2019年10月27日日曜日
■【資本主義をハックする21】 日本人の生産性が上がらないのは、ケチが多いからだ。
働き方改革だの、生産性の向上だの、これからの企業と働く人の未来についてあれこれ議論されているところですが、「生産性を上げる」なんてことは実はとても簡単で、諸外国ではあっという間に実現できます。
そもそも生産性とは何かを簡単にまとめると
「働いた労力に対して、お金がたくさん得られること」
に過ぎません。
ところが、何を誤解しているのか、日本人は
「おなじ製品をできるだけ安いコストや価格で提供すること」
みたいにすぐ勘違いしてしまいます。
なので、働き方改革に絡めて
「残業をしないで、これまでとおなじ製品量・サービス量を維持しなくてはいけない」
みたいに経営者も労働者も考えてしまうのですね。アホです。
なぜなら、おなじ金額を稼ぐのに、より忙しかったり、労力が詰め込まれた作業をしなくてはならないのであれば、それはもはや
奴隷労働
まっしぐらだからです。
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生産性が高い商品と、生産性が低い商品の比較を行うには、コンビニへ行ってグミの棚を見ればよくわかります。
お菓子のグミの陳列棚には、まあたいてい国産のグミとドイツ生まれの「ハリボー」のグミが並んでいます。
■ ハリボーのグミは100g入りで、だいたい230円ぐらい
■ 国産のグミの増量タイプは、100g入りで、だいたい200円ぐらい
■ 国産のグミの標準タイプは、50gぐらいで、だいたい100円ぐらい
という価格設定になっています。
海外製の菓子類などを扱っているお店にいくとよくわかりますが、ハリボーのグミだけでなく、ポテトチップスなんかは、
「国産の3倍入っていて、国産の3倍の値段」
がすることがほとんどです。輸送費や関税の関係をさっぴいても、基本的に
「高くてでかい」
のが海外製品の特徴でしょう。コストコなんかへ行っても、それはよくわかります。
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仮に、グラムあたりの価格が、国産品と海外品のどちらもおなじだったと仮定して、それでも
「3倍入って3倍高いほうが生産性は高い」
と言えます。なぜなら、客が1回の来店で3倍のお金を落としてゆくのであれば、そちらのほうが絶対に効率がよいからです。
逆に、価格を3分の1にしたことで、客が3倍来店するかといえば、それも絶対にありません。せいぜい2倍はあるかもしれませんが、それでも3分の1の売上をロスしているわけです。
お豆腐で考えましょう。スーパーに行くと、本来98円ぐらいのはずだったお豆腐のとなりに38円の豆腐が並んでいます。49円ぐらいの場合もあります。
38円の豆腐にすることで、鍋の回数が増えますか?
38円の豆腐をあなたは一回の鍋で倍量食べられますか?
ええ、人は半額になったからといって、倍の豆腐は食べられないし、仮に月2回に鍋が増えても、その他のメニューが減るだけです。スーパーから見れば、総売上にはあまり影響がないわけで。
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以前の記事でも書いたとおり、もし価格と内容量を増やす方向に改革し、かつ、ちょびっとでも価格に転嫁できるのであれば、実は給料を2倍にすることだって簡単です。
【資本主義をハックする 3】 あなたの給料を2倍にする秘策を教えよう
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/06/blog-post_13.html
ということは、机上の空論的には
「製品の内容量を増やし、価格をその分増やして、適正な値上げをすれば、日本人の給料は2倍になる」
ということなのですが、それができない理由はとても簡単です。
日本人がケチでアホだから
ということ以外にはありません。
2019年10月8日火曜日
教師の間でいじめが起きるのはなぜか?
神戸の須磨で、教師が同僚の教師をいじめた(暴行した)というニュースが起きて、前代未聞の話だと盛り上がっています。
ヨシイエは元学校に勤めていた人なので、教師間の「力関係」「パワーバランス」のこともよく理解しているし、「教師間いじめ」のようなもの、が起きることがあることもよく知っています。
実際に、私が勤務していた学校でも、教師間のパワーバランスの乱れを目撃したことがありますが、それが「いじめ」だったかというと、今回のような事例とは異なるので、同じにするのはどうかなと思います。
ヨシイエの勤務校では、Kという先生がかなり特異なキャラクターで、一部の同僚の間ではとても煙たがられていました。
K先生がどれくらい変わっているかというと、
■ 別の地方出身なので、方言でとてもゆっくりネチネチと話す。
■ 生徒指導ができず、教室で生徒が騒いでいても注意できない。
■ 教員同士の飲み会で、「おいは、だれそれ先生が好きなんやー」と(本人の前で)絶叫する
■ 文化祭で「ど演歌」を泣きながら歌う
ほかにもいろいろあったけれど、もう覚えていないので、これくらいにしておきますが、 ひとことで言えば、
かなり・変な人
ということになります。
そのため、職員室の間では、当時流行語であった
「彼はいわゆる指導力不足教師なのではないか」
という言説が広まり、生徒もその特異なキャラクターを認知しているものだから、他の教師の授業の中でK先生のネタで笑いあう、ということが起きていました。
こどもたちというのはとても敏感ですから、それをみて、
「先生同士でK先生をいじめている」
と感じていたと思います。
そういうことをする教師、そういうことをしない教師を見分けながら、教師に対する信頼度を推し量るのは、むしろ子供たちのほうが正確だったのではないでしょうか。
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ヨシイエはその場にまず、いませんでした。
ヨシイエもまた、K先生を笑ってしまうようなパーティピーポー的教員たちからは別の意味で煙たがられていた職員でしたので、K先生をからかう場にはいないということになります。
