2016年3月28日月曜日

子どものいない人生は、「負け犬」なのか。特に女子。


 ”「子の無い人生」をどう生きる? 酒井順子が問う、未産女性の今とこれから”

 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48261

という、現代ビジネスさんの記事を読んで、なかなか思うところがたくさんあったのでメモしておこうという次第。

 著者の酒井順子さんと言えば、「負け犬女子」という言葉や定義を生み出して一世を風靡した人です。

  話題となった「負け犬の遠吠え」(エッセイ)の発表が2003年だと言うから、あれから軽く10年も経ってしまったわけで。

  しかし、この本で書かれていたのは、「未婚、30代以上、こどもなし」の女性を自虐的に表現するものの、そうした生き方を応援する内容であったから、刺激的な言葉とは裏腹に、世の女性たちには多いに賛同を得たという面もあります。


 その酒井さんが、10年を経て、どのようなことを言っているか。これには男性である私も興味がつきません。

 30代を過ぎて、40代を越えてきたという酒井さんは、今回の新著で「たとえ結婚していても、子供がいない人生というのは、どうもまずいらしい」という趣旨のことを言っておられます。

 

 その究極のポイントは、「子供がいない私を誰が看取るのか」という視点だそうです。

 仮に親族がいたとして、実の子ではない「姪っ子や甥っ子」が看取るとはどういうことなのか。あるいは、彼らがそれを実行するということが、どれほど負担や課題であるのか、という視点。

 それは、酒井さんが実際に実の親を看取る時にこそ、リアルな話として浮かび上がってきたわけです。

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 ある種の諦念を持っているヨシイエとしては、「自分が死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないわ」という気持ちも、ないわけではありません。

 現代人からすれば、自分が幽霊となって天井からおろおろする親族を見下ろしているようなことは、おそらくないと考えているし、仮に明日突然クルマにハネられたり災害にあったりしたら、そうした老後の心配どころではないこともアタマではわかっているわけです。


 しかし、そうしたニヒルなヨシイエであったとしても、実国学者としての吉家孝太郎は、やはり

 「自分の人生というものが存在していたことを肯定してくれるのは、結局は子孫だけなのではないか」

 と思うようになりました。

 

 たとえば、現役で仕事をしている男女であれば、今あなたや私が取り組んでいる日々は、同僚や取引先や、関係者によってきちんと認められるということはあるでしょう。「認める」なんておおげさな言葉を使わずとも、「誰それという社会人が、そこで日々生きている」ということは、その関係者によって存在が実感されているわけです。

 ところが、もし仕事を引退したとしたら、あなたが確実にそこに存在していたということは、誰が肯定や実感してくれるのでしょう。どれだけ仕事で大きな成果を挙げたとしても、引退して10年も立てば、あなたやわたしのことは、きっと関係者にも忘れられてゆくことは必定です。

 

 そして、あるいは、そうした仲間や知り合いがつぎつぎに亡くなってゆく未来においては、「あなたがあなたらしく生きた」ということを、ただ知っていてくれる人は、どこにもいなくなってしまうのではないでしょうか?

 

 その頃には、あなたが生きていたことを知っているのは、家族や親類だけになっていることでしょう。 あるいは、もっと重要なことをズバリと言うならば、「あなたという人がいたんだ」ということを受け継いでくれるのは、きっと子や孫しかない、ということに私たちは気づいてハッとするのです。

  私たちは、どこそこの会社の素晴らしかった事業部長のことなんて、わかりません。歴史ある建物を建てた人物にすら、あまり興味がなかったりします。

 しかし、すべての人は、自分がどこから来たのかとか、祖父や祖母や曾祖父がどんな人だったのかが気になります。

 

 いや!気にならなくても、その存在をただ知っていたり、認めたり、肯定できます。なぜなら、それは私やあなたに繋がる存在そのものだからです。

 

 子供を産まない女子や、あるいは産めない女子のことを思うと、私は胸が痛みます。どこかの校長のように2人以上「産むべきだ」とか、そうした趣旨のことは、まったく言うつもりはありません。

  ただ、遺伝子は、命はそこで絶滅するのだなあ、と思うと、涙が出るのです。恐ろしいことだとも思います。


 酒井さんが、文章の中で言っておられますが、男は「70になっても、まだ遺伝子は残せる!」というアホみたいかもしれませんが、幻想に抱かれながら年を重ねることができます。

