2014年10月19日日曜日

【高校生のための”人生”の教科書13】勉強とは何か?

 前回は、どうやら勉強を続けないとダメそうだ、という状況についてお話しました。世界の国の中で、あなたがどちらかと言えば高い給料をもらって生きていこうと思えば、勉強することは避けられそうにありません。


 では、ここで基本に戻ってみましょう。そもそも「勉強」ってなんなのでしょうか?どうして人は勉強するのでしょう?




 では、いきなりですが例え話をします。



 あなたはテレビを作ったことがありますか?



 これを読んでいる99.9%の人がたぶん「無い」と答えると思います。いやいや、それより自分にはテレビなんて作れないよ!と思うことでしょう。


 私はテレビを作ったことがあります。3台くらい作りました。作り方は簡単です。アホでもできます。


 パチンコ台から外した液晶画面と、画面に映像を映し出す基盤と、音を出すスピーカーと、電波を拾ってくるチューナーの部品と、電源をくっつけるだけでできます。


 部材の数で言えば、5つですね。電源はそこらへんに転がっているACアダプターで大丈夫です。



 5つくらいの部品をくっつけるのは簡単です。出ている線も全部で10本くらいのもんですから。


 (もちろん、テレビがデジタルになってからは少しややこしくなりました。カードを差したりしないといけないとか、いろいろルールが変わったので)


 それなら簡単そうだ、とみなさんも思うことでしょう。その通り、ほんとうに簡単です。


 

 どうして私がテレビをつくることができたかと言えば、「既に誰かがテレビを発明していて、既に誰かが部品を作ってくれていたから」に他なりません。


 そうでなければ、一から液晶画面を製造したり、ほんの小さな部品ですら、自力で作ることなんてできるはずがありませんよね。


 これは、実はすべての人にとって同じことが言えます。今、ソニーの会社に勤めて、テレビを作っている人に「テレビを一から作ってください」とお願いしても、絶対に無理です。


「えー、そんなの言われても、俺がやっているのは、テレビを作る機械を動かしているだけで、部品をよそから仕入れてきたり、どこか別の部署で作っているのを集めて組み合わせているだけだもの」


と肩をすくめることでしょう。なんだ、それなら私とやっていることは同レベルじゃないか、というわけです。




 すでに誰かが作っているモノ、これは私たちが「勉強する内容」に似ています。私たちが学校で勉強するのは、「既に誰かが発見したり、調べたりしたことの結果」を横取りして利用させてもらっているに過ぎません。


 あなたが何もないところから独自の文字を生み出すのも大変なことだし、水を分解して水素と酸素に分けることだってできっこありません。


 この世界のことを、一から「知ろう、理解しよう」とするのは、恐ろしく大変な作業なのです。なので、それぞれの国や地域で、それらの中から最小限コンパクトにまとめた「これまでにわかっていることのリスト」をみなさんに伝達する、それが学校で教えられている内容だということになります。




 勉強というものは、自分で一から、最初から努力せずに済むためにあるものなんだ、ということがざっくりわかった時点で、では勉強しないとどうなるのかについてお話します。


 今の大人にその質問をしても「勉強しないといい会社に入れない」とか、そういう古めかしい話をされるのがオチですので、その手の話はとりあえず聞き流しておきましょう。




 実際に勉強しないとどうなるのか。その最も重要な部分は「何かを作ることができない」ということです。


 私たちは一般的に消費者と言われ、「何かを買ったり使ったりすることは大得意」です。しかし、それはお金を払うほうの立場であって、お金を使うためにはお金を稼がなくてはいけませんね。



 お金を稼ぐためには、何かモノを作って、それを売らなくてはいけません。あるいは、あなたの体を使って肉体で稼ぐしかありません。


 何かを作るためには、それがたとえ誰かの作ったもののパクりであっても、その作り方を知らなくてはいけません。また、その材料をもらってきたり買ってこなくては作る事ができないわけです。


 作り方を学ぶのはズバリ勉強そのものですね。材料を手に入れるのはさっきのテレビの話と同じで、誰かがやってくれたことを流用するわけですから、これも勉強に似ています。


 というわけで、「勉強すれば、何かが作れる」というところまではわかりました。




 逆に、もう一つの生き方である「体を使って肉体で稼ぐ」というのはどうでしょう?建設作業に従事する人は、人の手で穴を掘ったりします。


 人の手で穴を掘ったり、人の手で柱を建てたり、そういう仕事をしている人たちは、その意味では学校の勉強内容があまり直接役立たないかもしれませんね。


 しかし、普通の人であれば「いやー、いつまでもこんなことやってると疲れるだけなので、どうにかもっと効率を上げたり、楽に仕事ができる方法はないかなあ」と考えはじめます。


 ピラミッドをすべて人の手で作っている時代であれば、全部が人力ですが、それでも「ソリ」とか「コロ」とかを発明したり使ったりして、「なんとか楽にこの仕事をしたい」と人類は思ってきたわけです。


 そこでどうするか。工具を使ったり、機械を使って楽になりたいと考えます。賢い人ならば、「こんな道具を作ろう」と考え始めますし、ふつうの人でも「建設機械の免許を取って、楽に仕事をしたい」と思います。


