2015年3月3日火曜日

<実国学を考える 6> 地方と都市の抱える矛盾

 先日、ある地方議員さんとけっこう突っ込んで話をする機会がありまして。地方自治や、地方の活性化について議論することができました。

 その中で、いろいろ面白い矛盾が生じていたので、これは「実国学」のネタになるなと、内心ニタニタしていたのは誰あろう


 現代の吉田松陰


を自称している吉家孝太郎その人です。


 地方といっても、ド田舎村から、ニュータウン的郊外、あるいは中間的な田園都市まで、いろんな形態があるので、一概に議論することはもちろんできないのですが、ざっくり言うなれば、


 5階建て以上のマンションとか、ないよね


なところを”地方”や郊外と仮に呼ぶことにしましょう。


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 まず、地方と呼ばれるところは、都市に比べて仕事が少なかったり、あるいはいい大学がなかったりして、若い者はどんどん都会に出て行ってしまいます。

 なので、議員さんと話をしていても、村の長老たちと話をしていてもそうなのですが、基本的に


「若い優秀なもんには、都会に出て学んでほしいわいのう」


ということには異論はありません。あるいは、個別の家庭に目を向けてみると、


「うちの息子は、東大さいったんだ。誇りたかいべ。自慢の息子さ」

「うちとこは、東京の企業に勤めてるべ。さっすがはエリートだもの、仕事で海外にもいくんだとよ」


ということになります。


 ところが、同じ議員さんや老人たちが、一方で現在の少子高齢化や過疎化をみながら、


「このままではうちの村や町は廃れる一方だべ。なんとかして活気のある町にせねばならんの」


というわけです。


 あれ?何かおかしいですね。そもそも優秀な人材が全員流出しているのに、村や町が発展するはずがなかろう。


 彼らの中に、ちょっとウィットに富んだ人がたまにいたりして、


「そら、残っているのは息子のうちでもアホなほうばかりだもの」


と苦笑している人がいるくらいです。なるほど、言いえて妙である。


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 そんな風に根源的に矛盾を抱えているものだから、楽なほうに流れがちな人は、


「行政が何か手立てをしてくれて、底上げをしてくれたらいいなあ」

とか

「まずは補助金というお金をくれたいいなあ」

とか、

「そして、温泉とか箱物をつくるべ」


とか、そういうことを考えるようになります。


 こうした構図が、戦後から現代まで様々な地方市町村で実際に行われてきたと考えてあながちハズレではありません。


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 議員さんと話をしていて、ああ、さすがは一応市民の代表として頑張っておられるだけあるな、と思ったことがあります。


 それは、「じゃあこの状況を打開するにはどうしたらいいか」というところで、


「この町になにがしかの魅力がないとダメだ。町の魅力という資産を生かさなければダメだ」


という考えを述べられたところです。おお、これはなかなか重要ですね。


 ところが、ここで考え違いを起こすと、


「だったら、やっぱり温泉という魅力を生かすべ」


とか、


「特産品で観光客を呼ぶべ」


とか、また元の話みたいに戻ってゆくわけですね。



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 そうじゃなくて、東大生でも、京大生でも早慶でもMARCHでもなんでもいいんですが、彼らがこの町へ帰ってきて新たなイノベーションを起こす手立てやサポートを考えるという方策にはいかないのかな?


と、ヨシイエは思うのですが、実際にそんなことをすると


「都会さ行ってあったまでっかちになったヤツになにがわかるもんか」


みたいになったりするのがオチなんでしょうか?ああ、難しい。



 さて、いよいよここから実国学者の出番です。


 ここで地方に欠けている視点は、やはり「先祖伝来の土地・人脈を生かしてどうイノベーションしてゆくか」ということではないでしょうか。


 戦国時代、各地の戦国武将や領主たちは「本貫地」に重きをおきました。


ここは先祖伝来の我々の領地であるから、この場所の自治権は認めろ!


という気持ちで、互いに戦っていたわけです。その土地において、開墾したり治水をしたりしながら、それぞれの領地の収穫高を上げ、貿易の流通を加速させる、あるいは関所のような形でショバ代を取るなど、彼らは


「地域を中心に据えながら、経済活動のイノベーションを行ってきた」


といえます。


 なので、同時においしい地域は隣からも狙われたりして、いっそう戦いが激しくなったりしたわけですが。


 織田信長の楽市楽座などはその恒例で、「自分のエリアにイノベーションを起こすことで、そのエリアを都市にしてしまう」という思想はなかなか面白いですね。


 このスタイルは、藩政時代になっても続いているため、全国各地の今は「ど田舎」と呼ばれるところにたくさん「小京都」と呼ばれるところが存在しており、それらの町は、今でもかつての隆盛の足跡がみられるわけです。



 小京都、という言葉も面白い響きで、この言葉を誰も否定しませんが、実は


「どっこもみんな東京みたいになりやがって」


な現代の地方中核都市と実は、おんなじことが起こっていたと言えます。


 小京都は情緒があってOKだけど、「各地が東京化するのは、個性がなくてダメだ」なんて言っている人は、とんだクソ野郎かもしれません。


 小京都の存在は、各地の藩の中心ムラ・マチが「都会」を目指した姿そのもののなれの果てです。


 逆に言えば、それだけ全国各地に、都市化された生活が成立していたということでもあるわけで、ここは見習うべきポイントがあるかもしれません。


 そういう意味では、札幌と東京と名古屋と大阪と福岡におなじブランドの店があって、全然OKなのです。各都市が節操もなく都市化してゆくことは、それはそれで自治の意味があるのです。


 
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 江戸時代までと明治以降の大きな違いは何か、それは


「優秀なやつが生まれ育った地元で実力を発揮した」時代





「優秀なやつが東京・海外へ行ってしまう」時代



の差であるかもしれません。


 実国学では、優秀なやつが大金を稼いで、海外で生活をして資金を外貨でためてタックスヘイブンの国に会社を作って儲けることを良しとしません。


 そんなのはダメです。それより、しっかり地元に根ざして、まるで戦国武将のように君臨していただいてもかまわないと思っています。

(ちょっと言い方があれですが、地元に才能と税金で返してほしいし、また地元を引っ張っていってほしい、ということです)





















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