「年収は【住むところ】で決まる」
なる本が話題になっているそうで。
へーほーふーん。と思いながら概略をつまんでみると。
これまでは、「労働力の確保」が大事だったので、工場がを誘致するとか作って、たくさんの人が住む「製造業シティ」みたいな感じの町がまあ出来ていたのが、これからはハイテクとかエンジニアとかイノベーション系産業がお金を稼ぎ出すので、そうした「イノベーション都市」周辺のほかの仕事の単価も高くなる傾向にある、みたいな感じでしょうか。
ベタな例が挙がっていますが、おなじヨガのインストラクターの給与は、イノベーション都市のほうが高い、ということが示されているようです。
まあ、同じことが多少日本でも起こっていて、都市の居酒屋のバイトの給与は1000円だけど、田舎の居酒屋のバイトの給与が850円だったりすると
「同じ仕事なのに、年収は住むところによって違う」
ということは、とりたて変ではないということになります。
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まあ、ざっくりと、この本の言いたい事はわからんでもないです。革新的技術を生み出す企業なるものがいくつかあるとして、それらの企業は「ど田舎村」には集まりそうにないわけで。
逆に、単純労働の工場誘致が、これまで土地の安い「ちょ田舎村」に集約されてきたことと対比すると、
価値の高い仕事=都市
価値のお安めな仕事=地方
となってきた実情があるのもわからんではないです。
ただ、地方擁護論者のヨシイエとすれば、「単純にそれだけではない」とも思います。
たしかに都市と地方では収入格差は生まれますが、支出格差も生まれています。
特に住宅の購入などは、都市と地方では比較にならない価値格差を生んでいます。
しかし、そんなことより、一番怖いのは
「戦争になったら都市は飢える」
「戦争になったら都市は焼かれる」
ということかもしれません。
地震のリスクなんかの話も、これまで僕のブログでは書いてきましたが、いよいよ
「戦争を知らずに~ぼくらは生まれた~♪」
の世代は終わりを告げ、これからはどうなるかマジでわかりません。
まあ、平和ボケな日本人には、そうなるまでわからないと思いますが、都市の脆弱さはいろんな要素があります。
今、僕はちょい地方にいるので「ああ、なんでここの人たちが数百年もたいした被害がなく生き延びてきたのか」ということがよくわかります。
(なかなか不思議な話ですが、応仁の乱以降、ちょ田舎の村々は、たいした被害を出さずに先祖代々過ごしています)
というわけで、今日の格言。
「年収は住むところで決まる」
「安全も住むところで決まる」
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