2016年1月18日月曜日

バス事故について思う。「安い商品を選ぶことは、必ず誰かが傷つくということだ」

 こんにちは。稀代の実国学者、吉家孝太郎です。


 資本主義社会の絶対善として、「価格が安いことは良いことだ」という大前提があることは言うまでもありません。

 絶対善でわかりにくければ、絶対正義と言い換えてもかまいません。


 とにかく、「安いことは正義」であり、資本家や企業は、競争によってその安価を実現し、消費者に安価で製品を届けることがこの社会の当たり前のしくみである、ということになっているのです。


 そのため、価格を吊り上げるような談合や市場の独占などは禁止され、資本主義が発達した社会では、こうしたことは違法とされているわけです。



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 しかし、いよいよ資本主義が熟成しきって、半ば腐りかけてくるとどうもそれがすべてではないように思えてきたのですがどうでしょうか?


 先日起きたスキーバスの事故でも、あるいは以前に起きたツアーバスの事故でもそうですが、


安価であることの背景に、数々の違法行為や無言の圧力が潜んでいる


ことに日本人は気付き始めているところです。


 この話は、バス会社の問題やツアー会社の問題としてとりあえずは考えられるはずですが、その背景にあるのは、ブラック企業やすき家やワタミと同じだと、誰もが直感的に気付きます。



 そうです。日本の企業は構造的に、「安価を実現するために、誰かの幸せを犠牲にしている」ということをやり続けているわけです。



 日本人は愚かなことに、その犠牲が消費者本人に振りかかって来た時に、その恐ろしさに気付くわけですが、実態としては、消費者に被害が及ぼうが及ぶまいが、そのシステムはなんら変わりないわけで。



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「安いサービスを選択した消費者が、リスクを追う事はいたしかたない」

のか

「法令違反をしてまで、サービスを安くした企業が悪い」

のか、そのあたりはいくらでも議論の余地がありますが、思い起こしてみると、もっと本質的なことが見えてくるはずです。



 そもそも、


「安価であるということは、必ず誰かを傷つけているということだ」


ということ。それが全てのスタートなのではないでしょうか?



 コストを下げ、安い商品を製造するということは、どこかの国の誰かが、安くこきつかわれているということです。


 価格を下げ、安いサービスを提供するということは、同じ仕事をしても、低い賃金しかもらえない人が存在するということです。


そして、そういう安価なものを求める消費者は 回りまわって「かならず、あなたの労働に対する対価が下がる」という報いを受けることになります。



 これが、資本主義社会における「絶対善・絶対正義」だと言うのですから、ちゃんちゃらおかしいわけで。



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 消費者にとって「価格が安いことは善である」というのは、食物連鎖の最終捕食者ではないですが、「最後の受益者」にとってだけです。


 あなたが、消費者であると同時に生産者や生産に携わる労働者であるならば、「自分の労働力が高い」ことが絶対に善です。


 つまり、食物連鎖の途中にあるものにとっては、「安くて簡単に大量に食われてしまう」わけにはいかないのです、。



 日本人は、これまで、世界第二位の経済大国ということで、「最後の受益者」側にいました。


 しかし、そのための原資を入手する段にあっては、他国との「安価なサービス提供競争」へと巻き込まれはじめているわけです。




 バスツアーで言えば、日本がもっと貧しくなったら、30人乗りのバスに40人が窓枠にしがみついてでも乗ってゆく時代がくるかもしれません。


 列車でも3等車のタラップに何人もがはみ出して乗っている時代がありました。そこに逆戻りするだけです。


 安くて、貧しい時代は、再びやってくるのです。


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