2014年4月21日月曜日

■【新社会人に贈る10の金言 その4】「怒り」は捨てなさい

 ボクのしょーもない40年の人生の中で、「ああ、この人の人生はもったいないなあ」と思う場面にいくつか出会ったことがあるのですが、それらに共通して言えることがいくつかあります。


 それは「こだわりを捨てない人は損をする」ということです。


 こだわり、という言葉は難しいもので、本来は「全くもってマイナスの意味の言葉」なのですが、現代では

「こだわりの名品」

「こだわって仕事をする」

などのプラスの意味で使われることも多く、誤解を生みますね。



辞書における「こだわる」の意味はこうです。


★ 小さなことを気にする。捉われる。

★ つかえたりひっかかったりする。

★ 難癖をつける。けちをつける。

★ 自由に考えることができなくなる。

★ 差し障る。


あれまあ!本当に悪い意味ばかりですね。




 職業人・社会人の中には「自分はこの件・この分野にはこだわりがある」「こだわって仕事をしている」という人が確かにいます。

 しかし、そうした人たちは、仕事の回転がうまくいってるうちこそ、そうした「こだわり」を自慢していますが、ちょっと流れが悪くなったり需要が減ると、人知れず消えていくことが多いです。


 大切なのは、こだわりではなく「柔軟に対応できること」だと思います。いかなる時においても。


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 しかし、大半の人は、上記のように「こだわりを捨てて、柔軟に対応しなさい」ということを言葉で言われても、真の意味で理解しません

 むしろ「俺は柔軟だ!」と頑なに主張したりしますので、ここではよりわかり易い言葉に改めたいと思います。


 新社会人のみなさん。 怒りを捨てなさい。怒るな。


と。


 このほうが数倍わかり易い金言だと思います。そう。社会生活、サラリーマン生活、あるいは仕事生活の上で最もに近いぐらい大事なこと、それは


怒るな


です。


 残念なことですが、現代の日本社会は、たとえば「会社の不正を発見し、それを正義に基づいて訴えても自らも損し、会社も損する」社会です。


 このことは、それこそネット社会ですから、「内部通報者」がどのような処遇になり、そして会社がどうなったかの事例がたくさんありますから検索してみてください。


 繰り返し残念なことですが、「内部通報者が正義の名において良い結果になった事例」がほとんどなく、「それによって会社が改善された事例」がほとんどないことに気付くでしょう。せいぜいその会社がつぶれるくらいです。


 これは、日本社会の成熟度が、正義の意味においてそこまで到達していない、という証でもあるので、重ねて残念なことですが、所詮その程度のレベルなのです。わが国は。


 ということは、新社会人の諸君が、「これは正義の名において間違っている!断じて正さなくてはいけない!」という正義の怒りを覚えたところで、それは改善もされず、そして、その怒りによってあなたは生きづらくなることを示します。


 だったら、社会人であれば別の方策を模索したほうがよほど健全です。生き延びてください。


 昔、山口さんという裁判官が「闇市の食料を買わない」と決めて餓死したことがありましたが、それほどまでに正義を貫くよりも、ボクはあなたに「生きろ!生き延びろ」と伝えたいと思います。



 ウィキペディアより 山口良忠


 
 そして、あなたの生きる会社がそれほどまでに「正義」を失っているのであれば、遠慮なく


「辞めろ!辞めてしまえ!」


と伝えたいと思います。


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 とまあ、ここまでは一応「正義感に基づいて」会社が善ではないと感じた時のお話ですが、まあたいていの場合は、新社会人のあなたの感じる


「怒り」


というのは、貴様の小さなプライドを傷つけただけの屁みたいなもん、に過ぎません。

 その怒りの源泉は、ゴミやカスレベルであり、それごときで怒りを覚えるあなたも同レベルです。


 そう、最初の話に繋がります。「その怒りをもらたした、あなたのプライドやこだわりなど、取るに足りない」ということです。


 社会で生活していると、いろいろなことであなたのプライドは傷つけられます。怒りを覚えることが多々あるでしょう。しかし、社会生活や会社人として生きるうえで、そうしたプライドは完全に不要です。