 

 しかし、女子はリアルに時間制限がついている。20代から40代という二十数年間に「意思決定や、実行」をしないと、本当に絶滅するのです。

 

 これはとてつもなくすごいことを要求されていると言ってよいでしょう。

 

「誰それというおばあちゃんがいたんだね」というただそれだけのことが、あなたの人生にあるのか、それとも、それはないのか。

  こんなに簡単なようで、重大な話はありません。

 

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 ヨシイエは実国学者ですから、世間からは右翼だと見られるかもしれませんが、私は「家族のあり方」とか「子供を産んで人類に貢献せよ」とか、「男は仕事、女は家庭」とか、そういうことを論じる気はないのです。

 

 別に家族を持たなくても、女性は好きに子供を産めたらいいじゃないか、とも思います。男子たちが不倫に明け暮れて、遺伝子を残したくてたまらないように、女性も自分の理想とする方法で、遺伝子を残していただければいいわけで(^^

 どんな形態であっても、親子は不変だし、それこそ母子の関係は、男子には代替できないものです。

 

 しかし、この国のありようや、社会情勢やら政治やらのせいで、「女子が絶滅しない自由」を奪われるのは、それはいけない!と思うのです。

 

 

 

2016年3月4日金曜日

ゆとり世代とは何か ~「今の若いもんは、」という言い草では説明できない世代~

 ゆとり世代、という層が、おそらくこれからの日本社会でいろいろな物議を巻き起こすであろうことを予見しながら、この記事を書いておこう。(今日はマジ口調)



実は、今日付けのBLOGOSに


「ついにゆとり世代がマスコミ業界に!」
http://blogos.com/article/164632/


という記事が載っていて、テレビに映った新人ディレクターの態度・様子がどうもふつうの感覚とは異なるぞ?というニュアンスで紹介されていた。



 しかし、古今東西を問わず、いわゆる大人や古い者たちから見て、若者や新しい世代に対して


「今の若いもんは」


と非難めいた口調になるのは当たり前なので、ゆとり世代を人くくりにして、


新人類(ありましたねー。そんなことば)


扱いするのは、正しい認識とは言えないだろう。





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 そこで、ヨシイエ的に真の意味で「ゆとり世代とは一体何なのか?」ということをきちんとまとめて、みなさまに問題提起をしたい。


 「ゆとり世代」というのは、これこれこういうことを考えていて、なのでこのように取り扱い注意なのですよ、というわけだ。



 まず、一般的に、ウィキペディアなどでゆとり世代は



ウィキペディアより、「ゆとり世代」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E4%B8%96%E4%BB%A3



”広義では1987年4月から2004年3月生まれを指す。”


とされている。



 これは、2016年現在において計算すると29歳から12歳を指すため、ふつうの人は、



「ゆとり世代って、社会人になって間もない若者たちのことでしょ?」



と誤解しがちである。



 29歳といえば、大学を出て7年であるから、まだまだ若い。会社においても新人や若手を指す言葉であるので、


「いまどきの若者はなっとらんな」


とおぢさまたちが言いたくなるのもわからんでもない。



 しかし、上記の定義は、実は間違っていて、この29歳から12歳というのは



”小学校から大学まで、ゆとりに基づいた教育を受けた者たち”



ということで、実態はもっと根深い。



 小学校から大学まで、ということは、完全ゆとり培養である。それはそれでいい。


 しかし、教育課程においては完全ではなく、一部ゆとり教育を受けているものたちもいる。


 そもそも、日教組が「ゆとり」と週五日制を言い出したのは1972年のことであり、歴史が古い。


 それによって従来の詰め込み教育から


「学習内容を削減した」


学習指導要領に改訂され、それが施行されたのが小学校1980年、中学校1981年、高校1982年からのことだった。


(しかし、このバージョンの指導要領を、世間の人も文科省もゆとりとはあまり言わない。しかし、文言としてはたしかに”ゆとり”が入っている。)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%A6%81%E9%A0%98#1980.E5.B9.B4.EF.BC.88.E6.98.AD.E5.92.8C55.E5.B9.B4.EF.BC.89-


