仕事で遂行しなくてはいけない建築系のプロジェクトがあって、その現場が福知山近辺であるため、日曜日だったが空き時間を利用して下見に行って来た。
実は、先日の福知山・丹波を襲った水害以来、近辺に行く機会がなかったので、8月18日前後以降、一か月以上経ってからの訪問であった。
福知山に入る前に、丹波市市島町を経由して京都府側へ行こうとしたのだが、大きな国道の橋が落ちていて迂回を余儀なくされた。
看板等を見ると、丹波市と福知山市の境界である峠も崩落しているらしい。
丹波市側から既に、道路が一面茶色になっている。これはあの雨災害から既に一月以上経つのに、まだ道路に土砂の痕跡が堆積している、ということだ。
また、日曜日の真昼間に関わらず、各家庭でまだ「後片付け」をしている人たちにたくさん遭遇した。
まだ、片づけが済んでいない、ということに他ならない。
福知山市に入り、地元の人と話すことがあったが、市内全域ものすごい状況になっていたそうで、だがしかし、
「それも、広島の災害の報で、全部すっとんでしまいました」
とのこと。福知山の被害はまだ終わっていないが、広島の土砂災害のほうに、全国の視点はいっせいに振り向けられることになり、こちらは忘れられてしまったようだ。
福知山訪問の前日、TVからは御獄嶽山噴火のニュースがいっせいに報じられていた。その日も、朝から、御嶽山登山客の被害の話でもちきりだった。
言い方は悪いが、これでまた「広島の被災者」たちのことも、忘れられてしまうのかもしれない。
==========
今年の漢字一字を決めるとすれば「災」でよいのではないか。縁起が悪いかもしれないが、想定外といういいわけばかりしてきた我々には「戒めのことば」がむしろふさわしいかもしれないと思う。
それほどまでに、今年は自然の猛威について考えさせられた。
ふだん、建築や不動産に関わるブログをちらちらと書いているものからすれば、現代の私たちは科学技術の進歩に惑わされて、「自然のこと」にきちんと向き合うことを忘れているように思えてならない。
家を建てる、家を買う。どこに住むか、どこで暮らすのか。それは原始時代から何も変わっていない。
どの洞窟なら安全なのか。山や川とはどうつきあうべきか。生活の場と狩猟の場はどう異なるのか。
いくら科学が発展しようが、人類が自然に勝てない以上、この基本ルールは全く変わっていないといってよいだろう。
自然災害が起きて、しばらくのうちは「誰に責任があるのか」ということが話題になった。
はじめのうちは、「避難警報の出し方、あり方」について気象庁の方法がああだ、とかこうだ、とかそういう話が出た。
つぎに「自治体の姿勢」がどうなんだ、という話がでてきた。
広島の土砂災害では、「ああいうところを造成するのはどうなんだ」という意見や「そういうところに開発許可を出すのはどうなんだ」という話が出てきた。
そして、今回の御嶽山の噴火。兆候の微動は12分前に検出されただけで、あっという間に本噴火になったらしい。
さあ、どうする?今回の被災は誰に責任があるのか。
自治体か、山を管理する部署か。気象庁か。それとも自己責任なのか。
今回、報道でもネットでも、誰も「それは登った人の自己責任だ」という論調で語っていない。なぜか。
ようやく、我々は本能的に気付いたのだと思う。これは誰にも予想できず、誰にも責任を問えず、つまり、自然には逆らえない、ということを。
==========
東北の震災のあと、地震予知学者たちが「さじを投げた」話は有名だ。(地震の予知は極めて困難である、と方針を変えた)
結論から言えば、それはある意味正確だと思う。
つまり、土地開発などの面でも、避難等の行政措置面でも、自然に対して「アンダーコントロール」な状態に置くことができる、ということそのものが、もともと間違っているということである。
もともと、自然には勝てず、我々は全くの無能である、ということを再認識することこそが、実は重要なのではないか、と私も思う。
山も川も海も、時として牙を向くことがある。それは宗教的な言い方をすれば神々の怒りのようなものであろうし、確率学的な言い方をすれば、1000年に一度の不運かもしれない。
だが、すべての人がそれを当然だと思って暮らしていれば、もう少しは日頃から「生き延びることに執着した人生」を送る事ができるのではないか、とも思う。
「山の神が怒るようなところに住んではいけない」とか
「用もなく神々の地に立ち入ってはならない」とか
「川や海に畏敬の念を抱きながら暮らす」とか
そういうことだ。
そうした感性が「原始的でカッコ悪い」と思うかもしれない。しかし、そうした感性をバカにして現代文明を謳歌した結果が、これだ。
現代文明もくそもない。我々は原始時代から一貫して、自然に対して無能なままであったのに、そうじゃないと誤解してきただけに過ぎないのかもしれない。
2014年9月29日月曜日
2014年8月27日水曜日
土砂災害から逃れるたった一つの方法 実話
広島県の土砂災害では、とてもたいへんなことになっていて、今日現在も、一人、また一人と亡くなられた方が増えているような状況です。
被災された方には心よりお悔やみ申し上げます。
今回の台風11号から引き続いての大雨では、京都府福知山市、兵庫県丹波市といった近畿地方でまず被害が発生し、それから広島県で大きな土砂崩れがありました。
私の旧ブログ「年収300万円台のボクが、オール電化庭付き一戸建てを買えた理由」というシリーズでは、家を建てる、買う際にしっかり見ておくべきいろいろなポイントについて、土地・建物それぞれ記事にしていたのですが、今回はあらためて
「土砂災害から逃れるたった一つの方法」
について書いておきたいと思います。
(旧ブログはこちら http://blogs.yahoo.co.jp/nensyu_300 )
==========
まず、今回の広島の災害では、
① そもそも地盤が弱く扇状地のようなところを造成して宅地にしたのがどうなんだ説
② 行政が早く「避難指示」をだしていれば被害が少なかったのでは説
③ 宅地開発が早すぎて「土砂災害警戒区域指定」すらできていなかった説
