今年、40歳になる僕が、いわゆる社会人として世の中に出ていた期間は18年です。それを長いと見るか短いと見るかは、いろんな考え方があるとは思いますが、僕のこの「18年間」で学び知ったことを今回もお届けしましょう。
新社会人の人に覚えておいてほしいことの2つ目は、
「成果主義や実力主義の言説に惑わされるな」
ということです。
海外型の働き方が日本に入ってきたり、企業の査定の上で成果を重視した評価が導入されたりした結果、「成果主義」「実力主義」なるものが一定度合い「当たり前」のようになっている昨今ですが、こうした考え方に惑わされないように、少しだけ留意しておいてください。
これらの「成果主義」や「実力主義」なる言葉は、特に上昇志向の若者の心をくすぐります。
「実力のあるものが高い収入を得て、成果を出したものは評価されるべきだ」
という考え方は一見正論のように見えます。
なので、若者からすれば「あまり働いていないように見える上司やオヤジ」や、「地位にあぐらをかいている年配者」に対して、批判したい気持ちが生まれるのもわかります。
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しかし、「力のあるものが評価されるべき」という論理がいかに理屈の上で正しくても、実際の運用においては恣意的なすり替えが行われていることのほうが多いのです。
そもそも、まず「実力主義、成果主義」を計るものさしを考えた時に、それが正確に機能するためには、金額ベースの売り上げもしくは、数量ベースの出荷数などの
「数字」で計測する
以外に方法はありません。ということは、実力があるものとそうでないものを測りつつ、それを給与や待遇に反映させるためには
「完全歩合制の仕事」
でなくてはならない、ということになります。
完全歩合制の仕事であれば、当然出荷量もしくは売上高でその人の実力を測ることができます。しかし、おそらく、このブログを読んでいる人の95%以上の人は
完全歩合制では働いていない
と思います。
となると、いわゆるふつうの月給制の仕事において「あいつは実力がある」「俺には実力がある」ということを正確に計測できる職種というのは、とても少ないことに気付きます。
例えば営業職であれば「月給基本給+歩合制」というところもあります。そういう給与体系の人は、既に実力主義でかまいませんが、それ以外の人の能力をどうやって計測すればいいのでしょうか。
たいていの場合、それが企画職であれ、事務職であれ、あるいは現場サイドの仕事であれ、その人の仕事の評価は
上司が体験的に判断している
ことがほとんどです。
なぜなら、上司は数量的に計測できないので、体験的に「雰囲気・イメージ」を加味しながら判断せざるを得ないのです。
もう、この時点で「実力主義・成果主義」なるものが怪しくなってきていることに、賢明なあなたなら気付くことでしょう。
「なあんだ、つまり実力とは『上司に気に入られる力』なのか」
と。
そうです。そして、上司は気に入ったものに、「成果の出る仕事」を与えます。
嫌いなヤツに「大きなプロジェクトを任せる」ことはしません。
ということは、「気に入られた部下は、成果が出るプロジェクトにつくことができ、成果を出すことができる」というプロセスが存在していることがわかりますね。
こうして、結果として、「あいつは実力がないのに、なぜ俺より評価が上なんだ!」という問題が生まれるわけです。
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この社会においては、「実力」とは「販売力・提案力・企画力・実行力」だけを指すわけではありません。
それより価値があるのは「媚びる力・従う力・耐える力・甘んずる力・捧げる力」だったりします。そう、これらも社会における実力の一部なのです。
こうしたことを知っているか知らないかは、大きく人生を左右します。
そういうもんだ。社会にはそうした変な側面がある。社会はちょっと(性的な意味じゃなくて)やらしいところがある。
という前提に立って仕事をすれば、気がかなり楽になり、のびのび仕事できるはずです。
しかし、社会は表立って「媚びろ!従え!耐えろ!甘んじろ!捧げろ!」という要求を口に出してしません。
そのあたりを大人は「空気を読めよ」とわざと黙っているのです。そう、あなたたちの好きなKYの話です。
空気をよめ!と思っているのは大人だって若者だって同じなのです。空気を読めないヤツは、疎まれる。それは大人も子供も同じです。
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もう少し他の側面から、「実力なるもの」を検証してみましょう。
とある会社の営業部に配属された新人君から見ると、おなじ営業部の先輩あるいはプチ上司の係長や課長と自分を比較して、ある事実に気付きます。
先輩は、あまり努力をしなくても、勝手に顧客が注文をくれるのに対して、自分は新規顧客を獲得するために走り回らなくてはなりません。これってどうなんだ?なんだか不公平な気がする!と思うのです。
先輩は、既に100の顧客を有しているため、努力をしなくても売上目標を達成できます。そして、売上高も高く、査定の結果高い給与を維持しています。
新人君は、10の顧客をあてがわれたものの、それ以上の顧客を探さなくてはならないため、当然売り上げ目標に到達しません。そして、給与は低いままです。
こうした状況を見て、「悶々」とする若者はたくさんいるでしょう。
会社にとって「実力がある」のは先輩で、新人君は実力がありませんので、低い評価となります。
この状態で「成果主義が大事だ!」「実力主義がいいんだ!」と誰かが唱えれば、
「ああ、これじゃぜってえ俺たちは先輩に勝てないじゃん」
ということに気付くと思います。
そうです。実力主義を叫ぶということは「既得権益を守る」ことを示す場合もあるのです。
この場合は、実力という言葉の裏に「経験や年数」が隠れていることに気付かなくてはなりません。
もちろん、僕はこうした上司や先輩を批判しません。彼らは若いときに同様の経験、一からのスタートをして、そうした100の顧客を勝ち取ってきたという歴史があると思うからです。それは尊重に値することです。
「今楽そうにしている人たちは、かつてバリバリ戦っていた」ことはよくある話です。
しかし、本当に実力主義だらけの世の中になると「バリバリ働けなくなった瞬間に脱落する」という社会が訪れるということですから、大人たちは、あなたが思うのと同様
「そんな社会は嫌だ」
と今の楽な身分を失いたくないのです。従って、努力は常に若者にあてがわれるわけです。
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新社会人にとって、これからの世界は理不尽なことや怪しいことがたくさんまかり通っていると思いますが、そこにはかならず理由があります。
逆説的に言えば「実力主義・成果主義」を推し進める言説があるとすれば、そこにどんな「裏の意図」があるのかもちょっと考えたほうがいいかもしれません。
いちばんアホなのは、「自分には実力があるのに、評価されない」と思い込んでフリーランスになることです。
そういう人は、実力がないことがほとんどです。残念ながら。
本当に実力があって独立する人は、そこに至るまでに周到な根回しをします。それは、やっぱり
「媚びるフリ・従うフリ・耐えるフリ・甘んずるフリ・捧げるフリ」を着実に遂行できる人だということなのです。
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