私は個人的には、たとえK先生が多少の指導力不足であったとしても
「進学校に赴任していれば、特に問題もなく、強烈な先生としてただ任務をまっとうできただろう」
とドライに見ていたのを思い出します。
このように、構造的に見て、「弱い性格のものや、特異なキャラを持つ人間に対して、からかいやいじめに類することを行うものがいる」ということが
職員室でも起きる
という点については、当然あると思っています。
ただ、理解できないのは、今回の須磨のように、
■ 直接被害教師に触れて、暴行する
とか
■ 被害教師の持ち物に損壊を加える
とか
■ 激辛カレーなどを目に入れる
とか、そういう直接的暴行は、たしかに前代未聞ではないかと感じるところです。
いわゆる教師間いじめは、ふつうの場合は
■ 陰口やたばこ部屋などでの話題にする
■ 生徒の前で該当教師の物まねをして笑いをとろうとする
■ 該当教師に対して仕事を過剰に割り振ったり、あるいは、叱責する
■ 該当教師の能力不足を認識させるように仕向ける
などが大半で、直接的に暴行するのは
単純に犯罪
だからです。
教師は全員が大卒の頭脳集団でもありますから、自分達が責任を取らされるような下手な真似は、基本的にはしません。
「指導のあり方をめぐって、つい熱が入りました」
くらいで言い訳・ごまかしができるレベルには、留めておくことができる頭脳を持っているのです。
ところが、今回の須磨では、そうした責任回避工作がなされず、
「単純暴行」
で被害教師を侵害しています。これはとても奇妙なことなのです。
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報道では、主犯格が校長のお気に入りだったなどの話も出てきていますが、少なくとも
「職員室機能、管理職機能がまったく働いていない職場」
であったことはたしかでしょう。
ヨシイエさんの口癖は、「事件は現場で起きているんじゃない、職員室で起きているんだ!」ですが、まさにそんな感じ。
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もうひとつ、今回の事件で神戸の教育界の未熟さが露呈しているのは
■ 校長がなにをやり、何をどう感じていたかまったく出てこない
■ 教育委員会も現場をまったく管理しきれていない
■ こどものいじめとおなじ対応を大人に対してしている
という3点です。
「校長にどこまでの権限があるのか、あるいはなかったのか」は、今回のカギになる点だと思います。
あるいは「組合員がいたのか、組合の力はどうだったか」も少し気がかりです。
そして一番のあやまちは
「こどものいじめと同じ対応をしている」
ことです。
こどものいじめに対して、学校や教育委員会が代わりに表に立って対応するのは
「子供が未熟な存在で、責任が取れないから」
です。
それに対して、今回の登場人物は
「全員おとなであり、自分の口で語れるし、自分で責任が取れる存在」
です。学校現場における責任者は校長ですから、校長が直接喋ればいいし、加害教師も、被害教師も全員直接喋って、直接責任を取ればいいのです。
実際、裁判になれば全員がそうするわけですから、今だってそうすればいいわけです。
「現場も知らず、管理もできていない教育委員会の人間が出てきて喋ることなど、ひとつもない」
というのが正論だと思います。
2019年7月31日水曜日
「言ってはいけない」橘玲さんの指摘は正しい。
「言ってはいけない」シリーズなどで、驚愕の事実をぶちかまし続けている橘玲さんですが、ヨシイエは基本的に彼の言っていることを
体感
で肌で感じており、事実としてのファクトだけでなく、臨床の上でも、彼の言説は基本的に正しいと思っています。
週プレさんに、橘さんのインタビューが現在連載されていて、興味深いのでぜひお読みください。
なぜ「言ってはいけないこと」を書き続けるのか
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2019/07/25/109380/
社会は偏差値60以上に向けて作られている
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2019/07/28/109413/
リベラルな社会は究極の自己責任
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2019/07/31/109436/
まだ、インタビューの連載の途中ですが、ここまでだけでもかなり恐ろしいことが書かれています。
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■ 日本人の3分の1はアホ
■ パソコンを使って仕事ができるのは1割
■ 教育は万能ではない
ヨシイエさんは、前職は高等学校に勤めていて、その中で多くの生徒をつまびらかに観察してきたわけですが、結果的には橘さんの言うとおりのことが学校で起きています。
おなじ高卒資格を持っていても、偏差値の高い大学に進学する者と、教育困難校を卒業しただけだったり、Fランク大学に進学する者とでは、その知能レベルは大きく異なります。
また身体能力や、そのほかの把握能力、コミュ力なども大きく異なり、そして、たいへん興味深いことに、その能力は16歳時点から大人になるまで、ほとんど変化しません。
そうすると、橘さんが言っているとおり、高校生の3分の1は日本語能力が怪しく、小学生程度の算数でつまづき、パソコンは使えない、ということが起きています。
これは別に不思議なことでもなんでもなくて、みなさんの住んでいる地域の
「一番優秀な高校」から「ヤンキーのいる高校」
まで人数で並べてみると、だいたいそれくらいの幅にちゃんと収まっていることがわかると思います。
そして、学校現場にいると「昔は悪かったけれど、今はあの学校は良くなった」というような私立高校がいくつか存在することに気づきますが、その内情は
「悪い生徒を教育してよくした」
のではなく、
「早く悪い生徒は卒業させて、もともとレベルの高い新入生を集めた」
だけに過ぎないことがわかります。
そう!これは実は、「なにも教育していない」のと同じなのです。
