前回、とりあえずあなたは今この日本に生まれていて、それがなんとなくだけれど「マシ」そうだ、というところまではお話しました。
しかし、それだけでは、これからの人生を有意義なものにしたり、楽しいものにしたりはできそうにありません。
なので、もう少し、これからの人生について「つっこんで」話をしてゆきましょう。
これから、世界中で誰もそんな話を教えてくれたことがないようなとっておきの話をします。ちょっと、びっくりするかもしれませんが、ひとつの考え方としてまずは聞いてくださいね。
人生は2通りの人生しかありません。
たった2通りです。
哲学的な言い方をすれば、「そりゃ、良かったと思える生き方と後悔だらけの生き方だろ?」みたいなチャチャを入れる人がいるかもしれませんが、そういう難しい話をするつもりは全くありません。
もっともっと単純なことで、明快なことです。
それは、
「土地を持っている人生」と「土地を持っていない人生」
のたった2通りです。
なあんだ!そんなことか、と思うかもしれません。それじゃあ、「車を持っているのと持っていないの」とか「スマホを持っているのと持っていないの」とおんなじような話じゃないか、と思うかもしれません。
ところがそうではないのです。このたった2通りの人生は、日本だけではなく「世界共通」のお話です。たかが「土地があるかないか」だけでなく、それがあるかないか、で人生は大きく変わってしまうし、大きく発展したり狂ってしまうかもしれないのです。
あ、もちろんここで最初に断っておきますが、「土地をもっているといい人生」「土地を持っていないと悪い人生」だと決めないでください。逆の場合だってありえます。いいか悪いかは、ひとまず横に置いておいて、とりあえず「土地を持っている人生とそうでない人生の二通り」があるんだな、と覚えておきましょう。
==========
これから説明することは、単純なんだけれど一筋縄ではいきません。土地があるかないか、という簡単な話の裏に、いろんな面白いことが隠れているからです。でも、おそらく全ての日本の人(ひいては世界の人)が、この問題で人生を変えてきたのです。
まず、あなたがどうして今そこに住んでいるのかからはじめましょう。
あなたは都会に住んでいますか?田舎に住んでいますか?
都会に住んでいる人は、便利な生活を楽しんで、高校生ぐらいになると学校帰りにいろんなショップへ寄ったり、買い食いしたりして過ごしているでしょう。
田舎に住んでいる人は、「もうちょっと便利だったり、好きなお店が近くにあったりすればなあ」と願っているかもしれません。
都会、田舎と単純に言っていますが、都市の中心部と郊外のベッドタウンで便利なところは違いますね。田舎でも電車ですぐに都会に出られるところもあれば、隣の家まで数キロも離れているところもあるでしょう。
でも、なぜ自分がその町に住んでいるのか、考えてみてください。
それは簡単です。あなたのお父さんやお母さんが「土地を持っているかいないか」で決まっているのです。
ほら、出てきたでしょ?土地のあるなし、が。
なぜ、あなたが今その場所にいるのか。それはすべてあなたの親が「土地を持っている人生」だったか「土地を持っていない人生」のどちらだったかに影響を受けています。
いくつか例を挙げてみましょう。
あなたのお父さんは長男で、先祖からの土地を受け継いでいる。だから「田舎にいる」こともあるし、偶然「都会の真ん中に土地があった」こともあるでしょう。でも、いずれにせよ、お父さんはそのまたお父さんが「土地を持っていたかいなかったか」の影響を受けています。
あなたのお父さんは、長男ではなく、実家の土地や田んぼや畑は「おじさん」に当たる人が継いでいるかもしれません。なのであなたのお父さんは、他所の町へ移って「今は土地を持たずに賃貸住宅に住んでいる」か、あるいは「新しく家やマンションを買って土地を持っている」かのどちらかです。
繰り返しますが、土地を持っているからいい人生なのか、土地を持っていないから悪い人生なのかは関係ありません。
お父さんは「土地を持っていたからそこにいる」のか「土地を持っていなかったからよそへ行った」のかが第一のポイントです。
そこで、あなたのお父さんの人生は変わってしまったのです。
ちなみに、あなたがお母さんとだけ暮らしている場合は、多くの確率で「土地を持っていない」ことのほうが多いでしょう。
日本では、土地を受け継ぐのは、男性の方が圧倒的に多いからです。
ということは、おかあさんの場合は「土地があるので、ここにいなくてはならない」理由があまりない、ということでもありますね。
==========
さきほどはあなたの親の人生について考えてみました。じゃあ、あなたについてはどうですか?
「親が土地を持っているから、それは自分が受け継がねばならない」というあなたは、それを実行する人生を選ばなくてはなりません。多少寄り道をしても、その土地をあなたはどうにかしなくてはならないのです。
「親が土地を持っていない」というあなたは、ある意味では自由です。どこへ行ってもかまいません。日本にいなくてもOKです。ですが、あなたのお父さんぐらいまでの世代の人はみんな「新しい自分の土地が欲しい」と思って生きてきました。それが叶った人もいるし、叶わなかった人もいます。
ですが、たいていの人がそう思ったので、新しい一戸建てが建ったり、マンションが建ったりしているのです。
あなたは、まだ高校生なので、「土地を持っている人生」と「土地を持たない人生」のどちらを選ぶかは決める必要はありません。
しかし、あなたのこれまでの人生は、お父さんの「土地を持っているかどうか」によって、すでに左右されてきていることを頭の片隅においておきましょう。
あなたのお父さんが土地を持っている人は、「もしお父さんが土地を持っていなければ、自分はこの町で暮らしていなかっただろう」と思って正解です。
あなたのお父さんが土地を持っていない人は「もしお父さんが土地をもっていたら、自分はこの町で暮らしていなかっただろう」と思って正解なのです。
人生は、そんなことで大きく変動する、ということです。
2014年10月4日土曜日
2014年10月3日金曜日
【高校生のための”人生”の教科書02】第一章 あなたが生きているということ
第一章 あなたが生きているということ
”人生”ってなんだろう。自分の”人生”はこれからどうなるんだろう。”人生”をより良く生きるためには、どうしたらいいんだろう。
そんな疑問は、全ての人が持っています。あなたのような高校生は、これから自分の進路を決めてゆかねばならないので、余計にそんな疑問を抱くことでしょう。
もちろん、高校生になる前から、人生について考える人もいるし、もう少し遅い時期に、それを考え始める人もいるでしょう。でも、人は誰でも、自分の人生について考えることになる、というのは共通だと思います。
