をゴミ扱いしている」わけではないです。そこは誤解なきよう。あくまでもたとえ話です。
ヨシイエの意図はそこではありませんので、あしからず。
さて、第二段階です。1円ライターがさせられていた仕事は、古本集めです。それも集め方の指示があり、おまけに、どうすれば集めてきた古本が綺麗に出来るかまで指導していました。
■ キュレーションメディアは、大きな店舗で集めてきた古本を綺麗な体裁にして大々的に売り出した。外から見ると、「なんとかオフ」みたいに立派な店ではあったが、そこに並んでいた古本が入手された経緯は、すでに述べたようなものであった。
これが最終形態です。このように出来上がった立派な店舗が、キュレーションサイトそのものだったというわけです。
これで、全体像がわかりましたね。
こういうのを見て、みなさんはすべてが腑に落ちたことと思います。
ええ、これは「組織的窃盗団」以外の何モノでもありません。
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さて、ここで1円ライター食べてゆく問題へと話を戻しましょう。キュレーションメディアという依頼者・クライアントが1円ライターにさせていた仕事は、
ライティングでもなんでもなく、窃盗作業
だったことが、今明らかになったわけです。
ヨシイエは上のたとえ話で、「書店から新しい本を盗んでこい」と言われた話ではなく、あえて「落ちている古本」「ゴミ捨て場の古本」という表現を使いました。
重ねていいますが、コピペされた記事主さんの表現物を「ゴミ」とたとえているわけではなく、本当の意図はそこではありません。
「新書を本屋さんでパクってこい」
と言われれば、すべての1円ライターはさすがに「それはまずいやろ」とすぐに気付きます。
ところが、「ゴミとして捨てられているものを拾ってきて」と指示されたのです。
それが「引用」という作業です。
「ゴミ捨て場から不要なものをもってゆくのなら、まあいいのかな」と思わせるのがミソなのです。
「引用だから、まあいいのかな」と思わせるのがミソなのです。
この微妙なラインをついてきた窃盗団の、いやらしさがわかるというものです。
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1円ライターがやらされたことは、組織的窃盗団の巧妙な罠にかかっての仕事でした。
貧者は往々にして、こうした話に知らず知らずのうちに乗せられ、ただのバイトだと思っていたらいつのまにか犯罪の片棒を担がされていた、ということが起きるのです。
この記事をもしコグチスミカさんが読んだとしたら、何か感情が変化するかもしれません。
みなさんは、どう思われたでしょうか?
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