まあ、昨日あたりから三原じゅん子さんの発言で
八紘一宇(はっこういちう)
という言葉が、かなり注目を集めています。
お年を召した方にはご存知の通り、この言葉は戦中に「日本が大陸へ出て行くときのスローガン」としてよく使われました。
ぶっちゃけ、日本軍の戦時遂行体制を押しすすめる言葉として使われたので、「侵略戦争」をしたことの大義名分にもなり、
それを今使う三原じゅん子の国会議員としての見識はどうやねん!
ということで紛糾しているわけです。
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というわけで、せっかく最近「実国学」というスタンスでいろいろ試論を主張しているヨシイエとしては、
あえて、この波に乗って考えてみよう(笑)
と思います。
さて、「八紘一宇」という言葉は、本来は「四方八方ひとつの家」という意味です。
これを、解釈するときに、いろんな齟齬が生まれるわけですが、たとえば
「世界はひとつ、人類みな兄弟」
と理解することももちろんできます。世界はひとつで、四方八方みなひとつの家族だ、というわけですね。
なので、ここだけを取り上げると、「なんだ、いいこと言ってるじゃん」となりそうなもんなのですが、ここからがじっくり解釈の違いを理解しましょう。
戦時中の日本は、この「八紘一宇」というスローガンのもと、
「世界、まずは近いアジアをひとつにしよう。そのために日本は自ら先陣を切って走るのだ」
と考えます。というわけで、まずは「大東亜共栄圏」というものを設定し、アジアはひとつで、みんなで栄えようぜ!ということを実現しようとします。
そのためには、未開で遅れている発展途上国について、当時欧米にも対抗できるくらいの力をつけつつあった日本が、リーダーにならねば!と考えます。
そもそも、経済力・軍事力・国力で当時の欧米列強と肩を並べる国は日本しかいなかったので、当然
「アジアの中心人物は、日本であるべきだ」
という考え方になります。まあ、この辺は心情としてはわかります。
この具体例として、「日韓併合」で、朝鮮半島をもう日本にしちゃったり、台湾を日本にしちゃったりします。
ついでに中国の一部に「満州国」を作り、「五族協和」の国を作りたかったりします。
このあたりの日本の考え方は、とても単純明快です。
「だってさ、この間のアヘン戦争みたいに、欧米の言いなりだと好き放題されて、蹂躙されるわけじゃん!こんなんじゃ、ダメだからみんなで立ち上がって、欧米に対抗できる勢力になろうよ!まずは、うちが先頭を切ってアジアの力を結束させようと思うんだ!」
というのが、当時の日本の公式見解です。
・・・さて、ここで断っておきますが、わたしゃ別に戦前の日本の味方でもなんでもなく、けっこう冷静かつ客観的にこの話を書いてます。
まあ、当時としては、こんなもんです。
侵略することは、アジアの為に善であると考えていた人間がいても、全然おかしくありません。
しかし、このお話を2015年現在に置き換えると面白いことが起こり始めるのです。
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2015年現在、まーったく同じ事を考えている国があります。
「その通り、欧米に対抗できる勢力にならねば!アジアは力を持たなくてはいけない。いやまじで、アジアがまるでひとつとなって、これから発展していかねばならんのだ!」
ということを言っている国があります。
「だから周辺国を主導し、アジア中、アフリカ中の土地や企業を買い付け・投資し、周辺の発展途上の某北K国とか、南K国とか、あるいは落ち目のN国もグループに取り込みながら、わたしの国が真ん中となって頑張らねばならないのだ!」
と思っています。まさに、某国バージョンの「八紘一宇」です。
ちなみに、それは「中華思想」といいます。(アジアの真ん中の華となるべき国である、ということですね)
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ちなみに、世界規模でこれまたおんなじことを考えている国があります。
「やあ!僕は世界の警察だからね!正義のためには、うちがリーダーとなって、世界平和を推し進めないとだめなんだ!おーっと、そこの君。危ないから核を触っちゃだめだ。大人しか扱っちゃだめなんだからこっちへ預けなさい。おーっと、あっちのボク、そんな大量破壊兵器をもっちゃだめだよ、大人にちゃんと管理してもらわなきゃ!」
というアメリカです。
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こうして考えると、人類みな兄弟は別に本質的には悪くないんだけれど、じゃあ、どうやってそれを実現するか、という点で、
「誰もが支配権を握りたがる」
という問題が起きていることがわかります。
あの、究極の平等を謳う「共産主義」ですら、
「真の平等を実現するには、きちんと理解し行動できる賢い者が指導しなくてはいけない。なので、共産主義をひっぱってゆく層が必要なのであり、エヘン。それは共産党指導部なのであーる」
と言っているのですから、どんな理念があっても人間というものがやらかすことは一緒なのです。
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世界がほんとうに一つになったとしたら、グローバル社会の中で、日本人がもらえる給料はまだまださらに下がります。
仕事はさらに安い途上国へ行くかもしれません。それが中国ではなく、ベトナムやタイになるだけです。
もっともっと、時代が経てば、世界の工場は「アフリカにある」ということも起こるでしょう。
実は、グローバル資本主義というのは、アフリカ・アジア・南アメリカなどの隅々まで経済発展が行き渡るまでは機能し、そこですべてがストップする、というしくみになっています。
現在の経済界トップの人たちは、自分が死ぬまでにその時が訪れないことを知っていますので、まだまだもうしばらくは、この資本主義を掲げていけると踏んでいます。
残念なことですが、すべての経済活動が、すべての国家に行き渡ってしまった社会がどうなるか、誰にもわかっていません。
一部の人たちは、「豊かさがすべての国家に行き渡り、経済発展がすべての国家に行き渡る」と想像しています。
これは一見いいことのように見えますが、先進国の冨を途上国に再分配するわけですから、「今の日本人は、みな生活レベルがはるかに落ち、今の途上国民の生活がアップして、均衡が取れる」というだけです。
つまり、現在生きているすべての日本人より、未来の日本人は貧しくなるということに相違ありません。
逆に、「先進国の一部の人間が冨を独占し、ごく少数の豊かな人間と、その他の貧しい人たちが99%になる」という想像をする人もいます。
この場合でも、日本人は全員ド貧民になるに違いありません。もちろん、数名くらいは大金持ちでいられるかもしれませんが(^^;;;
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というわけで、どう転んでも今以上の幸せは訪れなさそうですので(爆)、実国学者としては、あえての
「鎖国」
を提唱します(笑)
グローバルに踊らされる前に、あるいは江戸時代のように「完全内需循環型社会」に軸足をおいて、そこから「高度先進技術」の分野で世界に貢献する、というイメージが近いかもしれません。
江戸時代は、海外とは限られた分野で交易していましたが、日々の日本人の生活は、内需のみで、食料も自給され、すべてのものがリサイクルされるという「完全循環社会」でした。
もちろん、経済成長を遂げた今、まったくおなじことはできませんが、イメージとして
「八紘一宇なんてどうでもいいから、島国根性でひきこもれ」
ぐらいのほうが、まっとうになるのかもしれません。
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