そこで、まずはじめに、”あなたが今ここに生きている”ということについて、おさらいをしておきたいと思います。
あなたは今、高校生としてこの日本で生活し、生きています。しかし、それは当たり前で当然のことではありません。
というのも「世界には195もの国」があり、その中でも2014年現在で「世界で3番目にお金を稼いでいる国」に生まれるということは、ベタないい方をすれば『当たりかはずれ』でいえば確実に『当たり』だからです。
お金持ちの国に生まれるのか、貧しい国に生まれるのかは、スタートの段階で大きな違いです。
あなたがどの国に生まれるのかは、人生ゲームのルーレットのように偶然に決まるものだとしましょう。だとすれば、あなたの人生は、生まれた時点でかなりラッキーなものだったと言えるのです。
生まれてからも、試練は続きます。
生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなる確率は、日本では1000人に1人で、世界でもっとも低い死亡率の国のうちのひとつです。
世界で最も乳児死亡率が高い国は、2010年の時点ではソマリアで、1000人のうち52人が亡くなっています。
世界を平均すると1000人のうち23人が亡くなるという数字になります。
==========
もう少し興味深い話をしましょう。
あなたは今、生まれて確かにこの世界に存在していますが、すこし時期がずれていたら、もしかすると「生まれている」ということさえなかったかもしれません。
あなたは生まれているけれど、これからはあなたと同じように誰かが生まれるとは限りません。
私は、戦後の第二次ベビーブームという時代に生まれました。なので、簡単に言えば、「タメ」「同い年」である同級生がたくさんいた、ということです。
私の父や母は、第一次ベビーブームという時代に生まれています。なので、私たちよりもっと多くの同級生がいた、ということになります。
(ちなみに、第一次ベビーブームの出生数は1949年の269万6638人、第二次ベビーブームの出生数は1973年の209万1983人がピークです)
あなたの年代、今の高校生が生まれた頃の出生数は約102万人です。ということは、あなたの同級生は、私の同級生にくらべて半分しか「生まれてくることができなかった」という考え方をすることもできますね。
同じことを別の見方で見てみましょう。私のお父さん、お母さんが生まれてきたときは、きょうだいの数が自分も含めて平均で4.5人もいました。
それが、あなたの年代では、きょうだいの数はあなたも含めて約1.3人しかいないことになります。
これが、いわゆる「少子化」ということなのですが、少子化がもっと進めば、(つまりきょうだいの数があなたを含めて1を下回れば)「あなたは生まれてこない」という時代がやってくるということです。
そうなると、このお話もこの段階でジ・エンドですね。生まれてこない人に、この文章は読めません。残念。
冗談のように書いていますが、これは真面目な話です。私のお父さんとお母さんは、結婚して私を生みました。私も結婚してこどもを授かりましたが、今の男性の生涯未婚率は20%です。
つまり、あなたが結婚する確率は5分の4であり、あなたの同級生のうち5人に1人は結婚しないので子孫が生まれない、ということになるわけです。
あなたはなんとか生まれてきましたが、あなたの子孫が続く保証はない、ということです。
とりあえず、「お、僕が私が生まれてきたのは、どちらかと言えばラッキーだったのかな」くらいに思ってくれれば、まずはOKです。
ちなみに、この文章を読んでいる人たちの中には「自分は生まれてこないほうが良かった」と感じている人がいるかもしれません。
そういう人は、「この国に、今生まれてこないほうが良かった」のと、もしかしたら「貧しい国や戦争状態の国に生まれてきてしまった」のとどちらがマシだったか考えてみてください。
たいていの人は、「内戦状態の国に生まれてしまった」とか「難民キャンプで生まれてしまった」とか、「生まれたけれど数週間で死んだ」とかよりは、ちょっとだけ今のあなたの境遇のほうがマシそうだと思うと思います。
そうです。たぶん、きっとおそらく、今のあなたの境遇は世界の中でもマシなほうなのです。それがどんなに辛い境遇だったとしても。
”人生”ってなんだろう。自分の”人生”はこれからどうなるんだろう。”人生”をより良く生きるためには、どうしたらいいんだろう。
そんな疑問は、全ての人が持っています。あなたのような高校生は、これから自分の進路を決めてゆかねばならないので、余計にそんな疑問を抱くことでしょう。
もちろん、高校生になる前から、人生について考える人もいるし、もう少し遅い時期に、それを考え始める人もいるでしょう。でも、人は誰でも、自分の人生について考えることになる、というのは共通だと思います。
そこで、まずはじめに、”あなたが今ここに生きている”ということについて、おさらいをしておきたいと思います。
あなたは今、高校生としてこの日本で生活し、生きています。しかし、それは当たり前で当然のことではありません。
というのも「世界には195もの国」があり、その中でも2014年現在で「世界で3番目にお金を稼いでいる国」に生まれるということは、ベタないい方をすれば『当たりかはずれ』でいえば確実に『当たり』だからです。
お金持ちの国に生まれるのか、貧しい国に生まれるのかは、スタートの段階で大きな違いです。
あなたがどの国に生まれるのかは、人生ゲームのルーレットのように偶然に決まるものだとしましょう。だとすれば、あなたの人生は、生まれた時点でかなりラッキーなものだったと言えるのです。
生まれてからも、試練は続きます。
生まれたばかりの赤ちゃんが亡くなる確率は、日本では1000人に1人で、世界でもっとも低い死亡率の国のうちのひとつです。
世界で最も乳児死亡率が高い国は、2010年の時点ではソマリアで、1000人のうち52人が亡くなっています。
世界を平均すると1000人のうち23人が亡くなるという数字になります。
==========
もう少し興味深い話をしましょう。
あなたは今、生まれて確かにこの世界に存在していますが、すこし時期がずれていたら、もしかすると「生まれている」ということさえなかったかもしれません。
あなたは生まれているけれど、これからはあなたと同じように誰かが生まれるとは限りません。
私は、戦後の第二次ベビーブームという時代に生まれました。なので、簡単に言えば、「タメ」「同い年」である同級生がたくさんいた、ということです。
私の父や母は、第一次ベビーブームという時代に生まれています。なので、私たちよりもっと多くの同級生がいた、ということになります。
(ちなみに、第一次ベビーブームの出生数は1949年の269万6638人、第二次ベビーブームの出生数は1973年の209万1983人がピークです)
