うちの奥さんが僕と結婚したときに驚いたのは「それはもう、なんという友達のいなさ」ということでした。
なので、小学校以来の友人に出会ったりしている僕の姿を見て、「あんたにも友達がいたんや!」とさらに重ねて二重の意味で驚いたそうです。
さて、最初に申し添えて起きますが、上記のとおり、僕には友達がほとんどいません。
というより「友達は要りません」と考えているほうに近いと思います(笑)
なので、今のようにSNSが全盛になり、FacebookがどうたらとかLINEがどうたらとか、セケンでは盛り上がっているようですが、あまり僕は影響を受けていないと思われます。
ところが、僕は友達は全くいないのですが、仕事では最終的に数百人に上る顧客や関係者と毎日にこやかに関わりを持っているし、別にやっている某趣味兼実益のほうでは、毎年何人も全国から「僕に会いたい、僕に▲▲を教わりたい!」という奇特な人がいらっしゃるので、喜んで出会ったりしています。
ちなみに、僕の技術を伝達伝承した人は、すでに1000名以上に上ります。
というわけで、僕のことを「社会性」の面から知っている人は
「ああ、ヨシイエさんはいろんな人と繋がりがあるなあ」とか
「ああ、ヨシイエさんこの活動にも顔出してるの?」とか
「ヨシイエさん(本名で)また、こないだ新聞に載ってたね」とか
そんな風に「社交的な人だ」と誤解しているに違いありません。
断じて言っておきます。間違いです。僕は精神的には引きこもりに近い「孤独を愛するナイーブな」青年なのです。
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僕が一見社交的に見え、いろんな活動の場を持っていることは、僕の「本質・心の中身」とは何の関係もありません。
ショップの店員さんがいつも笑顔であるとか、女優さんが今日もにこやかにひな壇に座っているとか、そういうのと同じで、
自分の役回りをポジティブに遂行している
ということに過ぎません。それを演じている、とまで言うのは、ちょっと極論かもしれませんが。
なので、僕自身は「自分は基本ひとりぼっちであってよいし、それで十分気に入っている」というところに軸足を置いて、かつ、社会生活の上では
のびのび自由に
やっているのです。
ベースの部分で、世間や社会やそれこそ友達に期待していないし、そこに必要以上の重きをはなから置いていないので、真の意味で自由です。
誰にも振り回されることなく、自分の基準・規範・考え方を持つことが出来ています。
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ところが、昨今では、SNS上での「友達の数」を競ったり、「いいね」をもらうことに気を揉んだり、「リアルが充実」していないと不安になったりする人たちが多いようですね。
そういう意味では、新社会人のみなさんが歩んできた社会の雰囲気として「多くの人に愛され、認められているべき」であるというオーラが、そこかしこに漂っていると言ってよいでしょう。
しかし、それらが幻想に近いものであることに、いち早く気付いて欲しいと思います。
では、ここからは「なぜ人はひとりぼっちである」ということを知っておく必要があるのか、ということをお話します。
キンパチ先生も言っているように「人は、互いに支えあって生きている」ということは、その通りだと思います。ひとりぼっちではなく、互いに手と手を取り合っている社会は、たしかに「良い」ものではあるでしょう。
しかし、この社会では、「それが良いことである」という一般的な認識があっても、「それを社会は自分に施してくれる」という期待を抱いてはいけません。
この社会のルールは、たいていの場合
■ 自分の行動については自分でケツを拭け(自己責任)
■ 困難は自分で対処せよ
■ 誰も、他人のやっかいごとに巻き込まれたくない
■ 誰も、あなたのために謝ってはくれない
ということが「最初のスタートアップ」であることが多いからです。
それを忘れて、「誰かが自分を助けてくれるべきだ」と誤解をすると、ひどい目に合います。
東北の震災の時に「てんでんこ」という言葉があることを知りました。津波からは、自分ひとりの力で逃げなくてはいけない。自分で判断しろ。という教訓です。
そう、社会においては、あなたが身につけておくべきルールは、まず「てんでんこ」なのです。
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ところが、「自力で、自分の力で戦っている」者を見ると、人間には逆にいいところもあって、周りにその真剣さが伝わり「サポートしたい・協力したい・アドバイスしたい」という気持ちが生まれるのもこれまた事実です。
そこから、仲間・友達・同僚の力は、少しずつ結集してゆくことも確かにあります。。
しかし、そうした仲間の力は、「あなた自身が自ら立ち向かっている姿」があってはじめて成立するのだということを忘れてはなりません。
人はひとりぼっちである、という厳しさを知る者には、おかしなことに周囲が放っておかないものです。
しかし、常に誰かに支えて欲しがっている甘っちょろい輩を見ると、悲しいかな人は「そんなん自分でやれや」と冷たい気持ちになるのです。
「誰かに支えて欲しい」という台詞を言っていいのは、ベッドの中の女性だけかもしれません(苦笑)
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