前回は、どうやら勉強を続けないとダメそうだ、という状況についてお話しました。世界の国の中で、あなたがどちらかと言えば高い給料をもらって生きていこうと思えば、勉強することは避けられそうにありません。
では、ここで基本に戻ってみましょう。そもそも「勉強」ってなんなのでしょうか?どうして人は勉強するのでしょう?
では、いきなりですが例え話をします。
あなたはテレビを作ったことがありますか?
これを読んでいる99.9%の人がたぶん「無い」と答えると思います。いやいや、それより自分にはテレビなんて作れないよ!と思うことでしょう。
私はテレビを作ったことがあります。3台くらい作りました。作り方は簡単です。アホでもできます。
パチンコ台から外した液晶画面と、画面に映像を映し出す基盤と、音を出すスピーカーと、電波を拾ってくるチューナーの部品と、電源をくっつけるだけでできます。
部材の数で言えば、5つですね。電源はそこらへんに転がっているACアダプターで大丈夫です。
5つくらいの部品をくっつけるのは簡単です。出ている線も全部で10本くらいのもんですから。
(もちろん、テレビがデジタルになってからは少しややこしくなりました。カードを差したりしないといけないとか、いろいろルールが変わったので)
それなら簡単そうだ、とみなさんも思うことでしょう。その通り、ほんとうに簡単です。
どうして私がテレビをつくることができたかと言えば、「既に誰かがテレビを発明していて、既に誰かが部品を作ってくれていたから」に他なりません。
そうでなければ、一から液晶画面を製造したり、ほんの小さな部品ですら、自力で作ることなんてできるはずがありませんよね。
これは、実はすべての人にとって同じことが言えます。今、ソニーの会社に勤めて、テレビを作っている人に「テレビを一から作ってください」とお願いしても、絶対に無理です。
「えー、そんなの言われても、俺がやっているのは、テレビを作る機械を動かしているだけで、部品をよそから仕入れてきたり、どこか別の部署で作っているのを集めて組み合わせているだけだもの」
と肩をすくめることでしょう。なんだ、それなら私とやっていることは同レベルじゃないか、というわけです。
すでに誰かが作っているモノ、これは私たちが「勉強する内容」に似ています。私たちが学校で勉強するのは、「既に誰かが発見したり、調べたりしたことの結果」を横取りして利用させてもらっているに過ぎません。
あなたが何もないところから独自の文字を生み出すのも大変なことだし、水を分解して水素と酸素に分けることだってできっこありません。
この世界のことを、一から「知ろう、理解しよう」とするのは、恐ろしく大変な作業なのです。なので、それぞれの国や地域で、それらの中から最小限コンパクトにまとめた「これまでにわかっていることのリスト」をみなさんに伝達する、それが学校で教えられている内容だということになります。
勉強というものは、自分で一から、最初から努力せずに済むためにあるものなんだ、ということがざっくりわかった時点で、では勉強しないとどうなるのかについてお話します。
今の大人にその質問をしても「勉強しないといい会社に入れない」とか、そういう古めかしい話をされるのがオチですので、その手の話はとりあえず聞き流しておきましょう。
実際に勉強しないとどうなるのか。その最も重要な部分は「何かを作ることができない」ということです。
私たちは一般的に消費者と言われ、「何かを買ったり使ったりすることは大得意」です。しかし、それはお金を払うほうの立場であって、お金を使うためにはお金を稼がなくてはいけませんね。
お金を稼ぐためには、何かモノを作って、それを売らなくてはいけません。あるいは、あなたの体を使って肉体で稼ぐしかありません。
何かを作るためには、それがたとえ誰かの作ったもののパクりであっても、その作り方を知らなくてはいけません。また、その材料をもらってきたり買ってこなくては作る事ができないわけです。
作り方を学ぶのはズバリ勉強そのものですね。材料を手に入れるのはさっきのテレビの話と同じで、誰かがやってくれたことを流用するわけですから、これも勉強に似ています。