 ほら、やっぱり免許を取るために勉強をしなければならなくなりそうですね。



 勉強をしなくてもOK、という人生を送るには、「食べ物を自給自足し、すべて自分の肉体で働く」という状況でないと無理なのです。


 つまり、めちゃくちゃしんどい!勉強をしたくない~、と言っているヤワな人には耐えられない生活が待っているということです。


 筋肉ムキムキで、野生でも生きられそうなワイルド君であれば、現金もいらず野草と野獣を食べて、体だけを使って生きていけそうですが、あなたには確実にムリだと思います。




 なんとなく、わかってきたでしょうか?そうです。勉強というのは、結局は「以前に誰かが既にやってくれたことをパクったり、利用したりして、楽に人生をすごす」ことなのです。


「こうすれば楽にできるよ」という知識が多いほうが、人生はさらに楽になります。


言い換えれば、「こうすれば効率がいいよ」とか「こうすれば生産力が上がるよ」とか「こうすればお金が稼げるよ」とか、そういうことです。


だから、勉強し、知識量が多い人ほど、「労働が楽」であったり「稼げる金額が多い」というしくみになっているわけですね。




 もちろん、勉強することの本来の意味合いが、現在では多少ずれてきてしまっていることもあるので、「たくさん知識を持っている人が、誰でもお金持ち」とは限りません。それは、この前のお話で説明したとおり、


 学力だけあっても、イノベーションできる人材じゃないとダメ


という話と関連してきます。


 そう!知識がいくらあっても、それを「使いこなすテクニック」を持っていないと本来の力が発揮できないからです。




 ちょっとずる賢い人なら、こんなことに気付くと思います。


「知識だけなら、グーグル先生に聞けばなんでも教えてくれるじゃん」


なんてことを言いそうですね。はい、もちろんその通り。グーグル先生の知識量は、半端ありません。パネエです。


 しかし、ここからがポイントです。グーグル先生は「知識・情報」を教えてくれますが、


「そこからそれをどうするのか」


までは代わりにやってくれません。


 ”おいしいパスタをゆでるために、ゆで時間は10分”とグーグル先生が教えてくれても、かわりにゆでてはくれないのです。


 そこがミソです。さっきの話と同じで「大事なのは知識だけじゃなくて、それを使いこなす力」だと言う訳です。




 それでも、幸せなことに、世界のほかの国々では、その「知識」の部分すら満足に伝達されていない国がたくさんあります。


 世界第二位のある国でも、「国家が隠していて教えてくれない情報・知識」がたくさんあったり、「真実とは異なる、意図的に改造された知識」を教えられたりしていることがあります。


 そんなキモチの悪いことが起きているのであれば、よりいっそう「何が正しいのか、自分でもっと勉強したい」と思うようになりませんか?


 きっと、その国でも「真実を知るために勉強しよう」と思っている若者がたくさんいるはずです。











 

2014年10月18日土曜日

【高校生のための”人生”の教科書12】第三章 どうして勉強しないといけないのですか?

 どうして人は勉強しないといけないのでしょうか?


 これは、学生にとっての「永遠の悩み」のようなものです。おそらくあなた以外のすべての「かつて学生だった人・今学生である人」が皆


 ”どうして勉強しないといけないのだろう”


と思ったことがあるはずです。




 その理由は、後でお話しますが、少なくともこれまでは「いい学校に入って、いい会社に就職するため」ということが、多くの人の間で信じられてきました。


 勉強をする→いい成績を取る→いい学校(偏差値の高い学校)に進学する→いい会社(給与の高い会社)に就職する


という流れは、日本の社会の中で「よい人生」とされてきたからです。


 ところが、それは日本の経済全体が上昇する、という条件があってはじめて成立することでした。


 これも以前にお話しましたが、日本人は給料が安かったので、世界中からいろんな仕事がまいこんできました。そこからみなさんの先輩が一生懸命働いて、どんどん経済発展することができました。


 この期間は、「よりよい製品を作れる会社」「よりたくさん販売できる会社」など実力のある会社に就職することが重要だったのです。そして、その会社に入社するには「試験という選抜を突破」するために学力が必要でした。


 (厳密には、入社試験そのものよりも、学力の高い大学に入ることが重視されましたので、学力の高い大学を卒業すると、かなりの高確率でよい会社に入社することができた、ということです)


 

 ところが、日本人の給料が高くなってしまうと、世界中の仕事の多くは、より給料の安い外国へと流れていってしまいました。ということは、「高い給料といい会社」というこれまで「良い」とされてきたことが、「良いとは言えない、悪い」と逆転してしまったのです。



 まだ、ちょっとわかりにくいと思うので、たとえ話をします。



 10万円のテレビがあります。有名ないい会社が作った画質のいい製品です。40インチのテレビです。


 5万円のテレビがあります。アジアの国の名もなき会社が作ったふつう画質の製品です。40インチのテレビです。


 どちらがたくさん売れるテレビだと思いますか?そう、答えは簡単。いいテレビが欲しい人も一定数はいますが、ほぼ確実に5万円のテレビのほうが、圧倒的に売れることでしょう。


 ということは、「いい製品を作るいい会社は稼ぎが少ない」ということになります。「そこそこの製品を作るアジアの会社は稼ぎが多い」ということになるわけです。


 あれ?おかしなことが起こっています。「いい会社がちっとも良くない」ことに気付きませんか?だって、もらえるお金が少ないんだもの!変ですね。


 これが今の、そしてこれからの日本で起きていることなのです。




 こういう仕組みで、これまで「いい会社」とされてきた「技術力もあり、販売力もあった会社」がどんどんと弱ってきてしまいました。ソニーや松下電器がしんどくなったのもそのせいです。シャープがえらいことになったのもそうです。日本だけでなく、アメリカでもおなじで、IBMといったコンピュータの会社がパソコン部門を中国に売り払ったりしています。