 それと同時に、相手があなたにぶつけてくる、これまた「怒りやいいがかり」についても、全く気にする必要はありません。それもカスのようなものです。


 たとえばこんな場面を考えます。




 あなたは顧客に大声で怒鳴られたとしましょう。あなたが本当に悪くても、本当はあなたは悪くなくても、顧客は大声で怒鳴りつけます。

「なんでそこまで言われなあかんねん!」

と内心怒りを覚えることでしょう。

 しかし、ここで考えてください。なぜ、顧客は怒鳴るのか。


「そりゃ、俺が悪いと思っているからやろ」


と単純に考える人が多いと思います。たしかにそうですが、それは表面的なことです。



 本当は「顧客があなたに怒ることによって、自分のほうが偉いんだという感覚に陥ることができる」というのが心理的な理由です。


 人は、他者より優れていると思うことにものすごく快感を覚えます。自分は勝者だと、盛り上がります。自分は正義の鉄槌を下している「正しい者だ」と思うからです。


 そして、あなたの方は、「そこまで怒ることや、威圧的態度で接する者は悪だ」と内心思っています。


 なので、向こうも「自分は正義だ」と心の中で感じ、あなたも「本当は自分が正義でむこうが悪だ」と感じていることになります。

 つまり、どちらも同じレベルなのです。


 同レベルの怒りがぶつかりあっているだけで、何も建設的なことは生まれていません。


 だとすれば、今こそ怒りを捨てましょう。

 
 怒りを捨てるということは、正しい判断をするということです。

 
 つまり、本当にあなたが悪いことをしたのでそうなったのであれば、心から誠意を尽くして謝ることで、逆にあなたは悪くないのに怒鳴られているのであれば

「ああ、この人は私の優位に立つことで、小さな虚栄心を満足させている可哀想な人だ」

と思うことです。だとすれば、哀れみこそ生まれても、怒りは消えます


 怒りが消えれば、適切な結果を導くことができます。


 心から謝罪することもできるし、相手の小さな虚栄心を満足させるしたたかな態度を取ることだってできるのです。


 いずれにしても「怒りは不要」です。






2014年4月19日土曜日

■【新社会人に贈る10の金言 その3】公平で平等な世界は、既に終わった

 卒業おめでとうございます。そして、新社会人になっておめでとうございます。

 4月ももう後半に差し掛かり、社会での生活もいよいよ本格的に動き出したことでしょう。

 
 今回の金言は、そんなみなさんに送る真実のことば、


「公平で平等な世界よありがとうさようなら、そして不公平で不平等な世界よこんにちは」


です。


 学校生活を終えたみなさんにとって、「公平で平等な世界」は既に終わりました。ここからはガチで不平等な社会です。

 
 学校、とくに公立の学校というところは、とても「公平で平等」であるように構築されています。もちろん、日本の社会において「公平で平等」に何かが運営されることは基本的にはとてもいいことで、そうあってほしいものなのですが、実際の運用レベルでもそれが守られているところ、というのは実は学校ぐらいしかありません。



 もし、学校で公平じゃない部分があるとしたら、「不良が先生に嫌われている」とか「成績のいい誰それちゃんはえこひいきされている」ぐらいのことで、そんなのはゴミカスレベルでどうでもいいことです。


 むしろ、たいていの学校の教師は、不良であっても比較的手厚くどうにかしたいと考えており、成績のいい誰それちゃんがいくら素晴らしくても、通知表を書き換えて上位の学校に推薦できるほど度胸はありません。

 つまり、教師という人たちは、基本的には善良な考え方で行動していて、かつ生徒の人生における結果を左右できるほどの決裁権は持っていないということです。


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 それに引き換え、これからの世界は「完全に不平等」です。これまでは、学校の勉強さえしていれば、とりあえず「良い成績」を貰えましたが、何をしてもよい成果をもらえない企業人は山ほどいます。


 努力をしたら成果が出る世界から、努力をしても給与は上がらないかもしれない世界へようこそ、というわけです。


 それを簡単に証明してみましょう。


「あなたは電機メーカーに就職しました。ウォークマンやipodに匹敵するような音楽再生機を開発してヒットを飛ばしてください」


 そんな課題を与えられて、クリアできますか?