など、いろいろな周辺的な原因が取りざたされています。また、これらの事については、識者の方もそれぞれ意見を述べておられますが、絶対的な正解のようなものはあるはずもないわけで。
そこで、せっかくこの記事にたどり着いた方には、私がこれから話をする「実話」を読んで、自分なりの感想をもっていただきたいと思います。
これは、ある一人の人物が、「土砂災害から逃れるために何をしたか」ということ、それから、「周囲に何ができたか」「何ができなかったのか」ということを示す物語です。
==========
Aさんという方がいて、その人は私の親戚です。
Aさんは賃貸住宅の一戸建てに住んでいて、その立地は駅前でとても便利がいいのだけれど、裏に山を背負っているようなところでした。
もともと、山すそに並んで数軒の家が建っていて、それらは古い農家だったりするのですが、Aさんが借りていた一戸建ては、古い母屋に対して新婚さんの離れとして建てられた経緯で、今風の住宅、ということになります。
また、Aさんの家の目の前に駅前交番があり、防犯上もとても安心な立地条件でした。
Aさんの家の横は、もともと母屋があったところをつぶしているので、とてもひろい駐車場になっていて、砂利がしきつめられています。
私は、用事でAさんの家を訪れたとき、雨が降った翌日にその駐車場の砂利から、溝に向かってきれいな水が染み出しているのをみたことがありました。
Aさんに聞くと、大雨のあとに、たまにそういう状態がおき駐車場がぬかるむことがあるそうです。
そのときは、なんとも思いませんでしたが、数年立ってから、あるとき、Aさんの家の前を車で通って、山をちらりと見たとき、違和感を感じました。
それは、ふだん草木が生い茂っているはずの裏山の一部に、大きな石がいくつかごろごろと露出していたので、そこだけが真っ白く見えるという違和感でした。
そこで、私は、Aさんに「裏山の様子が、ちょっと変なのだが気付いている?」という話をしました。
するとAさんは、「石が露出していることは気付かなかったけれど、夜中に山で何か音がしたのは聞いたことがある」というのです。
あまり、いい状況ではない、と直感して、Aさんに「すぐに大家さんと相談するように」と話をしました。
大家さんは、自分も駆けつけて状況を確認しましたが、「だからといって、今すぐ何かをどうこうできない」と考え、Aさんとの間では「できるだけ早く引っ越すことと、一部の家賃について減免を考える」ことで話がついたようでした。
それからAさんは、市役所に相談に行き、「自分の住むところがこういう状態なのだが、仮住まいでもいいので、市営住宅に入れてくれるなどの対応が可能か」どうかを尋ねました。
すると、市役所は、とても誠実に応対してくれ、県の土木課にもすぐ連絡をとって調査に入るように手続きしてくれましたが、残念ながら住居については
「被害が出ていない状況で、入居用件に該当しないAさんを入居させることは難しい」
という回答になりました。そういう制度がないことと、Aさんが働いているので、市営住宅要件の収入面でオーバーすることもあったからです。
その状態でしばらく事態は止まっていました。
ところが、こんどはひょんなことから、私が仕事上で付き合っている大工さんから、重要なことを聞いたのです。
話はAさんが住んでいる家のことではなく、その並びの何軒か離れた古い農家住宅の改修についてでした。
大工さんが言うには
「あそこの家をリフォームすることになったんだが、基礎が弱いのでいじろうと思ったら、なんと床下の土部分に溝が掘ってあって、それが側溝につながってるんだ。明治か大正の建物だろうけど、あんな基礎は見たことがない」
とのこと。
わたしにはピンと来ました。私や大工さんがとやかく言うことではないのですが、あるいは増してや、依頼者のお施主さんに言うべきかどうか迷うところですが、
「その家を作った明治の大工は、この地区の山すそから水が出ることをわかっていて、それを排水できるようにわざわざ床下に溝を掘っている」
ということなのです。これで、わたしが見た駐車場の砂利から湧き出る透明な水と話が通じました。
そうです。この地区は、山にとっては沢の一部であり、水の通り道なのです。
結果的に、大工さんはそのことをお施主さんに話したそうです。そうするとこんな答えが返ってきました。
「この地区が山を背負っていて、そういう状態にあることはわかっている。それは昔からそうじゃ。でも先祖伝来の土地でもあるし、わかっているからといってできることがあるじゃろうか。そんな山とともに、わしらはここで暮らしてきたんじゃからのう」
と。
それからほどなくして、もう一度事態が動きます。私が住んでいる町も、Aさんと同じ町なので、あるとき市長と懇話会が私の住む地区で実施されたとき、私は直接市長に質問したのです。
「私の親戚がいま、こういう土砂災害の恐れで困っているのだけれど、一般論として被害が出る前に、なにか行政が出来ることはないのか検討お願いします」
と。
すると、市長は驚いて「そんな事例が市内で起こっているとは!すぐに土地計画担当課長をよこしますので、もっと詳しく教えてください」とおっしゃったのです。
そして、今度は、Aさんサイドからではなく、私経由でもう一度調査が入ることになりました。
結果としては、Aさんが市役所に相談にいったことがほったらかしになっていたわけでなく、Aさんサイドからの話と、私(市長側)サイドからの話がうまくリンクして、再び市や県で現地調査をし、判断することになりました。
さらに、警察とも連携があったようで、交番からAさんの安全について見回りがくるようになりました。そこには当然、山が崩れたら交番もやられる、という危機感の共有があったのです。
そして、市の担当者は、わざわざその結果なども私に連絡をくれたのです。
結論はどういうことだったか。
① たしかに現地は土砂災害警戒区域に指定されている。実際に土が露出しているし、動いていることは間違いない。
② しかし、この土地を改良するには、複雑に入り組んだ土地所有者の合意の問題と、県の土木がここをいじるための予算を通さなくてはならない。