 そんな事例は山ほどあります。いくらでも「これまでいいとされてきた会社」がダメになっているのです。



 そのため、これまでの「いい学校からいい会社」という道筋が通用しなくなってきたわけです。



 では、どうすれば先進国の高い給料の人たちが、お金をそれだけ稼ぐことができるようになるのでしょうか?ヒントは、あなたの手元にあります。


 現在、アップルという会社がiphoneという携帯電話・スマートフォンを売り出して世界中でお金を稼いでいます。(もちろん、アジアの国もそれに負けないように真似した製品をたくさん作っています)


 iphoneが凄い!と言われるのは、ざっくり言えば「誰も作ったことがないような新しいモノ」だったからです。(もちろん、どんな新しいモノもいつかは当たり前になりますが)



 新しい、誰も作ったことがないようなものは、他が真似して追いつくまでは「高い値段」で販売することができます。そこがミソです。高い値段で販売できるから、先進国で働く人たちの高い給料をまかなえるのです。




 ということは、先進国民は常に「新しい、誰も思いつかなかったようなモノ」を次々に作り続けないと高い給料を払い続けられない、ということになっているのが今の状態です。



 IPS細胞のような、新しい技術を開発したり、蛍光灯をLEDに変えたり、とにかく「今までより良い、新しいモノ」を作り続けなくてはいけません。


 一般的にはそういうことを「イノベーション」といったりします。革新ですね。イノベーションできる人材がいないと、高いお金は稼げないのです。



 さあ、これが難しい。これが勉強とどう関係してくるのでしょうか?




 まず、第一に「勉強ができることと、新しいモノを生み出すことができることは違う」ということが大切なので、そこをしっかり押さえておきましょう。


 新しいモノを生み出すことはアイデアを思いつくことなので、学力があることとは別の能力です。大学の偉い先生はみな発明ができるか?といえばそうではないですね。もちろん、学力も無関係ではないけれど、そこだけがポイントではありません。


 わかりやすい例を挙げましょう。


 「使い易いデザイン」「誰でもすんなり使えるデザイン」を生み出そうとした場合、どれだけ勉強すればそれを作れそうですか?


 うーん、なんとなくいくら勉強してもダメそう、だとみなさんでも直感的に気付くはずです。その通り、こういうモノは机の上のお勉強だけでは生み出せそうにありませんね。



 というわけで、勉強ができること、学力があることだけでは、高い給料に結びつけることが難しい時代に突入してきました。そうすると、大切なのは学力以外の「経験」であったり、「別の能力」だと言えそうです。



 ぶっちゃけ、じゃあどうすればそうした能力を育てることができるのか、についてはまだ誰もわかっていません。なので、日本中の大学では毎日のように、自分たちの学校をどうしたらいいのか模索を続けています。


 学力についてはみな自信があるけれど、これからの日本の経済を伸ばしてゆくための方策については誰もわかっていないので、賢い大学の先生でも困っているのです。



 第二のポイントです。では、学力が重要でないとすれば、勉強はしなくてもいいんじゃないか?と誰もが思うはずです。それについてはどうでしょうか。


 いえいえ、そうではありません。これもぶっちゃけ嫌な話をします。いいですか?実は大変なことが起きているのです。


「あなたが知らないところで、別のアジアの国々の高校生が、たくさん勉強をして、あなたに勝ってあなたから給料を奪い取ろうとがむしゃらになっている」


ことをあなたは知りません。あなたに追いつこうとしているヤツラがたくさん背後から狙っているのです。ああ、恐ろしい!


 韓国サムソンという会社が、iphoneの真似をしているといって訴訟になったりしていますね。アジアの国では10万円のテレビの真似をして、5万円のテレビを作っています。


 これは、つまり、電話を作れる・テレビを作れるという話において「他の国の学力も、そこまで追いついてきている」ということを示しています。


 もしあなたが勉強をしないと、あなたの未来はもっともっと貧しい国の人々と同レベルになってしまうということなのです。恐ろしすぎてチビりそうです。



 私が学生の頃は、そこまで考えなくてもなんとなく勉強していれば、なんとなく日本全体の経済力でなんとなくなんとかなりました。しかし、それは私たち世代でおしまいのようです。


 

2014年10月17日金曜日

【高校生のための”人生”の教科書11】人は何のために生きているのか

 あなたが高校を卒業して、進学したり就職したりしたのち、もしかしたら誰かと出会って「結婚」することになるかもしれません。


 以前からこの話で書いているように、みなさんのうち「全ての人が」結婚するわけでもなく、また子供を授かるわけでもありません。


 生涯未婚率でお話すると、2010年の統計で、男性は20.1%、女性は10.61%の人が、50歳時に未婚であり、かつ、それらの人は恐らく大半が死ぬまで結婚しないと推測できます。


 つまり、あなたが男の子であれば、10人に2人は結婚しない・できないことになります。40人クラスだと8人が結婚しません。


 あなたが女の子であれば、10人に1人は結婚しない・できないことになります。40人クラスであれば4人が結婚しないということです。




 ということは、少なくともこれらの人は「家族・夫・妻のために人生を過ごす」ということがないわけです。この人たちの人生の意味は少なくとも「家族」ではありません。


 自分のため、会社のため、仕事のため、趣味のため・・・。


 いろんなもののために「人生を使う」ことはできますが、この人たちは残念ですが、子孫を残さず次の世代に何かを伝えることができません。


 ということはその人たちの世代で「人類誕生から続いてきた家系の歴史」はおしまいですから、しっかり残された人生を楽しんでもらえばいいと思います。




 もし、人類が一週間後に滅びるとしたら、どう過ごしますか?