リンクのウィキペディアでいうところの昭和55年版指導要領というやつである。




 このバージョンを適用されたものは、実は1980年に6歳だったとすると、2016年には42歳になっている。


 高校で一部適用されたものは、1982年に16歳だったとすると50歳になっているのである。


 ということは、老人と経営トップ以外は、管理職や部長級でもみんな「ゆとり教育」を受けているということがわかる。



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 しかし、一般に言うところのゆとり教育は、このバージョンではなく、次のバージョンからが主だ。



 小学校1992年、中学校1993年、高校1994年から適用された通称「平成4年版学習指導要領」は、



新学力観



を提唱した。小学校に「生活科」ができて「生きる力」をテーマに円周率が3になったアレだ。


 そして、このマイナーバージョンアップとして、1992の秋から第2土曜日が休みになり、1995の春からは2.4土曜日が休みになったのである。


 ここから「週五日制」への布石が確実なものとなり、いよいよ、次のバージョンで完全週五日制へと移行するのである。




 と、その前に、この平成4年版の教育を受けた者が、いま何歳になっているか確認しておきたい。


 1992年に6歳だったものは、2016年現在30歳になっている。高校から適用されたものは、38歳である。


 この若手から中堅に当たる世代も、実は「ゆとり教育」の洗礼を受けているのである。


 さすがに、38歳の者は、円周率は3.14の教育を受けている。しかし、新学力観のもとでの教育をうけているため


「基礎基本よりも、変化への対応力」

「思考力や問題解決、そして個性の重視」

「結果ではなく意欲を評価する」


教育を(高校・大学と)受けているわけだ。



さらに、この世代から「週5日制が当然で、その論拠は週40時間労働にあり」ということを身を持って知っていることになる。





☆なので、今20代から30代の教師たちが、「部活動はブラック労働だ(週40時間を超える)」といい始めているのは、当然である。


 かれらは「ゆとり教育」をきちんと受けている世代なので、週40時間労働が基準であることをちゃんと学んできているのだ。




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 そして、一般的に最悪という評価を受けているのが、2002年・平成14年版学習指導要領だが、これは


完全週5日制

絶対評価

総合的な学習の時間


を目玉とするものであった。


 当然、最初に出てきた29歳から12歳がこれに当たる。





 さて、ここでよく考えてほしい。いわゆる一般的に言われている「ゆとり世代」の問題点、



「社会人としての基礎や基本的な習慣や考え方が根付いておらず、自分の都合を優先する」


とか


「服装やみだしなみ、あるいは行動を抑制せず、自己主張をする」


とか


「結果が不本意に終わったときの態度に問題がある」



とか



「残業や面倒な仕事を嫌い、権利意識については人一倍主張する」



とか



「自己評価が高く、なかなか改めようとしない」



とか



そういうマイナス点は、平成4年版と平成14年版の学習指導要領の特徴・内容と奇妙に符合すると思わないだろうか?




 いや、完全に合致すると言ってよい。こつこつとしたプロセスの積み重ねではなく、臨機応変という名のもとに「その場をとりつくろ」い、ベーシックな努力を厭い、華やかな結果だけに魅了される、という「ゆとり世代の特徴」は、



そうなるように形成された教育のたまもの


なのである。



 これはある意味、すごいことで、日本の学校教育は「それほどまでに指導要領どおりの人材を育てることができる」という事実の裏返しなのである。




 そのため、これは単に「今のわかいもんは」の分脈で理解したり、対応すべきものではないのだ。




 もし、結果論的に、平成4年・14年版の指導内容に不備があり、課題や問題があったとしたら、実は



「企業内や、組織内で、それに対する修正教育を補完してやる必要がある」



ということを意味している。



 しかし、残念ながら、今の企業や組織には、そうした力が残っていないため、上司にあたる古い世代も疲弊するし、当の「ゆとり世代」も本人が悪いのではない部分があるため、理解ができず苦悩することになる。


 そしてその教育補完ができないために、当の本人たちは「理解されない感」や「昔の人たち意味わかんねーよ感」「不満足感」を感じて離職したり不遇な職業生活を送ることになるのである。



