2019年10月8日火曜日

教師の間でいじめが起きるのはなぜか?



 神戸の須磨で、教師が同僚の教師をいじめた(暴行した)というニュースが起きて、前代未聞の話だと盛り上がっています。


 ヨシイエは元学校に勤めていた人なので、教師間の「力関係」「パワーバランス」のこともよく理解しているし、「教師間いじめ」のようなもの、が起きることがあることもよく知っています。


 実際に、私が勤務していた学校でも、教師間のパワーバランスの乱れを目撃したことがありますが、それが「いじめ」だったかというと、今回のような事例とは異なるので、同じにするのはどうかなと思います。



  ヨシイエの勤務校では、Kという先生がかなり特異なキャラクターで、一部の同僚の間ではとても煙たがられていました。


 K先生がどれくらい変わっているかというと、


■ 別の地方出身なので、方言でとてもゆっくりネチネチと話す。

■ 生徒指導ができず、教室で生徒が騒いでいても注意できない。

■ 教員同士の飲み会で、「おいは、だれそれ先生が好きなんやー」と(本人の前で)絶叫する

■ 文化祭で「ど演歌」を泣きながら歌う


ほかにもいろいろあったけれど、もう覚えていないので、これくらいにしておきますが、 ひとことで言えば、



かなり・変な人



ということになります。


 そのため、職員室の間では、当時流行語であった


「彼はいわゆる指導力不足教師なのではないか」


 という言説が広まり、生徒もその特異なキャラクターを認知しているものだから、他の教師の授業の中でK先生のネタで笑いあう、ということが起きていました。



  こどもたちというのはとても敏感ですから、それをみて、
 

「先生同士でK先生をいじめている」


と感じていたと思います。

 そういうことをする教師、そういうことをしない教師を見分けながら、教師に対する信頼度を推し量るのは、むしろ子供たちのほうが正確だったのではないでしょうか。





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 ヨシイエはその場にまず、いませんでした。

 ヨシイエもまた、K先生を笑ってしまうようなパーティピーポー的教員たちからは別の意味で煙たがられていた職員でしたので、K先生をからかう場にはいないということになります。



 私は個人的には、たとえK先生が多少の指導力不足であったとしても


「進学校に赴任していれば、特に問題もなく、強烈な先生としてただ任務をまっとうできただろう」


とドライに見ていたのを思い出します。




 このように、構造的に見て、「弱い性格のものや、特異なキャラを持つ人間に対して、からかいやいじめに類することを行うものがいる」ということが


 職員室でも起きる


という点については、当然あると思っています。



 ただ、理解できないのは、今回の須磨のように、


■ 直接被害教師に触れて、暴行する


とか


■ 被害教師の持ち物に損壊を加える


とか


■ 激辛カレーなどを目に入れる


とか、そういう直接的暴行は、たしかに前代未聞ではないかと感じるところです。



 いわゆる教師間いじめは、ふつうの場合は


■ 陰口やたばこ部屋などでの話題にする

■ 生徒の前で該当教師の物まねをして笑いをとろうとする

■ 該当教師に対して仕事を過剰に割り振ったり、あるいは、叱責する

■ 該当教師の能力不足を認識させるように仕向ける


などが大半で、直接的に暴行するのは


単純に犯罪


だからです。




  教師は全員が大卒の頭脳集団でもありますから、自分達が責任を取らされるような下手な真似は、基本的にはしません。


「指導のあり方をめぐって、つい熱が入りました」

くらいで言い訳・ごまかしができるレベルには、留めておくことができる頭脳を持っているのです。





 ところが、今回の須磨では、そうした責任回避工作がなされず、


「単純暴行」


で被害教師を侵害しています。これはとても奇妙なことなのです。




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 報道では、主犯格が校長のお気に入りだったなどの話も出てきていますが、少なくとも


「職員室機能、管理職機能がまったく働いていない職場」


であったことはたしかでしょう。



 ヨシイエさんの口癖は、「事件は現場で起きているんじゃない、職員室で起きているんだ!」ですが、まさにそんな感じ。




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 もうひとつ、今回の事件で神戸の教育界の未熟さが露呈しているのは



■ 校長がなにをやり、何をどう感じていたかまったく出てこない


■ 教育委員会も現場をまったく管理しきれていない


■ こどものいじめとおなじ対応を大人に対してしている


という3点です。



 「校長にどこまでの権限があるのか、あるいはなかったのか」は、今回のカギになる点だと思います。

 あるいは「組合員がいたのか、組合の力はどうだったか」も少し気がかりです。


 そして一番のあやまちは


「こどものいじめと同じ対応をしている」


ことです。



 こどものいじめに対して、学校や教育委員会が代わりに表に立って対応するのは


「子供が未熟な存在で、責任が取れないから」


です。



 それに対して、今回の登場人物は


「全員おとなであり、自分の口で語れるし、自分で責任が取れる存在」


です。学校現場における責任者は校長ですから、校長が直接喋ればいいし、加害教師も、被害教師も全員直接喋って、直接責任を取ればいいのです。


 実際、裁判になれば全員がそうするわけですから、今だってそうすればいいわけです。



「現場も知らず、管理もできていない教育委員会の人間が出てきて喋ることなど、ひとつもない」


というのが正論だと思います。











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