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2015年9月11日金曜日

【ヨシイエ的『超』経済理論 その3】下流老人にならないための投資の公式 〜誰もが間違っている投資の真実!〜

 誰も知らない知られちゃいけない〜♪

 それでいてこの世界の真理を突くような公式や定義を連発しまくっているヨシイエ的超経済理論のコーナーですが、今回は、投資詐欺に引っかからないための究極の公式をお伝えしようと思います。


 これも、よくよく考えれば当たり前のことですが、ほとんど多くの人が誤った認識や誤解をしたまま資産を運用していることが起きており、ここらで再確認が必要かもしれません。


 世間では”下流老人”が流行語大賞を獲りそうな勢いですが、そんなものが溢れかえった日にゃ、ダメよ〜だめだめ、です(もう古いわ!)


 さて、そんな下流老人にならないために、これまた世間では「投資や運用で老後の資産を」とか「年金だけでは足りないぞ」とか、「退職金があっても、すぐ無くなっちゃうぞ」なんて脅し文句が並べたてられていますが、超経済学者のヨシイエ的には、そんな流言飛語に右往左往させられないために、以下の公式をちゃんと覚えておこうね!と心から思っています。



 年金だけでは足りず、退職金も食いつぶす一方だというのなら、果たして我々はどのように生きていけばいいのでしょうか?


 その一つの答えが、ある程度若いときから「バランスのよい投資を考えろ」なんて一般的には言われていますが、ヨシイエ先生が言うには、


「それもまた、カモにされるだけの妄言である」


と一刀両断です。


 投資がなんぼのもんじゃい!!!


 そんなもんに騙されるな庶貧民よ!


==========

 それではここで、楽しい老後を送るために、一般的に人はどんな風に投資や投資的詐欺に騙されるのかについて、確認しておくことにしましょう。


 まず、ここに「老後の生活な心配なAさん」がいるとします。

 Aさんは、年金や退職金だけでは老後の生活が金ケツになるらしい、と聞いて、それなら「今手持ちの資産を継続的に増やしたい」と考えるわけです。

 そこで、証券でも不動産でもなんでもいいのですが、「手持ちのお金を預けるなりなんなりして、そこから毎月決まった額の配当が欲しいなあ」と漠然と考えるのです。


・・・ここまでは問題なさそうですよね?一応は、彼の言うことはもっともらしく聞こえます。


 で、いろんな方法がありますが、株の配当とか証券の配当とか不動産の家賃収入とか、そういうものに手を出して、毎月ある程度決まった額のお金を手にして満足するわけです。


・・・何の問題もないじゃん。いいじゃん。


とお思いでしょうが、ここに大きな落とし穴があります。


 どんな投資の方法でもよろしいが、「成立・成功する投資」と「失敗・騙されている投資」の本質的な違いは、実はたった一ヶ所・1ポイント・一点の差しかありません。


 そこが、ズバリ公式の本質です。



<下流老人にならないための勝利の公式1>


 投資は、常に投資した原資があなたの自由になるかどうかだけに気をつけろ!


 わかりますか?

 もう少し具体的に話をしましょうね。


 老後の配当なり利子を期待して、1千万円という資産を投資にぶちこんだとします。

 その1千万円は、あなたの自由になるものでしょうか?それとも、投資してしまったことにより、あなたの自由にならないモノと化したでしょうか?


 たとえば、不動産に1千万円をぶちこんだとします。そこから家賃収入なりなんなりの配当を毎月5万円受け取ったとしても、1千万円の物件を即時に現金化できないのだとすれば、あなたは


5万円だけを握り締めた文無し野郎


だということに気づくでしょうか?