 僕にはできるかどうかわかりません。クリアできないのを前提に、それでもやってみなくてはなりません。成果なんて、出るかどうかわからないし、努力が報われるのならシャープやサンヨーはあんなことにはなっていません。


 それが社会です。セカイの成り立ちが根本的に違うのです。


 しかし、学校の勉強では、時間さえかければどんな課題もクリアできたはずです。どんな問題もいつか解けたはずです。


 でも、このセカイにつきつけられた課題は、解けるかどうかもわからないのです。


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 では、不公平で不平等なセカイを生き延びるために、世のお父さんたちはどのように頑張っているのでしょうか。


 いろいろなテクニックがありますが、それらの中からいくつか紹介しておきましょう。


①いつかのラッキーを手に入れるために、数を打ってみる。

 メーカー系ではよくある作戦です。新商品をいろいろ策を練りながら次々に投入します。いつか当たるかもしれません。(最後まで当たらないかもしれませんが)


②自分の立ち位置を確立する。

 美人が求められる部署に、いくら努力してもブサイクは配置されません。残念ですが。なので、顔に関係のない能力をどこで生かせるか試行錯誤すればいいのです。

 
③とりあえず、上司に従順になってみる。

 実力がない人には、とりあえず効果があります。「あいつは可愛いやつだ」と思ってもらえることは、かなり効果的です。


④誰かとつるむ。

 自分だけでは戦えない時には、だれかとつるんで密談をする場合があるでしょう。利害関係者と裏で話を合わせたり、あるいは誰かに便宜を図ったり・・・。


⑤抜け駆けをする。

 「ずるっこ」することでなんとか体制を持ちこたえさせることが多々あります。地域最安値を打ち出して他社を出し抜いたり、「他のところではこの値段だよ」「じゃあ、それより安くします」とか。
 あるいはうちへ変わってくれたら現金をあげますとか。



・・・・だんだんレベルが落ちていくので、このへんで。


 もし、あなたがどうしても「社会の不平等」に耐えられなくて、死にそうになったら、まずは僕にメールをください。

 いくらでも話を聞くだけ聞いてあげます。



2014年4月18日金曜日

■【新社会人に贈る10の金言 その2】実力主義・成果主義を信じるな

 今年、40歳になる僕が、いわゆる社会人として世の中に出ていた期間は18年です。それを長いと見るか短いと見るかは、いろんな考え方があるとは思いますが、僕のこの「18年間」で学び知ったことを今回もお届けしましょう。


 新社会人の人に覚えておいてほしいことの2つ目は、


「成果主義や実力主義の言説に惑わされるな」


ということです。


 海外型の働き方が日本に入ってきたり、企業の査定の上で成果を重視した評価が導入されたりした結果、「成果主義」「実力主義」なるものが一定度合い「当たり前」のようになっている昨今ですが、こうした考え方に惑わされないように、少しだけ留意しておいてください。


 これらの「成果主義」や「実力主義」なる言葉は、特に上昇志向の若者の心をくすぐります。

「実力のあるものが高い収入を得て、成果を出したものは評価されるべきだ」

という考え方は一見正論のように見えます。


 なので、若者からすれば「あまり働いていないように見える上司やオヤジ」や、「地位にあぐらをかいている年配者」に対して、批判したい気持ちが生まれるのもわかります。


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 しかし、「力のあるものが評価されるべき」という論理がいかに理屈の上で正しくても、実際の運用においては恣意的なすり替えが行われていることのほうが多いのです。


 そもそも、まず「実力主義、成果主義」を計るものさしを考えた時に、それが正確に機能するためには、金額ベースの売り上げもしくは、数量ベースの出荷数などの

「数字」で計測する

以外に方法はありません。ということは、実力があるものとそうでないものを測りつつ、それを給与や待遇に反映させるためには

「完全歩合制の仕事」

でなくてはならない、ということになります。


 完全歩合制の仕事であれば、当然出荷量もしくは売上高でその人の実力を測ることができます。しかし、おそらく、このブログを読んでいる人の95%以上の人は


完全歩合制では働いていない


と思います。



 となると、いわゆるふつうの月給制の仕事において「あいつは実力がある」「俺には実力がある」ということを正確に計測できる職種というのは、とても少ないことに気付きます。

 例えば営業職であれば「月給基本給+歩合制」というところもあります。そういう給与体系の人は、既に実力主義でかまいませんが、それ以外の人の能力をどうやって計測すればいいのでしょうか。


