それは「こだわりを捨てない人は損をする」ということです。
こだわり、という言葉は難しいもので、本来は「全くもってマイナスの意味の言葉」なのですが、現代では
「こだわりの名品」
「こだわって仕事をする」
などのプラスの意味で使われることも多く、誤解を生みますね。
辞書における「こだわる」の意味はこうです。
★ 小さなことを気にする。捉われる。
★ つかえたりひっかかったりする。
★ 難癖をつける。けちをつける。
★ 自由に考えることができなくなる。
★ 差し障る。
あれまあ!本当に悪い意味ばかりですね。
職業人・社会人の中には「自分はこの件・この分野にはこだわりがある」「こだわって仕事をしている」という人が確かにいます。
しかし、そうした人たちは、仕事の回転がうまくいってるうちこそ、そうした「こだわり」を自慢していますが、ちょっと流れが悪くなったり需要が減ると、人知れず消えていくことが多いです。
大切なのは、こだわりではなく「柔軟に対応できること」だと思います。いかなる時においても。
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しかし、大半の人は、上記のように「こだわりを捨てて、柔軟に対応しなさい」ということを言葉で言われても、真の意味で理解しません。
むしろ「俺は柔軟だ!」と頑なに主張したりしますので、ここではよりわかり易い言葉に改めたいと思います。
新社会人のみなさん。 怒りを捨てなさい。怒るな。
と。
このほうが数倍わかり易い金言だと思います。そう。社会生活、サラリーマン生活、あるいは仕事生活の上で最もに近いぐらい大事なこと、それは
怒るな
です。
残念なことですが、現代の日本社会は、たとえば「会社の不正を発見し、それを正義に基づいて訴えても自らも損し、会社も損する」社会です。
このことは、それこそネット社会ですから、「内部通報者」がどのような処遇になり、そして会社がどうなったかの事例がたくさんありますから検索してみてください。
繰り返し残念なことですが、「内部通報者が正義の名において良い結果になった事例」がほとんどなく、「それによって会社が改善された事例」がほとんどないことに気付くでしょう。せいぜいその会社がつぶれるくらいです。
これは、日本社会の成熟度が、正義の意味においてそこまで到達していない、という証でもあるので、重ねて残念なことですが、所詮その程度のレベルなのです。わが国は。
ということは、新社会人の諸君が、「これは正義の名において間違っている!断じて正さなくてはいけない!」という正義の怒りを覚えたところで、それは改善もされず、そして、その怒りによってあなたは生きづらくなることを示します。
だったら、社会人であれば別の方策を模索したほうがよほど健全です。生き延びてください。
昔、山口さんという裁判官が「闇市の食料を買わない」と決めて餓死したことがありましたが、それほどまでに正義を貫くよりも、ボクはあなたに「生きろ!生き延びろ」と伝えたいと思います。
ウィキペディアより 山口良忠
そして、あなたの生きる会社がそれほどまでに「正義」を失っているのであれば、遠慮なく
「辞めろ!辞めてしまえ!」
と伝えたいと思います。
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とまあ、ここまでは一応「正義感に基づいて」会社が善ではないと感じた時のお話ですが、まあたいていの場合は、新社会人のあなたの感じる
「怒り」
というのは、貴様の小さなプライドを傷つけただけの屁みたいなもん、に過ぎません。
その怒りの源泉は、ゴミやカスレベルであり、それごときで怒りを覚えるあなたも同レベルです。
そう、最初の話に繋がります。「その怒りをもらたした、あなたのプライドやこだわりなど、取るに足りない」ということです。
社会で生活していると、いろいろなことであなたのプライドは傷つけられます。怒りを覚えることが多々あるでしょう。しかし、社会生活や会社人として生きるうえで、そうしたプライドは完全に不要です。
それと同時に、相手があなたにぶつけてくる、これまた「怒りやいいがかり」についても、全く気にする必要はありません。それもカスのようなものです。
たとえばこんな場面を考えます。
あなたは顧客に大声で怒鳴られたとしましょう。あなたが本当に悪くても、本当はあなたは悪くなくても、顧客は大声で怒鳴りつけます。
「なんでそこまで言われなあかんねん!」
と内心怒りを覚えることでしょう。
しかし、ここで考えてください。なぜ、顧客は怒鳴るのか。
「そりゃ、俺が悪いと思っているからやろ」
と単純に考える人が多いと思います。たしかにそうですが、それは表面的なことです。
本当は「顧客があなたに怒ることによって、自分のほうが偉いんだという感覚に陥ることができる」というのが心理的な理由です。
人は、他者より優れていると思うことにものすごく快感を覚えます。自分は勝者だと、盛り上がります。自分は正義の鉄槌を下している「正しい者だ」と思うからです。
そして、あなたの方は、「そこまで怒ることや、威圧的態度で接する者は悪だ」と内心思っています。
なので、向こうも「自分は正義だ」と心の中で感じ、あなたも「本当は自分が正義でむこうが悪だ」と感じていることになります。
つまり、どちらも同じレベルなのです。
同レベルの怒りがぶつかりあっているだけで、何も建設的なことは生まれていません。
だとすれば、今こそ怒りを捨てましょう。
怒りを捨てるということは、正しい判断をするということです。
つまり、本当にあなたが悪いことをしたのでそうなったのであれば、心から誠意を尽くして謝ることで、逆にあなたは悪くないのに怒鳴られているのであれば
「ああ、この人は私の優位に立つことで、小さな虚栄心を満足させている可哀想な人だ」
と思うことです。だとすれば、哀れみこそ生まれても、怒りは消えます。
怒りが消えれば、適切な結果を導くことができます。
心から謝罪することもできるし、相手の小さな虚栄心を満足させるしたたかな態度を取ることだってできるのです。
いずれにしても「怒りは不要」です。
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