 残された期間が、しっかり充実したものとなるように、生き生きと暮らしたいはずです。



 生涯未婚という選択・結果になってしまった人は、人類の規模で「残された期間を楽しんで」ほしいと思います。




 今度は、なんとか結婚することができた人の場合について考えてみましょう。以前に、少子化の話をしたときに、夫婦のこどもの数についてもお話しました。


 出生率といいますが、女性が生涯に産むこどもの数は1.3とか1.4くらいです。すでに2人を切っていますから、人口は減る一方なのです。


 ちなみにおさらいですが、男と女の2人で、こどもが1人作ることができます。お父さんとお母さんはいつか死にますが、こどもは残ります。なので、その夫婦にこどもが2人いれば、人口は同じまま維持されます。(事故や災害で減ることはあります)


 もし、こどもが3人いれば人口は増えてゆきます。1人になると減る一方です。




 しかし、ここで覚えておきたい大事なことがあります。それは「全ての人がこどもを授かるとは限らない」ということです。


 不妊の確率は、今や「7組のカップルのうち1組のカップルは不妊」といわれるようです。あなたが女子だとすれば、40人学級で20人が男子、20人が女子だとして、そのうち3人の女の子は赤ちゃんができないということになります。


 なぜ、そんなに高確率で不妊になるのか。その理由は実はけっこうハッキリしています。


 一番の原因は晩婚化、結婚する年齢が遅くなったことにあります。私たちの世代が若かりしころは



 クリスマスケーキ



という言葉がありました。女の子は、クリスマスケーキだったのです。


 クリスマスケーキは、12月24日に大量に売れます。クリスマスイブですから、買って帰る人が山ほどいるからです。ところが12月25日になると、夕食後にケーキを食べる人は、ほとんどいなくなります。つまり売れ残りです。


 女の子は24歳までなら、貰ってくれる男性が山ほどいるのですが、25歳になると売れ残り、だという例えなのです。ちょっと上手いことを言いすぎですね。



 ところが、そんな話はもうどこかへ行ってしまいました。25歳どころか、現在では始めての結婚が30歳を超えることが当たり前のようになってきたのです。そうすると、30歳から35歳ぐらいにかけて妊娠出産することになります。長男・長女はそれでいいですが、そこから数年あけてこどもを授かろうとするとどうなるでしょう?


 あっというまに40歳になったりします。女性の体は、既に老化しているわけです。


 

 最初の結婚が遅いために、妊娠の確率が下がり、一生のうちに授かる子供の数も減ってしまいました。江戸時代なら、男子は15歳で成人ですから、もう結婚できる年齢です。10代でこどもを産むことも多かったので、たくさんこどもを授かりました。


 現在の法律でも、女性は16歳で結婚できます。ということは、16歳で母になっても大丈夫、ということなのです。いちおうは。


 科学的な見方をすれば、女性が妊娠出産に適している年齢の幅というのは、早い意見で


「16歳から24歳くらい」


遅い意見で


「20代から遅くとも35歳まで」


とされています。


 早すぎても体が成熟していないし、遅すぎると体が老化してしまいます。




 さて、ここからが重要な話です。では、なぜそもそも結婚が遅くなり、妊娠・出産が遅くなってしまったのか。


 それは女性の社会進出と関係します。クリスマスケーキの話を思い出してください。24歳で結婚するということは、大学を22歳で卒業して2年後には結婚するということです。そこから妊娠出産に入るとすれば、23歳頃には、会社を退職しないまでも産休に入らないといけないということになります。


 もし、こどもを2人・3人ほしいと思えば、そこからほぼ連続して仕事ができません。産休・育休・産休・育休を繰り返していると、これはどうも仕事にならないなあ、ということになります。


 なので、大半の人は、24歳の時点で仕事を続けることを諦め「寿退社」したわけです。


(実際には、女性の学歴が低かったため、高卒18~24歳まで6年間、短大卒20歳~24歳まで4年間といった働き方をする人が多かったようです)



 ところが、女性の大卒者が増え、社会進出が進むと「こどもをもうちょっとだけ我慢して、その間仕事に励みたい」と考える女性が増えるようになりました。


 そのため、結婚も遅くなり、妊娠出産も遅くなったのです。



 ここからはかなり、「ぶっちゃけた」話をします。



 そうして仕事中心の女性の生活が当たり前になった今、女性にとって「2つの生き方」が浮かび上がってきました。


 一つは、こどもをあきらめて自分たちの人生を豊かにする道


 もう一つは、仕事をあきらめて家族の人生を豊かにする道


です。

 こどもを諦めたり、あるいはたった1人だけこどもを作り、その代わりに高い給料を夫婦で稼いで豊かな暮らしを楽しもう、という生き方もあります。


 逆に、仕事に追われるのではなく、やっぱり子育てと家族の人生を大事にしたいという生き方もあります。


 この2つが、それぞれ真逆のようですが、どちらも重要なこととして選ばれるようになってきたのです。残念なことに、ちょうど真ん中あたりとか、バランスのいい、都合のいい生き方をチョイスするのは難しいようです。
 みなさんが大人になる頃も、まだ「自分はどちらの人生にしたいか」という軸足を決めておかなくてはいけないかもしれませんよ。



 ちなみに、欧米のお金持ちの間では「やっぱり私は専業主婦になりたい」という希望が増え、共働きをやめる人たちが出てきているそうです。会社人間として生き、子孫も残さないなんて人間らしくないわ!と感じる女性は、(お金を持っている夫を見つけて)主婦に戻りたいようですね。