 仮に1千万円の物件が半年後に売れたとしましょう。すると、あなたは月5万で6か月生き延びねばならないという罰ゲームにさらされることになるわけで、はたまたその物件が800万円でしか売れなかったら、


200万損して、あまつさえ月5万円で生活する生活保護以下の人(半年間)


ということになるわけです。


 まあ、上のような話は極論かもしれませんが、投資した資本が、あなたのアンダーコントロールド(管理下)にないということは、その資本はこの瞬間にはまったく役に立たないし、この瞬間にはないのと同じだ、ということを忘れてはいけません。


 不動産の場合、1千万円で投資した物件が1千万円で売れるかどうかは、最後の最後蓋をあけて見るまではわかりません。

 なので、あなたは1千万円の原本を投資したと思い込んでいても、それがいくらになるかは売れてみてはじめて結論が出るという恐ろしい博打であることも知っておく必要があります。


 そういう意味でも、不動産をあなたの管理下に置くことは、たいへんに難しいのです。


 このパターンに陥ると、騙されたというほどではないにしろ、不動産投資は失敗だと言わざるを得ないでしょう。





 これが株式であれば、一応毎日どこかで誰かが取引していますので、まだ換金性と言う意味では良好です。

 もちろん、株価は上下しますので、博打要素も存在しますが、毎朝新聞を見て管理できるだけマシかもしれませんね。



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 さて、投資で詐欺にひっかかる人の大半は、どういう理屈で騙されるかわかりますでしょうか?

 実は投資関係詐欺のパターンというのはたった一つしかありません。


 そう!たった一つしか、投資詐欺の理屈は存在しないのです!


 その公式は、とても簡単です。



<投資系詐欺の必勝公式>

 預かった原資から、配当を払え!詐欺師の儲けも、原資から抜け!



・・・先ほど、第一の公式を説明しましたが、実はこれは一つ目の公式を詐欺師側から見ただけのことになります。


 理屈はわかりますね?


 誰かが投資した原資を、その人の管理下から奪うことに成功すれば、後は投資詐欺を見抜けにくくすることはとても簡単です。


 預かった原資から、その老人に配当をくれてやればいいだけです。もともとあんたのものなんだから痛くもかゆくもありません。


 そして、詐欺師の儲けもそこから頂戴すればよろしい。


 なおかつ、一言付け加えておけば、もう投資詐欺は完璧です。


「元本保証です!」


と。


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 第三の公式も覚えておきましょう。配当とか利子という言葉に弱い人は、肝に銘じておくように


<この世界に存在する、配当と利子の鉄則の公式>


 いいかおまえら。元本保証を名乗っていいのは、この世でたったひとつ、普通預金だけだ!!!



・・・当たり前ですが、みんな忘れがちです。原資がつねに預けた人の管理下にあり、即時換金可能で、かつ配当と利子がつき、おまけに元本を下回らないことを保証している唯一の金融商品は、普通預金以外にはありません。


 おまけになんと、1000万円までの倒産保証までついているという、最強の金融商品だというのですからすばらしい。


 それ以外のすべての商品は、リスクがあります。たとえば、定期預金は元本割れのリスクはありませんが、一定期間あなたの管理下から離れ、かつ即時換金ができなくなるというリスクがあります。

 これは回転資金という意味では、たいへんに重要なポイントです。



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 こうして見てきたように、下流老人にならないために、人は「配当の方に目がいきがち」なのですが、実は超経済理論的にもっとも肝心なのは、「原資があなたの管理下にあり、かつ自由であること」であると言えるわけです。



 しかし、それでは消費生活の中で原資が減ってゆく一方なので、最終的には枯渇してしまいますね。


 では、ヨシイエという男は、どうやってそれを乗り越えようというのでしょうか?


 そうです。あるんです!私が実は実践している


「原資が一切減少せず、かつ配当がかならずもらえ、それが普通預金の金利よりも大きい」


という魔法のような経済理論があるというのです。


 その具体的な中身は、次回以降に一節立てて説明しようと思います。






















2015年3月11日水曜日

<話題>空き家になった実家は、資産か負債か

 最近は実国学についてのネタが多いヨシイエですが、気になるニュースがあったのでお伝えしようと思います。


 BusinessMedia誠さんより

 マネーの達人 空き家になった実家---それは資産?負債?
 http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1503/11/news014.html