 たいていの場合、それが企画職であれ、事務職であれ、あるいは現場サイドの仕事であれ、その人の仕事の評価は


上司が体験的に判断している


ことがほとんどです。


 なぜなら、上司は数量的に計測できないので、体験的に「雰囲気・イメージ」を加味しながら判断せざるを得ないのです。


 もう、この時点で「実力主義・成果主義」なるものが怪しくなってきていることに、賢明なあなたなら気付くことでしょう。


「なあんだ、つまり実力とは『上司に気に入られる力』なのか」

と。


そうです。そして、上司は気に入ったものに、「成果の出る仕事」を与えます。


 嫌いなヤツに「大きなプロジェクトを任せる」ことはしません。


 ということは、「気に入られた部下は、成果が出るプロジェクトにつくことができ、成果を出すことができる」というプロセスが存在していることがわかりますね。

 こうして、結果として、「あいつは実力がないのに、なぜ俺より評価が上なんだ!」という問題が生まれるわけです。



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 この社会においては、「実力」とは「販売力・提案力・企画力・実行力」だけを指すわけではありません。


 それより価値があるのは「媚びる力・従う力・耐える力・甘んずる力・捧げる力」だったりします。そう、これらも社会における実力の一部なのです。



 こうしたことを知っているか知らないかは、大きく人生を左右します。


 そういうもんだ。社会にはそうした変な側面がある。社会はちょっと(性的な意味じゃなくて)やらしいところがある。

という前提に立って仕事をすれば、気がかなり楽になり、のびのび仕事できるはずです。


 しかし、社会は表立って「媚びろ!従え!耐えろ!甘んじろ!捧げろ!」という要求を口に出してしません。

 そのあたりを大人は「空気を読めよ」とわざと黙っているのです。そう、あなたたちの好きなKYの話です。

 空気をよめ!と思っているのは大人だって若者だって同じなのです。空気を読めないヤツは、疎まれる。それは大人も子供も同じです。



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 もう少し他の側面から、「実力なるもの」を検証してみましょう。


 とある会社の営業部に配属された新人君から見ると、おなじ営業部の先輩あるいはプチ上司の係長や課長と自分を比較して、ある事実に気付きます。


 先輩は、あまり努力をしなくても、勝手に顧客が注文をくれるのに対して、自分は新規顧客を獲得するために走り回らなくてはなりません。これってどうなんだ?なんだか不公平な気がする!と思うのです。


 先輩は、既に100の顧客を有しているため、努力をしなくても売上目標を達成できます。そして、売上高も高く、査定の結果高い給与を維持しています。


 新人君は、10の顧客をあてがわれたものの、それ以上の顧客を探さなくてはならないため、当然売り上げ目標に到達しません。そして、給与は低いままです。



 こうした状況を見て、「悶々」とする若者はたくさんいるでしょう。


 会社にとって「実力がある」のは先輩で、新人君は実力がありませんので、低い評価となります。


 この状態で「成果主義が大事だ!」「実力主義がいいんだ!」と誰かが唱えれば、


「ああ、これじゃぜってえ俺たちは先輩に勝てないじゃん」


ということに気付くと思います。


 そうです。実力主義を叫ぶということは「既得権益を守る」ことを示す場合もあるのです。


 この場合は、実力という言葉の裏に「経験や年数」が隠れていることに気付かなくてはなりません。


 もちろん、僕はこうした上司や先輩を批判しません。彼らは若いときに同様の経験、一からのスタートをして、そうした100の顧客を勝ち取ってきたという歴史があると思うからです。それは尊重に値することです。


 「今楽そうにしている人たちは、かつてバリバリ戦っていた」ことはよくある話です。


 しかし、本当に実力主義だらけの世の中になると「バリバリ働けなくなった瞬間に脱落する」という社会が訪れるということですから、大人たちは、あなたが思うのと同様

「そんな社会は嫌だ」

と今の楽な身分を失いたくないのです。従って、努力は常に若者にあてがわれるわけです。



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 新社会人にとって、これからの世界は理不尽なことや怪しいことがたくさんまかり通っていると思いますが、そこにはかならず理由があります。