 私の個人的な意見を言わせてもらえるならば、この文章の上のほうで書いたとおり、


「こどもを生まない、生めないという人生は、人類的にそこで滅亡」


だということをどう受け止めるかがカギだと思います。


 夫婦でお金をしっかり稼ぎ、2人で残された人生を楽しく過ごす、というのもアリです。なんせその人たちの子孫おらず、そこで滅亡するのですから。その日まで幸せに過ごしてほしいものです。


 そうではなくて、こどもや子孫を繋いでゆくこと、あなたの遺伝子を残すことを大切だと思うのならば、少なくとも人類的に、あなたには未来があります。かならず未来がやってきて、滅亡はしません。それも、もちろんアリです。



 私自身は、こどもを残すことを選択しました。少なくとも、私の遺伝子には未来があるように、人類が未来に続くように考えながら生きることにしています。







 

 


 



2014年10月15日水曜日

【高校生のための”人生”の教科書10】愛されたい症候群

 愛にも、いろんなジャンルの愛や、いろんな種類の愛があるのですが、みなさんが将来どんな異性と(ああ、申し訳ない、最近では同性同士ということもありますね)愛し合うのかは、まだあまりはっきりしていないかもしれません。


 高校生であるみなさんにとって身近なことを言えば、例えば高校3年間であなたに好きな人ができて、幸福にもお付き合いしていたとしましょう。ところが、高校3年生の時、いよいよ自分の進路を決める段になって、「あなたの彼氏彼女と同じ地域に進学・就職するかどうかはわからない」ということが必ず起きるでしょう。


 これは、高校生の時恋愛して卒業していった全ての人が体験しています。そう、「すべての人」がです。


 パターンは3つくらいしかありません。

 ①同じ学校(進路)へ進む。

 ②せめておなじ地域へ進む。

 ③バラバラにそれぞれの道へ進む。


 で、その結果愛が成就して結婚までゆくか、あるいはそれぞれ別れてしまうかのどちらかですから、あれ?実は高校生にとっての「愛の人生は」3×2通りで6パターンしかないということですね。


 そう考えると人生なんて、小さなものです(笑)




 さて、高校3年生という先のことは一旦置いておいて、みなさんに直近で関係のある「愛」の話をしましょう。


「愛されたい」


というキモチは誰もが持っている感情だと思います。それが具体的に「彼氏・彼女がいる」という話でなくても、クラスの中で、部活動の中で、あるいは何か集団の中で、親やきょうだいから


「自分がきちんと認知されていて、適切な立ち位置で認証されていたい」


と思うことは自然なことだと思います。


 学校生活において、「愛されたい症候群」は、いろんな形で表に出てきました。これはあなたの先輩たちもみな通ってきた道です。


 たとえば、現在高校生であるみなさんにとっては、LINEのグループに入っている、いないとか、SNSに入っている、いないといったハイテクな分野で、そうした「愛されたい」「仲間はずれになりたくない」「認められたい」といったことが表に出てきていることでしょう。


 スマートフォンが今のように広がっていない時代では、携帯のメールやらネットの掲示板が、それらの代わりをしていたこともありました。


 私が高校生の頃は、もっとストレートに「クラスの中で、あいつは・自分はどんなキャラか」といったことで互いを認知していました。ああ、女子の場合は、今も昔も「どのグループに入っているか」という問題が、人生の大半を占めていますね(苦笑)




 この「愛されたい」「認められたい」という衝動は、人生を大きく左右します。


 それは「どんな方法で?」ということにつながるからです。


 「認められたいから勉強で頑張る・部活で頑張る」というのは、ベタですが意外に多くの人の基本的なモチベーションになっています。


 「キャラを立たせたいので、変な言動をする」という人も、たまにいます。ここまで極端でなくても、「可愛くみせたい」がこじれて「濃すぎる化粧」になってしまっている女子は、そこそこいます。


 逆に、そうした「愛されたい症候群」が1周回ってしまうと、その先まで行ってしまって「自分はそもそも、愛されなくてもいい」と「1人にしておいてオーラ」全開になっている人もたまにいます。


 苦しいことですが、そもそも「基本的に誰からも相手にされない」人もいます。




 いずれにせよ、「愛されたい症候群」とどう付き合ってゆくのか、どう折り合いをつけて生きてゆくのかは、高校生の人生の「大半」を占める大きな問題なのです。


 昔から「いじめられていた」とか、「友達がいなかった」という人が、大人になっても人間関係をうまく構築できず人生で苦労する話はたくさんあります。


 あなたの周りにも引きこもりをしている人がいるかもしれません。彼らは学生時代に、何か問題の根っことなる出来事に出くわした可能性が高いのです。


 あるいは、見かけ上「誰とでも仲良く」していた人であっても、「本当の自分の性格とは合わず、ムリをしていた」ということは良くあります。



 さて、ここまではそんな高校時代の生活を「ざっくりまとめてみた」だけですが、人生を考える上で、いちおう大人である私からみなさんに伝えておきたいことがあります。


 それは、


「愛し、愛されない性格は、社会に出る前に直しておいたほうがいい」


ということです。


 「大人しい」とか「暗い」とか「からみづらい」とか、一般的に言ってネガティブな性格・言動というものがあると思いますが、そうしたことが原因で「愛されない」「認められない」生活を送っている人が少なからず存在しています。


 そうした性格や言動は、これまでは「個性」だと言われてきました。特に、私が学生の頃から、「人の多様性を認め合おう」とか「個性が大事だ」なんて考え方が広まったので、みなさんもその影響を多分に受けているはずです。


 しかし、それは結果的に間違いです。厳しいようですが、はっきり言っておきます。ネガティブな要素は、「個性」であることは認めますが、


 確実に人生で損をする


ことが判明してきました。


 なぜか?簡単です。


 あなたがどこかお店に入って、店員が無愛想だったりぶっきらぼうだったり、目を合わそうとしない人だったらどうでしょう。嫌な気持ちになったり、テンションが下がるはずです。そんな店員しかいない店と、明るく元気で爽やかな店員ばかりがいる店だったら、どちらが競争に勝てると思いますか?


