2015年12月18日金曜日

【ニュースを読む】 「上司怖い」「残業多い」「叱られる免疫ない」早期離職 青森の若者

 ヨシイエが気になったニュースを勝手に取り上げ、勝手に解説するという新コーナー「ニュースを読む」ですが、第一回は、

 


WEB東奥さんより

「上司怖い」「残業多い」「叱られる免疫ない」早期離職 青森の若者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151212-12115942-webtoo-l02




というネタを。


 青森県に限らず、若者の離職率が高く、大卒でも3年で辞める、とか、高卒なら3ヶ月で辞めると言われる状況がそこかしこで見られます。



 WEB東奥さんの記事では、青森県の高卒人材の状況をリサーチしており、

「上司が怖い」とか「条件がきつい」

などの理由で若者が辞めていく現状を書いておられます。


 この記事の中で秀逸だと思った話が2点出てきます。短い記事の中に、けっこう本質をズバリついている答えが載っているのです。


とある社長さんがインタビューに答えたことばが2点とも的を射ています。


 ちょっと引用してみましょう。




”3年以内に離職された経験を持つ津軽地方の60代企業経営者は

「仕事の締め切りを守る意識が希薄。職場を学校の延長でとらえ、上司を仕事を教えてくれる先生と見ている若者が多い」

と指摘。

さらに

「叱られることに対する免疫ができておらず、こちらが発する何げない言葉にショックを受け、人間関係の悪化に発展してしまう面がある。ゆとり教育の弊害では」

と語った。”




 この社長さんの言葉は、まさにその通りだと思います。


 ここに、現代の若者にまつわる病巣の原因と問題点が、実は集約されているのです。





問題点① 上司を「仕事を教えてくれる先生」と見ている。


 会社に勤めるという場面や、会社員になるという人材だけでなく、この問題は実は現代の日本社会に広く蔓延しています。


 私は団塊Jr世代なので、「先生というものは基本、怒るものだ」という観念が染み付いています。

 勉強を教えてくれる人というよりは、「学ぶのはこっちサイドの努力で、先生は基本は知識伝達はしてくれるが、あとは自分たちの問題である」と受け止めている最後の世代だと言ってよいでしょう。


 『ぼくらの七日間戦争』という映画がありましたが、宮沢りえさんはリアルに同世代ですし、あの映画の中では誇張して描かれていましたが、


「先生は、スカートが校則どおりの長さになっているか定規を当てて測る」


という存在であることは事実でした。丸刈りを強制する存在とか、服装をチェックする存在とか。


 つまり、先生というのは「管理官であり、監督官であり、刑務官」だったのです。


 そういう環境で育っていますので、会社員になっても


 上司が管理官であり、監督官であり、刑務官である


ということは、自然に受け止めることができます。勤怠においても、業務成績においても、上司が基本的に上からやいのやいの言ったり、威圧したりすることは、当然だと受け止めることができるのです。




 ところが、私の世代の数年下である弟が、面白いことを言うのです。彼は美容師になるべく美容学校を卒業しましたが、


「自分の世代は、いわゆる美容師や理容師の徒弟制度ではなく『サービス業としてのガッコウ』で教えられて免許を取った最初の世代である」

と。


 彼は続けて言います。


「なので、自分より下の世代は、先輩を見て『こうするもんだと理解したり、見て学んだり、そうして当然だと思ったり』することが不可能なんだ」


と。


 徒弟制度の中では、上下の力関係の土台があって、「下のものは空気を読んで上のものに配慮する」という行動が自然と身につけられてきましたが、技術を学ぶ専門学校で、

「はい、こうするんですよ~。こうしてくださいね~」

と教えられてきた環境では、


「逐一教えられないと、空気を読むことなんてできない」


というわけです。


 専門学校の先生は、管理官や監督官ではなく、丁寧に教えて免許を取れるように後ろから押してあげるやさしい人たちであり、また、そうすることで「心地よく授業料を払っていただくサービス業」だったのです。


 
 ガッコウが、だんだんと変容していったのは、おそらく1990年頃からだったでしょうか。




問題点② ”ゆとり教育”の臨床的な現実


 そのことを端的に言い表しているのが「ゆとり教育」の響きです。


 本来、この言葉は、「教育内容にゆとりがある」ことと、「週5日制でゆとりがある」意味の言葉でしたが、実際には、まったく違う意味でもガッコウには「ゆとり」が生まれはじめました。


 たとえば、わかりやすい例では


「体罰をやめよう」とか、

「部活で水をちゃんと飲ませよう」とか、

「不登校の生徒がいれば、保健室登校とか、別の手段を手当てしよう」とか、

「心の病の生徒がいるから学校カウンセラーを置こう」とか、

「学習到達度や習熟度でクラスを分けよう」とか


すべてにおいて「ハートフルでやさしい、こころのゆとり教育」が行われているのです。



 とにかく、学校という場所が、「教育サービスの提供場所」になっていますから、実体としてはとても享受者にとっては手厚いサービスが行われ、それが大学まで続くことになるわけです。



 たとえば、大学で「高校までのおさらいの基礎講座を実施している」とか、「学力試験を伴わない入試がある」とかも全部おなじです。





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 そうした手厚い教育サービスや、生活支援サービスを受けてきた人間が、会社員になったとたん

「あなたの力でお金を稼いできなさい」

と言われるわけですから、うつ病になったり逃亡したり、辞めるのは当然なのです。


 今までさんざん「お金を払って幸せなサービスを享受していたマリーアントワネットが、ある日突然奴隷の身分になるようなもの」です。


 そりゃ、まともなヤツでも気が狂いますよね。



 ところが、現在の企業人・社会人の中核をなしている40代くらいの人間までは、それが最後の転換点かもしれないけれど、


「大人が管理官で監督官で刑務官だった頃の記憶を持っている」


ので、


「そりゃ、大人や上司が要求することは、ある程度までは当然やろ」


と理解しています。



 このギャップは意外に大きく、「今の若いもんは」というありきたりな論争では、ちょっと超えられない壁かもしれません。



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 この問題を解決するのは難しいです。


 記事の中で、青森の職安のおっさんが言っていますが、


「会社側がやさしくしてやらんといかんし、学校ももうちょっとそういうことを教えなくてはいけない」


くらいでは解決しないです。



 なぜなら、企業社会は基本的には戦いであり、国内のみならず新興して来るアジアや中東・アフリカの勢力ともこれからどんどん争わなくてはいけないのに、


「やさしくしてやれよ~」


なんて言っている暇は、本来ないからです。



 そして、学校の先生も、そうした「学校弱者」や「生活弱者」に優しい心で接することが「いい教師」だと心から信じているので、もうもとには戻りません。



 学ばないやつは、弱いやつは生物学的に言って、氏ね!


なんて考えてる教師は、ひとりもいません。



 しかし、現実をみましょう。



 弱いものは騙され、搾取され、会社に適合できないものは貧困によって飢えて死ぬのです。




 ああ、おそろしい。そして、識者やマスコミや政治家は常に強いものですので、彼らは飢えたりしません。


 そういう時代になってきたのです。










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