2015年3月11日水曜日

<話題>空き家になった実家は、資産か負債か

 最近は実国学についてのネタが多いヨシイエですが、気になるニュースがあったのでお伝えしようと思います。


 BusinessMedia誠さんより

 マネーの達人 空き家になった実家---それは資産?負債?
 http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1503/11/news014.html


 岩宗繁樹さんという方の記事ですが、誰も住まなくなった田舎の実家をどうするか、というお話でした。

 まあ、ふつうに考えれば、こどもたち兄弟姉妹のうち誰かが相続するなりして、思い出のある実家を残しておこうとするのが普通ではあるのだけれど、


「固定資産税を払い続けねばならない」とか

「特定空き家に指定されると固定資産税が6倍になる」とか

「賃貸で貸そうとしても誰も借り手がない」とか

「解体するのに、百万単位での費用がかかる」とか


そうした諸問題で、これは資産ではなくて負債ではないのか?!と気付かされた、という内容でした。



 中身についてはまったくもっておっしゃる通りで、ワタシも旧ブログでそのへんの話を問題提起したことがあります。

 
もう一度訊く!「どうしてマンションが資産になるのかわからん」
 http://blogs.yahoo.co.jp/nensyu_300/11706711.html



 なので、いわゆる不動産が、最終的には資産ではなく負債化してしまうのが現実であり、現代の事実なのですが、しかし、だからといって


「相続放棄してしまう」


というのがいいのか、と言えば、ちょっと悩みますね。


 極論を言います。


 たとえば、都心の老マンションでも、田舎の土地でもいいです。それらが最終的に負債化してしまうので、売りたいと誰もが思います。

 そこへ突然、「そのマンションや実家を買いますよ」という人が現れます。それもなかなかの好条件の値段で買ってくれるので、よろこんで販売したところ、後で調べてみると、


「アジアの某国の人たちが、後からどんどん登記をして、その地域や不動産が片っ端からアジアの某国の人たちのものになっていく」

あるいは、

「実際に、そのアジアの人たちは、一族を引き連れて移住してきて、コミュニティを作りはじめる」


ということが起こるかもしれません。


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 日本というもののありようを考える時に、土地や不動産を「金銭に変換する」という考え方で終始するならば、その土地は売れたらOKです。

 しかし、それをつきつめてゆくと、たしかに金銭的には潤いますが、何かおかしいところが残るような気がしませんか?


 国防上の問題でもそうだし、国家観の上でもそうだし、何より日本人が日本で暮らすということが脅かされたり否定されたりすることに、わたしは


 ハテナ??


を感じずにはいられないのです。



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 これだけ世界がグローバルになってくると、通貨や金銭的な価値観だけでいえば、


「預金は外貨にしたり、世界的に安全で利回りのよい国で運用すればいい」とか

「会社はタックスヘイブンの国に本社をおいて、こどもも米国籍を取らせたい」とか

「資産を海外に分散しておき、有事の際は安全な海外で暮らす」とか


より、資産が増えたり効率がよかったり、あるいは安全な生き方を選択できるようになるのだと思います。お金持ちは。


 しかし、そこで抜け落ちているのはやはり「国家観・国民観・民族観」などのアイデンティティであって、

「日本の日本にいる日本人であるアナタワタシ」

という観点も必要なのではないかと思うわけです。


 たとえば、また極論ですが、金融資産のことだけ考えるのなら、日本を買ってくれるところがあれば、まるごと売ってしまえばいいわけです。

 もし、某国が「日本国債の借金を全部肩代わりしますよ」といえば、政府はどうするでしょうか?


 ・・・・・・そうした問題の答えが、やっぱり


「お金の問題ではなく、日本人の日本人による日本の問題があるのだ」


という点として浮かび上がってくるのではないでしょうか。


 極論ではなく、現実に起こりそうな例で言えば「移民の問題」などもあります。日本の人口減を移民受け入れで解決しようという考えもあるようですが、それはお金に言い換えれば

「日本の負債を外国の投資受け入れで解決しよう=日本を売ってしまおう」

というさっきの極論とかなり構造的に似ていることに気付くことでしょう。


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 私が「実国学」というアプローチでものごとを考え始めたのはそのあたりからはじまっていて、簡単に言えば


「日本人が金銭的アプローチでしか物事を考えられないくらいに、思想理念の面で迷っているのであれば、もう一度日本のありようを根底から考え直そう」

と思っているから、それをカタチにまとめようとしているわけです。


 アメリカは国家としての伝統歴史基盤よりも、他民族の集合体としての形が強い国家です。そこでは金銭的価値観が客観的尺度としては有意義だったでしょうが、それが他の国でも通用するとは思いません。

 中東には中東の、アジアにはアジアの、ヨーロッパにはヨーロッパの歴史観と国家観があり、そこからよりよい国を目指しているわけです。


 実国学、という考え方は、実際には「現代国学」と言ってもいい、日本の国家観を基盤にした、日本の現代と未来のありようの提言そのものです。


 たとえば、実国学では、金銭的には負債である「実家の土地」を、まったく別の観点から捉えます。

 それが、先日の記事でも書いている「墾田永年私財法」に関することなのですが、


「あなたの実家の土地は、その昔朝廷から【あなたに私有することを許可する】というお墨付きをいただいた土地なのです。そこをめぐって、時には荘園領主が、時には戦国大名が、命をかけて奪い合い、自分のものとして認められ、また他者の土地との相違を認めてきたものなのに、お金がかかるからという理由で放棄するのですか?」


という視点でみることにするわけです。


 国家のありようの話で言えば、地方・田舎の土地が、負債になるほど価値がないものにしてしまっている現在の我々の生き方、社会のあり方のほうが、間違っていると問い直すべきなのです。

 真の意味での地方創生とは、そうした金銭的に不良債権化している土地(田舎という存在)に、ふたたびさまざまな価値を与えなおす、価値を生みなおさせることなのではないでしょうか?


 この考え方が、実国学の基本理念にあるというわけです。






 














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