2018年7月3日火曜日

<実国学を考える24> 現代人が生殖できないのであれば、現代人のほうが完全に間違っている件



 今日もたまたま「はてな」界隈を歩いていたら、とても良い論考に出会ったので、ご紹介。



シロクマさんの記事

そもそも現代人のライフコースが生殖に向いていない
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20180702/1530518723



 もはや、そのものズバリの内容で、今の現代人の夫婦が社会における理想まがいの人生を送ろう戸したら、生殖できないじゃん(子供が3人以上増えないじゃん)ということをまとめておられるもの。


 はなはだしく同意いたします。


 論考の骨子は以下のような感じ。詳細は元ネタをみてください。



■ 現代人らしい、よい収入を目指し、勉強し高学歴になり、よい会社へ入って働くという行動パターンはブルジョワジーに由来する。


■ しかし、本当のブルジョワは、そのために家にお手伝いさんがいるとか、資産があるとか、あるいは植民地と宗主国のように、「どこかで誰かが下働きをしてくれているから、本人たちはそういう暮らしができる」というものだった。


■ 高度成長期において、擬似的にブルジョワ生活を実現させたシステムが「専門主婦」制度


■ 現代人は、意識や働き方はブルジョワっぽくなったが、経済資本も人的資本もまったく本物のブルジョワではないので、おそらく破綻する


■ 打倒ブルジョワ?生殖的にはブルジョワではない生き方が望ましいのでは?





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 話の筋道、わたくしも大好きです。結論が妥当ブルジョワになるかどうかはともかくとして

「専業主婦制度は一定の成功をみた」

あたりも納得です。



 実国学者ヨシイエ的には、もう少しエグイことを考えています。これまでのヨシイエさんの論考をまとめてみましょう。




■ <実国学を考える20> 幸せなる人生というやつが、だいたいわかった件。 ~まだ東京で絶滅してるの?~
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2017/05/blog-post_31.html


 → ブルジョワ生活を目指すことと多少関連するかもしれないが、「都市生活」そのものが消費型であり、都市生活者の大半は子孫を残せていないのではないか?

 それは江戸時代から続いている消費地としての特性なのでは?

 もしかすると、庄屋型、領主型の生活しか、子孫を残せないのではないか?


という仮説。





■ 若い女性が貧困で風俗嬢になるしかないのと、妾・側室になるのとどっちが良いか ~いや、いっそ一夫多妻制度が日本を救う!?~
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2016/01/blog-post.html



 → 江戸時代をふまえながら、そもそもこの日本の歴史で、女子が経済的に自立したことなんて一度も無いことを示す仮説。


 となると「どうやって庇護されながら、その庇護下で子供を産むのか」が大事なポイントなのではないか、というお話。

 そこで爆弾として経済的ブルジョワが一方で成立するのなら、そこへ「一夫多妻」「多夫一妻」としてぶらさがる行動様式が生まれてもおかしくない、と考えてみる。




■ <実国学を考える23> 日本人は暴力で支配されないとダメな説 
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/06/blog-post_9.html
 


 → 前半は別の話だが、橘玲さんの記事から諸外国のブルジョワがどのように資産を継承するかを理解できる。


 つまり、日本では「よい大学を出てブルジョワ生活になった世代が、その次、そのまた次へと資産を継承させてゆく発想がまだなく、みんなエセブルジョワなので、そこまで思いが至っていない」ということなのではないか。




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 実国学的オチは、現代人は高度成長で「庶民であってもブルジョワ化できる」と誤解したが、あるいは今でもそう誤解している人は多いが、これから急激に「本当の領主層・真のブルジョワ資産継承が出来ている一族」以外は収束し絶滅に向かう、と考えています。


 ね、エグイでしょ??


 シロクマさんの話だと「こうすれば未来が変わるかも」という期待を交えての論説ですが、こっちは


「いや、みんな大半滅びるよ」


というオチ。




 最終的には、ひどい時代になろうが、生殖したほうが勝ちかもしれません。ちゃんちゃん。

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