2016年2月13日土曜日
ゲスな不倫が糾弾されているわけではない ~叩かれているのは、持てる者たち~
日本中がゲスな話題一色になっている昨今。ぜひ、このまま一年間途切れることなくこの手の話題が続いて、
流行語大賞
まで、粘ってほしいものだと思いますが、どうでゲス?
もともとは、ベッ○ー氏・ゲス川○氏の問題からはじまって、宮○3股議員問題で多いに盛り上がっているところですが、その間に、
自称イケメン狩野E孝氏
の話題まで織り交ぜながら、世間は不倫文化が花開いています。
ところが、ちょっと賢い人ならもう気付いていると思いますが、一連のゲス騒動、別に
不倫が糾弾されているわけではない
ことが、実は大事なポイントだと思います。
それは、不倫に関わった男性と女性が、均等に糾弾されていない事実を見ればすぐにわかります。
そもそものゲス問題であれば、ベッ○ー氏のほうがはるかに重いペナルティをかけられていますし、議員で言えば、相手の女性はほぼスルー状態です。
E孝氏に至っては、やってることはかなり重症ですが、糾弾されるところまでは至っていません。
では、現在起きているゲス騒動の本質は何か、それはとても簡単なことです。
「持てる者から奪う。持てる者を引きずり下ろす」
祭りが起きているのが、ゲスな世間の本質なのです。
不倫のような異性問題は、感情に訴えとても叩き易いネタになります。
そのネタを使って、たとえば「高収入を得ている者」「高地位を得ている者」「より有名な者」「より正義者ぶっている者」から奪い取り、その地位から引きずり下ろすことは、
快感
以外の何ものでもないのです。
なので、もともと持てる者だとは思われていないE孝氏は、それほど叩かれないし、ついこの間の紅白で名前が出てきたばかりのゲス川○氏よりも、「良い子で有名だったベッ○ー」氏のほうが、その落差の高低差が楽しまれているわけです。
3股議員に至っては、権力の最高峰である国会議員という立場が、奈落の底へつきおとすには大きな快感をもたらします。
そして、不倫問題ではありませんが、超一流の野球選手だったK原氏が、薬物で身を滅ぼす姿を見るのは、庶民には
最高のエンターテイメント
に感じられるわけです。
このことをもって、実は本当にゲスなのは世間である、という論及をなさる人も多々おられると思いますが、その通りだと思います。
正義の鉄槌を下すことほど、心地よい快感はありません。
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