③ まっとうなルートで予算化するなら数年かかるし、緊急で何かするにも即日実施は不可能だろう。
④ 今、現時点で被害が起きていない以上、平たく言えば「様子をみましょう」になる。しかし、それでは、住民の方の命を誰も「安全だ」と確約できない。
というようなことでした。
私も、行政を悪く言うつもりはまったくないし、むしろ、関係者は全員良心に基づいて即座に動いてくれたように感じています。
市民からの要望に答えるという点では、パーフェクトに近いのに、しかし、結果結論は、
「どうすることもできない。今は」
というものであることに気付かされたのです。
(逆の言い方をすれば、交番にとっても「どうすることもできない」ので、勤務の警察の方はずっと裏山を気にしながら勤務なさっているそうでした)
そこで、私もAさんも気付いたのです。「この問題は、誰かに頼っていてもだめだ。命を守るためには、自分たちで行動するしかない!」と。
そこからは迅速でした。
私はAさんに資金を提供して(親族ですから)、安全な場所に違う住宅を確保し、すぐに一緒に手伝って引越ししました。
大家さんにも、住宅を出る旨申し伝えると、大家さんも「自分ももう賃貸で貸すつもりはない」とおっしゃられました。
そして、大家さんはすぐにその土地建物ごと、激安で売りに出したのです。
駅前の一等地で、駐車場状態でも収入が取れるような土地を、数百万円で放出しました。もちろん、そういう事情で手放す、ということを明言した上で。
・・・・・・それから、今でちょうど1年が経過しています。
こればかりは、とてもよいことに、その裏山はまだ崩れてはいません。その土地を新しく買われた方は、事情をちゃんと説明を受け、「住まずに仮置き場として使う」とおっしゃったそうです。
Aさんは命を守る行動を取りました。
大家さんは、危険箇所の責任者になることを避け、きちんと説明をして手放しました。
市役所は、何もできないままですが、警察とともに警戒をつづけています。
==========
この実話から、何を感じ取るかはあなた次第です。しかし、この話には、土砂災害にまつわるすべての要素が含まれています。
土地とはどういうものなのか
住むとはどういうことか
行政に何ができるのか
私たちに何ができるのか。
などなど。
私は、反論や炎上も覚悟で書いておきます。実際に体験したものとして、
「危険を感じ取るのも、我々生活者の責務であり、それは自分の責任で全力で戦わなくてはならないことである」
と、そして
「頼れるのは自分だけだ。行政は悪い意味ではなく何もできない。」
とも言えます。
だから、家を買うもの、土地を買おうとする者は、全力で学ばなければなりません。営業マンの口車に乗せられるのではなく、大地の息吹を読み取り、感じ取らなくてはならないのです。
土砂災害や水害から逃れるたった一つの方法、それは勇気です。
危険があるかも、と思ったら、その物件に手を出さない勇気、
危険だと思ったら、そこから完全に離れる勇気です。
逃げ出してもいい、売り飛ばしてもいい、あなたはそこから遠く離れてください。すぐに。
2014年8月19日火曜日
<ニュースを読む>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論
今日はネット上でけっこう話題になっていたので、取り上げてみたいと思います。
<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140819-00000013-mai-soci
学校の先生に対する暴力などで、生徒を警察に突き出す=警察が介入する事案について是非を問うものですが、いろいろ意見が上がってますね。
基本的に事件の構図は簡単です。
①生活態度が悪かったり、授業妨害をする生徒に対して、先生が叱ろうとする。
②生徒が逆切れして殴りかかる。
みたいなパターン。
ちょっと大事なのは、タイトルにもあるとおり「中学生」がこの事件を起こしているという点です。
ふつうの人だと「中学生がかよ!やべえな!」という印象を持たれるでしょうが、ツボはそこではありません。
これが高校生だと、校長の裁量で「懲戒によって退学」させることができるのですが、中学生は義務教育なのでできないのです。
というわけで、学校内で処理する=実際に退学させるもしくは退学をちらつかせて封じ込める ことができないことになります。
なので、学校がお手上げだと、その他の力を使わなくてはなりません。それが警察力なのです。
==========
ここに至るまでには、教師が行使した「体罰問題」があり、体罰問題がマスコミなどの力もあって、かなり封じ込められたのでこんどは校内暴力がクローズアップされている部分もあります。
これは歴史的にはシーソーゲームなんですね。なんども繰り返されてます。
盗んだバイクで走り出す頃の校内暴力はすさまじくて、これもその昔社会問題になりました。
で、その対抗策的に「校則での締め付け」なんかもあったのですが、校門圧死事件で学校サイドの校則力も奪われてしまった経緯があります。
よく取りざたされている「体罰を禁止したからこうなった(校内暴力が増えた)」論は、まあひとまず置いときましょう。
「みんな!もうやめて!とにかく学校から暴力をなくすのよ!先生も生徒も手を振り上げるのをおしまいにして!」
みたいなサヨク系みんなで平和をキャンペーンを朝日新聞あたりがやれば面白いんだけど(笑)
==========
ここからは個人的な考えです。
①ふつーのおっさんおばさんが教師をやって務まらない社会は、厳しいぜ。
教育問題がどんどん難しくなって、「教育のプロじゃないと務まらない」風潮が広がってますね。教師にその資質を求める論調も多くなってます。
免許が更新制になり、教科のことだけじゃなく、生徒のメンタルヘルスまでコントロールできないと教師じゃないみたいなイメージが一人歩きしてます。
でもまあ、ふつうに考えたら無理だわ。
教育のワンマンオペレーションを要求するなら、それはもう「すき屋」レベルのブラック環境でしょう?