だから、教育でできる変化の範囲というのはごくごくわずかであって、学校全体の雰囲気やレベルを変えるには、生来の能力が異なる人間を集めてくるしかない、ということだったのです。
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■ 行政は偏差値60以上の人が理解できるように作られている
それから、ヨシイエさんは現在の会社で、裁判実務に携わったり、いろいろな行政的仕事に携わったりしたのですが、そうした公的な文書の作成に関わっていると
「なるほど、ものごとをきちんと手続きを踏んで進めるということは、結局『文字と文章がきちんと書けるということなのだ』な」
ということに気づきました。
共産主義国などで「書記長」という偉いポストがありますが、なんで「ものを書く、書きとめるだけのポストが偉いのか」と疑問に思っていました。
ところが、公文書のセカイでは「この当たり前のことを当たり前に書く」ということのレベルがものすごく高い、難しいことなのだと気づきます。
私達からみると「裁判の文書なんてとても難しい!」と感じると思いますが、実は書いてあることそのものは何も難しいことはありません。
しかし、それを「正しく、間違いがなく、文意が誤られることなく、公正に書く」ということは、大変に煩雑でややこしい作業なのです。
幸いなことに、ヨシイエは偏差値60以上の大学を出ていたので、それほど苦もなく
裁判文書を自分で作成し、裁判そのものにも臨むことができたのですが、おなじことは、日本人の多くにとってはかなり難しいことであろうとわかります。
こうしたことはブログ一つとってみてもそうで、現在ブロガーとして活躍しているネット上の人たちの学歴を調査すると、ほぼ全員が早稲田慶応、国立大、関関同立 などの偏差値60以上の大学を卒業していることがわかります。
つまり、ブログを書く、という作業すら、偏差値60以上でないと「一発当てられない」のです。
アフィリエイトやアドセンスで稼ぐことができる人たちも、結局は偏差値60以上ということですから、彼らはもともと普通に就職していても学歴フィルターで落とされないレベルであるといえるのです。
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■ 自由で平等(リベラル)とは、能力のあるものが好き勝手する世界
「人種差別はいけない。男女は平等である。出自や身分で左右されない。」ということが簡単に言えばリベラルの思想ですが、私達の周りはどんどんこの方向に進んでいて、これは世界的な潮流です。
しかし、このことは社会主義、共産主義のような「結果的な平等」と勘違いしてはいけない、というのがミソです。
リベラルの思想は、「スタート時点で差がつかないのであれば、結果としてお金持ちになったり貧乏になったりしたのは、途中経過がうまくいった人と、失敗した人の差による自己責任だ」ということにも直結するため、そうした結果的弱者は救われない世界になるということなのです。
すごく簡単に言えば、「好きにしろ」ということなのですが、これを勘違いする人が続出しているのが現代の日本ということになるでしょう。
これまでの日本の会社では、終身雇用であるがゆえに社員をがんじがらめに縛り、副業なども禁止して、そして高いノルマを課して「働かせて」きました。
それゆえにそれなりの高い結果が出て、その給料が社員に還元されていたふしもあります。
ところが
「副業してもいいよ、ノルマも課さないし無理やり働かせもしないよ、ワークとライフのバランスも好きにしていいよ」
ということになると、(事実、企業はそうなりつつあります)
「その代わり、雇用も守らないし、君達が売り上げた分だけ分配するだけだし、(会社からみて)コスパが悪ければ創業家一族の利益だけ確定したら廃業するよ」
「その代わり、45歳になって給料が上がりそうな人はリストラするよ」
という裏面がにわかにあぶりだされてくるわけですね。
あるいはフリーランスや起業が注目を浴びるのも、一見「かっこよさそうでスマートな働き方」に見えますが、
「能力の無い者たちの多数の屍を、一握りの有能なフリーランスが踏んでゆく社会」
がやってくるだけです。 一人握りの芸人が当たったり、一握りの芸能人が注目されたり、一握りの選手がプロになれるようなそういう世界観が、ふつうの仕事にも当てはめられてゆく、ということが真のリベラルだということです。
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こうして全体をみてゆくと、これからの社会はどんな場面でも戦国時代の様相を呈します。
どの会社や組織に入っても「安心」「安定」ということがなくなってくるのが、これからの社会だということです。
そして、ここに最も恐ろしいエビデンスが隠れているのですが、この世界観の中において戦国時代のように下克上して
「じゃあ、這い上がったら勝てるんだな」
という考え方をついしてしまいがちですが、そうではなく、
「最初から遺伝や環境、能力的に勝てるメンバーは決まっていて、努力でそれを追い抜くことはできなくて、3分の1は貧困化し、能力(学力ではない)の上位偏差値60以上のみが生き残れる熾烈なセカイがやってくるのだ」
ということがこれから起きる真実だ、というわけです。
これはなかなか衝撃の未来ですね。
2019年7月18日木曜日
女性に高学歴は必要か
前回の続きで、学歴と収入について書いたあとは、「女性と学歴」についても考えておかなければならないと思うので書いておきましょう。
「40代で、フルタイムで働けない高学歴のおっさん」、というのはたぶんけっこういて、私のいとこも同志社を出て働かず引きこもりをしては碁会所にだけは歩いてゆくという生活をしているそうですが、 お父さんが元国有企業の偉い人だったのでお金には困っていないし、幸せそうです。
昨今のニュースによれば、日本には引きこもりのおっさんが100万人もいるらしいので、もはやマイノリティなんだかマジョリティなんだかわかりません。
人口100万人の国がキプロスとかアメリカ領ヴァージン諸島とか東ティモールとからしいので、もはや引きこもりも
一つの国ぐらいの規模