あなたの年代、今の高校生が生まれた頃の出生数は約102万人です。ということは、あなたの同級生は、私の同級生にくらべて半分しか「生まれてくることができなかった」という考え方をすることもできますね。
同じことを別の見方で見てみましょう。私のお父さん、お母さんが生まれてきたときは、きょうだいの数が自分も含めて平均で4.5人もいました。
それが、あなたの年代では、きょうだいの数はあなたも含めて約1.3人しかいないことになります。
これが、いわゆる「少子化」ということなのですが、少子化がもっと進めば、(つまりきょうだいの数があなたを含めて1を下回れば)「あなたは生まれてこない」という時代がやってくるということです。
そうなると、このお話もこの段階でジ・エンドですね。生まれてこない人に、この文章は読めません。残念。
冗談のように書いていますが、これは真面目な話です。私のお父さんとお母さんは、結婚して私を生みました。私も結婚してこどもを授かりましたが、今の男性の生涯未婚率は20%です。
つまり、あなたが結婚する確率は5分の4であり、あなたの同級生のうち5人に1人は結婚しないので子孫が生まれない、ということになるわけです。
あなたはなんとか生まれてきましたが、あなたの子孫が続く保証はない、ということです。
とりあえず、「お、僕が私が生まれてきたのは、どちらかと言えばラッキーだったのかな」くらいに思ってくれれば、まずはOKです。
ちなみに、この文章を読んでいる人たちの中には「自分は生まれてこないほうが良かった」と感じている人がいるかもしれません。
そういう人は、「この国に、今生まれてこないほうが良かった」のと、もしかしたら「貧しい国や戦争状態の国に生まれてきてしまった」のとどちらがマシだったか考えてみてください。
たいていの人は、「内戦状態の国に生まれてしまった」とか「難民キャンプで生まれてしまった」とか、「生まれたけれど数週間で死んだ」とかよりは、ちょっとだけ今のあなたの境遇のほうがマシそうだと思うと思います。
そうです。たぶん、きっとおそらく、今のあなたの境遇は世界の中でもマシなほうなのです。それがどんなに辛い境遇だったとしても。
ラベル:
あなたが生きているということ,
高校生のための人生の教科書
【高校生のための”人生”の教科書01】はじめに
”人生は教科書通りにはいかない”
ということは、大人でも子どもでもなんとなく気付いていることだと思います。
それでも、あえて「人生の教科書」を作ってみようと思ったのには、わけがあります。
これから複数回に渡って書くこの『高校生のための”人生”の教科書』は、高校生になったばかり(と想定している)のあなたが、これから人生を生きていく上で、ちょっとだけ知っておいたほうがよいかもしれないことをまとめてみたものです。
そして、これからここに書くことは、あなたがこれまで手にとって、これまで教えられてきたどんな教科書にも「書いていなかった」「教えられなかった」ことを中心にまとめています。
もしかしたら、あなたのこれまでの人生とこれからの人生において、驚きがあったり、新しい発見があったりするかもしれません。
ぜひ、それをこれからの人生の小さなヒントとして役立ててくれれば嬉しいと思います。
あなたより少しばかり長い人生を送ってしまっている 吉家孝太郎 より。
ということは、大人でも子どもでもなんとなく気付いていることだと思います。
それでも、あえて「人生の教科書」を作ってみようと思ったのには、わけがあります。
これから複数回に渡って書くこの『高校生のための”人生”の教科書』は、高校生になったばかり(と想定している)のあなたが、これから人生を生きていく上で、ちょっとだけ知っておいたほうがよいかもしれないことをまとめてみたものです。
そして、これからここに書くことは、あなたがこれまで手にとって、これまで教えられてきたどんな教科書にも「書いていなかった」「教えられなかった」ことを中心にまとめています。
もしかしたら、あなたのこれまでの人生とこれからの人生において、驚きがあったり、新しい発見があったりするかもしれません。
ぜひ、それをこれからの人生の小さなヒントとして役立ててくれれば嬉しいと思います。
あなたより少しばかり長い人生を送ってしまっている 吉家孝太郎 より。
2014年9月29日月曜日
自然の猛威 ~御嶽山と広島と福知山~ 随想
仕事で遂行しなくてはいけない建築系のプロジェクトがあって、その現場が福知山近辺であるため、日曜日だったが空き時間を利用して下見に行って来た。
実は、先日の福知山・丹波を襲った水害以来、近辺に行く機会がなかったので、8月18日前後以降、一か月以上経ってからの訪問であった。
福知山に入る前に、丹波市市島町を経由して京都府側へ行こうとしたのだが、大きな国道の橋が落ちていて迂回を余儀なくされた。
看板等を見ると、丹波市と福知山市の境界である峠も崩落しているらしい。
丹波市側から既に、道路が一面茶色になっている。これはあの雨災害から既に一月以上経つのに、まだ道路に土砂の痕跡が堆積している、ということだ。
また、日曜日の真昼間に関わらず、各家庭でまだ「後片付け」をしている人たちにたくさん遭遇した。
まだ、片づけが済んでいない、ということに他ならない。
福知山市に入り、地元の人と話すことがあったが、市内全域ものすごい状況になっていたそうで、だがしかし、
「それも、広島の災害の報で、全部すっとんでしまいました」
とのこと。福知山の被害はまだ終わっていないが、広島の土砂災害のほうに、全国の視点はいっせいに振り向けられることになり、こちらは忘れられてしまったようだ。
福知山訪問の前日、TVからは御獄嶽山噴火のニュースがいっせいに報じられていた。その日も、朝から、御嶽山登山客の被害の話でもちきりだった。
言い方は悪いが、これでまた「広島の被災者」たちのことも、忘れられてしまうのかもしれない。
==========
今年の漢字一字を決めるとすれば「災」でよいのではないか。縁起が悪いかもしれないが、想定外といういいわけばかりしてきた我々には「戒めのことば」がむしろふさわしいかもしれないと思う。
それほどまでに、今年は自然の猛威について考えさせられた。
ふだん、建築や不動産に関わるブログをちらちらと書いているものからすれば、現代の私たちは科学技術の進歩に惑わされて、「自然のこと」にきちんと向き合うことを忘れているように思えてならない。
家を建てる、家を買う。どこに住むか、どこで暮らすのか。それは原始時代から何も変わっていない。
どの洞窟なら安全なのか。山や川とはどうつきあうべきか。生活の場と狩猟の場はどう異なるのか。
いくら科学が発展しようが、人類が自然に勝てない以上、この基本ルールは全く変わっていないといってよいだろう。
自然災害が起きて、しばらくのうちは「誰に責任があるのか」ということが話題になった。