 しかしまあ、これから、そうした世代がすべての企業や組織で中堅中核になってゆくことを思うと、ちょっぴりやるせないのだが、



 寺脇さん、なんとかしてください。



と言いたいところである。



注>寺脇研。当時ゆとり教育のスポークスマン的立場にあった文部官僚。現在は大学教授。








2016年2月24日水曜日

【完全 脱・貧困マニュアル その1】 貧困に陥らないための10の方法

 老人やら女子やら、あるいは子供たちやら、とかく現代社会においては

「貧困」


が取り沙汰されています。


 で、マスコミのみなさんも貧困貧困と記事にしていただくのは結構なのですが、

「その貧困から脱出するための方法」とか

「貧困にならないための方策」とか

そういうことは、なかなかレポートしてくれないのが現状です。



 そこで、このシリーズでは、貧困にならないためにはどうしたらいいのか、について、かなり具体的にまとめてみたいと思います。





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 もし、あなたが20代あるいは30代前半であれば、もっとも早い収入アップは「仕事の掛け持ち」(アルバイト)です。 しかし、よく考えてみると、


 通常の労働時間8時間+睡眠時間8時間+その他生活時間8時間=24時間


のうち、たいていの人は、労働時間とその周辺事項のために12時間程度奪われているのが実情です。それが残業等のブラック状態であろうがなかろうが、正社員で8時間きっちりで帰れる人はまず存在しないからです。


 そうなると、睡眠時間か生活時間を切り詰めているのが現実で、そこに仕事の掛け持ちをほうりこむと肉体的にボディブローが効いてくることになるのはわかりますね?


 もし、仕事を掛け持ちするとすれば、4時間程度の仕事が大半です。4時間×900円と考えても、一回3600円。3600円×15日入ったとしても月54000円ぐらいですから、これでようやく年収240万が見えてくる、ということになります。



 なぜ4時間ぐらいしか働けないかというと、あまりたくさん働かせ過ぎると、雇用主が社会保険などに加入しなくてはいけなくなるため、バイトに経費をかけないためには、数時間おきにシフトを変えて月あたり総時間を長く働かせないようにしているためです。

(よく専業主婦の103万の壁、なんていわれますが、その辺ももちろん関係してきます。)



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 しかし、物理的な仕事の掛け持ちは、30代後半から一気に厳しくなります。体力的にも精神的にも酷使されるので、そのせいで体調を崩したり元も子もなくなってしまうことも多々あるのです。


 そこで、なるべく肉体的な負担の少ない「普段の仕事以外に、収入を得る方法」を考えていかなくてはいけない、ということになります。


 そうした収入を、いわゆる「副業」と呼ぶわけですが、 肉体を酷使しない副業は、ネットを活用するのが王道です。

 ネットを利用して、かつ、時間の制約をなるべく自由にして、そして体力を温存できる副業が理想的だと考えましょう。


 そのためには、まず、基本的な10のツールを揃える必要があります。もちろん、高価なものではなく、激安でも、中古でもかまいません。しかし、ネット上で自由に余裕をもって動き回るためには、これらのツールは必須だと思ってください。




① (激安SIMでよいので)スマートフォンとネット回線を持つ。

② 中古でよいのでノートパソコンを持つ。

③ ツイッターとフェイスブックとブログとフリーメールのアカウントを持つ。

④ タッチタイピングができ、ある程度の長文を書ける力を身につける。

⑤ フリーでよいので、ワープロソフトを持つ。(PDF変換ソフト含む)

⑥ ネット銀行の口座を持つ。

⑦ youtubeのアカウントを持つ。

⑧ 金銭出納帳を100均のでも良いので買う。

⑨ 持ち歩けるノートを一冊買っておく。(A5もしくはA6くらい)

⑩  これらを1つのバッグに入れられるようにしておく。



 ひとつひとつは、あまりたいしたことないと思われるかもしれません。


「こんなもんで貧困を抜け出せるの?」

と思う方も多いことでしょう。


 もちろん、これは、スタート時点に立つだけのものです。実際には、歩き出さねば貧困からは脱出できませんが、まずはこの10のツールを揃えるところからはじめてください。


 ①~⑩の順番は、特に意味はありません。ざっくりこの10点をかき集めるだけで、OKです。


 しかし、このバッグを含めた10点セットが、これからあなたに


「一生涯、あなたの危機を救ってくれるようないくばくかのお金の補助を生み出す」


ことは確かです。これは、私の実体験と経験で言っている事実です。



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 たとえば、ワタクシ吉家は中古のパソコンを使って、ワープロソフトとPDF変換ソフトで作った本をPDFファイルにして販売しています。