な人口というわけ。
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しかし、それは差し置いても、日本という国は女性に対して手厳しいので、特に高学歴の女性はその身の処遇に困ってしまうことが多々あります。
前回の話に出てきた45歳女教師なんかも実はよい例で、独身でキャリアを続けているから600万、700万の高給をもらっていますが、途中でキャリアを中断したらどうなっていたことでしょう。
これも良い例があります。
ワタクシ吉家さんが、新卒で配属されたおなじ新人で、Kさんというめっちゃくちゃ美人の女子がいました。
Kさんと私はあまり相性が良くなく、きっと私がブサイクだったので相手にされていなかったのでしょうが、おなじ4年間という年限を同じ部署で過ごして、さあ異動がやってくるぞ!という時に、Kさんはさっさと仕事をやめて結婚してしまいました。
その時は「ああ、せっかく学歴を生かせる仕事だったのにもったいないなあ!」と私も感じましたが、そのご子育てをして、夫となった人物も公務員だったので幸せに暮らしましたとさ、なのでしょう。
そのKさん、これまたネットで調べてみると、通信制高校で講師をしているようで、単年度契約でしょうが、比較的自由に仕事をしているように見受けられました。
まあ、通信制高校の講師の給料が安くとも、旦那が700万もらっているわけなので、生活には困らないでしょうけれど。
ちなみにKさんの出身大学は東北大学です。てやんでい。
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キャリアを中断しても、旦那が高給取りなら困らない、というのが実情ですから、ニャートさんが「結婚の有無」について触れておられるのも、ちゃんと意味があるということがわかります。
ではもう一人の才女を例に挙げましょう。
彼女は私が公立機関で講師をするときのマネジメントをしてくれている女性で、現在35歳。大学を出てからずっと、公立機関の「非常勤職員」をしてきました。バイト扱いよりはちょっとだけ待遇のよい、単年度更新の準公務員です。
その子は、Sちゃんと言いますが、もう5年くらいは、私の講座が開催される時の調整役をしてくれていました。
そのSちゃん!なんと来年以降は「青年海外協力隊」でどこか遠い国へ行くそうです。
彼女も関西では有名な高学歴私大の社会学系のご出身。フィールドワークとかやらせたら、すごい才能なのでしょう、きっと。しらんけど。
彼女の場合は、結婚していません。ずっと非正規雇用です。おそらく年収300万円程度しかもらっていないと思われます。
だから、この国にいても、その組織にいても、ずっと非正規のままで単年度雇用が繰り返されてゆくだけで人生を浪費してゆくわけです。
だったら、ラストチャンスとして、海外協力隊員になるか!というのは、彼女らしい解決法でもあります。
どうせ国内ではどん詰まりなのだったら、好きなようにやってみよう!ということですね。
Sちゃんの同僚で、おなじように私の講座のマネジメントを担当してくれていた別のKさんという女性は、彼女も同じように単年度でいろんな公的機関を渡り歩いていましたが、結婚して子供を生んでしばらく休み、今は高学歴大学院で学歴ロンダリングをして研究にいそしんでいます。
まあ、ある意味、好きなように好きな道をひた走っている女性ですが、とても好感のもてる人ですよ。
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女性の場合、高学歴を生かすのも殺すのも「結婚と相手のオトコ」が関係するのではないか?となんとなく考えているヨシイエですが、ひとつだけはっきり言えるのは、
「低学歴の女子は低学歴の男子としか知り合えないので、ワンチャンスが掴まえられない」
ということは確かです。
高学歴オトコがダメ人間で、結婚生活がうまくいかないリスクももちろんありますが、低学歴オトコと高学歴オトコでは、そもそも年収をどれくらい稼ぐかの平均が異なりますから、
「最低でも高学歴オトコと結婚できるようなくらいには、そのレベルの社会体験(つまり、進学すること)は積んでおくべき」
ではないかと思います。うちにも娘がいるものでね。
高学歴女子は、「学歴がなくても素晴らしい男性はいるのではないか?」と思っていますが、それはたしかにその通りではあるものの
「確率論としては、高学歴女子がそう思っている確率より、確実に低い」
ことを見落としています。
なんなら本当にそうかどうか、実際につきあってみればわかりますが、あなたの人生の一番輝ける時期を失うことになっても、私は責任をもてません。
ヨシイエさんはふだん、高卒社員等とよく接していますが、大卒社員の世界と高卒社員の世界は、まったく異なります。
それがどれくらい違うかは、ご想像におまかせしましょう。
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私のとある元教え子で、面白い女性がいたのでそのお話も。Nちゃんという彼女は地方のど田舎村の出身でしたが、そのど田舎には隣接している地域に「公立の教育大」があり、そこの教授をお父さんがしていました。
教授の娘の割には「アホ」だったのですが、彼女はそのことも理解していて、そのまま推薦で行ける
「東京の短大」
へ進学。そこから彼女の快進撃がはじまります。
Nちゃんはまず、短大から編入で4年生大学へ進み、サークル活動は学内のものには目もくれず、他大学との交流やイベントを行う「地域おこし系」みたいなサークルでせっせと人脈を作ります。
そのサークルではちっちゃなリーダー格のような仕事をして、かつ東京6大学をターゲットとした合コンにもいそしみ、3年くらい前に
「東大卒の公務員のおっさん(10歳くらい年上)」
と知り合って結婚して、今子育てをしてます。
学歴ロンダリングならぬ、婚活ロンダリングとでも言うべきこの作戦は、 そりゃあ背後に教育大の教授であるお父さんのご指導があるに違いありません。
自分の娘が、(それもちょっとアホな)娘がいかに幸せを手に入れるか、という方程式は、まさに魔法の解法によって成し遂げられた、というわけですね。
学歴と収入が比例しないのはなぜか?