はじめのうちは、「避難警報の出し方、あり方」について気象庁の方法がああだ、とかこうだ、とかそういう話が出た。
つぎに「自治体の姿勢」がどうなんだ、という話がでてきた。
広島の土砂災害では、「ああいうところを造成するのはどうなんだ」という意見や「そういうところに開発許可を出すのはどうなんだ」という話が出てきた。
そして、今回の御嶽山の噴火。兆候の微動は12分前に検出されただけで、あっという間に本噴火になったらしい。
さあ、どうする?今回の被災は誰に責任があるのか。
自治体か、山を管理する部署か。気象庁か。それとも自己責任なのか。
今回、報道でもネットでも、誰も「それは登った人の自己責任だ」という論調で語っていない。なぜか。
ようやく、我々は本能的に気付いたのだと思う。これは誰にも予想できず、誰にも責任を問えず、つまり、自然には逆らえない、ということを。
==========
東北の震災のあと、地震予知学者たちが「さじを投げた」話は有名だ。(地震の予知は極めて困難である、と方針を変えた)
結論から言えば、それはある意味正確だと思う。
つまり、土地開発などの面でも、避難等の行政措置面でも、自然に対して「アンダーコントロール」な状態に置くことができる、ということそのものが、もともと間違っているということである。
もともと、自然には勝てず、我々は全くの無能である、ということを再認識することこそが、実は重要なのではないか、と私も思う。
山も川も海も、時として牙を向くことがある。それは宗教的な言い方をすれば神々の怒りのようなものであろうし、確率学的な言い方をすれば、1000年に一度の不運かもしれない。
だが、すべての人がそれを当然だと思って暮らしていれば、もう少しは日頃から「生き延びることに執着した人生」を送る事ができるのではないか、とも思う。
「山の神が怒るようなところに住んではいけない」とか
「用もなく神々の地に立ち入ってはならない」とか
「川や海に畏敬の念を抱きながら暮らす」とか
そういうことだ。
そうした感性が「原始的でカッコ悪い」と思うかもしれない。しかし、そうした感性をバカにして現代文明を謳歌した結果が、これだ。
現代文明もくそもない。我々は原始時代から一貫して、自然に対して無能なままであったのに、そうじゃないと誤解してきただけに過ぎないのかもしれない。
実は、先日の福知山・丹波を襲った水害以来、近辺に行く機会がなかったので、8月18日前後以降、一か月以上経ってからの訪問であった。
福知山に入る前に、丹波市市島町を経由して京都府側へ行こうとしたのだが、大きな国道の橋が落ちていて迂回を余儀なくされた。
看板等を見ると、丹波市と福知山市の境界である峠も崩落しているらしい。
丹波市側から既に、道路が一面茶色になっている。これはあの雨災害から既に一月以上経つのに、まだ道路に土砂の痕跡が堆積している、ということだ。
また、日曜日の真昼間に関わらず、各家庭でまだ「後片付け」をしている人たちにたくさん遭遇した。
まだ、片づけが済んでいない、ということに他ならない。
福知山市に入り、地元の人と話すことがあったが、市内全域ものすごい状況になっていたそうで、だがしかし、
「それも、広島の災害の報で、全部すっとんでしまいました」
とのこと。福知山の被害はまだ終わっていないが、広島の土砂災害のほうに、全国の視点はいっせいに振り向けられることになり、こちらは忘れられてしまったようだ。
福知山訪問の前日、TVからは御獄嶽山噴火のニュースがいっせいに報じられていた。その日も、朝から、御嶽山登山客の被害の話でもちきりだった。
言い方は悪いが、これでまた「広島の被災者」たちのことも、忘れられてしまうのかもしれない。
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今年の漢字一字を決めるとすれば「災」でよいのではないか。縁起が悪いかもしれないが、想定外といういいわけばかりしてきた我々には「戒めのことば」がむしろふさわしいかもしれないと思う。
それほどまでに、今年は自然の猛威について考えさせられた。
ふだん、建築や不動産に関わるブログをちらちらと書いているものからすれば、現代の私たちは科学技術の進歩に惑わされて、「自然のこと」にきちんと向き合うことを忘れているように思えてならない。
家を建てる、家を買う。どこに住むか、どこで暮らすのか。それは原始時代から何も変わっていない。
どの洞窟なら安全なのか。山や川とはどうつきあうべきか。生活の場と狩猟の場はどう異なるのか。
いくら科学が発展しようが、人類が自然に勝てない以上、この基本ルールは全く変わっていないといってよいだろう。
自然災害が起きて、しばらくのうちは「誰に責任があるのか」ということが話題になった。
はじめのうちは、「避難警報の出し方、あり方」について気象庁の方法がああだ、とかこうだ、とかそういう話が出た。
つぎに「自治体の姿勢」がどうなんだ、という話がでてきた。
広島の土砂災害では、「ああいうところを造成するのはどうなんだ」という意見や「そういうところに開発許可を出すのはどうなんだ」という話が出てきた。
そして、今回の御嶽山の噴火。兆候の微動は12分前に検出されただけで、あっという間に本噴火になったらしい。
さあ、どうする?今回の被災は誰に責任があるのか。
自治体か、山を管理する部署か。気象庁か。それとも自己責任なのか。
今回、報道でもネットでも、誰も「それは登った人の自己責任だ」という論調で語っていない。なぜか。
ようやく、我々は本能的に気付いたのだと思う。これは誰にも予想できず、誰にも責任を問えず、つまり、自然には逆らえない、ということを。
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東北の震災のあと、地震予知学者たちが「さじを投げた」話は有名だ。(地震の予知は極めて困難である、と方針を変えた)
結論から言えば、それはある意味正確だと思う。
つまり、土地開発などの面でも、避難等の行政措置面でも、自然に対して「アンダーコントロール」な状態に置くことができる、ということそのものが、もともと間違っているということである。
もともと、自然には勝てず、我々は全くの無能である、ということを再認識することこそが、実は重要なのではないか、と私も思う。
山も川も海も、時として牙を向くことがある。それは宗教的な言い方をすれば神々の怒りのようなものであろうし、確率学的な言い方をすれば、1000年に一度の不運かもしれない。
だが、すべての人がそれを当然だと思って暮らしていれば、もう少しは日頃から「生き延びることに執着した人生」を送る事ができるのではないか、とも思う。
「山の神が怒るようなところに住んではいけない」とか
「用もなく神々の地に立ち入ってはならない」とか
「川や海に畏敬の念を抱きながら暮らす」とか
