2015年6月27日土曜日

<実国学を考える 10> 徴兵制に賛成か、反対か

 アゴラに


 「徴兵制は嫌だ!」という皆さんへ
 http://agora-web.jp/archives/1646462.html


という論説が載っていて、言わんとしていることはわからんでもないので、ふむふむと読んでいたのであったが。


 どんな話かといえば、カンタンなことで、そもそも現役の自衛隊員ですら、志願して自衛隊に来たはずなのに、


「戦争して、死ぬ」


ということをまだリアルに捉えきれておらず、いざ戦争になったら、いろんなメンタル面を含めた問題が噴出するのに、「徴兵制」で兵隊になった人間なんか、足手まといで役に立つわけなかろう、という話なのである。


 ましてや、現代のように高度化された戦争遂行に当たって、促成栽培された素人がどこまで手を出せるかなんて、プロから見ればアホみたいな話に違いない。

日露戦争のように、肉弾戦でどこかの山を攻める(頭数が多いほうが勝ち)わけじゃないんだから、現実はシビアで、兵力と兵士数はかならずしも比例するわけではない


 それこそ、一発の核弾頭は、数万の軍勢をしのぐのである。



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 で、現代の吉田松陰を自称するヨシイエ的には、プロなのか素人なのか(職業軍人なのか、民間人なのか)が問題なのではなく、基本的には


「なぜ戦うのか」


という部分がすっかり抜け落ちているから、そんな不毛な話になるのだ、と思うわけである。


 吉田松陰と吉家孝太郎は国学者であるので、国学者的発想で語れば、理由はカンタンである。


「そりゃ、自分の領地を守るために、領地を奪いに来るやつがいたら戦う」


ということ以外にない。その領地の中で、職業軍人もいれば平時は農民だっているのだけれど、すわその時が来たら、農民だろうが軍人だろうが戦いまくる、というのが戦国時代のおはなし。

 付け加えるなら、戦国武将と農民なんて分けて考えるのは、豊臣秀吉が一応天下統一を成し遂げて、「内部でケンカするなの令」を出したからであって、 つまり、領地をめぐって争うことが理論的には成立しなくなったので、職業軍人はそれ専門になりえた(豊臣家に仕えるという新しい仕事が生まれた)わけである。


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 こんな話をすると、ちょっと左曲がりの人は、


「それじゃあ、民間人が竹やり持ってアメリカの飛行機に立ち向かおうとしたのと同じじゃないか」

とか、わけのわからん話を持ち出すかもしれないが、なぜアレがいけないのかみなさんわかってらっしゃる??

 日本国民が総出で戦争に借り出されたのは、「天皇陛下を守るため」であり、その理論が間違っていることをまず押さえておきたい。


  天皇陛下とか関係なく、あなたの家族や、あなたの家屋敷や、あなたの田畑を荒らし、危害を加えようととしている異国のモノが現れたとしたら、あなたはきっと職業が何であろうが立ち上がるに違いない。アホだったら竹やりを持ってくるだろうし、もう少し賢ければ重機を持ち出すとか、車で体当たりするとか、あるいは何ステップか飛び越えて、銃火器を扱いたい!と思うことだろう。

 その延長線上に、つまりは自衛隊への志願が増えることになるわけである。

 (ちなみに、ベン・ハーことチャールトンへストン率いる全米ライフル協会は、どちらかといえばこの主張をしている。わが家を守るために、銃を持つのは権利である、と。

 刀狩で武器を差し出さなかった農民と理屈は同じだ。)

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  というわけで、結論は、ヨシイエは徴兵制ではなく志願制で十分だと思うが、日本人に足りないのは


「あんたは何を守り、何を背負っていきていくのか」


という根幹部分であって、それが完全に欠落しているほうが問題だと考えるのである。

 そして、それは大上段に振りかざした

「国(領土)を守る、日本を守る」

なんてショボイことではなく、

「俺は、自分の家と家族を守る」

というそれだけのことなのだ、という当たり前の意識を確認するべきなのだ。


 そのためにも、一刻も早く


本領復帰運動

本領発揮運動


をスタートさせなくてはいけないのである。


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 現在は、お金中心の経済社会であるが、実は貨幣を力とするということは、 土地・領土に対するアンチテーゼであることに気づかなくてはいけない。


  土地・領土が安定的であると、そこから確実に生きる糧を得られるため貨幣に依拠しない生活ができる。

 ところが、土地がないと頼みにできるのは交換できるモノもしくはその代替である貨幣しかない、という状態に陥る。


  モノを生み出すにも土地が必要なので、結局、土地を持たない流浪の民こそ経済発展するしか生きるすべがない、ということになるわけだ。


 そのため、ユダヤの人々や、華僑など、「土地に根ざさない流浪の民」は、独自の経済ネットワークをいち早く拡大化させて、欧米社会で生き延びるようになっていったわけである。


 日本は、経済発展したものの、もはやそこから転落が始まっているのだから、いまこそ「領地領民の幸せ」に根ざした生活へと戻る必要がある。

 それとも、日本人は、本気で領土領民を奪われないと、そのことに気づかないとでも言うのだろうか。そんなアホな!



 だからヨシイエは「実国学」だの「本領復帰」だの「本領発揮」だの言い続けているわけだ。


 この国学的視点が、疲弊する地方を救い、少子化を合理的に解決し、そして、外交の指針ともなるというものすごい可能性を秘めているわけだが、残念ながら誰もたぶん理解してくれないだろうなあ(笑)

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