2015年3月4日水曜日

<実国学を考える 7>実国学とはズバリどんな考え方か?

 第5節と6節で、いきなり現代の諸問題を実践編で考えてしまったので、


え?何?実国学って結局どんな学問なの?


と思われた方も多いことでしょう。お許しください。フェイントみたいなもんです。


 それとは対照的に、第1節から4節までは、日本の歴史と国学の歴史を絡ませながら書いていましたので、いっそうピントがずれてしまいました。ごめんなさい。


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 というわけで、改めて「実国学」の概念について今回は再確認しておきたいと思います。


 国学のおはなしは、吉田松陰さんというおっさんの生き様からスタートしたはずです。つまり、吉田松陰は日本の歴史と国学を学んでおり、それは


「仏教が入ってくる前の、万葉集的日本観、ひいては皇室からつながってくる古代日本人の国家観」

をもとにしよう、というものでした。


 なので、明治維新に当たっては、吉田松陰は「尊皇攘夷」的思想のアイドルとして君臨するわけです。

 尊皇攘夷、つまり皇室を中心にして、外国を追い出せ、ということですね。


 ところが、外国が実際にはものすごく技術的に発展していることを知ると、日本人は「いや、まずは外国に学ぼうぜ。そうじゃなきゃ勝てない」ということで開国に傾き、それから「いや、いっそ外国を追い越そうぜ。負けちゃダメだ」ということで、日清日露太平洋戦争へと突っ走ってゆくわけです。


 で、戦争で負けてGHQとアメリカに、ぎゃふんと言わされ、まったくもって「真逆」に近いような国家観、社会観を生み出すようになったわけで。


 政治経済社会の面では、こうした形で吉田松陰の思想は打ち砕かれたわけですが、一方の生活と文化の面では、国学を受け継いだ「柳田国男」というおっさんによって、日本人のこころの側面にはずいぶんとスポットが当たるようになりました。


 マチやムラに存在する生活上の感覚や、神様などの概念については、「民俗学」という形で集大成されることになります。


 これは、国学のもう一つの側面でありました。



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 しかし、そうした生活的国学の側面も、わが国にの都市化・現代化によって大きく様変わりしようとしています。様変わりといえば、それもひとつの言い方ですが、厳密には多くの感覚・概念が


「失われつつあり、また私たちは指針を失って迷いつつある」


といってもいいでしょう。


 戦後の経済成長の中で、私たちは政治経済社会的「国学」を失っても、みかけの豊かさで十分満足を得ることができました。それが一億総中流社会です。

 また、生活的文化的「国学」を失っても、それは日々の都市生活の忙しさの中で気付かない状態でした。


 しかし、ここに来て、失われた20年の不況を経て、経済発展の停滞・少子高齢化・過疎化・都市震災などの不安と危険などの多くの状況に囲まれて


日本人は、この国の拠るべきよりどころを失っている


ことにあらためて気付かされた、というわけです。



 そこで、現代の吉田松陰を自称する怪しい男、ヨシイエ孝太郎の登場です。


 何を言い出すかといえば


「実国学」という新しい考え方


を提唱することで、もういちど、保守の理念をしっかり再認識してみよう、というわけなのです。


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 明治維新の時は、徳川将軍家という大儀が失われ、その代替として「朝廷と皇室」が再び脚光を浴びました。


 これは、ひとつ大きなポイントです。


 皇室の存在感が増したことで、旧来の「国学」は皇室に典拠した日本人像を定義して、そのまま太平洋戦争へと突き進んでしまいました。


 しかし、戦争の過ちを経験した日本人にとって、徳川将軍家はもとより、皇室ですらも単に依拠する存在としてはならない、ということは確認ずみです。


 そこで、私たちは資本民主主義という「私たちそのものに依拠する方法」を取り入れたわけですが、



私たちのアイデンティティ自体が、何だかよくわからない



中で迷走を始めていることも確かです。


 そこで、実国学では、そうした戦後民主主義の理念も尊重しながら、


「独立し、自由なワタシ。国家の主体たる我々」


を確立した上で、この国の形を再考しようというわけです。



 では、実国学では、皇室でもなく、幕府でもなく、そして個人を尊重した上で、この国の形をどんな基盤から再構築すると言うのでしょうか。



 それは簡単です。国学のもっとも初期の部分が、皇室に由来することは否定できません。日本の歴史の中で、ヤマト朝廷にはじまる現代の皇室をないがしろにはできません。


 しかし、もうひとつ、重要なことがあります。皇室はすでに


「独立し、自由なワタシ。国家の主体たる我々」


の役目を、個々に認めているという歴史があるのです。


 それはズバリ



「墾田永年私財法」


に他なりません。


 この時点で、個人は個人として独立することが公的に許可され、それは皇室の財産ではない、つまり「ワタクシというものの自由自在が明確に定義されている」と言っても過言ではないわけです。



「私財としての土地」という概念は、戦国時代には本貫地という形で大変重視されます。また、この考え方は、実は江戸時代・明治大正昭和を経て、現代にまで



まだ残っている基盤的考え方



でもあるのです。長男が家を継ぐとか、あるいは、長男は都会に出ても次男が継ぐとか、婿養子をもらうとか、嫁と姑とか。


 そうした日本的生活パターンのベースにあるのは、やはり「先祖伝来の土地」だったりします。



 現代の生活はある意味、これとの共存であったり、これへの反発であったり、これの崩壊だったりするわけで、それと同時進行で


「地方の疲弊と高齢化・過疎化」


が進行していることも事実です。


 

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 というわけで、実国学のいっちばん基礎の基礎は、やはり


「墾田永年私財法」にはじまる、我々の本貫地を再認識する


というところからスタートするわけです。ここを、皇室中心からワタクシ中心へ、の転換点として位置づけ、戦後民主主義との矛盾を解消しつつ、わが国の本来のあり方へと戻そうとする運動へつなげてゆこうと思っています。



 
















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