2014年10月26日日曜日

【高校生のための”人生”の教科書19】 友だち付き合いは、難しい

 さて、前回は「友だち・知り合い・人間関係」の根っこの部分についてお話しましたが、みなさんは日々学校生活を送っている中で、友だち付き合いについて心を悩ませていることと思います。


 どんな問題が起きているか、どんな悩みがあるのかは、私は知りません。はっきり言いますが、全ての人が多用な問題を抱えているので、それぞれ個別の出来事については、すべて解決するような方法はないからです。


 しかし、誰にでも通用する大きなヒントがいくつかあります。それはあなたの人生を・人生観を大きく変えるヒントになるはずです。




 ① 正義を捨てなさい。そうすれば、あなたは幸せになれます。


  正義を捨てる、という言い方をすると「じゃあ、悪になれというのか」と思ってしまいがちですが、そうではありません。「これが正しい」とか「これが良い」とか「こうすべきだ」という「正義・善」の感覚を、一旦


「保留」


するくせをつければ、あなたの人生や友だち付き合いは、かなり楽になると思います。



 ものすごくわかりやすい例をお話しましょう。あなたのクラスに、ある生徒がいて、彼か彼女かは、クラスの中で友だちのものを盗んだとしましょう。


 そう、クラスの中で窃盗事件を起こしたのです。


 あなたや、クラスの人たちはどのように彼・彼女に接するべきでしょうか。




 ・・・これも結論を先に言いますが、「わかりません」。正解はありません。彼・彼女に窃盗癖があるのであれば、あなたも彼がいる空間では持ち物に気をつけなくてはなりません。

 心から彼・彼女と笑いあうことはもうできないでしょう。

 
 彼や彼女をどういう形であれ、クラス全員が距離を置くことになりますが、それは「いじめ」とどこが違うのでしょうか?


 「悪いことを起こしたものは、多少いじめられても(排除・距離を置かれても)仕方ない」と考える人もいます。


 では、「掃除をサボったからあいつはいじめていい」「悪口を言ったらしいからあいつはいじめていい」ということですね?


 すべての「いじめ」はそのように「彼・彼女のささいな悪」をことさらに取り上げながら進行してゆきます。


 さあ、「窃盗したクラスメイトは、いじめていいのか、いけないのか」どっちなんだ!


 ・・・これはとても難しいことで、「いじめはいけない」という善悪と「窃盗はいけない」という善悪はこんな風にすぐに矛盾を起こすのです。




 学校現場では、こうした事例が起こると、多くの場合、彼や彼女を転校させることで解決を図ります。前回「土地を離れれば人間関係はリセットできる」という話をしましたが、その手を学校が使うわけです。


 あなたの学校という物理的空間から、彼や彼女を移動させることで、別の土地でやり直すことができる、というわけです。


 それはともかく、ここから学べる事柄は「善悪」という判断を一旦保留して、いろいろな角度で物事を見よう、ということです。


 「あいつが何々したから嫌いだ」とか、「誰それに何々された」という状況を、あなたの目線だけでなく、別の目線でも考えてみることが、大切だと思います。






② プライドをコントロールしなさい。そうすればあなたは幸せになれます。


 中学生・高校生にとって、もっと大きな壁・試練はこれだと思います。大人になると、自分の人生における「立ち位置とかレベル・ランク・身分」といったものはなんとなくわかるようになるので、しょーもないプライドからは自由になれることが多いのですが、中高生のうちは、まだまだ「わけのわからないプライド」に包まれています。


 面白いことに、これはヒトに生物学的に埋め込まれた「本能」のようなものらしく、これをコントロールするのは、とても難しいことではあるかもしれません。



 私が1歳の小さな赤ん坊を観察していると、面白いことに1歳児にも「なんだかわけのわからないプライド」があるらしく、


「親が1歳児に対して『ダメ』と制止すると、逆切れして怒る」

とか

「きょうだいが、1歳児の持っていたものを取ろうとすると、切れて怒る」

とか



そういう行動がしょっちゅう見られます。1歳児は


「ボクは、まだまだひよっこでダメ人間ですから、みなさんのおっしゃるとおりにいたします」


なんてことは全く考えず、いっちょまえに激怒するのです。(ちなみに激怒を通り越すと泣き出します)




 面白いですよね?赤ちゃんの時から、「自分の領域を否定されたり、非難されるとヒトは怒る」のです。


 そういうことが、あなたの「プライド」を形成してゆき、今の状態になっています。


 中高生のすごいところは、(赤ちゃんもそうなのですが)「今、自分がどのレベルにあって、どういう状況でそうなっているのか」について、考えないところです。ある意味、そうしたことを考えないがために、人生は豊かに生きることができるのですが、逆にそれがあなたを苦しめることになります。



 もし、プライドがなければ、高校生は


「ははーっ、いつもご飯をタダで提供いただき、家も服も与えていただいで誠にありがたき幸せ!この恩を一生忘れず、ご両親さまのために身を粉にして勉強する所存であります!どうか私を、このセケンの荒波に投げ出したりせず、せめてあと3年くらいは暖房も冷房も、部活のユニフォームも、マンガも提供いただきますよう、心からお願い申し上げます」


というキモチになるはずです。でも、そんなのはおかしいですよね?


 そう、「俺は親に無償で全てを提供されても当たり前なんじゃい!」という、わけのわからないプライドがあるからこそ、子供はこどもらしくのびのびと成長できるわけです。




 大人になると、上のセリフを毎日実行しなくてはいけません。


「会社に毎日遅刻せずに行くのは、ありがたい給料をいただくため」


「取引先に頭を下げて怒鳴られても耐えるのも、ありがたい給料をいただくため」


です。誰1人として、「会社はタダで俺に給料を提供すべきだ」と思っている人はいません。




 ということは、「プライド」をコントロールできるようになれば、人間関係もかなり良くなるはずだと思いませんか?


 「いじめられてても、親に言えない」のは、プライドのせいです。


「親方様!敵が、敵が攻めて参りました!当方はすでにズダボロでございます!援軍を!援軍を出してください!」


と叫んでいる戦国武将を想像してみてください。別に何もおかしくないですよね?やられているので、大名に助けを求めているだけです。


 でも、


「うーむ、すでに当軍は兵糧を奪い去られ(カツアゲ)、すでに兵の大半が戦死(殴られた)したか・・・。でも、親方様には言えない」


というのが「いじめられて黙っている人の心理」です。変ですね?どうして、やられていることを親方様に報告できないのか。


 そこが「わけのわからんプライド」というもののやっかいさ、なのです。「いじめられているなんて状況を認めたくない」という心理、自分が「負けているということを認めたくない」心理が邪魔をするのです。


  武将になってみましょう。


「うぬぬ、敵が優勢とは!しかし、しかしまだこのわしは戦えるんじゃ!半数が戦死?いやいや、残りの者すべてで最後まで撃って出るのじゃ!」


という状況が、いじめを黙っている人の心理と同じです。武将は意地(プライド)だけで戦おうとしているのです。討ち死にする確率が高いのに。


 

 まあ、ざっくりと説明しましたが、「プライド」はやっかいなものです。それを適切にコントロールして、「自信を持ちながら、かつ自意識過剰にならない」ということは、難問には違いありません。


 しかし、それを無事に成し遂げたときに、人生は豊かになるのかもしれません。








0 件のコメント:

コメントを投稿