 逆説的に言えば「実力主義・成果主義」を推し進める言説があるとすれば、そこにどんな「裏の意図」があるのかもちょっと考えたほうがいいかもしれません。


 いちばんアホなのは、「自分には実力があるのに、評価されない」と思い込んでフリーランスになることです。


 そういう人は、実力がないことがほとんどです。残念ながら。


 本当に実力があって独立する人は、そこに至るまでに周到な根回しをします。それは、やっぱり

「媚びるフリ・従うフリ・耐えるフリ・甘んずるフリ・捧げるフリ」を着実に遂行できる人だということなのです。




 







2014年4月13日日曜日

買ってはいけない!マンションの話。

 こちらのブログではあまり「マイホーム」関連のことは書いていないのですが、実はもともとヨシイエの専門は「おうちの話」でございました(笑)


 そんな昔の話の載っているブログはこちら↓


 吉家孝太郎のマイホームあれこれどれそれ
 http://blogs.yahoo.co.jp/nensyu_300


 さて、今日は久しぶりにおうちの話を思い出しながら書くのですが、なんとここで


STAP細胞もビックリ!な新しい理論を提唱しながら話を進めます。


 まあ、気楽に読んでくださいな。


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「バブル」なものがヤバイ、ということは現代日本人なら実際にバブル時代を経験してきて体験的には知っているわけですが、バブル時代を享受した人からすれば

「あんなおいしい時代はなかったなあ」

という感想でもあり、

「しかしまあ、あんなにお金がお金を生むはずはないわな。はじけて当たり前だよな」

ということもなんとなく納得しているはずです。


さて、バブル(経済)とは簡単に言えば何か。

それは実際の価値以上に「それを欲しい」と思う人の数が増えることです。


 たとえば、チューリップバブルというのがありました。オランダでチューリップが「価値があるらしい」と誰かが思い、それが伝播してみんながチューリップの球根を追い求めた結果、値段がべらぼうに上がって、最終的には

「チューリップにそれほど価値があるわけではない」

という当たり前のことに気付いて一気に価格が下落した、という史実です。


 日本経済におけるバブルは、「株式や土地」を対象にして、「それを欲しい」「それに価値がある」と思い込んだ人たちが激動の日本史を形成しました。こんなのは、みなさんもご存知のはずですね。

 
 となると、そもそも実際の価値以上に「欲しい」と思う人が増えているだけですから、実際の価値と乖離して価格が上がってしまうと「欲しい」人が急激に減るわけです。

 そうするとバブルははじけます。

 今度は、誰も「買ってくれなく」なるわけで、価格は急激に下がってしまいます。


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 ここまでは、たいした話ではありません。そして、世界のどこでも「ああ、できるならバブル経済になることは避けたいよね」と思いながら毎日暮らしているはずです。


 ところが、急激に膨らんで急激にしぼんでしまう、いわゆるみなさんの知っている「バブル」に似ているんだけれど、誰もそれが「バブル」だと思っていない現象があるのをご存知でしょうか。


 それが、「マンションの購入」です。


 ここから先は、僕の仮説です。


 マンションの購入が「バブルに似ている」なんてことを現代の誰も信じちゃいないと思いますが、僕はこんなふうに考えています。

『バブル経済は、一気に膨らんで一気にしぼんでしまうので混乱をもたらすけれど、ゆっくりふくらんで、ゆっくりしぼむものや、膨らんでから一定の期間その形を維持するものは、気付かれない』

のではないか、と仮説を立てているのです。


 経済学的には、「ゆっくり膨らんで実態経済のインフレと同調しているもの」については、バブルだとは考えられていません。それは単なるまともな経済現象です。

 
 僕が提唱している「ポリバブル理論」は、それとは異なります。「膨らむもののうち、最後にしぼむことが確実なのに、長い間持ちこたえるもの」を「ポリバブル」と呼ぼう、ということです。



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 ポリバブルとは何か。


 こどものおもちゃ、玩具で、チューブからストローに液体をからめて、「ぷーっとふくらます」おもちゃがありますね。

 ポリバルーンとかプラバルーンと呼ばれるものです。

 あれは「泡」そのものですが、外壁にあたるものの性質がある程度強いため長い間形を維持することができます。

 ハードシェル(硬い殻)なバブルだと言い換えてもいいでしょう。(ハードシェルバブル)