いつも敬愛しているニャートさんというブロガーの方がいるのですが、最近新シリーズがはじまって、いろいろ私も考えさせられています。
その中で、今回「学歴とお金」の話があったので、これをヒントにいろいろ考えてみました。
学歴を換金できない・40歳働けない結婚できない私
http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2019/07/18
ニャートさんの個人的なパーソナリティにおいて、ご自身でこれは課題があるぞ、と挙げておられる項目はもともと以下のようなものがあります。
◆ 女性40代
◆ 高学歴(有名国立大卒)
◆ フルタイムで働けない
◆ 結婚できない
まあ、細かいことはご本人ならではの視点やツボもあるでしょうので、ここではざっくりと書いておくだけにしましたが、今回の記事は、こうした属性をもって
「高学歴の学歴を収入として換金できない現状」
について考察をめぐらされておられます。
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さて、その本題に入る前に、落語でいうところのマクラのようなお話をしてみましょう。
わたくし、吉家コータローさんは、今の奥さんと付き合う前に、交際をしていたHさんという女性がおりまして、私は今年誕生日がくれば45歳になる年齢ですが、その恋人たる女性も同じ年齢でした。
つまり、現在45歳。
別れた理由等は、個人的な事象なのでほっておくことにして、その人現在どこで何をしているのかとネットを叩いてみたら
◆ 女性45歳
◆ 高学歴 筑波大学卒
◆ フルタイムで働いている
◆ 結婚していない
ことがわかりました。
おなじく、まだ私が22歳の若かりしころに、一緒にとある県の公務員試験を受けに行く道中いっしょになって、いい感じに話がはずんで「どちらも合格するといいね」なんてそれぞれの会場に向かったSちゃんという女性がいて、その人現在どこで何をしているのかネットを叩いてみたら
◆ 女性45歳
◆ 高学歴 関関同立卒
◆ フルタイムで働いている
◆ 結婚していない
ことがわかりました。
ちなみにこの2人、現在幸せなのかどうかは知りません。幸せだと思いながら日々暮らしているのか、それとも何がしかの苦労や苦痛の中で暮らしておられるのかはわかりません。
ただ、「ある程度高給な職についている」ことは事実です。
2人とも高校の先生をしていますから、給与は600万~700万くらいはあるのではないでしょうか?
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このように要素を抽出してみると、HさんとSちゃんとニャートさんのそれぞれの違いは、
「同じように高学歴であり、同じような属性なのに年収600万円か、それとも年収300万円以下か」
という部分にのみあることがわかります。
このことから一つ言えるのは、学歴を収入に直接的につなげるには、公務員になるのがいいぞ!
ということでしょうか(え?)
民間に行くと、ハラスメントにつぶされたり、45歳でリストラに遭ったりしますが、公務員はいいぞ!(くりかえし)
なのでしょうか(え?)
とまあ、この話のマクラのオチは、どう転んでも「公務員はいいぞ」しかないのですが、公務員ではなく民間を選んでしまったのは自己責任(流行語)なので、これは誰を責めるものでもありません。
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さて、ここからが本題。今までの部分はギャグみたいなものです。学力と収入が比例しないのはなぜか、という当初のお話ですが、それは実は雇用者でなくても「経営者」でもおんなじで、
学力と経営力(稼ぐ力)は、比例しない
ということが時としてあります。
そのことは
【資本主義をハックする 20】 なぜ、学歴や学力がある人が経営してもうまくいかないのか
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2019/03/blog-post_27.html の記事で説明しましたが、
一橋大学と筑波大学を出ても、経営がうまくいかないものはいかない
のであります。
なぜそんなことが起きるかも、おなじ上の記事で書いていますが、
◆ 学力と学歴は 確実性をベースに積み上げてゆくもの
◆ 経営と収入は 不確実性の中でもがくもの
ということになるかもしれません。
だから、確実性のある分野で業務を行えば、学力と収入は直結します。
つまり、公務員(特に地方公務員はいいぞ)になればいいのです。
不確実性の高い商売の世界では、学力と学歴が成果に結びつくかどうかはわかりません。
民間企業にいる賢い人たちが翻弄されているのは、そういうわけですね。
NEC・富士通・カシオといった大会社でも45歳以上の大リストラが進行しているわけですから、
「最初の時点で就職氷河期か、あとから大リストラか」
の違いで、どちらも不遇な境遇になることは変わりないのです。
小塚井呉也さんのnoteで、
「45歳以上の大リストラに対抗するたったひとつの方法」
https://note.mu/kozukai_kureya/n/ncb91e4831645
という記事がありますが、ここでは、普通の人たちが見落としがちなものすごいことが書いてあります。
”
現在45歳の人たちが、もっとも人口が多く、そして44歳がその次に多かった世代、ということは
「大学入試から、就職入試にかけて、最も倍率が高かった優秀中の優秀を選んだはずの世代」
ということです。同時に、ここで職業選考にふるい落とされている45歳は、超氷河期世代とも呼ばれる、二面性があるのですが、今回リストラされるのは、
「あの時ちゃんと正社員になれて、選抜に選抜されたエリート層」
だということです。
”
たとえばニャートさんのように、就職氷河期に網からこぼれ落ちた優秀な人たちもいるかもしれませんが、その同じ人たちが、今から
「放り出される」
事態がやってくるのが現実であります。
どっちみち、ほうりだされるんやんけー!!!!!