 岩宗繁樹さんという方の記事ですが、誰も住まなくなった田舎の実家をどうするか、というお話でした。

 まあ、ふつうに考えれば、こどもたち兄弟姉妹のうち誰かが相続するなりして、思い出のある実家を残しておこうとするのが普通ではあるのだけれど、


「固定資産税を払い続けねばならない」とか

「特定空き家に指定されると固定資産税が6倍になる」とか

「賃貸で貸そうとしても誰も借り手がない」とか

「解体するのに、百万単位での費用がかかる」とか


そうした諸問題で、これは資産ではなくて負債ではないのか?!と気付かされた、という内容でした。



 中身についてはまったくもっておっしゃる通りで、ワタシも旧ブログでそのへんの話を問題提起したことがあります。

 
もう一度訊く!「どうしてマンションが資産になるのかわからん」
 http://blogs.yahoo.co.jp/nensyu_300/11706711.html



 なので、いわゆる不動産が、最終的には資産ではなく負債化してしまうのが現実であり、現代の事実なのですが、しかし、だからといって


「相続放棄してしまう」


というのがいいのか、と言えば、ちょっと悩みますね。


 極論を言います。


 たとえば、都心の老マンションでも、田舎の土地でもいいです。それらが最終的に負債化してしまうので、売りたいと誰もが思います。

 そこへ突然、「そのマンションや実家を買いますよ」という人が現れます。それもなかなかの好条件の値段で買ってくれるので、よろこんで販売したところ、後で調べてみると、


「アジアの某国の人たちが、後からどんどん登記をして、その地域や不動産が片っ端からアジアの某国の人たちのものになっていく」

あるいは、

「実際に、そのアジアの人たちは、一族を引き連れて移住してきて、コミュニティを作りはじめる」


ということが起こるかもしれません。


==========

 日本というもののありようを考える時に、土地や不動産を「金銭に変換する」という考え方で終始するならば、その土地は売れたらOKです。

 しかし、それをつきつめてゆくと、たしかに金銭的には潤いますが、何かおかしいところが残るような気がしませんか?


 国防上の問題でもそうだし、国家観の上でもそうだし、何より日本人が日本で暮らすということが脅かされたり否定されたりすることに、わたしは


 ハテナ??


を感じずにはいられないのです。



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 これだけ世界がグローバルになってくると、通貨や金銭的な価値観だけでいえば、


「預金は外貨にしたり、世界的に安全で利回りのよい国で運用すればいい」とか

「会社はタックスヘイブンの国に本社をおいて、こどもも米国籍を取らせたい」とか

「資産を海外に分散しておき、有事の際は安全な海外で暮らす」とか


より、資産が増えたり効率がよかったり、あるいは安全な生き方を選択できるようになるのだと思います。お金持ちは。


 しかし、そこで抜け落ちているのはやはり「国家観・国民観・民族観」などのアイデンティティであって、

「日本の日本にいる日本人であるアナタワタシ」

という観点も必要なのではないかと思うわけです。


 たとえば、また極論ですが、金融資産のことだけ考えるのなら、日本を買ってくれるところがあれば、まるごと売ってしまえばいいわけです。

 もし、某国が「日本国債の借金を全部肩代わりしますよ」といえば、政府はどうするでしょうか?


 ・・・・・・そうした問題の答えが、やっぱり


「お金の問題ではなく、日本人の日本人による日本の問題があるのだ」


という点として浮かび上がってくるのではないでしょうか。


 極論ではなく、現実に起こりそうな例で言えば「移民の問題」などもあります。日本の人口減を移民受け入れで解決しようという考えもあるようですが、それはお金に言い換えれば

「日本の負債を外国の投資受け入れで解決しよう=日本を売ってしまおう」

というさっきの極論とかなり構造的に似ていることに気付くことでしょう。


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 私が「実国学」というアプローチでものごとを考え始めたのはそのあたりからはじまっていて、簡単に言えば


「日本人が金銭的アプローチでしか物事を考えられないくらいに、思想理念の面で迷っているのであれば、もう一度日本のありようを根底から考え直そう」

と思っているから、それをカタチにまとめようとしているわけです。


 アメリカは国家としての伝統歴史基盤よりも、他民族の集合体としての形が強い国家です。そこでは金銭的価値観が客観的尺度としては有意義だったでしょうが、それが他の国でも通用するとは思いません。