そういうことだ。
そうした感性が「原始的でカッコ悪い」と思うかもしれない。しかし、そうした感性をバカにして現代文明を謳歌した結果が、これだ。
現代文明もくそもない。我々は原始時代から一貫して、自然に対して無能なままであったのに、そうじゃないと誤解してきただけに過ぎないのかもしれない。
2014年8月27日水曜日
土砂災害から逃れるたった一つの方法 実話
広島県の土砂災害では、とてもたいへんなことになっていて、今日現在も、一人、また一人と亡くなられた方が増えているような状況です。
被災された方には心よりお悔やみ申し上げます。
今回の台風11号から引き続いての大雨では、京都府福知山市、兵庫県丹波市といった近畿地方でまず被害が発生し、それから広島県で大きな土砂崩れがありました。
私の旧ブログ「年収300万円台のボクが、オール電化庭付き一戸建てを買えた理由」というシリーズでは、家を建てる、買う際にしっかり見ておくべきいろいろなポイントについて、土地・建物それぞれ記事にしていたのですが、今回はあらためて
「土砂災害から逃れるたった一つの方法」
について書いておきたいと思います。
(旧ブログはこちら http://blogs.yahoo.co.jp/nensyu_300 )
==========
まず、今回の広島の災害では、
① そもそも地盤が弱く扇状地のようなところを造成して宅地にしたのがどうなんだ説
② 行政が早く「避難指示」をだしていれば被害が少なかったのでは説
③ 宅地開発が早すぎて「土砂災害警戒区域指定」すらできていなかった説
など、いろいろな周辺的な原因が取りざたされています。また、これらの事については、識者の方もそれぞれ意見を述べておられますが、絶対的な正解のようなものはあるはずもないわけで。
そこで、せっかくこの記事にたどり着いた方には、私がこれから話をする「実話」を読んで、自分なりの感想をもっていただきたいと思います。
これは、ある一人の人物が、「土砂災害から逃れるために何をしたか」ということ、それから、「周囲に何ができたか」「何ができなかったのか」ということを示す物語です。
==========
Aさんという方がいて、その人は私の親戚です。
Aさんは賃貸住宅の一戸建てに住んでいて、その立地は駅前でとても便利がいいのだけれど、裏に山を背負っているようなところでした。
もともと、山すそに並んで数軒の家が建っていて、それらは古い農家だったりするのですが、Aさんが借りていた一戸建ては、古い母屋に対して新婚さんの離れとして建てられた経緯で、今風の住宅、ということになります。
また、Aさんの家の目の前に駅前交番があり、防犯上もとても安心な立地条件でした。
Aさんの家の横は、もともと母屋があったところをつぶしているので、とてもひろい駐車場になっていて、砂利がしきつめられています。
私は、用事でAさんの家を訪れたとき、雨が降った翌日にその駐車場の砂利から、溝に向かってきれいな水が染み出しているのをみたことがありました。
Aさんに聞くと、大雨のあとに、たまにそういう状態がおき駐車場がぬかるむことがあるそうです。
そのときは、なんとも思いませんでしたが、数年立ってから、あるとき、Aさんの家の前を車で通って、山をちらりと見たとき、違和感を感じました。
それは、ふだん草木が生い茂っているはずの裏山の一部に、大きな石がいくつかごろごろと露出していたので、そこだけが真っ白く見えるという違和感でした。
そこで、私は、Aさんに「裏山の様子が、ちょっと変なのだが気付いている?」という話をしました。
するとAさんは、「石が露出していることは気付かなかったけれど、夜中に山で何か音がしたのは聞いたことがある」というのです。
あまり、いい状況ではない、と直感して、Aさんに「すぐに大家さんと相談するように」と話をしました。
大家さんは、自分も駆けつけて状況を確認しましたが、「だからといって、今すぐ何かをどうこうできない」と考え、Aさんとの間では「できるだけ早く引っ越すことと、一部の家賃について減免を考える」ことで話がついたようでした。
それからAさんは、市役所に相談に行き、「自分の住むところがこういう状態なのだが、仮住まいでもいいので、市営住宅に入れてくれるなどの対応が可能か」どうかを尋ねました。
すると、市役所は、とても誠実に応対してくれ、県の土木課にもすぐ連絡をとって調査に入るように手続きしてくれましたが、残念ながら住居については
「被害が出ていない状況で、入居用件に該当しないAさんを入居させることは難しい」
という回答になりました。そういう制度がないことと、Aさんが働いているので、市営住宅要件の収入面でオーバーすることもあったからです。
その状態でしばらく事態は止まっていました。
ところが、こんどはひょんなことから、私が仕事上で付き合っている大工さんから、重要なことを聞いたのです。
話はAさんが住んでいる家のことではなく、その並びの何軒か離れた古い農家住宅の改修についてでした。
大工さんが言うには
「あそこの家をリフォームすることになったんだが、基礎が弱いのでいじろうと思ったら、なんと床下の土部分に溝が掘ってあって、それが側溝につながってるんだ。明治か大正の建物だろうけど、あんな基礎は見たことがない」
とのこと。
わたしにはピンと来ました。私や大工さんがとやかく言うことではないのですが、あるいは増してや、依頼者のお施主さんに言うべきかどうか迷うところですが、
「その家を作った明治の大工は、この地区の山すそから水が出ることをわかっていて、それを排水できるようにわざわざ床下に溝を掘っている」
ということなのです。これで、わたしが見た駐車場の砂利から湧き出る透明な水と話が通じました。
そうです。この地区は、山にとっては沢の一部であり、水の通り道なのです。
結果的に、大工さんはそのことをお施主さんに話したそうです。そうするとこんな答えが返ってきました。
「この地区が山を背負っていて、そういう状態にあることはわかっている。それは昔からそうじゃ。でも先祖伝来の土地でもあるし、わかっているからといってできることがあるじゃろうか。そんな山とともに、わしらはここで暮らしてきたんじゃからのう」
と。
それからほどなくして、もう一度事態が動きます。私が住んでいる町も、Aさんと同じ町なので、あるとき市長と懇話会が私の住む地区で実施されたとき、私は直接市長に質問したのです。
「私の親戚がいま、こういう土砂災害の恐れで困っているのだけれど、一般論として被害が出る前に、なにか行政が出来ることはないのか検討お願いします」
と。
すると、市長は驚いて「そんな事例が市内で起こっているとは!すぐに土地計画担当課長をよこしますので、もっと詳しく教えてください」とおっしゃったのです。
そして、今度は、Aさんサイドからではなく、私経由でもう一度調査が入ることになりました。