 このポリバブル理論は、「価値が膨らむ」→「それが一定期間維持される」→「最後はしぼむ」ことを想定しています。

 そういう意味では、バブル(経済)と本質的には同じなのだけれど、気付かれないもの、を指します。


 なぜ、マンション購入が「ポリバブル」だと言えるのか。それはこういうことです。


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 マンションの建設とは、平屋であれば10軒の家が建てられる敷地を押さえて、そこに高層で建物を建てるということです。

 高層にするため、たとえば、10軒分の敷地に対して、実際の部屋数は10階建てで計100軒の戸数を確保できることになります。


 この時点で、バブルの膨らむほうが発生します。実際の価値に対してざっくり10倍の価値肥大を起こすことができます。(10倍欲しい人を発生させることができる)


 問題はここからです。


 マンションの場合、10倍に膨らませた価値を、躯体レベルでおそらく60年程度維持できることになります。つまり60年間、建物は持つ、ということです。

 ところが、60年後、この価値はどうなるでしょうか。


 法律的には「区分所有」といって、100分の1の権利をそれぞれが保有することになりますが、実際にはそれは「マンション躯体」があってはじめて成立することになります。

 そう、ここで現実には「バブルが崩壊」するのです。


 60年後、躯体がダメになった時のバブル崩壊率(笑)について考えてみましょう。最初に10倍に膨れ上がった価値肥大が、いくらに集束(戻ってくる)かわかりますか?


 一見10分の1になるように思えますが、このバブルの場合、もっとひどいことに100分の1に集束して凝集してきます。

 60年後のマンションの価値判断、価値基準はたったのひとつに戻ります。


 それは「建て直すか、つぶすかを意思統一する」というたったひとつの決断です。


 建て直す場合、「相応の追い金(追加費用)をして、10倍になった価値肥大を維持する」ことができます。つぶす場合、10分の1に価値を引き戻すことになります。


 しかし、価値を維持できるかつぶすかは、「一瞬の判断」「一つの結論」を経ないと無理ですから、簡単に言えば

「所有者の意思を100分の1に統一」する必要があるということです。


 これははっきり言ってかなりのリスクですね。バブルは60年間しか維持できないことが最初からわかってるわけですから(苦笑)



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 よく似た話をもう一つ僕らは知っています。


 一回建設すれば、40年間おいしい思いが出来ると思われていた「原子力発電所」ですが、廃炉に「うん十年」かかることや、その他のリスクも明らかになってきました。

 原発利用とはある意味「ポリバブル」の活用なのかもしれません。


 経済学者さんによっては「ポリバブル」であっても、「その期間を有効に使えるはずだ」という論証を考える方もきっとおられることでしょう。


 しかし、本質的に、「ポリバブルはまっとうな経済現象に惑わされ易いが、その本質はやっぱりバブル」だとすれば話は変わってきます。

 
 さあ、世界の賢い人たち、ポリバブル理論を制圧してノーベル賞を取ってみませんか?!






2014年4月12日土曜日

担任がこどもの入学式に出て欠席な件

 いやはや、今日のこのニュースについての盛り上がりはすごいですね。

 ニュースというのはこれ。


 担任、息子の入学式へ・・・県立高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140411-00010005-saitama-l11



 簡単に言えば、「担任を受け持った先生が自分のこどもの入学式へ出るために休んだ」ということです。


 ニュース上は、「これはあんまりよくないので是正しなさい」と教育長が注意をした、というくくりになっていますが、厳密には


 年次有給届けを出して、それを校長が受理したのであれば、なんの問題もないので、むしろ、その校長を指導しろ!


ということになると個人的には思います。


 校長は「職務命令」をかける権限があります。なので、「入学式には何を差し置いても出てください」と命令することは可能です。


 それをしなかったのだから、悪いのは校長です。一刻も早く更迭するべきです!なーんて。


 ↑というのは教育長サイドに立ったお話。


 さて、このことに関して世論は真っ二つに割れています。


「自分のこどものことを大切にして、権利を行使するのはかまわない」

という意見と

「自分の職務を置いておいて、自己の都合を優先するのはどうか」

という意見です。



 個人的には、とてもいい教材ですので、ぜひ「話し合いで解決して」ほしいものです(笑)



注)当ブログでこないだやりましたね。

【新社会人に贈る10の金言 その1】話し合いで物事は解決しない
 http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2014/03/blog-post_28.html



 ヨシイエ的には、最後は「フォース」で解決しなくてはなりませんから(笑)、


「職務命令をかけて、入学式・卒業式には出なさい」という圧力をかける

VS

「個人の権利は、尊重されるべきである」という人権圧力をかける


の一騎打ちですから、これは見ものです。


 人権と職務命令の対決ですから、さあどちらが強いでしょうか!!!!