教科指導も、生活指導も、親が面倒見切れない生徒の相手も、部活もなんてムリだと思いますよ。
いくら専門の免許を持っていても、いくら高給取りでも、実態は不可能。
たとえば、ひとクラスに担任が3人いて、一人はメンタルヘルス専門担当、一人は生活指導担当、一人は部活担当とかだったらできるかもしれない。そういうレベルですよ。現実は。
昔の教師が成立していたのは、はっきり言えば「生徒の民度が高かった」からです。黙って言うこと聞いているべきだと誰もが自然に思っていたから。
これからの生徒の民度は低くなる一方です。それは家庭教育の民度が低いからに他なりません。
炎上覚悟の言い方をしたら。
②政策提言をするとしたら「学校公安官」を創設しようぜ。
10年くらい前に、私はこの政策提言で10万円貰いました。とある賞で。
内容は簡単。学校内の力の発揮機関として「すべての体育の教師を学校公安官として採用せよ」というもの。
そう、あの鉄道公安官と同じように、逮捕権と武器使用権をもつ教育公安官を養成しなさい、という提言です。
警察の介入が嫌なら、それ相応の権限をもたせればいい。学校サイドに。そして体育の先生と兼任させれば、給料も増えないし、規律も保たれるし、殴ってもいい(笑)←ここは笑うとこ。
冗談はさておき、身柄の拘束を法的にできるのはいいよね、と思います。
③マジでこの国をよくしようとするのなら「保育」の段階から見直せ。
中学高校で、こうした事件が起きる以前に「保育と幼稚園」の時点から、規律をまもる教育=コントロールをしておくべきだと思います。
家庭教育にその機能がなくても、幼児教育と初等教育の段階でそのプログラムを組み込まなくてはいけません。
のんびりお遊戯している暇はないかもしれませんね。言うことを聞かない幼児を、しつけるシステムを開発しなくてはならないのですから。
厳密には、保育園は教育機関ではありません。しかし、こども園を創設するどさくさに紛れて、
「確かな社会意識と国家観を養わせる」
ことも大事です(笑)←ここも笑うとこ。
保育園、幼稚園、小学校の段階でそれぞれの教職員が任務をほうり投げてるから、中高でえらいことになっている、という面は確かにあるかも。
==========
いずれにしても、学校のパノプティコン的運用は、もう限界なので、新しいシステムを開発しなくてはいけません。
1人の教師が40人を教える
とか
生徒が黙って授業を受けている
なんて前提は崩れているのです。
<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140819-00000013-mai-soci
学校の先生に対する暴力などで、生徒を警察に突き出す=警察が介入する事案について是非を問うものですが、いろいろ意見が上がってますね。
基本的に事件の構図は簡単です。
①生活態度が悪かったり、授業妨害をする生徒に対して、先生が叱ろうとする。
②生徒が逆切れして殴りかかる。
みたいなパターン。
ちょっと大事なのは、タイトルにもあるとおり「中学生」がこの事件を起こしているという点です。
ふつうの人だと「中学生がかよ!やべえな!」という印象を持たれるでしょうが、ツボはそこではありません。
これが高校生だと、校長の裁量で「懲戒によって退学」させることができるのですが、中学生は義務教育なのでできないのです。
というわけで、学校内で処理する=実際に退学させるもしくは退学をちらつかせて封じ込める ことができないことになります。
なので、学校がお手上げだと、その他の力を使わなくてはなりません。それが警察力なのです。
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ここに至るまでには、教師が行使した「体罰問題」があり、体罰問題がマスコミなどの力もあって、かなり封じ込められたのでこんどは校内暴力がクローズアップされている部分もあります。
これは歴史的にはシーソーゲームなんですね。なんども繰り返されてます。
盗んだバイクで走り出す頃の校内暴力はすさまじくて、これもその昔社会問題になりました。
で、その対抗策的に「校則での締め付け」なんかもあったのですが、校門圧死事件で学校サイドの校則力も奪われてしまった経緯があります。
よく取りざたされている「体罰を禁止したからこうなった(校内暴力が増えた)」論は、まあひとまず置いときましょう。
「みんな!もうやめて!とにかく学校から暴力をなくすのよ!先生も生徒も手を振り上げるのをおしまいにして!」
みたいなサヨク系みんなで平和をキャンペーンを朝日新聞あたりがやれば面白いんだけど(笑)
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ここからは個人的な考えです。
①ふつーのおっさんおばさんが教師をやって務まらない社会は、厳しいぜ。
教育問題がどんどん難しくなって、「教育のプロじゃないと務まらない」風潮が広がってますね。教師にその資質を求める論調も多くなってます。
免許が更新制になり、教科のことだけじゃなく、生徒のメンタルヘルスまでコントロールできないと教師じゃないみたいなイメージが一人歩きしてます。
でもまあ、ふつうに考えたら無理だわ。
教育のワンマンオペレーションを要求するなら、それはもう「すき屋」レベルのブラック環境でしょう?
教科指導も、生活指導も、親が面倒見切れない生徒の相手も、部活もなんてムリだと思いますよ。
いくら専門の免許を持っていても、いくら高給取りでも、実態は不可能。
たとえば、ひとクラスに担任が3人いて、一人はメンタルヘルス専門担当、一人は生活指導担当、一人は部活担当とかだったらできるかもしれない。そういうレベルですよ。現実は。
昔の教師が成立していたのは、はっきり言えば「生徒の民度が高かった」からです。黙って言うこと聞いているべきだと誰もが自然に思っていたから。
これからの生徒の民度は低くなる一方です。それは家庭教育の民度が低いからに他なりません。
炎上覚悟の言い方をしたら。
②政策提言をするとしたら「学校公安官」を創設しようぜ。
10年くらい前に、私はこの政策提言で10万円貰いました。とある賞で。
内容は簡単。学校内の力の発揮機関として「すべての体育の教師を学校公安官として採用せよ」というもの。
そう、あの鉄道公安官と同じように、逮捕権と武器使用権をもつ教育公安官を養成しなさい、という提言です。
警察の介入が嫌なら、それ相応の権限をもたせればいい。学校サイドに。そして体育の先生と兼任させれば、給料も増えないし、規律も保たれるし、殴ってもいい(笑)←ここは笑うとこ。
冗談はさておき、身柄の拘束を法的にできるのはいいよね、と思います。
③マジでこの国をよくしようとするのなら「保育」の段階から見直せ。
中学高校で、こうした事件が起きる以前に「保育と幼稚園」の時点から、規律をまもる教育=コントロールをしておくべきだと思います。
家庭教育にその機能がなくても、幼児教育と初等教育の段階でそのプログラムを組み込まなくてはいけません。
のんびりお遊戯している暇はないかもしれませんね。言うことを聞かない幼児を、しつけるシステムを開発しなくてはならないのですから。
厳密には、保育園は教育機関ではありません。しかし、こども園を創設するどさくさに紛れて、
「確かな社会意識と国家観を養わせる」
ことも大事です(笑)←ここも笑うとこ。
保育園、幼稚園、小学校の段階でそれぞれの教職員が任務をほうり投げてるから、中高でえらいことになっている、という面は確かにあるかも。
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いずれにしても、学校のパノプティコン的運用は、もう限界なので、新しいシステムを開発しなくてはいけません。
1人の教師が40人を教える
とか
生徒が黙って授業を受けている
なんて前提は崩れているのです。
2014年8月10日日曜日
家のことを真面目に考える 台風をなめるな
ようやく、関西地方は台風11号が去り、落ち着きを取り戻してきました。
とはいえ、豪雨による冠水や地すべりなど、各地に大きな被害を残した台風です。まだまだ予断を許さない状況です。
さて、今回我が家は完全に台風の通り道になっており、ここ数年では久しぶりに暴風をモロに受けました。
(幸い被害らしいものはありませんでした)
ちなみに我が家は築20年を過ぎていますが、ある意味ではバブリーなりし頃の贅沢な作りになっているので、多少良い面があります。
どういうことか?