 中東には中東の、アジアにはアジアの、ヨーロッパにはヨーロッパの歴史観と国家観があり、そこからよりよい国を目指しているわけです。


 実国学、という考え方は、実際には「現代国学」と言ってもいい、日本の国家観を基盤にした、日本の現代と未来のありようの提言そのものです。


 たとえば、実国学では、金銭的には負債である「実家の土地」を、まったく別の観点から捉えます。

 それが、先日の記事でも書いている「墾田永年私財法」に関することなのですが、


「あなたの実家の土地は、その昔朝廷から【あなたに私有することを許可する】というお墨付きをいただいた土地なのです。そこをめぐって、時には荘園領主が、時には戦国大名が、命をかけて奪い合い、自分のものとして認められ、また他者の土地との相違を認めてきたものなのに、お金がかかるからという理由で放棄するのですか?」


という視点でみることにするわけです。


 国家のありようの話で言えば、地方・田舎の土地が、負債になるほど価値がないものにしてしまっている現在の我々の生き方、社会のあり方のほうが、間違っていると問い直すべきなのです。

 真の意味での地方創生とは、そうした金銭的に不良債権化している土地(田舎という存在)に、ふたたびさまざまな価値を与えなおす、価値を生みなおさせることなのではないでしょうか?


 この考え方が、実国学の基本理念にあるというわけです。






 














2015年3月2日月曜日

<実国学を考える 5> 格差はすでに再配分されていた!実は平等な国家「日本」

 トマ・ピケティブームの昨今ですが、彼の説によれば



「親の代からの資産を持つものは、その資産によってお金が増えてゆくので有利」



ということでした。


 また、



「資産によって得られる利益・利子は、頑張って働いて伸びた給与や稼ぎの資産より多い」



ということがわかったため、



「公平な世界を作るには、格差を縮小するために、資産の多いものから税金をとらねばならない」



という結論に至るようです。



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 ところが、特に日本においては、ピケティ説が一概に正しいとはいえない=当てはまらないのではないか、ということが議論されるようになりました。

 世界の傾向がそっくりそのまま、日本のこれからにピッタリ合うかどうかはわからない、ということです。


 さてこの理由、いったいなんで日本は世界と事情が異なるのか、という点ですが、歴史を紐解いてみると面白いことが浮かびあがってきます。


 簡単に結論から言えば、


「日本の場合、すでに格差は再配分されている」


ということがざっくりとした事実だったりするのです。まあ驚き。 

 

 もしかすると、戦後高度成長期に「一億総中流社会」なんてことが実現できたのも、「格差は既に再配分されていた」からかもしれないし、これからの時代においても、「ピケティ理論は、ちょっと日本では修正が必要」かもしれないわけです。


 というわけで、今日は実国学の視点から



「再配分終了後の社会、ニッポン」



について考えてみたいと思います。


 前回までは、日本という国の概念をざっくりと「国学」の歴史と共に説明してきましたが、ここからはいきなり実践編に入ります。

 日本の国の伝統的あり方を頭の片隅に置きながら、現代の諸相を読み解いたり改革していこうという試み、それが「実国学」なのです!


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 さて、ピケティのいうところの資産が経済発展よりも利益を生む、というデータを収集した期間というのは、ざっくり200年くらいだとされています。

 つまり、

19世紀初頭から20世紀はじめにかけての時代

1900年代前期から1970年ごろまでの2度の戦争の時代

それから戦後の高度成長の時代

です。


 この3つの時代は、以下のような特徴があります。


 最初の時代は、9割以上もの資産が親子間で受け継がれ、持つものと持たないものの格差が非常に広がっていた。


 次の時代は、不況と戦費調達のため、富裕層の富が大きく失われた期間であり、格差が縮小した。


 最後の戦後時代は、富裕層がまた富みはじめ、中間層が消えて二極分化している。



 特に、最後の時代は格差拡大の傾向であるため、このまま格差はいっそう広がるよ、という警告の書となっているわけですね。



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 このピケティが分析した200年間を再検討すると、日本においてはこの時点ですでに多少のズレがあることがわかります。