結果としては、Aさんが市役所に相談にいったことがほったらかしになっていたわけでなく、Aさんサイドからの話と、私(市長側)サイドからの話がうまくリンクして、再び市や県で現地調査をし、判断することになりました。
さらに、警察とも連携があったようで、交番からAさんの安全について見回りがくるようになりました。そこには当然、山が崩れたら交番もやられる、という危機感の共有があったのです。
そして、市の担当者は、わざわざその結果なども私に連絡をくれたのです。
結論はどういうことだったか。
① たしかに現地は土砂災害警戒区域に指定されている。実際に土が露出しているし、動いていることは間違いない。
② しかし、この土地を改良するには、複雑に入り組んだ土地所有者の合意の問題と、県の土木がここをいじるための予算を通さなくてはならない。
③ まっとうなルートで予算化するなら数年かかるし、緊急で何かするにも即日実施は不可能だろう。
④ 今、現時点で被害が起きていない以上、平たく言えば「様子をみましょう」になる。しかし、それでは、住民の方の命を誰も「安全だ」と確約できない。
というようなことでした。
私も、行政を悪く言うつもりはまったくないし、むしろ、関係者は全員良心に基づいて即座に動いてくれたように感じています。
市民からの要望に答えるという点では、パーフェクトに近いのに、しかし、結果結論は、
「どうすることもできない。今は」
というものであることに気付かされたのです。
(逆の言い方をすれば、交番にとっても「どうすることもできない」ので、勤務の警察の方はずっと裏山を気にしながら勤務なさっているそうでした)
そこで、私もAさんも気付いたのです。「この問題は、誰かに頼っていてもだめだ。命を守るためには、自分たちで行動するしかない!」と。
そこからは迅速でした。
私はAさんに資金を提供して(親族ですから)、安全な場所に違う住宅を確保し、すぐに一緒に手伝って引越ししました。
大家さんにも、住宅を出る旨申し伝えると、大家さんも「自分ももう賃貸で貸すつもりはない」とおっしゃられました。
そして、大家さんはすぐにその土地建物ごと、激安で売りに出したのです。
駅前の一等地で、駐車場状態でも収入が取れるような土地を、数百万円で放出しました。もちろん、そういう事情で手放す、ということを明言した上で。
・・・・・・それから、今でちょうど1年が経過しています。
こればかりは、とてもよいことに、その裏山はまだ崩れてはいません。その土地を新しく買われた方は、事情をちゃんと説明を受け、「住まずに仮置き場として使う」とおっしゃったそうです。
Aさんは命を守る行動を取りました。
大家さんは、危険箇所の責任者になることを避け、きちんと説明をして手放しました。
市役所は、何もできないままですが、警察とともに警戒をつづけています。
==========
この実話から、何を感じ取るかはあなた次第です。しかし、この話には、土砂災害にまつわるすべての要素が含まれています。
土地とはどういうものなのか
住むとはどういうことか
行政に何ができるのか
私たちに何ができるのか。
などなど。
私は、反論や炎上も覚悟で書いておきます。実際に体験したものとして、
「危険を感じ取るのも、我々生活者の責務であり、それは自分の責任で全力で戦わなくてはならないことである」
と、そして
「頼れるのは自分だけだ。行政は悪い意味ではなく何もできない。」
とも言えます。
だから、家を買うもの、土地を買おうとする者は、全力で学ばなければなりません。営業マンの口車に乗せられるのではなく、大地の息吹を読み取り、感じ取らなくてはならないのです。
土砂災害や水害から逃れるたった一つの方法、それは勇気です。
危険があるかも、と思ったら、その物件に手を出さない勇気、
危険だと思ったら、そこから完全に離れる勇気です。
逃げ出してもいい、売り飛ばしてもいい、あなたはそこから遠く離れてください。すぐに。
2014年8月19日火曜日
<ニュースを読む>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論
今日はネット上でけっこう話題になっていたので、取り上げてみたいと思います。
<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140819-00000013-mai-soci
学校の先生に対する暴力などで、生徒を警察に突き出す=警察が介入する事案について是非を問うものですが、いろいろ意見が上がってますね。
基本的に事件の構図は簡単です。
①生活態度が悪かったり、授業妨害をする生徒に対して、先生が叱ろうとする。
②生徒が逆切れして殴りかかる。
みたいなパターン。
ちょっと大事なのは、タイトルにもあるとおり「中学生」がこの事件を起こしているという点です。
ふつうの人だと「中学生がかよ!やべえな!」という印象を持たれるでしょうが、ツボはそこではありません。
これが高校生だと、校長の裁量で「懲戒によって退学」させることができるのですが、中学生は義務教育なのでできないのです。
というわけで、学校内で処理する=実際に退学させるもしくは退学をちらつかせて封じ込める ことができないことになります。
なので、学校がお手上げだと、その他の力を使わなくてはなりません。それが警察力なのです。
==========
ここに至るまでには、教師が行使した「体罰問題」があり、体罰問題がマスコミなどの力もあって、かなり封じ込められたのでこんどは校内暴力がクローズアップされている部分もあります。
これは歴史的にはシーソーゲームなんですね。なんども繰り返されてます。
盗んだバイクで走り出す頃の校内暴力はすさまじくて、これもその昔社会問題になりました。
で、その対抗策的に「校則での締め付け」なんかもあったのですが、校門圧死事件で学校サイドの校則力も奪われてしまった経緯があります。
よく取りざたされている「体罰を禁止したからこうなった(校内暴力が増えた)」論は、まあひとまず置いときましょう。
「みんな!もうやめて!とにかく学校から暴力をなくすのよ!先生も生徒も手を振り上げるのをおしまいにして!」
みたいなサヨク系みんなで平和をキャンペーンを朝日新聞あたりがやれば面白いんだけど(笑)
==========
ここからは個人的な考えです。
①ふつーのおっさんおばさんが教師をやって務まらない社会は、厳しいぜ。
教育問題がどんどん難しくなって、「教育のプロじゃないと務まらない」風潮が広がってますね。教師にその資質を求める論調も多くなってます。
免許が更新制になり、教科のことだけじゃなく、生徒のメンタルヘルスまでコントロールできないと教師じゃないみたいなイメージが一人歩きしてます。
でもまあ、ふつうに考えたら無理だわ。
教育のワンマンオペレーションを要求するなら、それはもう「すき屋」レベルのブラック環境でしょう?