昨今はローコスト住宅も増えていますので、ご自宅をお考えの方はよく読んでくださいね。
<1> 最近の新築は傘をかぶっていない。
ふだん、みなさんが傘を差す姿をイメージしてください。傘が広がっていて、中心にいるあなたはそのおかげで濡れません。
これを住宅で言えば「軒が出ている」とかそういう言い方をするのですが、一般的なおうちは、まるで傘のように屋根が家本体から飛び出していることになります。
この軒の出具合!なんと
◇ お寺だと約2メートルくらい外に出ている。
◇ 旧家だと約1メートルくらい外に出ている。
◇ バブル頃は70センチから80センチくらい外に出ている。
◇ 今の新築は0センチから45センチくらい外に出ている。
となっています。
建築関係にいる人間は、みな知っていることなんですが、上記のように家の傘が外に飛び出して雨風をしのいでいるので、建物が長持ちするわけです。
ところが、最近の新築は、「全く出ていない」家もあります。出ていても45センチくらいで、これは屋根面積を減らすことができるので、家の値段を下げることができる
一般人に気づかれにくい裏ワザ
なんですね。
じゃあ、傘がまったく出ていない家はどうなってるのかというと。防水がしっかりしてある、ということになります。
つまり、生身にスウェットスーツを着ている状態です。
防水してあるから、中に水は入らないという理屈です。
ところが新築のうちはいいですが、10年20年経つうちに、いろんな防水箇所がどうなるか、は素人でもわかりますね。
でも、それは秘密です。10年持てば、瑕疵担保責任はありませんので、業者は責務を逃れることができます。
<2> 最近の新築は二階に雨戸がない。
さて、今回の台風。強い風でいろんなものが飛んできたと思いますが、ここ数年で家を建てた方はどうなさいましたか?
実は、近年の新築、それもローコスト住宅は2階の雨戸を最初からつけないことで価格を下げています。
これは、ぱっと見ではわかりません。
防犯のことがあるので、1階の雨戸(もしくはシャッター)をつけていないのはよほどの最低ランク住宅でしょうが、2階は絶対気づきません。
入居して、台風がくるぞ!となってはじめて
「あ、うちの家二階には雨戸がついてないんや!」
と気づくことになります。
これがバブリーな時代の住宅だと、屋根の傘は広いし、二階にもしっかり雨戸がついているし、そこらへんは抜かりがないのです。
というわけで、昨今のローコスト新築にお住まいの方は、二階の窓に何か飛んできたらアウトです。
これもわざわざ売主、建て主は「あえて説明しません」
「地震に強い家ですよ!」
ということはPRしますが
「台風に強い家ですよ!」
なんて誰も言わないのです。
==========
というわけで、1000年に一度やってくる地震も重要ですが、毎年何回もやってくる台風にも、意識を持ってください。
台風をなめてはいけません!
とはいえ、豪雨による冠水や地すべりなど、各地に大きな被害を残した台風です。まだまだ予断を許さない状況です。
さて、今回我が家は完全に台風の通り道になっており、ここ数年では久しぶりに暴風をモロに受けました。
(幸い被害らしいものはありませんでした)
ちなみに我が家は築20年を過ぎていますが、ある意味ではバブリーなりし頃の贅沢な作りになっているので、多少良い面があります。
どういうことか?
昨今はローコスト住宅も増えていますので、ご自宅をお考えの方はよく読んでくださいね。
<1> 最近の新築は傘をかぶっていない。
ふだん、みなさんが傘を差す姿をイメージしてください。傘が広がっていて、中心にいるあなたはそのおかげで濡れません。
これを住宅で言えば「軒が出ている」とかそういう言い方をするのですが、一般的なおうちは、まるで傘のように屋根が家本体から飛び出していることになります。
この軒の出具合!なんと
◇ お寺だと約2メートルくらい外に出ている。
◇ 旧家だと約1メートルくらい外に出ている。
◇ バブル頃は70センチから80センチくらい外に出ている。
◇ 今の新築は0センチから45センチくらい外に出ている。
となっています。
建築関係にいる人間は、みな知っていることなんですが、上記のように家の傘が外に飛び出して雨風をしのいでいるので、建物が長持ちするわけです。
ところが、最近の新築は、「全く出ていない」家もあります。出ていても45センチくらいで、これは屋根面積を減らすことができるので、家の値段を下げることができる
一般人に気づかれにくい裏ワザ
なんですね。
じゃあ、傘がまったく出ていない家はどうなってるのかというと。防水がしっかりしてある、ということになります。
つまり、生身にスウェットスーツを着ている状態です。
防水してあるから、中に水は入らないという理屈です。
ところが新築のうちはいいですが、10年20年経つうちに、いろんな防水箇所がどうなるか、は素人でもわかりますね。
でも、それは秘密です。10年持てば、瑕疵担保責任はありませんので、業者は責務を逃れることができます。
<2> 最近の新築は二階に雨戸がない。
さて、今回の台風。強い風でいろんなものが飛んできたと思いますが、ここ数年で家を建てた方はどうなさいましたか?