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 そこでヨシイエから提案があります。ぜひこのことを「人権学習」として埼玉県のすべての学校で話し合いをしてみたらいいと思います。


「人権とは何か」「個人の権利は全体の利益の前に我慢するべきか」「有給休暇とは何のためにあるのか」など、学ぶべきことはたくさんあります。


このネタ、実はすごく壮大なテーマなので、埼玉版マイケル・サイタマの「白熱教室」「これからの教育の話をしよう!」としてガッツリやってみてほしいですね!



と思ったら、すでに埼玉県では「白熱教室」に熱を入れているそうです(笑)

 
 白熱教室 埼玉県立本庄高校
 http://www.honjo-h.spec.ed.jp/?page_id=257


  埼玉県の先進的な「高校生白熱教室」の試み
 http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2013080600008.html



だったら、一刻も早く生徒に議論させたらいいじゃん!!!

2014年4月11日金曜日

STAP細胞の論理 ~金星人は地球に来ているんです~

 今回はほんとうの呟きです。たいした内容ではありません。


 小保方さんのSTAP細胞に関する反論記者会見がニュースになっていますが、STAP細胞というものの科学的な理屈はともなく、論理的には


「STAP細胞は実在します」


という言説は


「金星人は地球に来ているんです」

とか

「UFOは実在するんです」

とか

「超能力はあるんです」


と論理的に非常に似ていることに、苦笑を禁じえないのでは僕だけでしょうか。


 小保方騒動を見ていて、一番はじめに思ったのは、

「ああ、なんだか御船千鶴子さんみたいな展開だな」

ということでした。


 御船千鶴子さんというのはあのホラー小説・映画「貞子」のおかんのモデルになった実在の人です。


 簡単に言えば「超能力・千里眼」がある、ということで科学者を交えて検証されるのですが、最後は結局「かぎりなく怪しい」ということで、彼女が自殺したことでうやむやになってしまった、という明治時代のお話でした。


 ちなみに、ひとことだけ言っておきます。御船千鶴子さんは、自殺したから「かわいそう」ですか?

 あるいは、「自殺するほどなので、たぶん真実だったのだろう」と思いますか?



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小保方さんの論理の検証は、僕が見た限りでは



金融日記 藤沢数希さんのブログ
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/


の考え方がいちばん明快かつ真実に近いように感じます。(個人の感想です)


藤沢さんの見立ては


①小保方さんが見た200回のSTAP細胞というのは、「マーカーが緑色に光る現象」を200回確認したというだけで、それは万能性細胞になっていない別の反応である。


というものです。


そして、

②それを本物の万能細胞ができた結果だと思い込んだ小保方さんは、それを証明する方向で突き進んだ。

のだが、途中から

③STAP細胞が存在するという立証をするために、小さなでっちあげを繰り返して今回の結果になった。

という仮説(いちおう)を説明なさっています。


 面白いので、ぜひご一読ください。


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 小保方さんが意図的にでっちあげをしたという「悪意」の認定は、現時点ではなかなか難しいことだと思いますが、悪意がまったくなくても、前述の話は成立します。


 つまり、「金星人はほんとうに地球に来てるんだもん!」心から信じている30歳の女子がいたとしたら、どうしたらいいか、ということです。


 「私、200回金星人に会った」

とか

 「他の人も金星人に会ってる」

とか、いろんなことはおっしゃられるかもしれません。


 となれば、我々が言うことはひとつですね。


「じゃあ、まずその金星人を連れてきてください」


 そして、第三者が見て「ああ、なるほどこれは地球人ではない」ということが確認できれば、たしかに金星人はいま地球にいることがわかります。


 あるいは、「これがそうです」といって提供された細胞が、たしかに既知の万能細胞とは違う、ということが確認されるだけでもいいでしょう。


(疑惑として、若山先生に提供された細胞が、どうやらES細胞のような「既にある」万能細胞だったのではないか、という問題がありますが、このことです)