 そうですね。とても簡単です。コミュニケーションがとれない人たちは、この世界では競争に負けます。


 残念ですが事実です。競争に負けるということは、コミュニケーションが取れない人の人生は、金銭的に貧しくなるということなのです。



 だから、早いうちから、努力で改善できるものはしたほうがいいのです。いくら苦しくても、これだけは身に着けておいたほうがいい。努力して変革したほうがいいのです。



 では「個性が大事」なんてことばがなぜ広まっていたのでしょうか?「明るく元気で爽やか」な価値観と反対でも「それでもいいよ、あなたらしくすればいい」なんてことが、どうして許されていたのでしょうか?


 それも簡単です。日本にお金があったからです。日本の景気がよく、経済成長が続いていたので、マイナスの側面であっても「余力でカバー」できたからです。


 ところが、日本は中国や韓国、アジアのほかの国々にどんどん経済的に追いつかれはじめています。国の借金も途方もない額になろうとしています。


 すると、マイナスの要素を持つ人たちをカバーしきれなくなってきました。それでなくても、自分たちの人生さえ危ういかもしれない。だからこれから、日本はもっともっと厳しい時代を迎えることになるわけです。



 「愛されたい」という思いを、こじらせる人は、これからどんどん大変になります。「愛されたい」だけを主張する人もそうです。現状として「愛されない」人も、厳しい境遇になることでしょう。


 これまではお父さんがお金を持っていたので、引きこもることができました。これからの引きこもりは、お父さんがお金を持っていないので、すぐに貧民へと転落してしまいます。



 「同情するなら金をくれ!」

は、某ドラマの名台詞ですが、これからは

 「引きこもるなら金稼げ!」

になるかもしれませんね。



 
 最後に、これからの人生を大きく変えるための「魔法の方策」を伝えておきます。


 あなたがもし「明るくない・元気じゃない・爽やかじゃない・かっこよくない・大人しい」などのいわゆるマイナス要素を持っていて、もともとコミュニケーションが得意ではない性格でも、これからの人生を豊かにすることができる魔法の裏ワザがひとつだけあります。


 それは「愛すること」です。


 まるでキリスト教の教えみたいですが、そんなにカタい話ではありません。


 愛する、つまり「誰かに対して、自ら何かを提供する」ことは、暗くても大人しくてもできます。モノを渡す必要も、お金を配る必要もありません。


 行動、労働力で示す。心配りで示す。そういうことは、「苦虫を噛み潰したような顔」のままでできるのです。


 たとえば、放課後1人でムスッとしながら、教室の掃除を毎日続けてみてください。黒板を翌朝までにピカピカに拭き上げてみてください。誰にも気付かれないように。


 それだけで、あなたの人生は確実に変わります。


 そんなことをするのは損だ、と思うのは早合点です。私は、今の会社で「誰よりも早く来て会社の鍵を開ける」ということをずっとやってきました。それだけで今、すべての人を差し置いて管理職になっています。


 私の場合は「鍵開け」でしたが、あなたはあなたができそうなことを一つだけ探せばいいのです。たった一つでもぜんぜん大丈夫です。


 「愛されること」はなかなか叶いませんが、「愛すること」は簡単にできます。そこがあなたの人生を良いものに変える最小で、最大のヒントです。

 

 

 

2014年10月13日月曜日

【高校生のための”人生”の教科書09】愛の歴史、愛のメモリー

 前回は、運命の愛なんて存在しないかもしれない、という少々キツイお話をしてしまいました。


 高校生のみなさんにとっては、「それじゃあ、ちっとも夢も希望もないわ」ということになってしまうかもしれません。ですが、それでは、これまでみなさんの先輩方はどうやって「愛」を見つけてきたのか、ということを振り返ってみると面白いかもしれませんね。


 というわけで、今回はみなさん以前の「愛の歴史」つまり「愛の記録、愛のメモリー」を遡ってみることにしましょう。


 第一章で、みなさんの先祖が、どのようにこの世界で生きてきたのかを簡単に振り返りました。お父さん、お母さんやおじいちゃん、おばあちゃんの暮らしぶりをなんとなく振り返ってみたのを思い出してみましょう。


 今回のお話は、それに多少連動しています。以前は苗字のつながりだけを追いかけましたが、今回は「家族のつながり」を追いかけることになります。


 
 現代の日本人の男女は、すでに「結婚できない、しない」とか「彼氏彼女ができない、いない、いらない」とか、そういった「愛と無縁」の生活を送る人たちの割合が増加しつつあるところです。