 たとえば、日本では、特権階級だった武士が「秩禄処分」により資産を失ったのは明治維新のせいです。

 明治維新は1868年ですから、ざっくり150年前。150年前には、日本人は一度


「資産の再配分」


を経験していることになるわけです。


 それから、戦後のGHQの介入で「農地改革」が行われたのは、1947年(S22年)です。

 この時点で、土地持ち農家は解体させられており、小作人に土地が再分配されています。


 また、この前年「預金封鎖」「新円切り替え」「財産税」という方法で、富裕層から現金を奪っていますので、金融資産面でも、不動産資産面でも、実質的な再配分が実行されていることがわかるわけです。


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 ここまでの話で、日本の場合は、明治維新から太平洋戦争までの歴史の中で、ピケティ標準モデルよりも


「早い時期から格差の再配分がはじまっており、かつ、戦争に負けたために強制的に再配分は敢行されている」


ことがわかるはずです。


 そのため、その後やってくる「高度成長」時代において、「国民全体のスタートラインが、その時点であまり差がなかった」ことにつながり、


一億総中流


時代への基礎となっていることがわかるのです。





 実国学では、「日本の土地の在り方、ありよう」にかなり着目してものごとを考えますので、もっと深いことを言えば、


「室町時代末期の下克上風潮」


から戦国時代突入により、朝廷・幕府由来の資本格差は再配分されているし、その後天下統一と江戸幕府の隆盛によって、一旦富は固定化したかに見えたものの、その実態においては


「特権階級である武士が、領地を持ちながら実は実行支配せずに、土地を実行支配していたのは帰農した元武士領主である『庄屋・土地持ち百姓』層であるという二重構造」


があったため、権力の格差と資本の格差が連動しにくかった、面に着目しています。


(江戸時代の武士は、土地を所有しておらず、徴収権・徴税権だけを持っていた)



 そういう面では、日本という国は、実は資産に関してはかなり何度も「再配分」「どんぶり返し」が行われていた、と見ることもできるわけです。



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 さて、翻ってピケティ的に言うところの1970年代以降の、いわゆる「再び格差の時代」についてはどうでしょうか。


 たしかに、正規社員と非正規社員の問題であったり、地方と都市の差であったり、様々な面で「格差」が取りざたされるようになっている感じがします。


 しかし、一方でシャープ・松下・ソニーといった70~80年代型巨大企業にも再編の波が押し寄せ、旧財閥系企業も合併を繰り返してなんとか家名を保っている状況を見れば、格差の単なる拡大だけを叫ぶのは難しいかもしれません。


 また、ユニクロなどに代表される、新興資産勢力も現れているわけで、意外と「回転率が上がっている」のかもしれません。



 その根源的理由は、実ははっきりしていて、現代日本においては、「封建的土地制度としての資本・資産が機能していない」ことが挙げられると思います。



 本来、広大な土地資産を持つものは、大きな金融資産をもつこととニアリーイコールでしたが、現代日本では、北海道に広大な土地を持つよりも、都心に小さな土地を持つことのほうが価値が高くなっています。


 そうした、土地をめぐるアンビバレントな状況が、「資産と資本の継承」を再配分させている面はあるでしょう。


 200年前であれば、田舎に広大な土地を持つものは、絶大な資本を次世代へ継承できたでしょうが、現代日本では、都心に小さな土地を持つものですら、相続税に苦しんで土地すら失うという状況です。

 田舎の大土地は、売れない不良債権に成り下がっており、売れても二束三文です。


 一方、都心のマンションにいくらでもお金を払う人がいますが、マンションの躯体がだめになる60年後にはそれらは資産から負債へと変化します。


 つまり、現代の日本には「継承されるべき堅実な資産などない」という面白い状況が起きているのです。


 160万人とも言われるニートを親が一方的支払いで食べさせていたり、夫婦でお金を稼いでいるリッチな人たちは子どもが1人いるかいないかだったり、とにかく


「資産継承面でも、この国は問題だらけ」


だということも忘れてはいけません。