教科指導も、生活指導も、親が面倒見切れない生徒の相手も、部活もなんてムリだと思いますよ。
いくら専門の免許を持っていても、いくら高給取りでも、実態は不可能。
たとえば、ひとクラスに担任が3人いて、一人はメンタルヘルス専門担当、一人は生活指導担当、一人は部活担当とかだったらできるかもしれない。そういうレベルですよ。現実は。
昔の教師が成立していたのは、はっきり言えば「生徒の民度が高かった」からです。黙って言うこと聞いているべきだと誰もが自然に思っていたから。
これからの生徒の民度は低くなる一方です。それは家庭教育の民度が低いからに他なりません。
炎上覚悟の言い方をしたら。
②政策提言をするとしたら「学校公安官」を創設しようぜ。
10年くらい前に、私はこの政策提言で10万円貰いました。とある賞で。
内容は簡単。学校内の力の発揮機関として「すべての体育の教師を学校公安官として採用せよ」というもの。
そう、あの鉄道公安官と同じように、逮捕権と武器使用権をもつ教育公安官を養成しなさい、という提言です。
警察の介入が嫌なら、それ相応の権限をもたせればいい。学校サイドに。そして体育の先生と兼任させれば、給料も増えないし、規律も保たれるし、殴ってもいい(笑)←ここは笑うとこ。
冗談はさておき、身柄の拘束を法的にできるのはいいよね、と思います。
③マジでこの国をよくしようとするのなら「保育」の段階から見直せ。
中学高校で、こうした事件が起きる以前に「保育と幼稚園」の時点から、規律をまもる教育=コントロールをしておくべきだと思います。
家庭教育にその機能がなくても、幼児教育と初等教育の段階でそのプログラムを組み込まなくてはいけません。
のんびりお遊戯している暇はないかもしれませんね。言うことを聞かない幼児を、しつけるシステムを開発しなくてはならないのですから。
厳密には、保育園は教育機関ではありません。しかし、こども園を創設するどさくさに紛れて、
「確かな社会意識と国家観を養わせる」
ことも大事です(笑)←ここも笑うとこ。
保育園、幼稚園、小学校の段階でそれぞれの教職員が任務をほうり投げてるから、中高でえらいことになっている、という面は確かにあるかも。
==========
いずれにしても、学校のパノプティコン的運用は、もう限界なので、新しいシステムを開発しなくてはいけません。
1人の教師が40人を教える
とか
生徒が黙って授業を受けている
なんて前提は崩れているのです。
<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140819-00000013-mai-soci
学校の先生に対する暴力などで、生徒を警察に突き出す=警察が介入する事案について是非を問うものですが、いろいろ意見が上がってますね。
基本的に事件の構図は簡単です。
①生活態度が悪かったり、授業妨害をする生徒に対して、先生が叱ろうとする。
②生徒が逆切れして殴りかかる。
みたいなパターン。
ちょっと大事なのは、タイトルにもあるとおり「中学生」がこの事件を起こしているという点です。
ふつうの人だと「中学生がかよ!やべえな!」という印象を持たれるでしょうが、ツボはそこではありません。
これが高校生だと、校長の裁量で「懲戒によって退学」させることができるのですが、中学生は義務教育なのでできないのです。
というわけで、学校内で処理する=実際に退学させるもしくは退学をちらつかせて封じ込める ことができないことになります。
なので、学校がお手上げだと、その他の力を使わなくてはなりません。それが警察力なのです。
==========
ここに至るまでには、教師が行使した「体罰問題」があり、体罰問題がマスコミなどの力もあって、かなり封じ込められたのでこんどは校内暴力がクローズアップされている部分もあります。
これは歴史的にはシーソーゲームなんですね。なんども繰り返されてます。
盗んだバイクで走り出す頃の校内暴力はすさまじくて、これもその昔社会問題になりました。
で、その対抗策的に「校則での締め付け」なんかもあったのですが、校門圧死事件で学校サイドの校則力も奪われてしまった経緯があります。
よく取りざたされている「体罰を禁止したからこうなった(校内暴力が増えた)」論は、まあひとまず置いときましょう。
「みんな!もうやめて!とにかく学校から暴力をなくすのよ!先生も生徒も手を振り上げるのをおしまいにして!」
みたいなサヨク系みんなで平和をキャンペーンを朝日新聞あたりがやれば面白いんだけど(笑)
==========
ここからは個人的な考えです。
①ふつーのおっさんおばさんが教師をやって務まらない社会は、厳しいぜ。
教育問題がどんどん難しくなって、「教育のプロじゃないと務まらない」風潮が広がってますね。教師にその資質を求める論調も多くなってます。
免許が更新制になり、教科のことだけじゃなく、生徒のメンタルヘルスまでコントロールできないと教師じゃないみたいなイメージが一人歩きしてます。
でもまあ、ふつうに考えたら無理だわ。
教育のワンマンオペレーションを要求するなら、それはもう「すき屋」レベルのブラック環境でしょう?
教科指導も、生活指導も、親が面倒見切れない生徒の相手も、部活もなんてムリだと思いますよ。
いくら専門の免許を持っていても、いくら高給取りでも、実態は不可能。
たとえば、ひとクラスに担任が3人いて、一人はメンタルヘルス専門担当、一人は生活指導担当、一人は部活担当とかだったらできるかもしれない。そういうレベルですよ。現実は。
昔の教師が成立していたのは、はっきり言えば「生徒の民度が高かった」からです。黙って言うこと聞いているべきだと誰もが自然に思っていたから。
これからの生徒の民度は低くなる一方です。それは家庭教育の民度が低いからに他なりません。
炎上覚悟の言い方をしたら。
②政策提言をするとしたら「学校公安官」を創設しようぜ。
10年くらい前に、私はこの政策提言で10万円貰いました。とある賞で。
内容は簡単。学校内の力の発揮機関として「すべての体育の教師を学校公安官として採用せよ」というもの。
そう、あの鉄道公安官と同じように、逮捕権と武器使用権をもつ教育公安官を養成しなさい、という提言です。
警察の介入が嫌なら、それ相応の権限をもたせればいい。学校サイドに。そして体育の先生と兼任させれば、給料も増えないし、規律も保たれるし、殴ってもいい(笑)←ここは笑うとこ。
冗談はさておき、身柄の拘束を法的にできるのはいいよね、と思います。
③マジでこの国をよくしようとするのなら「保育」の段階から見直せ。
中学高校で、こうした事件が起きる以前に「保育と幼稚園」の時点から、規律をまもる教育=コントロールをしておくべきだと思います。
家庭教育にその機能がなくても、幼児教育と初等教育の段階でそのプログラムを組み込まなくてはいけません。
のんびりお遊戯している暇はないかもしれませんね。言うことを聞かない幼児を、しつけるシステムを開発しなくてはならないのですから。
厳密には、保育園は教育機関ではありません。しかし、こども園を創設するどさくさに紛れて、
「確かな社会意識と国家観を養わせる」
ことも大事です(笑)←ここも笑うとこ。
保育園、幼稚園、小学校の段階でそれぞれの教職員が任務をほうり投げてるから、中高でえらいことになっている、という面は確かにあるかも。
==========
いずれにしても、学校のパノプティコン的運用は、もう限界なので、新しいシステムを開発しなくてはいけません。
1人の教師が40人を教える
とか
生徒が黙って授業を受けている
なんて前提は崩れているのです。
2014年8月10日日曜日
家のことを真面目に考える 台風をなめるな
ようやく、関西地方は台風11号が去り、落ち着きを取り戻してきました。
とはいえ、豪雨による冠水や地すべりなど、各地に大きな被害を残した台風です。まだまだ予断を許さない状況です。
さて、今回我が家は完全に台風の通り道になっており、ここ数年では久しぶりに暴風をモロに受けました。
(幸い被害らしいものはありませんでした)
ちなみに我が家は築20年を過ぎていますが、ある意味ではバブリーなりし頃の贅沢な作りになっているので、多少良い面があります。
どういうことか?