 販売していることを告知しているのは、自分のブログとツイッターです。お好みでフェイスブックをつかってもよいでしょう。

 それでも、これまでに1500人の人に1000円のPDFファイルを販売しています。フリーメールのメール添付で送るので、ネット環境は必須です。

 家にネットがなくても、スマホがあればデザリングが出来ます。

 1冊1000円でも、数が集まってくると、150万円の収入になっているのです。

 すべての入金はネット銀行の口座に入ります。スマホでその日ごとの入金を確認しています。

 販売記録と相手の情報をノートに記録し、金銭出納帳に売上をつけています。

 


 もちろん、これはすべてのベースですから、他の記事で書いているように「ココナラ」のようなサイトを利用してサービスを販売してもいいし、電子書籍の販売サイトを利用してもかまいません。

 しかし、基本はワープロで文書を打つこと、ブログを打つこと、ツイッターで記事を打つことです。

なので、パソコンが必要で、タッチタイピングもできたほうがよいのです。



 お金儲けに興味がある人は、アリフィリエイトがどうなんだ?とか、せどりは?とか、そういう言葉も聞いた事があると思いますが、それらもやはり基本は、パソコンで記事を書くことが基礎中の基礎であり、スマホで写真を取り、ネットで価格を読むという知識技術が基礎になるのです。


 そして、少し余裕があれば、bloggerであればアドセンスが使えるので記事を書くごとに収入が得られますし、youtubeに動画を上げればこれも収入になります。

 ブログ上やツイッターなどでの告知、ココナラなどのサイトでの販売、youtube、アドセンス、などなどを効果的に組み合わせるだけで、月あたりの収入は確実に増やせるのです。


 ネットが必須なのは、ネットを活用することで、これらの活動を「時間の制約無しに、仕事のない時間をいつでも使ってできる」からです。

 また、仕事のかけもちと違い、肉体を酷使しないので、体力が持ちます。



 もちろん、手っ取り早くはありません。しかし、手っ取り早くないからこそ、少しずつ自分なりの収益システムとサイクルを作ってゆけば、


「一生、貧困とは無縁の、自動的にお金が入ってくる流れ」


を生み出すことができるのです。



 より実践的、具体的な内容はこれからレクチャーしますから、ぜひまずは10のツールを揃えるところからはじめてくださいね。











2016年2月17日水曜日

学校で児童生徒がベランダから3人も突き落とされない理由 ~地獄の介護現場と比較する~

 昨日に大きなニュースになっていた「老人ホーム突き落とし殺人事件」の犯人の自供ですが、さっそく中村淳彦さんが


「崩壊する介護現場の実態」


を挙げておられます。


 現代ビジネスさんより 「ルポ 地獄の介護現場」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47873



 まあ、ひどいもんです。



 私は個人的に「介護と保育」の現場はこれから虐待と憤死まみれになってゆくと思っています。

 
 その理由はとても簡単で、介護職と保育職は、


「給料が安く、人材が不足している」


からです。それ以上でもそれ以下でもありません。





 さて、この問題をきちんと理解するためには、すでに問題が山積しているといわれる


「学校現場」と比較


してみればわかります。



 今回、老人ホームでは、「入居者が3人立て続けにベランダから突き落とされる」という事例が発生しました。



 しかし、学校で児童生徒がベランダから3人も突き落とされることはありません。



 なぜ学校では起きないのか、あるいはなぜ老人ホームでは起きるのか。



 そこに比較の意味があるのです。



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 まず、基本的に大の大人に対して、老人も児童生徒も園児たちも、全員大枠では弱者に当たります。


 その弱者のうち、老人と園児が虐待されて、児童生徒はあまり教師に虐待されない理由は何故でしょうか?



