学歴なんて関係ない、ということばは、社会人になる前に「山ほど」聞かされてきました。
就職活動において「学歴ではなく、その人の中身で採用したい」といった言説が流れていることも多々ありました。
そういうことを大々的に謳って、採用活動する企業もたくさんあると思います。
というわけで、確かに表面的には「学歴は関係ない」というポーズをこの社会は見せていることは事実です。
しかし、はっきり言っておきます。この社会においては、学歴は関係します。
もう少し、丁寧に具体的にこのことを説明したいと思います。
まず「学歴」という言葉には2つの意味があります。社会人になるにあたって、95%ぐらいの人に関係のある「学歴」ということばは、
『高卒か、大卒か』
ということを示します。
この意味での「学歴が関係する」とは、より具体的には「ずっと下働きの人材と見られるか、中堅リーダーまでの期待がかけられているか」という意味になります。
残念ですが、高卒の人材に、中堅リーダーとしてのマネジメント力を企業は求めません。単純労働力として見ます。
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しかし、世間一般でいうところの「学歴なんて関係ないですよ~」は別の意味ですね。そう、もうひとつの『学歴』ということばは
『偏差値の高い大学を出ているか、偏差値の低い大学を出ているか』
ということを示します。一般的にも「学歴」といえば、これを指します。
昨今、企業は「一生懸命、どの大学を出たかなんて関係ない。あなたの中身で勝負してほしい」ということを盛んに言うようになりました。
それは、たしかに、ある意味企業の本音でもあります。
それだけ、「学力だけでなく、中身の詰まった人材がほしい」ということでもあります。これは、本当にそうなのだ、と思っていただいて大丈夫です。
しかし、聞き間違えたり、読み間違えてはいけません。
「学力がなくて、中身の詰まった人材はあんまりいらない」
のです。「学力は、あってしかるべき」であり、「学力は、ないよりあったほうがいい」のです。
ということは、「学歴なんて関係ない」の言葉の正しい解釈はこうです。
「勉強ばかりできて、使えないやつはいらねえ」
ということが、もう一つの企業の本音です。だ・か・ら、大学院までいくと就職に不利なのです。
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もうひとつ、こちらは採用とは無関係の「学歴」の話をしておきましょう。
採用後、あなたはなんとなく気付きはじめると思いますが、大きな組織の中での力関係は
「学閥のようなもの」
にも支配されていることがわかるでしょう。
「どこそこ大学を出た人たちの、なんとなくグループがあるなあ」とか「このポジションは、どこそこ大出の人たちが占めているなあ」とか。
そういうのが企業によって確実にあります。
たとえば、JRという会社は、旧国鉄でしたから、「東京大学工学部土木科」卒の人間が、旧国鉄では最も偉い、というヒエラルキーがありました。
間違っても、「東京大学法学部」の人間じゃないところがミソです。「理工学部」でもないです。
線路を作る、ということは、そういうことなのです。そこは、偏差値ではありません。
同じように、各企業には「企業風土」というものがあります。ベンチャーではあまり関係ないですが、大手企業や古い企業ほど、こうした体質が染み付いていて、ポジションと学閥が結びついていたりしますから、それと外れている人は、それなりの身の振り方というのがあるということです。
公務員にも、この体質が残っています。
一番わかりやすい例で言いますと、学校の先生ですね。
「どこそこ商業高校」とか「ほにゃらら工業高校」
という高校があるとします。その県に3つずつ、商業高校と工業高校があると想像しましょう。
そうすると、その商業高校と工業高校の「校長先生」は、商業科を教えていた先生と工業科を教えていた先生以外なれない、というのがわかりますか?
そうです、そのポジションは、ひいては「ほにゃらら県立商科大学」とか「どこそこ県立大学工学部」とか「なんちゃら教育大学教員養成課程工業科」とか、そういう大学の卒業生で占められているということなのです。
普通科の高校もそうですよ。
「なんちゃら高校英語科」とか「ほにゃらら高校理数コース」とかがある高校は、英語の先生や理科の先生が持ち回りで校長になったりします。
逆に言えば、スーパーサイエンススクールに認定されている「ほにゃらら高校(進学校)」の校長に、書道(芸術科)の先生がなったりしたら、おかしいでしょう?
学歴なんて関係ない、という社会は、そういう人を配置する人事をするということなのです。
いやいや、どの大学を出たかは、めちゃくちゃ関係する、というのが事実です。
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