 今高校生であるあなたが、その人たちの仲間入りをするのか、そうでないのかはわかりませんが、一応どちらの可能性もあるので、全般的な話をしておきましょう。




 日本の愛の歴史を振り返ると、「自分が好きな人と自由に付き合ったり、結婚したりできた」という人生を送ることができたのは、ご先祖さま追跡では、


「あなた」と「おとうさん・おかあさん」と「おじいちゃん・おばあちゃん」


の3世代だけです。それ以外の男女は、ほとんどの場合「自分が好きな人と付き合ったり、結婚できなかった」世代ということになります。


 現在の私たちや、みなさんの感覚からすると「えーっ!何それ?!じゃあ、みんなどうしてたの?」と驚きの声を上げることになると思いますが、実際そうだったんだから仕方ありません。


 日本の愛の歴史では、概ね「日本が戦争に負ける」までは、あなたの先祖は「その親や家族が決めた相手と結婚していた可能性が高い」ということになります。


 「あたしの気持ちはどうなるの?」「僕だって好きな人がいるんだ!」という自由な考え方や、権利というものは日本がアメリカに戦争で負けて、『アメリカの自由な考え方がいいんだ!』とみんなが思い始めてから採用されたので、それまでは「家族の大黒柱の家長(おとうさん)が全部決めるんじゃ」ということがまかり通っていました。


 なので、あなたから見て、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんは、「家族同士の付き合い」とか「家柄」とか「村の人間関係」とかの影響を多く受けながら「結婚相手」が決まってゆきました。


 これでもまだマシなほうで、ひいひいおじいちゃん・ひいひいおばあちゃんの時代まで遡ると、江戸時代の「身分制度」の影響まで受けるため、身分が違うと結婚できない、ということになってゆくのです。


 「お見合い」という言葉は、今も生き残っていますね。好きになったり、恋もしていないのに、顔を合わせて話し合いだけで結婚するシステムが今もあるのは、こうした昔の仕組みの名残です。




 ということは、つまり、「好きな人と付き合えて、結婚してもいい」制度を満喫できるのは「戦後生まれのおじいちゃん・おばあちゃん」と「お父さん・お母さん」と「あなたたち」だけです。


 日本の歴史の中で、ずーっと昔の人たちはとても羨ましがっていると思いますよ。


 ところが、そんなにみなさんは恵まれているのに、どうも自分で「愛を見つける」のは下手くそな人たちもたくさん存在するようです。


 カップルのうち3分の1が離婚するということは、日本人の3分の1は「愛を見失った」わけですね。すごい確率です。


 結婚したくても、結婚できない人たちもたくさんいます。結婚相談所という企業・会社も存在しており、お金を払って誰かを紹介してもらう人たちもいます。


 これを歴史的に振り返ると、「家長や、周囲が結婚相手を見つけていた時代」から「自分で好きに選べる時代」になり「やっぱり誰かに結婚相手を見つけてもらう時代」に逆戻りしたかのようです。


 なんとなく笑ってしまうのは、「あなたのことや相手のことを知っている家族親族に結婚相手を見つけてもらう」よりも、「お金を払って知らない人に探してもらうよう」になるなんて、どちらがいいのか微妙だと思うのは私だけでしょうか?




 

 

2014年10月12日日曜日

【高校生のための”人生”の教科書08】あえて言おう、縁結びの神様は日本人である

 前回、みなさんに少しだけ考えてもらいました。人が「愛し愛される」時に、その相手となる人は、神様のような存在に決められるのでしょうか?あるいはそうしたことを「運命の人」と言ってよいのでしょうか?ということを。


 もし仮に、世界中の人たちの「運命の異性」同士を結びつけるような神様が存在するとします。そうすると、その神様は、世界中でもっともあなたにふさわしい人を選んでくれるわけですから、


「日本人のA子さんの運命の人は、アンティグア・バーブーダに住んでいるBさん」

とか

「アメリカ人のCさんの運命の人は、セーシェルに住んでいるDさん」

とか

「アフリカ人のEさんの運命の人は、トリニダード・トバゴに住んでいるFさん」


といったことが起こります。まーったく聞いたことがない国の名前が出てきましたね。もし、あなたが少し暇だったらグーグルで調べてください。そんな国があるそうです。私も知りません。


 しかし、この話は考えればすぐに変だということがわかります。


 あなたは「自分の運命の人」がまさかバルバドスにいるとは思いもしません。でも、それがアイスランドとか、ルーマニアとか、アメリカとか韓国にだったら、いるかもしれないな、と思うことでしょう。


 そう、つまりあなたの運命は「あなたが知っている範囲」にしか存在しない、ということなのです。


 もっとぶっちゃけて言えば、「自分の運命の人」は、たいていの日本の高校生は「おそらく日本人」だと思っていると思います。


 もっともっとぶっちゃけて言えば、「あなたが付き合うのは」「あなたが恋するのは」「あなたが結婚するのは」「あなたが愛する人は」・・・あなたの行動範囲の中にいるということです。


 つまり、あなたが運命だと思って付き合ったり、結婚したりする相手の99%ぐらいは、「あなたの目で見えている範囲」にしかいない、ということなのです。


 笑ってしまいますね。そんなものなのです。


 あなたが「運命を感じて」付き合ったり、結婚したりする可能性がある異性は、たいてい「おなじ学校」「おなじ会社」「おなじサークル」「おなじ趣味の集まり」ぐらいの中にいます。


 どうやら、あなたの人生にとって、「運命の異性と結びつけてくれる神様」は日本人のようです。世界全体からチョイスしてくれるわけでは、なさそうですね。


 ちなみに、あなたの友達で「運命の異性を信じている女の子」がいるとしましょう。彼女がある日、

「SNSで知り合ったセントクリストファー・ネイビスに住んでいる男の子が、あたしの運命の人なの!」

と言い出して、彼の顔を見たこともないのに

「彼と付き合うわ!」

なんて言い始めたら、あなたは必死で止めるでしょう。それは詐欺か何かだからやめておけ、と。


 考え方によってはひどい話です。運命の神様を詐欺呼ばわりするなんて!!!