 これも理由は簡単です。



「老人と園児はまともに喋れないから、虐待の事実を証言しにくい」


からです。児童生徒は、ある程度論理的に話すことができます。なので虐待するとバレてしまう。



 では、もうひとつ事例を挙げて。


 まともに喋れない、ということを議論するなら、たいへん失礼で申し上げにくいものの、たとえば「養護学校・特別な教育を受けておられる」児童生徒ならどうなんだ、という意見もあるでしょう。



 もしかすると、私たちの知らないところで、特別支援学校では虐待が日常茶飯事なのではないか?という疑問が起きても仕方ないかもしれません。


 彼らの中には、外部から見てきちんと証言しにくいのではないか、と思う方もおられるはずだからです。




 しかし、現実には、特別支援学校では、児童生徒1人に対して3人くらいの教師がつきますから、まず、虐待が起こることはありません。


 おなじことを取り入れるならば、


「老人ホームで、老人1人あたり3人の職員とはいわずとも、1人あたり1人の職員数でもあれば、ほぼ虐待は起きない」


と言う事ができるのです。


 これは過労負担の問題です。(なので、給与面の待遇とは別の話です)



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 さて、利用者と職員の人員割合について(つまりは過労負担の割合について)考えましたが、通常の学校では、


「40人くらいに対して1人で面倒を見る」


わけですから、本来の比率では相当なものがあります。しかし、学校の先生は、児童生徒をベランダから突き落としはしないし、虐待事件が起こることはまれです。


 なぜか。そこにはもう一つの理由があります。


 ご存知のように、学校教職員は、教員免許という資格を取らされています。しかし、免許状を持っているだけではダメで、採用試験というそれ以上に難関の試験をくぐって採用に至ります。


 その結果、教職員の給与は、現在では民間平均よりも高い水準で推移しており、簡単にいえば


「厳選された人材が職についており、高給である」


ということに尽きるのです。



 そのため、感情的に行動する職員よりもある程度は自制が効きます。



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 ということは、介護や保育の現場で虐待を防止するには、



「厳選された人材を雇う」

ことと、

「利用者あたりの職員数を増やす」

ことが解決策だとわかります。



 しかし、こんなことは当たり前で、そんなことは言われんでもわかっとるわ!というのがオチですから、それならそれもそのはず、



「つまり、介護施設と保育施設の虐待と憤死はこれから増え続ける」



ということも当たり前なのです。


 どうにもなりません。




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 とすれば、すなわち。


 こうした状況から逃れるためにどうしたらいいかは簡単です。一昔前のニューヨークの地下鉄に誰も乗りたがらなかったように、



 自衛するには、保育所に入れない、介護施設に入れない



手はずを整えていかねばならない、ということです。ああ、おそろしい。


 というわけで、私の子供達は専業主婦の妻に面倒をみてもらい、年老いた両親は最後まで現役で働いていただいて、現場で倒れるように殉職してもらわねばなりません。ああ、おそろしい。






 






















東芝パソコン撤退のニュースで考える。パソコンの時代はついに終わったのか?!

 いよいよ、東芝さんのパソコン生産全面撤退のニュースが入ってきました。


 ヤフーニュースより 東芝、パソコン生産撤退へ
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160216-00000077-san-bus_all



 まあ、昨今の東芝の状況を考えればやむなし、というところでしょうが、私もかつてユーザーであったノートPCの雄である


 ダイナブック


のひとつの終焉かと思うと、感慨深いものがあります。


 厳密には、東芝ブランドのPCがなくなるわけではありませんが、生産は富士通&VAIOの工場に委託するということで、すでに国内PCの生産は


「肩を寄せ合って小さくなりながら作る」状況


に陥っているのが実態です。




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 パソコンの時代は終わった。



 そう感じずにいられないのは、ここ十数年のメーカーの動きを思い出せば一目瞭然です。


 ■ 復活前の元祖VAIO終了

 ■ IBMの撤退と中国Lenovoへ

 ■ HPもパソコン撤退

 ■ 日立やシャープも早々に撤退

 ■ その他諸々



 逐一数え挙げれば切がありませんが、高度情報化社会の中で、最も複雑で先進的な商品というイメージのあったパソコンは、すでに

 アメリカの手も、日本の手も離れてしまった

わけで。


 ぶっちゃけ、それを小さくしたスマホやタブレットなども、中国や韓国の手に渡って久しくなっています。


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 わたくしヨシイエなんかは、Windows95世代ですので、パソコン時代の終焉はとてもさみしいものがありますが、だいたい今の若者は



 タッチタイピングができない


そうじゃあーりませんか。そんなので仕事になるのかね、まったく。と思うところ。



 その代わりオヂサンたちは、フリック入力ができませんが、何か?