昨今はローコスト住宅も増えていますので、ご自宅をお考えの方はよく読んでくださいね。
<1> 最近の新築は傘をかぶっていない。
ふだん、みなさんが傘を差す姿をイメージしてください。傘が広がっていて、中心にいるあなたはそのおかげで濡れません。
これを住宅で言えば「軒が出ている」とかそういう言い方をするのですが、一般的なおうちは、まるで傘のように屋根が家本体から飛び出していることになります。
この軒の出具合!なんと
◇ お寺だと約2メートルくらい外に出ている。
◇ 旧家だと約1メートルくらい外に出ている。
◇ バブル頃は70センチから80センチくらい外に出ている。
◇ 今の新築は0センチから45センチくらい外に出ている。
となっています。
建築関係にいる人間は、みな知っていることなんですが、上記のように家の傘が外に飛び出して雨風をしのいでいるので、建物が長持ちするわけです。
ところが、最近の新築は、「全く出ていない」家もあります。出ていても45センチくらいで、これは屋根面積を減らすことができるので、家の値段を下げることができる
一般人に気づかれにくい裏ワザ
なんですね。
じゃあ、傘がまったく出ていない家はどうなってるのかというと。防水がしっかりしてある、ということになります。
つまり、生身にスウェットスーツを着ている状態です。
防水してあるから、中に水は入らないという理屈です。
ところが新築のうちはいいですが、10年20年経つうちに、いろんな防水箇所がどうなるか、は素人でもわかりますね。
でも、それは秘密です。10年持てば、瑕疵担保責任はありませんので、業者は責務を逃れることができます。
<2> 最近の新築は二階に雨戸がない。
さて、今回の台風。強い風でいろんなものが飛んできたと思いますが、ここ数年で家を建てた方はどうなさいましたか?
実は、近年の新築、それもローコスト住宅は2階の雨戸を最初からつけないことで価格を下げています。
これは、ぱっと見ではわかりません。
防犯のことがあるので、1階の雨戸(もしくはシャッター)をつけていないのはよほどの最低ランク住宅でしょうが、2階は絶対気づきません。
入居して、台風がくるぞ!となってはじめて
「あ、うちの家二階には雨戸がついてないんや!」
と気づくことになります。
これがバブリーな時代の住宅だと、屋根の傘は広いし、二階にもしっかり雨戸がついているし、そこらへんは抜かりがないのです。
というわけで、昨今のローコスト新築にお住まいの方は、二階の窓に何か飛んできたらアウトです。
これもわざわざ売主、建て主は「あえて説明しません」
「地震に強い家ですよ!」
ということはPRしますが
「台風に強い家ですよ!」
なんて誰も言わないのです。
==========
というわけで、1000年に一度やってくる地震も重要ですが、毎年何回もやってくる台風にも、意識を持ってください。
台風をなめてはいけません!
とはいえ、豪雨による冠水や地すべりなど、各地に大きな被害を残した台風です。まだまだ予断を許さない状況です。
さて、今回我が家は完全に台風の通り道になっており、ここ数年では久しぶりに暴風をモロに受けました。
(幸い被害らしいものはありませんでした)
ちなみに我が家は築20年を過ぎていますが、ある意味ではバブリーなりし頃の贅沢な作りになっているので、多少良い面があります。
どういうことか?
昨今はローコスト住宅も増えていますので、ご自宅をお考えの方はよく読んでくださいね。
<1> 最近の新築は傘をかぶっていない。
ふだん、みなさんが傘を差す姿をイメージしてください。傘が広がっていて、中心にいるあなたはそのおかげで濡れません。
これを住宅で言えば「軒が出ている」とかそういう言い方をするのですが、一般的なおうちは、まるで傘のように屋根が家本体から飛び出していることになります。
この軒の出具合!なんと
◇ お寺だと約2メートルくらい外に出ている。
◇ 旧家だと約1メートルくらい外に出ている。
◇ バブル頃は70センチから80センチくらい外に出ている。
◇ 今の新築は0センチから45センチくらい外に出ている。
となっています。
建築関係にいる人間は、みな知っていることなんですが、上記のように家の傘が外に飛び出して雨風をしのいでいるので、建物が長持ちするわけです。
ところが、最近の新築は、「全く出ていない」家もあります。出ていても45センチくらいで、これは屋根面積を減らすことができるので、家の値段を下げることができる
一般人に気づかれにくい裏ワザ
なんですね。
じゃあ、傘がまったく出ていない家はどうなってるのかというと。防水がしっかりしてある、ということになります。
つまり、生身にスウェットスーツを着ている状態です。
防水してあるから、中に水は入らないという理屈です。
ところが新築のうちはいいですが、10年20年経つうちに、いろんな防水箇所がどうなるか、は素人でもわかりますね。
でも、それは秘密です。10年持てば、瑕疵担保責任はありませんので、業者は責務を逃れることができます。
<2> 最近の新築は二階に雨戸がない。
さて、今回の台風。強い風でいろんなものが飛んできたと思いますが、ここ数年で家を建てた方はどうなさいましたか?
実は、近年の新築、それもローコスト住宅は2階の雨戸を最初からつけないことで価格を下げています。
これは、ぱっと見ではわかりません。
防犯のことがあるので、1階の雨戸(もしくはシャッター)をつけていないのはよほどの最低ランク住宅でしょうが、2階は絶対気づきません。
入居して、台風がくるぞ!となってはじめて
「あ、うちの家二階には雨戸がついてないんや!」
と気づくことになります。
これがバブリーな時代の住宅だと、屋根の傘は広いし、二階にもしっかり雨戸がついているし、そこらへんは抜かりがないのです。
というわけで、昨今のローコスト新築にお住まいの方は、二階の窓に何か飛んできたらアウトです。
これもわざわざ売主、建て主は「あえて説明しません」
「地震に強い家ですよ!」
ということはPRしますが
「台風に強い家ですよ!」
なんて誰も言わないのです。
==========
というわけで、1000年に一度やってくる地震も重要ですが、毎年何回もやってくる台風にも、意識を持ってください。
台風をなめてはいけません!
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