2014年5月22日木曜日

裁判所は正義の執行機関ではない。そして弁護士は・・・。

 前回の記事に続いて


「裁判所は正義の執行機関ではない」


というお話をしましょう。


 すでに当ブログの古くからの読者の方はご存知の通り、僕は一般の会社員として売掛金回収のための訴訟や法的手続きを数十件やっています。

 あの頃は、ヒラのいち営業マンであり、弁護士に頼らずに自分たち(あるいは時に社長と)だけでそうした裁判をやってきました。


★拙著「営業刑事は眠らない」はその時の経験を元に軽いタッチで書いていますが、ほんとうはもっと濃い出来事がいくつもあります。






 事例として、こういうことを想像してください。


 あなたは何か商売をしています。分かりやすくするために、あるモノをつくる職人さんだとしましょう。

 そのモノをたくさん作って、取引先に納入してお金をもらっているのがあなたです。取引先は個人商店で「卸売、□□商店」を名乗っているとしましょう。


 ところが、その□□商店が、2ヶ月分の商品代100万円をいっこうに払ってくれない。仕方がなくあなたは、そことの取引をやめ、新しい商品を納品しなくなりました。

 するといっそう、□□商店との当面の利害関係がなくなったのをいいことに、□□商店は何度請求してもお金をぜんぜん支払ってくれない状況が長引きはじめました。


 □□商店は、個人商店ですので、社長の□□というおっさんが一人で運営しています。どうやら人づてに聞くと、おっさんはパチンコにハマって数百万の借金があるらしい。

 何度尋ねても会社にはおらず、それもどうやらパチンコ屋を転々としており、奥さんも出て行ってしまったと聞きます。


 仕方がなく、あなたは□□商店を裁判に訴えました。


 さあ、裁判所はどうしてくれるのでしょうか。



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 ふつうの人、一般の人、法学部出身でない方だったら、おそらく


「この職人さんは裁判で勝って、□□商店からお金と、できれば慰謝料なんかも払ってもらえるんじゃないかな」


と思うと思います。


 僕も昔はそう思っていました。


しかし、法学部出身者・法曹関係者・そして裁判経験者は、ここまで読んで

「ぷぷっ」

とちょっと笑って吹き出し、

「まあ、勝とうが負けようがあかんやろな」

とここから後を読む必要もないはずです。



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 実際にどうなるのかは、何パターンかあります。


<1>裁判が行われた場合

 あなたは1万円程度の費用を払って裁判の申し込みをします。そして、裁判所で期日を決めて話し合いをします。

 □□商店のおっさんが裁判所に登場し、裁判官とあなたとおっさんの3人で話をすることになりました。

 あなたが言いたいことを言います。

「すぐに100万円払ってください」

 おっさんが言います。

「借金まみれで無理」

 裁判官が言います。

「では、3年分割にして、月2万7千円ずつの分割36回払いでどうですか?」



 あなたが言います。

「いや、うちも仕入先に支払いがあるので、もっと払ってほしいです」

 裁判官が言います。

「じゃあ、2年でどうですか?□□さん払えますか?」

「それならなんとかします」

「どうですか?これで和解できませんか?」

「・・・」

 裁判官が言います。

「差し出がましいようですが、こうして出廷してくださることは珍しいことです。たいていの人はここにも現れません。なので、□□さんがここに出てきたことをある程度考慮していただけると、よいと思いますが・・・」


 ここから先は、あなたの判断です。しかし、読んでいて分かるとおり、裁判官はけして「正義の執行者」ではありません。むしろ「□□商店」のおっさんの肩を持っているように見えるはずです。

「一刻も早く、きりきり払いやがれ!この桜吹雪が目に見えねえのか」

なんてことは全く言ってくれないのです。



 そしてあまつさえ、裁判官は最後に言います。

「和解ですので、手続き費用は、双方の負担でいいですね」

と。

 結果として、あなたは分割払いを裁判手数料を払って飲まされただけです。


 ジャパネット以下です。金利手数料無料なのですから。


 

<2>裁判が行われなかった場合

 そして、恐ろしいことに、たいていの場合、裁判所が指定した期日に「□□商店」のおっさんが現れることはないのです。

 現れなくても、□□商店のおっさんは捕まることはありません。ほとんどお咎めなしです。

 裁判官はいいます。

「相手方が出廷しませんでしたので、100%あなたの言い分が通ります」

 あなたは言います。

「ありがとうございます」

 裁判官は言います。

「では、判決は□□商店に100万円支払いなさい、という命令になります。この判決は□□商店にも送られます。お金の支払いを受けたら裁判所に報告してください」

これだけです。


あまりにあっさりしているので、あなたは裁判官に尋ねます。

「お金はどうやって支払ってもらえばいいのでしょうか」


「相手方は敗訴していますので、相手方のところへあなたが行って支払ってもらってください。

 もし、支払ってくれない場合は、つぎの手続きができます。あなたが自分で相手の財産を調べてください。

 通帳や不動産、車などがある場合は差押さえの手続きを、あなたが手数料を払って申請すれば行うことができます」


「差押さえの手続きのあとはどうなりますか?」


「銀行の場合はもし、その時点で残高があれば銀行へあなたが行って受け取ることができます。


 不動産の場合は数十万円の費用を事前にあなたから預かって執行官という人が実際に差押さえに行きます。

 執行官の仕事料はあなたが先に納付しておき、後から□□商店から受け取ったお金から取り戻してください。

 そして、言い忘れましたが、銀行に残高がなければパーです。そして、不動産が売れなければパーです。手数料は丸損です。

 執行官の仕事料は、あなたが全部持ち出しで損する可能性もあります。それでもよければどうぞやってください」



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 要するに、


 全部自分でやれ。

 手数料はもらうけれど「命令書」は書いてやる。

 そして、その命令に従わない場合は、公儀仕事人の「給料」をお前が立て替えたら、代わりに行ってやる。

 もし、相手がそれだけの資産をもってなければ、すべてパーで費用は全部お前の丸損だ。



ということを教えてくれるわけです。


 裁判所は、けして正義の執行機関ではありません。

 もちろん、応援はしてくれます。お金をくれたら。手続き費用を払わなければ何もしません。



 刑事事件でも同じです。犯人が誰かを殺した。正義が執行されるためには、そいつは死に値することでしょう。

 でも、情状酌量できることがあるならば、そこは差っぴいてやらねばならない。


 正義マイナス可哀想な部分=ある程度正義。完全な正義かどうかは、誰にもわからない。


というのが裁判の思想なのです。



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 弁護士という仕事は、こういう世界で生きています。なので、絶対的正義、絶対的善。神様から見ての本当の正義。なんてことは無価値なのです。

 裁判所が食い込んでくる、「こっちの利害に対しての侵害」に対して、いかに食い止めるか。逆に言えば、「どれだけ相手方の利害に食い込んでいくか」をモットーにしているのです。


 そもそもの正義とは次元が違うところで活動が行われているということを知れば、


「依頼人にとっての利益」


とは何か、について理解が深まります。

 それは犯罪者であれ、被害者であれ、原告であれ、被告であれ、シーソーゲームのようなものだということになるわけです。



 






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