実は、近年の新築、それもローコスト住宅は2階の雨戸を最初からつけないことで価格を下げています。
これは、ぱっと見ではわかりません。
防犯のことがあるので、1階の雨戸(もしくはシャッター)をつけていないのはよほどの最低ランク住宅でしょうが、2階は絶対気づきません。
入居して、台風がくるぞ!となってはじめて
「あ、うちの家二階には雨戸がついてないんや!」
と気づくことになります。
これがバブリーな時代の住宅だと、屋根の傘は広いし、二階にもしっかり雨戸がついているし、そこらへんは抜かりがないのです。
というわけで、昨今のローコスト新築にお住まいの方は、二階の窓に何か飛んできたらアウトです。
これもわざわざ売主、建て主は「あえて説明しません」
「地震に強い家ですよ!」
ということはPRしますが
「台風に強い家ですよ!」
なんて誰も言わないのです。
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というわけで、1000年に一度やってくる地震も重要ですが、毎年何回もやってくる台風にも、意識を持ってください。
台風をなめてはいけません!
2014年7月31日木曜日
【不動産ニュースを読む】 家賃崩壊 一万円からのワンルーム賃貸 不動産投資のための基礎ニュース
今回も不動産ネタでお届け。
yahoo!ニュースさんより
簡単に家賃を下げる人が続出?家賃崩壊の実態と背景 1万円台、あふれる空室、大家受難…
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140730-00010005-bjournal-bus_all&pos=2#!bqye0H
すごい時代になってきましたね、というのが最初の実感。
前回、不動産投資なんてやめとけ、という話を書いたところですが、まさに
なんじゃそりゃあああ!!!
な状態。
記事の前半部分は、簡単
1万円2万円の賃貸値引きは当たり前!
というお話です。
後半はさらに凄いです。
ワンルームの賃貸の値段、
1万円台2万円台は当たり前!
というお話なんです。次元が違う!
いいですか?記事によると
「札幌市194件、福岡市75件、広島市44件、名古屋市23件、東京都下3件。大阪市で、なんと24区計599件」が1万円台アパート賃貸物件があるというのです。
そして、なぜそうなったかは単純明快。
記事から引用しますが、
「『サラリーマン大家で大儲け』などという情報に踊らされて、いまだに賃貸経営に乗り出す人が後を絶たない。」
からに他なりません。
私の今日の記事を「不動産投資」のキーワードでひっかけて見に来たあなた。そうあなたのことを言っているのです。
これから不動産投資は、いよいよ
ババ抜き
の段階に突入します。誰が、「空き室という」ババを掴んでしまうのか。それがあなたではないことを祈っております。
yahoo!ニュースさんより
簡単に家賃を下げる人が続出?家賃崩壊の実態と背景 1万円台、あふれる空室、大家受難…
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140730-00010005-bjournal-bus_all&pos=2#!bqye0H
すごい時代になってきましたね、というのが最初の実感。
前回、不動産投資なんてやめとけ、という話を書いたところですが、まさに
なんじゃそりゃあああ!!!
な状態。
記事の前半部分は、簡単
1万円2万円の賃貸値引きは当たり前!
というお話です。
後半はさらに凄いです。
ワンルームの賃貸の値段、
1万円台2万円台は当たり前!
というお話なんです。次元が違う!
いいですか?記事によると
「札幌市194件、福岡市75件、広島市44件、名古屋市23件、東京都下3件。大阪市で、なんと24区計599件」が1万円台アパート賃貸物件があるというのです。
そして、なぜそうなったかは単純明快。
記事から引用しますが、
「『サラリーマン大家で大儲け』などという情報に踊らされて、いまだに賃貸経営に乗り出す人が後を絶たない。」
からに他なりません。
私の今日の記事を「不動産投資」のキーワードでひっかけて見に来たあなた。そうあなたのことを言っているのです。
これから不動産投資は、いよいよ
ババ抜き
の段階に突入します。誰が、「空き室という」ババを掴んでしまうのか。それがあなたではないことを祈っております。
2014年7月30日水曜日
【不動産ニュースを読む】 空き家率 過去最高の13.5% 不動産投資のための基礎ニュース
本来不動産ネタがテッパンだった私のブログですが、しばらく不動産から遠ざかっていたので、復帰します(笑)
yahoo!ニュースさんより
空き家率、過去最高の13.5%=山梨、長野が上位―総務省
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140729-00000134-jij-bus_all
まあ、そうでしょうな。
この数字ではピンとこないかもしれませんが、おなじ記事の別の数字を読むと、ビックリするかも。
住宅の全国総数6063万戸のうち820万戸が空き家
なんじゃそりゃあああああ!
820万ですよ。820万。
それだけの戸数が野ざらし雨ざらしになっているかと思うと、一軒タダでくれ!とおもわず思ってしまうほどです。
そんな冗談はさておき、ぶっちゃけ「タダでもいらん」のが不要な不動産です。
なぜなら「固定資産税がかかる」から。
上の記事にも書いてありますが、今建っている建物を壊してしまうと、固定資産税の軽減措置ができなくなるので、余計に
「空き家」
のままで放置してしまうのは、仕方ありません。
==========
いっそ逆説的ですが、「固定資産税」を無税にしたら、いろいろと面白いことが起きるんじゃないかと思います。
固定資産税がかからないということは、一度手に入れた土地は、そのまま塩漬けしても何しても「お金が出てゆかずに維持できる」ということです。
そうすると、日本人の性格上「あなたの土地は永遠にあなたのものですよ」と言われると、つい
土地を買って、土地で資産を持とうとしてしまう
ことが起こります。これは「墾田永年私財法」時代からの日本人の摂理です。
ということは、つまり「箪笥に残っている現金を吐き出して土地を買う」ということでもあります。
これは国民国家にとっては、経済が回ることを意味します。
多額の現金が塩漬けされている現代日本と、多数の土地が塩漬けされている日本のどちらがいいかと考えれば、
土地が塩漬けされているほうがマシ
という経済学者さんもたくさんいるのではないでしょうか。
==========
そんな話はさておき、リアルな問題として「不動産投資」をしようと思っている人にとっては、基本的に現状は笑えない状態です。
なんせ、土地は余っているわけですから、不動産を取得して、それを中心にお金を回そうと思っている人にとっては、完全に買い手市場ということになります。
土地をお金を出して貸してほしいと思っている人
がいてはじめて不動産オーナー業は成立するわけですから、何度も私が言っている通り、
不動産投資はやめておきなさい
ということが、またひとつ裏付けられてしまったわけですね。
私は、現在2軒の不動産を所有していますが、これらの不動産を所有するためではなく
使いつぶす
ために持っています。そのため、買った価格は、常に安価です。同じ金額で売れたらしめたもの。安くなってもいっこうにかまいません。
損益分岐点は明確です。
月5~8万ぐらいの賃貸アパマンを借りたより、支出が安いこと。それも10年スパンで。
これを達成するには1000万以上の土地建物は買うな、ということに尽きます。
8万×12か月×10年=960万ですからね。
ローンを使っても、12~15年ぐらいで元をとらないとダメです。35年なんて論外。
yahoo!ニュースさんより
空き家率、過去最高の13.5%=山梨、長野が上位―総務省
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140729-00000134-jij-bus_all
まあ、そうでしょうな。
この数字ではピンとこないかもしれませんが、おなじ記事の別の数字を読むと、ビックリするかも。
住宅の全国総数6063万戸のうち820万戸が空き家
なんじゃそりゃあああああ!