これが、不確実性の恐ろしさです。
本当に、定年になるその瞬間まで、この世は不確実なのです。
だから、優秀な大学を卒業して就職するなら
「きっと30年後も40年後も席があるだろう、市役所とかの公務員の地味な業務がいいぞ」
とオススメします。
続き→ 女性に高学歴は必要か、もあるでよ。
2019年3月27日水曜日
■【資本主義をハックする 20】 なぜ、学歴や学力がある人が経営してもうまくいかないのか
もうすぐ70歳近くになろうかといううちのおかんがよく呟いていることばに、たとえば政治であったり、あるいは国際問題であったり、またあるいは何かの経営活動などに対して、
「どうして賢い人たちがいっぱいいるのに、うまくいかないのかねえ」
というものがあります。
政治経済のニュースを見ながら、それぞれ「賢い人たち=えらい学者さんや、えらい指導的立場野人たち」がいちおう一生懸命やっているのにも関わらず、どうしてこの世はうまくいかないことが多いのか、という素朴な疑問ですが、たしかに言いえて妙なセリフだと言えるでしょう。
別に取り立てて、「お上とは、自然に偉いもので、かつ賢いものだ」なんていうつもりは毛頭ないけれど、東大やら京大やらを出た企業人や、官僚、あるいはそれには劣るかもしれないけれど、とりあえず、わが国の大学教育を受けた人たちがたくさん政治家になっていて、それでもこの状態なわけですから、
「学力とはなんだ?!」
という疑問を抱いても、それもまたおかしいことではありません。
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某家具屋さんの経営がうまくいかないと、ここ数年来ずっと話題になっていますが、「父と娘の確執とか」「娘が社長を下りればいい」とか、井戸端会議レベルの評論はたくさん出てきますが、いざこの娘さんの経歴を見てみると、なかなかどうして賢い人であることがわかります。
彼女は、「一橋大学経済学部を出て、筑波大学の法科大学院も出ている」才女です。
実業の世界へ飛び込むまでは、研究者になろうと思っていたくらいの人ですから、お勉強はとてもできるのだと思います。
ここで、またまた事前につっこみを入れておきますが、「しょせんお勉強はできても、経営はできなかったんじゃない?」なんて、井戸端会議レベルの感想を言うのは、すこし脇へ置いておきましょう。
一橋大学を出ていないものが、やっかみでそうした発言をするのは、”ビールのアテ”レベルでは別にかまいませんが、もしまともにそれを議論すると
「一橋大学へ入れる学力も、一橋大学の教育も、筑波大学院の教育も、実業にはなんの役にも立たない」
のが真実であれば、わが国の教育制度そのものが崩壊するし、また、一から教育を見直さなくてはならないという大変な事態であることを認めることになるわけです。これは非常にまずいことといわざるを得ません。
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こうしたことから、この世界において、とくにこの資本主義社会の経済で、成功したり、順調に経営を進めてゆくには、
「いわゆる学力と、経営力の間に、なにがしかの違いがあるのではないか?」
ということに気づく必要があるということだと思います。もちろん、それは学力と政治力の間、と言い換えてもよいかもしれません。
そして、もしここをうまく読み解くことができるのであれば、この資本主義を渡ってゆく「資本主義ハック」にうまく活用できるのではないか?と推測を立てることもできるわけです。
さて、結論から言えば、「学力と経営力の間に隠れているもの」というのは、それほど難しい話ではありません。
よく一般的に
「頭で考えるのと、実際にやってみるのとでは違うわなあ」
なんていいますが、高学歴の人が実務に携わってうまくいかないのは、まさにこれで、
「学問上起こっていることと、現実に起こっていることの間には、大きな乖離がある」
ということが一つの結論の核だと思います。
このことは、学問をまじめにやっている人から見れば、至極当然の話で、学問というのは
◆ 再現性があること
◆ 一般化できること
でなければ学問になりえません。
つまり、簡単に言えば、あまたの事象の中から、法則性を見出すことが、そもそもの学問だ、というわけですから、現実社会がカオスな様相を呈しているのであれば、そもそも学問でそれらの事態は補足できないというわけです。
ですから、学歴があり、学力があるということは
「確実性のあることについて、その内容を理解し、対応できる力がある」
ということになるのですね。
それに対して、現実社会というのは
「不確実性の中で、その対応を考えなくてはならない」
ということなので、 だからこそ「学力があっても、その結果にコミットできない」ということが起こりうるわけです。
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すなわち、家具屋の娘さんが、確実性の高い学問の世界で優秀でありながら、不確実なこの現実社会の中で、もがいてしまうということは、充分起こりうるわけです。
そして、娘さんは、おそらく「こうしたらいいのではないか?」という法則的施策をつぎつぎに考え出しては実行するのだけれど、いくら「確実だと推定できる作戦」をたくさん繰り出しても、実際には
「この世の不確実性のもとに、惨敗する」
ということが起きているわけですね。
これは家具屋さんに限らず、政治でも経済でも、経営でも、いたるところで起きています。