 でも、この場合99%の確率で、あなたの方が正しく、それは無知な日本人の女子を騙そうとする詐欺だと確信できます。


 つまり、99%の確率で、「世界中の男女を結びつける、運命の神様なんていない」ことが証明されたわけです(笑)




 まあ、ちょっと上の話は行き過ぎた冗談ですが、この話から言えることは「運命の異性」なんて、たいそうに考えるのは時として「激しい思い込み」かもしれない、ということに気付くべきだ、ということかもしれません。


 運命の異性のために、人生を大きく変えることはあなたにとって時としてマイナスになるかもしれません。


「この人だ!」


と全ての男女は思いながら結婚し、そして現代の日本人の離婚率は3人に1人が離婚しますから、30%の確率で

「実はこの人じゃなかった!」

ということが明らかになっているのです。




 愛はすばらしいものですが、真実の愛を手に入れることができる確率は、30%以下のようです。

2014年10月11日土曜日

【高校生のための”人生”の教科書07】第二章 これからの愛の話をしよう

第二章 これからの愛の話をしよう



 第一章では、まずあなたという人間がこの世界の、それもあなたがいま住んでいるその場所に生きている、ということを幾つかの側面からおさらいしてみました。


 それは、どちらかというと”人生”を考える上での「予習」のようなものでした。だって、あなたはすでに、あなたの苗字、あなたの家族、あなたの境遇で生まれてしまったので、それは書き換えることが難しい要素だからです。


 しかし、これからあなたの”人生”を考えるに当たっては、「これから新たに作ってゆくことができるもの」がたくさんあるのも事実です。というわけで、この章では、これまでのことではなく、あなたの人生の「これからのこと」にスポットを当てたいと思います。


 中でも、最初に取り上げるのは、やはり「愛」でしょう。人間という生き物は、いや、すべての生き物は生殖をして、子孫を作って、そしてこの世界に広がって繁栄してきましたし、またこれからもそうなってゆくことがほぼ大前提です。


(もちろん、中には絶滅してしまった種もいるし、これから絶滅する種もいますが、それは、まあ置いといて)


 人類が生殖活動をする上で、その最もベースになっている観念は「愛」です。これは、みなさんのような高校生にとっても「非常に関心のあるテーマ」だと思います。


 みなさんは歌謡曲やポップスを聴く事が多いと思います。音楽は一切聴かずに過ごす現代日本の高校生がいるとすれば、それはかなり希少な種族だと思うので、ぜひ私に紹介してください。


 そんなみなさんが聴いている音楽の歌詞の中には、大半が男女の間のこと、つまり「愛」に関わることが盛り込まれていると思います。


 今、彼氏・彼女がいないあなたでも、「彼氏や彼女に関する話題や、歌詞や、悩みが溢れている」ことは、既にお気づきだと思います。それが、いくら現時点のあなたに無関係だとしても。




 ところで、あなたは「運命的な異性が存在する」と思いますか?


 あなたを含めた男女の恋や愛について、もしかしたら運命を司る神様のような存在がいて、あなたと誰かを結びつけてくれるような、そんな「運命のひと」がいるかもしれない、と思ったことがあるかもしれません。


 人によっては、これを「あたしには、どこかにあたしだけを愛してくれる王子さまが存在するんだ」と思い込んで・・・、いや失礼、思っていることがあるかもしれません。


 さあ、どうでしょう。愛や恋や、運命の相手は神様のような存在によって決められるのでしょうか?


 もし、そうした相手が存在するのだとすれば、あなたの人生の「ある一部分」は、その相手と巡りあうために使われるべきだと思います。人生に注ぐエネルギーのうち、多くの部分を愛のために使ってもいいんじゃないかな、と思いますよね。


 たとえば、誰か好きな人を追いかけて、違う土地に行ったり、仕事を辞めたり、そういうエネルギーを愛のために使う行為も、悪くはなさそうです。


 そこまでではなくとも、「運命の相手と恋をして、愛し合って、子どもを作って家族となり、孫が生まれて子孫まで幸せにくらしましたとさ」、という人生を送りたいと誰もが頭の片隅で願うことでしょう。


 その一方で、現代の私たちの周りを見回すと、「離婚」したり、お父さんかお母さんの一方しかいない片親だったり、親が再婚して再婚相手に虐待されたり、なんて「愛を取り巻く諸問題」が渦巻いていることも知っているはずです。


 結婚する前にも「彼氏に束縛される」とか「彼氏にDV(ドメスティックバイオレンス)される」とか、「彼女だと思っていたら他に男がいた」とか「ブランドバッグを貢がされた」とか、それはもう、「愛を取り巻く大問題」も渦巻いているのです。


 就職しても非正規社員なので、結婚なんてしばらくできそうもない、という人たちもいます。今高校生のあなたたちが、もう数年後には、そういった人生のレールに乗っているかもしれません。


 とにかく、これは大変な事態です。


 この世界には、どうやら「運命の人とめぐり合えた人たち」と、「運命だと思っていたけれど、違った人たち」と、「運命の人に巡り合えない人たち」と、そもそも、「誰とも付き合わなくていいや」という人たちの4種類ぐらいいそうですね。


 あなたは、どのパターンを選ぶことになるのでしょうか。