820万ですよ。820万。
それだけの戸数が野ざらし雨ざらしになっているかと思うと、一軒タダでくれ!とおもわず思ってしまうほどです。
そんな冗談はさておき、ぶっちゃけ「タダでもいらん」のが不要な不動産です。
なぜなら「固定資産税がかかる」から。
上の記事にも書いてありますが、今建っている建物を壊してしまうと、固定資産税の軽減措置ができなくなるので、余計に
「空き家」
のままで放置してしまうのは、仕方ありません。
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いっそ逆説的ですが、「固定資産税」を無税にしたら、いろいろと面白いことが起きるんじゃないかと思います。
固定資産税がかからないということは、一度手に入れた土地は、そのまま塩漬けしても何しても「お金が出てゆかずに維持できる」ということです。
そうすると、日本人の性格上「あなたの土地は永遠にあなたのものですよ」と言われると、つい
土地を買って、土地で資産を持とうとしてしまう
ことが起こります。これは「墾田永年私財法」時代からの日本人の摂理です。
ということは、つまり「箪笥に残っている現金を吐き出して土地を買う」ということでもあります。
これは国民国家にとっては、経済が回ることを意味します。
多額の現金が塩漬けされている現代日本と、多数の土地が塩漬けされている日本のどちらがいいかと考えれば、
土地が塩漬けされているほうがマシ
という経済学者さんもたくさんいるのではないでしょうか。
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そんな話はさておき、リアルな問題として「不動産投資」をしようと思っている人にとっては、基本的に現状は笑えない状態です。
なんせ、土地は余っているわけですから、不動産を取得して、それを中心にお金を回そうと思っている人にとっては、完全に買い手市場ということになります。
土地をお金を出して貸してほしいと思っている人
がいてはじめて不動産オーナー業は成立するわけですから、何度も私が言っている通り、
不動産投資はやめておきなさい
ということが、またひとつ裏付けられてしまったわけですね。
私は、現在2軒の不動産を所有していますが、これらの不動産を所有するためではなく
使いつぶす
ために持っています。そのため、買った価格は、常に安価です。同じ金額で売れたらしめたもの。安くなってもいっこうにかまいません。
損益分岐点は明確です。
月5~8万ぐらいの賃貸アパマンを借りたより、支出が安いこと。それも10年スパンで。
これを達成するには1000万以上の土地建物は買うな、ということに尽きます。
8万×12か月×10年=960万ですからね。
ローンを使っても、12~15年ぐらいで元をとらないとダメです。35年なんて論外。
2014年7月11日金曜日
人は何のために勉強するのか
現代ビジネスさんに
AO入試組はやっぱりアホだった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/452
という笑撃な記事がのっていて思わず笑ってしまいました。
年間5万人、有名大学を出ていても「就職試験に合格できない」とか「企業に入っても適応できない」とかボロカスに書かれているわけですが、そりゃそうでしょう。
選抜という壁を乗り越えていない人材
なわけですから。
誰がどう考えてもわかることです。学力試験を伴わず、面接と志望動機だけで大学に入ってしまうというAO入試は、元々は「学力一辺倒ではない多様な人材がほしい」という意気込みでスタートしましたが、結果論は
「学力が全くない、口先だけで実力が伴わない人材」
がそろってしまった、ということに他なりません。
記事の中では、こうなってしまった原因についていくつか挙げていますが、基本的には
「大学が質ではなく数を重視してたくさん入学させないと経営が維持できないため、全体として学生の質が下がった」
という点を挙げておられます。
実際には、これだけではありません。AO入試が流行しはじめたころは、日本中が「学力だけでなく個性を重視しよう」とか「机の上の勉強だけでなく、体験的な学びも深めよう」とかそういうことを盛んに言っていました。
そう、それが「ゆとり教育」というやつです。
ゆとり教育というのは、主に小中高という「初等・中等教育」の分野で言われており、大学は「高等教育機関なので、わしは関係ないもんね」というフリをしていたのですが、いやいや
大学は「ゆとり入試」をしていただけのことです。
==========
私が大学生の時に、すでに気付いていたことがあります。
(おまえはなんぼのもんやねんと言われたら、はいそうですね、たいしたことはないですと秒速で平謝りをするところですが。京大ではない京都の私大に行ってました)
おなじ大学1回生の同級生と話をしていて、どうも勉強の上で話がかみ合わないことに気付いたのは、入学してしばらくのことでした。
友人はみな、真面目で明るくいい子ばかりだったのですが、そう「基礎基本的な部分で、学力知識がちょっと小足りない」人が何人かいるのです。
よくよく後から調べてみると、彼や彼女たちは「指定校推薦」で入学してきた子ばかりでした。
私は一般入試組だったので、どちらかといえば学業にはとても意欲的に励んでいたのですが、彼・彼女らはとても穏やかで、にこやかで、なんだかとってもキラキラしているのにアホでした。
恐ろしいことに、大学4回生になってから、そのアホの恐怖がさらに彼・彼女たちに襲い掛かることになります。
Aくんという私の友人の男の子は、「大学院に行きたいんだ」と進路について私に悩みを打ち明けてくれました。
「でも、成績が全然ついていけないので、合格できるかどうかまったくわからない」
とも言ってくれました。
Bさんという女の子は、廻りの学生がみな公務員試験に次々に合格する中、一人だけ不合格で就職浪人すべく他大学で科目履修して別の資格を取るようになりました。
2年後、彼女は非正規のままとある公的施設に就職というか「臨時雇用」され、そこの上司と不倫することになりました。