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 しかし、真面目な話をすれば、白物家電や薄型TV・ブルーレイなどの映像機器をはじめ、パソコンまでが日本の手を離れるということは、



 あとは何を生産したら、技術立国として世界を牽引できるのか


という大問題が起きていることになるわけで。



 これはアメリカでも一緒で、かろうじてiphoneという先端商品を作っていますが、すでに技術的には中華アンドロイドに追いつかれているわけで、これも残りわずかの先行リーチしかありません。


 ましてやiphoneだけで一国が食っていけるわけでもなく。

(そういう意味では韓国っておもしろいですね。SUMSUNGだけで国家の半分くらいが食わしてもらっているという特殊な財閥事情)



 ああ、アメリカにしても日本にしても、これからは凋落の一途をたどるんだろうなあ、と思えば気が重いですね。






2016年2月14日日曜日

マイナス金利の今こそ!副業をはじめるべき ~ピケティ理論は成り立たなくなる?~

 史上初のマイナス金利突入で、金融業界には激震が走っていますが、みなさんおげんきですか?(笑)


 なんと!お金を預けると金利がマイナスになり、お金を払わなくてはいけないというマイナス金利!


 さっそく、都市銀行や郵貯なども反応して、預貯金金利が下がり初めていますので、私たちの生活にも無関係ではありません。


 日銀の狙いは、単に「金利を下げよう」ということではなく、


「日銀金利の一部をマイナスにすると、ふつうの銀行は日銀へお金を預けるのを嫌がるので、その分市場へお金が流れるだろう」


というのが本来の目的でした。


 これが、一般の庶貧民に対しては、


「銀行へ預けても金利はつかないよ」


という形で現れ始めたのが、現時点の状況です。



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 ということは、一般人にとっては


「銀行に預けても利子がつかないなら、別の投資先を考えなくてはならない」


わけですが、 これはある意味では経済が回ることでもあるので、日銀にしてやられた感もあります。



 ところが、銀行にとっては、利子の利ざやこそが銀行の利益のひとつの本質なので、



「どうやって企業として稼いでいけばいいのか」



という難題にぶち当たることになるわけです。


 日銀さんの言うように、市場にもっと貸し出してゆけばいい、というのは理想論で、その実態は


「貸倒リスクの高い、困ったちゃんにも貸出を増やさなくてはならない」


というジレンマです。


 こうした問題が、どのような結果へとつながってゆくのかは、まだ始まったばかりなのでなんとも言えませんが、さすがに史上初だけあって、先が読めない面も多いのです。



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 しかし、いわゆる日本人の大好きな銀行預金が成り立たなくなってくるとすれば、わたしたちは少なくとも



2つの選択肢



をチョイスして生きていかねばならなくなりそうです。


 その1つめは、比較的安全な銀行預金が当てにならないわけですから、



「元本割れリスクのある、他の金融商品へ投資先を変える」


ということになるでしょう。


 これは、庶貧民にとっては、「ハイリスクになる」ということでもあります。もちろん、その分「ハイリターンになる」要素もあります。


 しかし、高度な金融知識をもたない庶貧民がリスク度のアップした投資先へ資金を移動するということは


「カモにされる」

 危険性もあります。考えてもみれば、「預金者をカモにする銀行預金」なんてものはほとんどありませんが、「投資者をカモにする金融商品」なんてのはざらにあります。


 さあ、カモたちはこの激動の交差点をぶじ横切ることができるのでしょうか?





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 もう一つの選択肢は、表題に書いたとおり、「今こそ副業をする」というものです。なぜ、副業が銀行預金と関係あるかと言えば、あなたという存在もひとつの資本だからです。



 「21世紀の資本」という本でピケティが明らかにしたのは、


「資産運用から得られる利益率のほうが、労働して得る所得の利益率を上回る」


ということでした。


  これは、資金を預貯金、投資、金融商品で持ったときのリターンのほうが、労働所得を上回ると言う意味です。


 しかし、それらのリターンの根幹である利子がマイナスになるというのであれば、少し風向きは変わってきます。





 めちゃくちゃな考え方ですが、目からウロコのために以下のような話を考えてみてください。


1000万円の資金があり、それが年1%で運用されれば利子は、10万円です。


 ここから、利息を下げてゆきましょう。


1000万円の資金があり、それが年0.1%で運用されれば、利子は1万円です。


ここからさらに、現実の普通預金利息に直してみます。


1000万円の資金があり、それが年0.02%ぐらいが利率で利子は2000円です。


↑これが、現在の金利水準でみた、実態です。



ここから、マイナスにしてみます。


1000万円の資金があり、それを年マイナス0.02%で運用すると2000円払います。


…とまあ、ここまでは小学生でもわかる算数のお話でした。



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 もし、ここで副業をはじめるとどうなるでしょうか?