というわけで、「勉強すれば、何かが作れる」というところまではわかりました。
逆に、もう一つの生き方である「体を使って肉体で稼ぐ」というのはどうでしょう?建設作業に従事する人は、人の手で穴を掘ったりします。
人の手で穴を掘ったり、人の手で柱を建てたり、そういう仕事をしている人たちは、その意味では学校の勉強内容があまり直接役立たないかもしれませんね。
しかし、普通の人であれば「いやー、いつまでもこんなことやってると疲れるだけなので、どうにかもっと効率を上げたり、楽に仕事ができる方法はないかなあ」と考えはじめます。
ピラミッドをすべて人の手で作っている時代であれば、全部が人力ですが、それでも「ソリ」とか「コロ」とかを発明したり使ったりして、「なんとか楽にこの仕事をしたい」と人類は思ってきたわけです。
そこでどうするか。工具を使ったり、機械を使って楽になりたいと考えます。賢い人ならば、「こんな道具を作ろう」と考え始めますし、ふつうの人でも「建設機械の免許を取って、楽に仕事をしたい」と思います。
ほら、やっぱり免許を取るために勉強をしなければならなくなりそうですね。
勉強をしなくてもOK、という人生を送るには、「食べ物を自給自足し、すべて自分の肉体で働く」という状況でないと無理なのです。
つまり、めちゃくちゃしんどい!勉強をしたくない~、と言っているヤワな人には耐えられない生活が待っているということです。
筋肉ムキムキで、野生でも生きられそうなワイルド君であれば、現金もいらず野草と野獣を食べて、体だけを使って生きていけそうですが、あなたには確実にムリだと思います。
なんとなく、わかってきたでしょうか?そうです。勉強というのは、結局は「以前に誰かが既にやってくれたことをパクったり、利用したりして、楽に人生をすごす」ことなのです。
「こうすれば楽にできるよ」という知識が多いほうが、人生はさらに楽になります。
言い換えれば、「こうすれば効率がいいよ」とか「こうすれば生産力が上がるよ」とか「こうすればお金が稼げるよ」とか、そういうことです。
だから、勉強し、知識量が多い人ほど、「労働が楽」であったり「稼げる金額が多い」というしくみになっているわけですね。
もちろん、勉強することの本来の意味合いが、現在では多少ずれてきてしまっていることもあるので、「たくさん知識を持っている人が、誰でもお金持ち」とは限りません。それは、この前のお話で説明したとおり、
学力だけあっても、イノベーションできる人材じゃないとダメ
という話と関連してきます。
そう!知識がいくらあっても、それを「使いこなすテクニック」を持っていないと本来の力が発揮できないからです。
ちょっとずる賢い人なら、こんなことに気付くと思います。
「知識だけなら、グーグル先生に聞けばなんでも教えてくれるじゃん」
なんてことを言いそうですね。はい、もちろんその通り。グーグル先生の知識量は、半端ありません。パネエです。
しかし、ここからがポイントです。グーグル先生は「知識・情報」を教えてくれますが、
「そこからそれをどうするのか」
までは代わりにやってくれません。
”おいしいパスタをゆでるために、ゆで時間は10分”とグーグル先生が教えてくれても、かわりにゆでてはくれないのです。
そこがミソです。さっきの話と同じで「大事なのは知識だけじゃなくて、それを使いこなす力」だと言う訳です。
それでも、幸せなことに、世界のほかの国々では、その「知識」の部分すら満足に伝達されていない国がたくさんあります。
世界第二位のある国でも、「国家が隠していて教えてくれない情報・知識」がたくさんあったり、「真実とは異なる、意図的に改造された知識」を教えられたりしていることがあります。
そんなキモチの悪いことが起きているのであれば、よりいっそう「何が正しいのか、自分でもっと勉強したい」と思うようになりませんか?
きっと、その国でも「真実を知るために勉強しよう」と思っている若者がたくさんいるはずです。
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