(彼女は、結局最後まで合格しませんでした)
==========
そう、一般入試を経ない学生は、最後までアホだという傾向が、当時からあったのです。
AO入試なんて、高校時代の積み上げた成績すら問われませんので、基礎学力すらあやしいわけです。
さて、人はなんのために勉強するのか。
旧来言われていたように、「いい学校へいって、いい会社へ就職する」という価値観は既に失われてしまいました。
S○NYですらあやういわけで、「いい会社」がいつまでいい会社なのかもわからなくなりました。
大学院まで行くと飢える時代になりました。いい学校というラベルすら怪しいものです。
私は、実は学生時代から「作家になりたい」ということを夢見ていましたので、勉強に対する姿勢は他の人とはまったく違っていました。
知識を得たり、体験をすることはすべて「いつか書く作品のためのネタである」という考え方をしていたので、学んだことは全て脳みそにインプットして、じっくり熟成させるのが趣味だったのです。
今、それがとても役立っています。
私にとって、学生時代に学んだ知識と知恵は、すべて「生きることの糧」として身になっています。
そして、恐らく、この先何かトラブルや失敗があったとしても、かならず乗り越える自信のようなものがあります。
それらはすべて、これまで得た「勉強」に感謝するところです。
AO入試組はやっぱりアホだった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/452
という笑撃な記事がのっていて思わず笑ってしまいました。
年間5万人、有名大学を出ていても「就職試験に合格できない」とか「企業に入っても適応できない」とかボロカスに書かれているわけですが、そりゃそうでしょう。
選抜という壁を乗り越えていない人材
なわけですから。
誰がどう考えてもわかることです。学力試験を伴わず、面接と志望動機だけで大学に入ってしまうというAO入試は、元々は「学力一辺倒ではない多様な人材がほしい」という意気込みでスタートしましたが、結果論は
「学力が全くない、口先だけで実力が伴わない人材」
がそろってしまった、ということに他なりません。
記事の中では、こうなってしまった原因についていくつか挙げていますが、基本的には
「大学が質ではなく数を重視してたくさん入学させないと経営が維持できないため、全体として学生の質が下がった」
という点を挙げておられます。
実際には、これだけではありません。AO入試が流行しはじめたころは、日本中が「学力だけでなく個性を重視しよう」とか「机の上の勉強だけでなく、体験的な学びも深めよう」とかそういうことを盛んに言っていました。
そう、それが「ゆとり教育」というやつです。
ゆとり教育というのは、主に小中高という「初等・中等教育」の分野で言われており、大学は「高等教育機関なので、わしは関係ないもんね」というフリをしていたのですが、いやいや
大学は「ゆとり入試」をしていただけのことです。
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私が大学生の時に、すでに気付いていたことがあります。
(おまえはなんぼのもんやねんと言われたら、はいそうですね、たいしたことはないですと秒速で平謝りをするところですが。京大ではない京都の私大に行ってました)
おなじ大学1回生の同級生と話をしていて、どうも勉強の上で話がかみ合わないことに気付いたのは、入学してしばらくのことでした。
友人はみな、真面目で明るくいい子ばかりだったのですが、そう「基礎基本的な部分で、学力知識がちょっと小足りない」人が何人かいるのです。
よくよく後から調べてみると、彼や彼女たちは「指定校推薦」で入学してきた子ばかりでした。
私は一般入試組だったので、どちらかといえば学業にはとても意欲的に励んでいたのですが、彼・彼女らはとても穏やかで、にこやかで、なんだかとってもキラキラしているのにアホでした。
恐ろしいことに、大学4回生になってから、そのアホの恐怖がさらに彼・彼女たちに襲い掛かることになります。
Aくんという私の友人の男の子は、「大学院に行きたいんだ」と進路について私に悩みを打ち明けてくれました。
「でも、成績が全然ついていけないので、合格できるかどうかまったくわからない」
とも言ってくれました。
Bさんという女の子は、廻りの学生がみな公務員試験に次々に合格する中、一人だけ不合格で就職浪人すべく他大学で科目履修して別の資格を取るようになりました。
2年後、彼女は非正規のままとある公的施設に就職というか「臨時雇用」され、そこの上司と不倫することになりました。
(彼女は、結局最後まで合格しませんでした)
==========
そう、一般入試を経ない学生は、最後までアホだという傾向が、当時からあったのです。
AO入試なんて、高校時代の積み上げた成績すら問われませんので、基礎学力すらあやしいわけです。
さて、人はなんのために勉強するのか。
旧来言われていたように、「いい学校へいって、いい会社へ就職する」という価値観は既に失われてしまいました。
S○NYですらあやういわけで、「いい会社」がいつまでいい会社なのかもわからなくなりました。
大学院まで行くと飢える時代になりました。いい学校というラベルすら怪しいものです。
私は、実は学生時代から「作家になりたい」ということを夢見ていましたので、勉強に対する姿勢は他の人とはまったく違っていました。
知識を得たり、体験をすることはすべて「いつか書く作品のためのネタである」という考え方をしていたので、学んだことは全て脳みそにインプットして、じっくり熟成させるのが趣味だったのです。
今、それがとても役立っています。
私にとって、学生時代に学んだ知識と知恵は、すべて「生きることの糧」として身になっています。
そして、恐らく、この先何かトラブルや失敗があったとしても、かならず乗り越える自信のようなものがあります。
それらはすべて、これまで得た「勉強」に感謝するところです。
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