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そうすると、いわゆる「不確実性」とは、「サイコロバクチ」のように、私たちには見えますから、
「学歴なんか無関係で、わしは一発当てたんじゃ!」
というやんちゃな兄ちゃんやおっさんが、企業家として成功してしまう場面にも遭遇することになります。
これもまた、この世界ではよく見られる場面です。
となると、これで上手くいった人たちに言わせると、今度は、
「経営なんて学校のお勉強は無関係なんじゃ!」
ということになりますが、実はそれもまた正確には「正しいとはいえない」のです。
不確実性というのは、表面的に見ると、「偶然・偶発・ランダムな事象」のように見えます。
もし本当に偶発的なことの集りなのであれば、この世はバクチと同じなので、一生懸命努力をしたり、学校で勉強したり、何かを我慢したりせず、とにかく好き勝手やってみて
「当たるのを待つ」
ことが正しい戦略になります。
しかし、当人が好き勝手やっていて、たとえばお笑いの賞レースで偶発的に優勝することが少ないように、実際には
「一見偶発的、偶然的に見える事象でも、それなりに裏ではある程度なんらかの整理された事情が隠れている」
と考えるほうが妥当です。お笑いの芸が偶然100%ではなく、それぞれバラバラに見えるものの、なんらかの下積み努力が底を支えているのと同じです。
同様に、料理屋をはじめるのもバクチ、就職するのもバクチ、仕事というものはバクチ、であれば、この世界はきっとすぐに破綻することでしょう。ということは
「一見バクチに見えるけれど、実はそうではない」
のがこの世界だということです。
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より正確に話すのであれば、学問や学力は「確実性」の世界だというならば、この世界で起きているのは
「不確実性」
というよりは
「複雑性」
といったほうが正しいでしょう。けしてバクチで動いているのではなく、
「その法則性を見出せるほど単純ではないか、あるいはいくつもの法則性が複雑に絡み合っていて、結果としてランダムのように見える状況」
なのが、正確だと言うわけです。
この複雑性を読み解き、ある程度まとまった回答を出すのは、実は賢い人たちでもかなり難しい作業です。ですから、賢い人たちでも、この世界を取り回すのはうまくいきません。
たとえば天気ひとつを取ってみても、大気はかなり複雑な動きをして、スーパーコンピュータをぶん回しても、「これぞ!」という正解にはたどりつきません。
なんとなく、大まかには当たるけれど、それでも正確性は70%程度なのかな?といった状態なわけです。
政治や経営とは、これに近い分野で、人々の移り気や市場の需要、あるいは供給の数値、海外でのブームや傾向、ニュースや関心事によって、
「民意や売れるものの傾向は複雑系として移行する」
と言ってよいでしょう。 これを読み解いて、対応するには、賢い人たちが数百人集ってぶっ倒れるまで考え抜かねばならないわけですね。
まあ、実際にはそれができないから、誰もうまくいかないわけです。
(実際には、仮に超頭脳な人たちが集っても、声がでかいやつとか偉そうなやつに言いくるめられたりするので、あまり当てにはなりません)
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そうすると、僕たち私たちのようなあまり賢くない庶民が、いくら「こうだろうああだろう」と考えても、そもそもダメなわけですが、かといって、自分の仕事や日々のくらしを
「今日もサイコロ振ってきめちゃお!あ、×が出たから今日は営業行ってもムダー!」
というふうにバクチにゆだねるわけにも行かないので、 せめてできることがないか考えるわけです。
となると、もう一度、原点に立ち戻って、
◆ 確実性の世界で高みを目指すことが学力である。
→ しかし、わたしは一橋大や筑波を出ていないので、アホである。
と、まずは「確実性の分野で、戦おうとはしない」ことを心がけることができます。
そして、
◆ この世は、不確実ではあるが、ランダムではない。
→ したがって、バクチのような生き方はやめよう
という心がけもできます。
そして、いよいよまとめに入っていきますが、
◆ この世は、複雑系なのだから、答えはわからないし、アバウトに作用する。
→ ひとつの考え方に固執せず、何をやるにも、「ええ加減、(よいころあい)」ぐらいでいい
◆ しかし、偶発事象ではないので、なんらかの方向性ぐらいはある。
→ アンテナを張って、それがよさそうだとなんとなく思ったらやってみる(でも固執しない)
という考え方が大事で、できるならこのサイクルをころころスピード感を持ってやることが大事だとわかるのです。
そうすると「頭で考えるのと実際にやるのは違うけれど、すぐ修正してゆく」ことも可能になってきます。
この生き方、外部からみると
「すごくふわふわしていて、変わり身も早い」
とか
「けっこうその都度場当たり的で、いいかげん」
に見えるというマイナスもありますが、でも、それでいいのかもしれません。
少なくとも、バクチ打ちよりマシで、かつ「凝り固まった秀才」よりも結果を出すことは間違いないでしょう。
2019年3月20日水曜日
富士通 FUTRO(ヒューロー) MP702 の中古は買いだぜ! (MA552との違いは?)