 たった一回だけ、2000円もらえる仕事をちょっとだけすると、それは実は、現在のレートで、(プラス金利で)


1000万円の預金をしているのと同じ


ということに換算されるのはわかりますか?


(もちろん、労働所得と不労所得の本質的な違いはありますが、それでも2000円しかもらえない仕事の労働コストなんて、たかがしれているのでこの際無視しましょう)



 さらに、もしその副業が、月1万円くらいになって、年間12万円もらえるものだとすれば、



1000万円の資金を年1.2%で運用したときの利子が12万円


とおなじ価値になるわけです。





  さて、この考え方は、貧しい者ほどレバレッジ(笑)が効いて、ガツンと効果を表します。


 1000万円なんて例を出しても現実味がないので、資金を下げます。


 まあ、あなたもわたしも庶貧民ですから、 貯金が100万円しかないとしましょう。


 そうすると、100万円しか貯金がない貧しき者にとっては、


 100万円の資金を年12%で運用したときの利子が12万円


ですから、 完全にバブル期の利率を上回る夢の運用実績、ということになるわけです。いやっほう!


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 すこし話がミスターマリックに騙されているみたいになってきましたが、副業をするということはあなた自身が資本になる、ということです。


 その労働資本を投入する際、本業ではそこにつぎ込むエネルギーを調整すらできませんが、副業であれば、


「運用利率と、リスクの配分」


も


「資本投入の度合い」


も、ぜーんぶ自分で自由に決められるわけですから、 こんなにおもしろい投資はない!ということになるのです、












2016年2月13日土曜日

ゲスな不倫が糾弾されているわけではない ~叩かれているのは、持てる者たち~


 日本中がゲスな話題一色になっている昨今。ぜひ、このまま一年間途切れることなくこの手の話題が続いて、


 流行語大賞


まで、粘ってほしいものだと思いますが、どうでゲス?



 もともとは、ベッ○ー氏・ゲス川○氏の問題からはじまって、宮○3股議員問題で多いに盛り上がっているところですが、その間に、


 自称イケメン狩野E孝氏


の話題まで織り交ぜながら、世間は不倫文化が花開いています。





 ところが、ちょっと賢い人ならもう気付いていると思いますが、一連のゲス騒動、別に



 不倫が糾弾されているわけではない



ことが、実は大事なポイントだと思います。





 それは、不倫に関わった男性と女性が、均等に糾弾されていない事実を見ればすぐにわかります。

 そもそものゲス問題であれば、ベッ○ー氏のほうがはるかに重いペナルティをかけられていますし、議員で言えば、相手の女性はほぼスルー状態です。


 E孝氏に至っては、やってることはかなり重症ですが、糾弾されるところまでは至っていません。




 では、現在起きているゲス騒動の本質は何か、それはとても簡単なことです。




「持てる者から奪う。持てる者を引きずり下ろす」




祭りが起きているのが、ゲスな世間の本質なのです。





 不倫のような異性問題は、感情に訴えとても叩き易いネタになります。




 そのネタを使って、たとえば「高収入を得ている者」「高地位を得ている者」「より有名な者」「より正義者ぶっている者」から奪い取り、その地位から引きずり下ろすことは、



 快感



以外の何ものでもないのです。



 なので、もともと持てる者だとは思われていないE孝氏は、それほど叩かれないし、ついこの間の紅白で名前が出てきたばかりのゲス川○氏よりも、「良い子で有名だったベッ○ー」氏のほうが、その落差の高低差が楽しまれているわけです。


 3股議員に至っては、権力の最高峰である国会議員という立場が、奈落の底へつきおとすには大きな快感をもたらします。



 そして、不倫問題ではありませんが、超一流の野球選手だったK原氏が、薬物で身を滅ぼす姿を見るのは、庶民には


 最高のエンターテイメント


に感じられるわけです。



 このことをもって、実は本当にゲスなのは世間である、という論及をなさる人も多々おられると思いますが、その通りだと思います。



 正義の鉄槌を下すことほど、心地よい快感はありません。