どうして人は勉強しないといけないのでしょうか?
これは、学生にとっての「永遠の悩み」のようなものです。おそらくあなた以外のすべての「かつて学生だった人・今学生である人」が皆
”どうして勉強しないといけないのだろう”
と思ったことがあるはずです。
その理由は、後でお話しますが、少なくともこれまでは「いい学校に入って、いい会社に就職するため」ということが、多くの人の間で信じられてきました。
勉強をする→いい成績を取る→いい学校(偏差値の高い学校)に進学する→いい会社(給与の高い会社)に就職する
という流れは、日本の社会の中で「よい人生」とされてきたからです。
ところが、それは日本の経済全体が上昇する、という条件があってはじめて成立することでした。
これも以前にお話しましたが、日本人は給料が安かったので、世界中からいろんな仕事がまいこんできました。そこからみなさんの先輩が一生懸命働いて、どんどん経済発展することができました。
この期間は、「よりよい製品を作れる会社」「よりたくさん販売できる会社」など実力のある会社に就職することが重要だったのです。そして、その会社に入社するには「試験という選抜を突破」するために学力が必要でした。
(厳密には、入社試験そのものよりも、学力の高い大学に入ることが重視されましたので、学力の高い大学を卒業すると、かなりの高確率でよい会社に入社することができた、ということです)
ところが、日本人の給料が高くなってしまうと、世界中の仕事の多くは、より給料の安い外国へと流れていってしまいました。ということは、「高い給料といい会社」というこれまで「良い」とされてきたことが、「良いとは言えない、悪い」と逆転してしまったのです。
まだ、ちょっとわかりにくいと思うので、たとえ話をします。
10万円のテレビがあります。有名ないい会社が作った画質のいい製品です。40インチのテレビです。
5万円のテレビがあります。アジアの国の名もなき会社が作ったふつう画質の製品です。40インチのテレビです。
どちらがたくさん売れるテレビだと思いますか?そう、答えは簡単。いいテレビが欲しい人も一定数はいますが、ほぼ確実に5万円のテレビのほうが、圧倒的に売れることでしょう。
ということは、「いい製品を作るいい会社は稼ぎが少ない」ということになります。「そこそこの製品を作るアジアの会社は稼ぎが多い」ということになるわけです。
あれ?おかしなことが起こっています。「いい会社がちっとも良くない」ことに気付きませんか?だって、もらえるお金が少ないんだもの!変ですね。
これが今の、そしてこれからの日本で起きていることなのです。
こういう仕組みで、これまで「いい会社」とされてきた「技術力もあり、販売力もあった会社」がどんどんと弱ってきてしまいました。ソニーや松下電器がしんどくなったのもそのせいです。シャープがえらいことになったのもそうです。日本だけでなく、アメリカでもおなじで、IBMといったコンピュータの会社がパソコン部門を中国に売り払ったりしています。
そんな事例は山ほどあります。いくらでも「これまでいいとされてきた会社」がダメになっているのです。
そのため、これまでの「いい学校からいい会社」という道筋が通用しなくなってきたわけです。
では、どうすれば先進国の高い給料の人たちが、お金をそれだけ稼ぐことができるようになるのでしょうか?ヒントは、あなたの手元にあります。
現在、アップルという会社がiphoneという携帯電話・スマートフォンを売り出して世界中でお金を稼いでいます。(もちろん、アジアの国もそれに負けないように真似した製品をたくさん作っています)
iphoneが凄い!と言われるのは、ざっくり言えば「誰も作ったことがないような新しいモノ」だったからです。(もちろん、どんな新しいモノもいつかは当たり前になりますが)
新しい、誰も作ったことがないようなものは、他が真似して追いつくまでは「高い値段」で販売することができます。そこがミソです。高い値段で販売できるから、先進国で働く人たちの高い給料をまかなえるのです。
ということは、先進国民は常に「新しい、誰も思いつかなかったようなモノ」を次々に作り続けないと高い給料を払い続けられない、ということになっているのが今の状態です。
IPS細胞のような、新しい技術を開発したり、蛍光灯をLEDに変えたり、とにかく「今までより良い、新しいモノ」を作り続けなくてはいけません。
一般的にはそういうことを「イノベーション」といったりします。革新ですね。イノベーションできる人材がいないと、高いお金は稼げないのです。
さあ、これが難しい。これが勉強とどう関係してくるのでしょうか?
まず、第一に「勉強ができることと、新しいモノを生み出すことができることは違う」ということが大切なので、そこをしっかり押さえておきましょう。
新しいモノを生み出すことはアイデアを思いつくことなので、学力があることとは別の能力です。大学の偉い先生はみな発明ができるか?といえばそうではないですね。もちろん、学力も無関係ではないけれど、そこだけがポイントではありません。
わかりやすい例を挙げましょう。
「使い易いデザイン」「誰でもすんなり使えるデザイン」を生み出そうとした場合、どれだけ勉強すればそれを作れそうですか?
うーん、なんとなくいくら勉強してもダメそう、だとみなさんでも直感的に気付くはずです。その通り、こういうモノは机の上のお勉強だけでは生み出せそうにありませんね。
というわけで、勉強ができること、学力があることだけでは、高い給料に結びつけることが難しい時代に突入してきました。そうすると、大切なのは学力以外の「経験」であったり、「別の能力」だと言えそうです。
ぶっちゃけ、じゃあどうすればそうした能力を育てることができるのか、についてはまだ誰もわかっていません。なので、日本中の大学では毎日のように、自分たちの学校をどうしたらいいのか模索を続けています。
学力についてはみな自信があるけれど、これからの日本の経済を伸ばしてゆくための方策については誰もわかっていないので、賢い大学の先生でも困っているのです。
第二のポイントです。では、学力が重要でないとすれば、勉強はしなくてもいいんじゃないか?と誰もが思うはずです。それについてはどうでしょうか。
いえいえ、そうではありません。これもぶっちゃけ嫌な話をします。いいですか?実は大変なことが起きているのです。
「あなたが知らないところで、別のアジアの国々の高校生が、たくさん勉強をして、あなたに勝ってあなたから給料を奪い取ろうとがむしゃらになっている」
ことをあなたは知りません。あなたに追いつこうとしているヤツラがたくさん背後から狙っているのです。ああ、恐ろしい!
韓国サムソンという会社が、iphoneの真似をしているといって訴訟になったりしていますね。アジアの国では10万円のテレビの真似をして、5万円のテレビを作っています。
これは、つまり、電話を作れる・テレビを作れるという話において「他の国の学力も、そこまで追いついてきている」ということを示しています。
もしあなたが勉強をしないと、あなたの未来はもっともっと貧しい国の人々と同レベルになってしまうということなのです。恐ろしすぎてチビりそうです。
私が学生の頃は、そこまで考えなくてもなんとなく勉強していれば、なんとなく日本全体の経済力でなんとなくなんとかなりました。しかし、それは私たち世代でおしまいのようです。
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