中古の出物で「当たり!」なガジェットが出てくることがたまにあるのですが、今回ゲットしたのは、
富士通 FUTRO(ヒューロー) MP702
http://www.fmworld.net/biz/thinclient/1206/mp702/
というちょっと変わった、にくいあんちくしょうです。
とりあえず、PuppyLinuxが動いています。ライブUSBを刺しただけ。
ヤフオクでたまに1980円くらいで出品されているので、お宝好きな方は、どうぞ。
このマシン。ほとんどネットにも詳しいことが出てきませんが、それもそのはず、普通のパソコンではなく「シンクライアント」として企業向けに供給されているので、
「どこかの企業の社内PCの更新」
の時なんかに、ぞろぞろと複数台放出されることが多いようです。
【1 シンクライアントってなあに?】
パソコンが10台並んでいるとすると、その10台がそれぞれ頭(CPU)を使っていろいろ計算したり考えているのが、普通のパソコンの世界観です。
それに対して、シンクライアントは、10台モニタとキーボードが並んでいるのだけれど、肝心の計算やら考え事は、中央や別の部屋にある「すごいコンピュータ(サーバ)」が一手に引き受けて、みんなの手元の機械は実はなーんにも考えていない、というしくみです。
むかーしむかしにも「オフコンとターミナル端末」という形でこれと同じことをやっていたのですが、現在ではセキュリティやメンテナンスの面からメリットがあるので、この中央集権型のシステムが見直されているというわけ。
【2 シンクライアントのメリットは?】
大きい会社や組織で、パソコンの管理を任された経験があるならわかると思いますが、何かソフトをインストールしたり、すべてのマシンに同じソフトを入れなおさないといけないような場面があれば、100台あれば100回同じことをしなくてはなりません。
でも、シンクライアントであれば、100台あるのは単なる端末なので、中央のサーバだけ手直しすればOK!
ざっくり言えばそういう感じのメリットがたくさんあります。
【3 MP702ってどんなマシン?】
富士通さんが販売していたシンクライアント向け、「端末」用途で設定されたパソコンです。
基本は法人向けなので、そこらへんでは売っていません。
シンクライアントは、「何も考えないアホなマシン」なのですが、実際にアホなマシンを一から作るとよけいにコストがかかるので、富士通さんの場合は
ふつうのパソコンと共通した機械で、シンクライアント向けモデルを作っている
と言えるでしょう。なので、結果的に普通のパソコンとハードウエアはとても似ています。
【4 中古のMP702はどこがいいの?】
なんと言ってもクセがあるモデルなので、元からWindows10が入っていたりはしません。
ましてやライセンスを示すシールも貼っていないので、windows系のOSを使いたい人は、導入には苦労すると思います。
(別にWindowsを買ってこないとダメだから)
ですが、Linuxを使う人にとっては、MP702はものすごくコスパがいい!ということを知っておきましょう。
では、どこがいいのか?
◆ だいたい、ノートPCの動作可ジャンク品の相場は、CPUがCeleron 900・575・500あたりのシングルコア2GHZ前後で、 メモリ1Gハードディスク無しで3000円(+送料)くらい。
◆ それに、ちゃんとWindows7以上の正規のライセンスがついて、正常稼働品で5000円~7000円くらいになる。
◆ Core2Duoの当たり品で、3000円ぐらいから買えるが、普通は2コアのマシンだと5000円くらい。正常稼働品で10000円くらいが相場。
◆ MP702は、もともとWindowsのライセンスがないので、いわゆるOSが載った品は最初の購入者が後からOSを入れているものが大半。OS不要派には元から都合がよい。
◆ スペックがなんと!
Celeron 877(1.40GHz)2コア +メモリ2G
どのみちジャンク品だと、ほかのノートでも大半HDDは欠損しているので、HDDが最初から入っていないMP702でも全然問題がない。
◆ 12.1型ワイドのB5ファイルサイズなので、超コンパクト!いわゆる安いPCだと15.6インチもしくは15.4インチのA4ファイルサイズの出物が大半のなか、貴重なB5サイズ!
WXGA(1280×800ドット)
◆ 無線LANもUSB3.0もついている!セレロン900クラスのノートPCだと、まだ無線LANとUSB3.0が標準でない時代のものが多いので、お得!
◆ 裏ブタあけたら2分でごはん!・・・ちがった、HDDを内臓可能!
ほれ!2.5インチHDDのマウンタと、フレキシブルケーブルの接続端子が!
【5 MP702の残念なところは?】
ない!といいたいところですが、光学ドライブ(DVD/CD)を内臓していないので、ドライブがほしい人には不向きです。
でもまあB5ファイルサイズですからね。そういう人は、光学ドライブは必要な時にUSB外付けなのではないでしょうか?
あと、CPUは交換不可、直付けですので、あしからず。
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というわけで、よい子はマネしちゃいけない
デュアルコアノートが1980円なら、おもちゃとしては最高だよ!
(HDDはヤフオク中古で500円ぐらいからあるので買ってね!)
というお話でした。
シンクライアントPCなので、BIOS周りがややこしそう?と思うかもしれませんが、ライブUSBにしておいたLinuxがそのまま動きます。
むしろ、何も考えずともライブUSBがさらっと動いたので、拍子抜けしたぐらい。
<おまけ>
FURTOの中古だとMA552もたまに放出されています。
こちらは15.6インチのフルサイズノートなので、大きくていいなあ!と思いがちですが、いくつか気をつけるポイントが。
◆ まず、初期バッテリーが発火の恐れがあり、リコール対象。
◆ CPUがCeleron B730(1.80GHz)というシングルコア!
◆ フルサイズノートだけれども、どっちみち光学ドライブは元から不搭載!
◆ でも、こちらは液晶がフルサイズHD!(1920×1080)
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