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 ついでにつぶやきますが、たま出版の韮澤潤一郎さんに悪意があるか、という議論もいっしょにやっておいたほうがいいと思います。


 韮澤さんは、きっといい人です(笑)

 宇宙人とUFOについて「悪意はあんまりない」と思います。


 なので、小保方さんの悪意認定は、どうでもいいことで、問題は、証明に必要なプロセスがまったく整っていない、ということなのです。


 というわけで、STAP細胞を検証するためには


大槻教授


に依頼したほうがいいかも(笑)なーんて。





2014年4月4日金曜日

『保育所政策がうまくいかない』理由 実は単純!

 ユーレカ!

 じゃないけれど、「ああ、なるほど」納得した、ということは生きててそんなにあるもんじゃありません。

 でも、今日面白い記事を見つけて「こどもたちの保育所政策がうまくいかない理由」がすっきり・きっぱり・かっちりわかったのでご紹介しておきます。


 僕なりの結論。それは「保育所をたくさん作って、お母さんが働けるようにする」では少子化は解消しない、なのですが、その理由に向かって。まさに一直線です。


 元ネタ記事はこちらです。


 「保育所はなぜ需要があるのに増えないのか」(東洋経済オンラインさんより)
 http://toyokeizai.net/articles/-/33576



 保育所を増やせー!

とか

 子供達のための政策を!


とか、いろいろお母さんたちは叫んでいますが、上の記事を読めばシュパッと理解できると思います。


保育所そのものが、ああ、これはあかん。破綻してる。無理。もうダメぽ。

と。


 どういうことか、あなたの吉家孝太郎が明快に説明してみましょう。

 記事主さんは、認可保育所と無認可保育所の違いとか、補助金のこととかいろいろ丁寧に書いておられますが、

そんなのは全部すっ飛ばしてOKです。

それより、そもそも根本的な問題がある!



 いきますよ。


<前提その1>認可保育所の場合 こども3人に対して保育士1人が必要


<前提その2>こども1人に対して3.3平米必要(つまり、1坪でありタタミ2畳分)


 これだけでアウトですよ。すべてが。


 いいですか?こども3人の面倒を見るのに保育士人件費コストが1人分かかるわけです。

 保育士に15万の給料を払ったとして、子供1人から5万徴収しないとダメなんです。

 18万の給料なら、子供1人から6万ずつです。


 そして、子供達を遊ばせる部屋ですが、6畳のワンルームを仮に5万で借りて準備したとして、子供3人で割ったら1.6万円です。



 ということは、補助金なしだと、最低でも「子供を1人預けるのに、6.6万~7.6万かかる」というビジネスモデルだと言うことです。


 こんなん、頭のいい経営者じゃなくても、ふつうの素人でもわかりますよね。

あ、これじゃ無理。


 純粋な最低経費だけでこれですから、運営費用や電気代水道代、諸経費を考えたらこれは絶対に成立しないビジネスです。


 だからこそ国が補助金を投入しているのですが、ぶっちゃけこんなことに税金をアホみたいに投入していたら

国家の借金が増えるだけ

です。消費税が増えるだけ、です。



 そこで実際に何が起こっているかというと、記事主さんもおっしゃっているとおり「認可外保育所」を利用したり、先日の事件じゃないですが個人ベビーシッターが登場したり


 単にコストが安く保育の質を落としているだけ


の事態が起きているわけです。


 そりゃ、こども3人のところの母数を増やせばコストは落ちますよ。しかしその分、こどもはほったらかしになるだけです。


(そこで母数が増えてきます。


0歳児:保育士1人につき子ども3人

1、2歳児:保育士1人につき子ども6人

3歳児:保育士1人につき子ども20人

4、5歳児:保育士1人につき子ども30人

これでなんとか回せるようになるわけですが、保育の質は落ちますよね)





 こんなこと真面目に議論してもダメです。そうじゃなくて、母親がいかに家庭でこどもを守れるかの仕組みを考えたほうがいい。

 おかんが家にいてくれた昔の方がよっぽどマシです。