2018年6月9日土曜日

<実国学を考える23> 日本人は暴力で支配されないとダメな説 




 ここ数日、資本主義とはなにかとか、日本人としてこの社会で資本主義を渡っていくにはどうしたらいいかを考えていますが、なかなか面白い話をみつけたので、今日もメモメモ。




 今日のアイデアを下さったのは↓この方。



教養のない実務家が跋扈する時代を終わらせる時
http://ta26.hatenablog.com/entry/2018/06/05/082459

(風観羽さんの記事より)



 詳しいことは、元ネタを読んでくださいですが、かなり濃い内容なので、かいつまみます。






■ 日大アメフトのような強権力暴力支配は日本人の特性なのではないか


■ それは実は、「力で言うことを聞かせないと秩序が維持できないのが日本人だから」という理由


■ 組織が動く理由は「内発的動機」と「外発的動機」がある。建前として「みんなで頑張ろうぜ」的な内発的動機があるように見えるが、実は「アメとムチ」のような褒賞と暴力によって動いてきたのが日本人ではないか


■ 日本人組織から暴力支配を一掃すると民主的になるかと言えば、「ただみんなわがままを言い出すだけだった」


■ その理由は、「日本人には思想たるもの(哲学たるもの・あるいは宗教?)」がなかったから


■ 戦後は思想(天皇崇拝などもふくめて)も弱体化し、正式的暴力(ハラスメント)も増えた


■ 愛社精神のような内的動機も失われている。企業がそれを喚起することもできない


■ 日本の経営者や専門家には哲学や思想がなく、ただ暴力支配しかない。




 ・・・・・・。面白いよね!わくわくするわー。


 これらの考え方は、たしかにたしかに言いえて妙だし、日本人の気質や現状をよく現していると思います。


 

 記事を書いた方は「だから思想や哲学が大事だね」というくくりでまとめておられるのですが、実国学者のヨシイエさんとしては、



 それらとはちょっと違う目線で、この話から読み取れることがいろいろあるな



と感じた次第です。



 その第一は、まず




「日本人は、暴力で支配されないとそれぞれが好き勝手する」



という点。これは本当にそうなのだろうと思います。






たとえば、日本人は「いちおう単一民族的な人々の集合体でありながら、30万とも言われるほど、たくさんの苗字を持っているひとたち」でもあります。



 中国人だと、13億人いるうち8%ぐらいが「李」さんで、「李氏」を守るのですが、日本人はおなじ源氏からでも


「好き放題それぞれが新たな苗字をつける」


ことがわかっています。武田、足利、新田、細川、吉良、石川、佐竹・・・。彼らはみな源氏ですが、


「源一族でまとまるのは大嫌いで、それぞれの土地でそれぞれの力を誇示する」


のが大好きです。



 日本人の苗字が新しく増えたのは、戦国時代ですが、まさに戦国の世で、それぞれが争いまくっていたので、信長やら秀吉やら家康は



「物理的暴力と、精神的暴力(儒教的階層)」


によって、徹底的に上意下達を押し付けたわけですね。



  少なくとも、戦国時代を経て、江戸時代→戦前→戦後は



■ 徳川家を中心とし、武士をトップとする三角ピラミッドを暴力によってハメこんだ。

■ 天皇を中心とし、軍閥を実務者とする三角ピラミッドを暴力によってハメこんだ。

■ 企業を中心として、社長をトップとする三角ピラミッドをハラスメントによってハメこんだ。



ということなんですね。



 でも大事なのは、「権力はひでえことをしやがる」ではなく、



 そうしないと、我々は好き勝手してしまうとんでもない自由人なんだ



ということかもしれません。



 幸か不幸か、日本人には哲学や思想がありません。なので、すぐ言うことを聞いてしまうのですが、もしそれぞれが哲学や思想をもってしまうと



「世界一好き勝手する民族」(←褒め言葉)



であることは、おそらく間違いないでしょう。すでにネットを見ていると、万人がすき放題言うとりますが。



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 しかし、好き勝手することは自由主義の目線では良きことですが、「チームワークやまとまりを作れない」という点では、



 組織的に大きな仕事を成し遂げるには向いておらず、敵が大きくまとまって押し寄せた際には、蹴散らされてしまう



という弱点があります。なので、なにがしかの思想や哲学をとりまとめて、外敵には耐えられるようにしておく必要があるでしょう。




☆実はこのことが、「日本人は好き勝手な気性」と関係あるのですね。


 日本人は島国で、外敵が来なかったのでまとまる必要がなく、内部でそれぞれの「俺のほうがたくさんほしい!いや俺のほうが!」という争いを起こす暇があったのです。


 ヨーロッパなどは、地続きで他者がやってこれるので、「好き勝手な個人」と「協力してまとまること」 にはまだ両方とも意味があったのでしょう。


 外国の人たちが「家族や氏族」でまとまることが多いのも、これを示します。


 日本人は「家族」「氏族」ですら現代では「個」に分断されていますから、勝ち目ないですね。




 ・・・・・・。まあ、私は実国学者なので、せめて氏族単位でのまとまりくらいはあったほうが、日本人はより強くなれるのではないか、と考えるのですが、難しいかもしれません(とほほ)






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 <個人的思考メモ>



 関連事項として橘玲さんの記事。




社会学の手法で解明した超富裕層向けビジネスの内側
http://diamond.jp/articles/-/171872



■ 欧米の富裕層は「個人が儲ける事」「資産を増やすこと」よりも「増えた資産を子孫に減らさず伝えること」を重要視する


■ プライベートバンクや、銀行に信託することは十字軍時代の財産保護法則に由来する


■ そこでは「財産を所有する権利」よりも、「財産を実務として使えること」が重視される


■ アメリカの富豪が好きな「財団」系の話もおんなじ


■ 信託される者が裏切らないのは「神」との道義的責任があるから



 これから読み取れること。




やっぱり欧米では思想哲学として「神」が出てくるなあ。


 信託して所有権を失ってもいい、という考え方が斬新。


(日本でも荘園制度があったので、おなじことはやっている、しかし、のちに所有権を奪い返す戦国時代に。信頼が幕府や朝廷にあったので、神ではなかったから、幕府朝廷の制度が崩れると信託も崩れたということか)


 ピケティの言うとおりで、「氏族集団に資産を残す」と考えているやつらには、「個人の利益が最大になればいい」と思っているやつは勝てない


 年代が経てば経つほど、あちゃらさんのほうが有利。日本人は意識が”個人”にありすぎる。


 強者も弱者も「個」の視点しかないから、ダメなのかも。
 


 このあたりはもうちょっと今後も考えます。










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