はじめは冗談かと思っていましたが、どうやら事態はかなり本気で進んでいるようですね。
L型大学とG型大学だとか、「文系学部をなくす」だとか、新卒採用の学歴フィルターだとか、根っこは全部関係しているのですが、お国のみなさんは真剣に
国立大学の文系縮小策について
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150614-00000004-pseven-bus_all
優秀なる一部の大学を残して、あとは職業学校にしちまえばいいんだぜベイベと思っておられるようです。
さて、ヨシイエの個人的感覚からお話をするならば、基本的には国や財界が言っていることを否定するつもりはありません。
しかし、そこには前提となる条件のようなものが存在するとは思うのです。
そのことをきちんと理解するには、私たち団塊Jr世代が受けた教育システムや、むしろそれ以前の人たちが受けたシステムというものを思い出しておく必要があろうと思います。
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どういうことか?
カンタンに言えば、私たちが学生だった頃は、
① 旧帝大を全身とする優秀なる国立大学と、
② 歴史と実力のある上位私立大学と
③ とりあえず公立である堅実路線のその他国立・公立大学と
④ あまり優秀ではない私立大学と
⑤ 実業教育に力を入れる専門学校
という序列がしっかりはっきりくっきり偏差値で分かれていました。
そして、そこへ入学する手段として
A) 試験による選考
B) 指定校推薦などの選考
C) 一般推薦などの選考(一芸含む)
D) 出願=合格という応募
があったわけです。
①から⑤の学校別ランクは、いまでもある程度現状に引き継がれているので、わかりやすいと思います。
試験の方は、Cがわかりにくいかもしれませんが、評定平均3.8以上なら誰でも受験資格がある、みたいな「自己推薦」に近い制度がありました。
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さて、こうした学校種別と選考種別があったわけですが、いわゆる優秀でランクの高い大学では、純粋な試験と指定校くらいしか設定されておらず、学力で選別されるというのが当たり前だったように思います。
なので、これらの学校の序列はそのまま社会に出てもほぼ維持されていたし、少なくとも①~③までの大学と称するところでは、文系理系問わず
教養としての学問
はきちんと尊重されていたわけです。
ところが、少子化によってこの序列は大きく変動します。
まず、それぞれの学校が少子化で経営難に陥り、「男女をなんとか一緒にしてしまおう」と考えるところが激増しました。
また、経営改革の一環として、いわゆる職業教育に近い分野の領域までが「大学」と名乗るよう、システムを改めるようになったわけです。
観光学部とか、映像学部とか、どう考えても旧来であれば職業教育であった分野までが、カリキュラム的にかさ上げされて「学部教育」のように見せかけられてしまったのは、大問題だと思います。
結果、専門学校の大半は、男女共学のよくわからん大学へと変貌を遂げ、医学部でもないのに「なんとか医療大」とか、英語もしゃべれないのに「なんとか国際大」とか、そういう意味不明なダイガクが増えるということになってしまったわけです。
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なので、「大学を職業教育機関に改める」とか、「文系学部を減らす」とか、 そういう話は、
④と⑤の大学をターゲットにしている
というのであれば問題ないのですが、
①~③もそうだ、とか、③はどうしようか、②はどうしようか
なんてひと括りにされた上での議論だと、話が変わってくるのです。
だから難しい!!
そもそも、旧帝大卒者からすれば、「大学とは旧帝大のみでいいんじゃ!」くらいに思っているでしょうし、そういう人から見ると
「早稲田も慶応もなんぼのもんじゃい!徳島大?高知大?島根大?琉球大?それ国立なの私立なの?」
という感覚でしょうから、果たしてそれらからも教養主義を引っこ抜いていいものかと悩むわけですよ。
団塊Jr的には、このあたりの線引きはやっぱり①~③とそれ以外になりそうですが、団塊世代だと①とそれ以外になるでしょう。
それにもましてややこしいのが、あえて選考の話を載せたのですが、現代では
AO入試
という、一芸入試以下の「ネタ入試」があるので、大学名と学力が果たして合致するのかどうかもわけわからない状態になっているのです。
一芸入試なら、スポーツや資格や何かの分野で「結果を出した人」なので使い勝手があるのですが、AO入試は、
「ボクってこんなヤツなんだけど、どうだい?」
という入試なので、 現実的には高校生活3年間における学力不足者の敗者復活ゲームと化している節があります。
そして、定員割れ大学の最後の金づるとして機能しているので、お金さえ払えば誰でもOKな状況が生まれているといっても過言ではないわけで・・・。
いっそ、youtubeのアクセス数とかで競ったほうが、論理的かもしれません。
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もちろん、ヨシイエ的には、学校教育というのは究極の「教養主義」でないといけない、と考えています。
文系・理系の教養があるからこそ、時代が変わっても、仕事が変わっても、嫁はんと別れても、会社がつぶれても生きていけると考えているのですがどうでしょう。
実業教育は、たしかにその瞬間は高度な力を発揮しますが、80年という人生を支えるには短い間の出来事しか対応できません。
私はぶっちゃけ、文学部の卒業なので、文系教養教育のど真ん中を歩んできましたが、今の仕事も前の仕事も、そしてこの国での生き方もすべて
純粋学問があったからこそ、生きる軸足を持てた
と感じています。
そういう意味では、学問をないがしろにしていくら実学を身につけさせても、
算数を教えないでレジの使い方を教えるようなもの
とか
力学を学ばずにクレーンを使わせるようなもの
とか
走れメロスを読まずにFBで友達を増やすようなもの
とか
「ゼロ戦かっこええ!」と言いながら「戦争反対です」と言い出すようなもの
とか、そんなことになりそうで恐ろしいのです。
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