今回もまたまた備忘録的なメモメモ。
先日よりの「資本主義ハック」ネタですが、資本主義の社会に身をおいて、自分の生き様をどう処してゆくか、はとりあえず別にして、
セカイがこれからどうなってゆくか
については、実国学者ヨシイエさんとしては、大いに関心のあるところ。
というわけで池上彰さんのお話の後半を読み解いてゆきます。
↓元ネタはこちら
池上彰が教えてくれた『資本論』なぜ派遣切りが起きるのか
https://smart-flash.jp/sociopolitics/41724FLASHさんより
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ヨシイエ的には資本主義は2つの姿を持っていて、
「他者に労働をやらせることで、最終商品との間に利ざやを生むことができる」
「情報(あるいはモノ)の非対称性が、資本家と労働者の差の本質である」
と考えています。
このあたりの詳細は前回の記事を読んでちょ。
池上彰と資本論 ~資本主義をハックする~
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/06/blog-post.html
さて、ではマルクスさんの説いた「資本主義のその後」なのですが、資本論の考え方では
■ 労働者は工場で一緒に働くなどして団結する。労働組合などを通じて行動する(だろう)
■ 労働者が力をつけてくることで資本家をひっくりかえす革命が起こる(だろう)
ということでした。
しかし、この理論に基づいて生まれた共産主義は、一時は成功したかに見えたものの、次々に崩壊していったのはご存知のとおり。
もちろん、「なぜ共産主義はダメだったか」の論考はたくさんあって、池上さんが語っているとおりの
「計画経済だとみんなサボる」
といった実情も、もちろん関係あるでしょう。
とはいえ、とりあえず「共産主義はうまくいかない」のはもうみんなよくわかったので、あの大国となった中国でさえ「うまくいいとこ取りをしよう!」と資本主義のエッセンスも利用しているというわけで。
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で、いよいよここからが未来の話です。実国学者ヨシイエさんの個人的な見解では、
■そもそも、労働者は一致団結することなんかあったのだろうか。むしろ、個人個人好き勝手やりたがるのでは?」
と思っています。 なので、共産主義のエリートたちも「大衆はアホなので引っ張っていかねばならない」とか考えたり、あるいは上層部は上層部で権力闘争に明け暮れたりしました。
→ つまり、共産エリートも好き勝手やってて、共産庶民もアホだったりサボったりした
これがひとつの「大事なオチ」だと見ておきましょう。
それから、いよいよ2018年になって日大アメフト問題とかセクハラ問題とかもそうなんですが、
■ これまでの「偉い者と従うべき者の暗黙の了解が崩れはじめた」/鎌倉幕府で言うところの「ご恩と奉公」の関係が失われ始めた。
のではないかと思い始めています。
これは、一体何かというと、簡単に言えば
「これまでの資本家(権力者)と労働者(被支配者)の間にあった情報の非対称性が薄れはじめた」
ことが、ポイントではないかと思うのです。そう!インターネット社会ですね。#metooなどもおなじ流れかも。
またまた鎌倉幕府で言えば「おい!俺たちもう、奉公してもご恩がもらえないらしいぞ!」ということがバレはじめたり、道徳や道義の上でしか残っていなかった「身分」のようなものが失われた結果、
「選手が監督に下克上」
とか
「愛媛県が総理に下克上」
とか
そういう事態が今はじまろうとしているわけですたい。
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というわけで、「庶民は一致団結したりしない」ということと、「ご恩と奉公は失われた」ということと、「これまでの道義的身分から下克上へ」ということとを考え合わせると、
「これからの資本主義は、戦国時代になる(小領主乱立)」
ということが言えると思います。これが、世界の傾向なのかも。
イギリスがEUから独立したい!とか、中国がアメリカを振り払いたい!とか、朝鮮半島統一したい!とか、国際的にも、旧来の身分関係であった「アメリカ、ロシア(旧秩序)に従います」は失われて、それぞれが
好き勝手
をはじめるのは必定です。
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で、私たちの生活についていえば、ポスト資本主義を生き延びるためには
「情報の非対称性から脱する」
ことがまずは何よりも大事で、次に
「戦国武将(小領主)として立つ」
ことが重要になってくると思われます。ただし、上手に戦国時代を生き延びるには、旧権力(守護地頭)の庇護などもうまく使いながら、
「時には君主を変えたり、独立して戦ったりする知的変わり身の術」
も必要になってくるということでしょう。
なので、いきなり独立してベンチャーを始めろ、ということではなくて、
「虎視眈々と状況を狙いながら、いつ下克上するか、見極めろ」
ということなのだと思います。
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このポスト”戦国”資本主義時代に突入すると、必要になるのは、
「鋭敏なる知性」
「行動力」
「胆力」
「時に敵とも連合を組むコミュ力」
であることは間違いありません。
頭でっかちでも石田三成になってしまうし、パワーとフォースだけでも信長になってしまいます。
時にはうんこを漏らしながらも撤退できる柔軟さ!(しかみっ面家康)
忖度しながらも、スピーディーな大返し!(草履ウォーマー秀吉)
などなど、手本となるべき武将は山ほどいることでしょう。
逆に、将軍家にふさわしい家格だったのに時流を読み間違えた武田氏のように、いくら東芝やらでも、ちょっとの油断で大変なことになってしまうのが戦国時代。
庶民もうかうかしていられません。さあ、農民でも智恵と勇気を手に携えながら、いざ出陣!という時代がそこまで来ているというわけで。
明日は、どっちだ!
☆理論的補足☆
日本の戦国時代の場合は、「土地・領地」を物理的に収奪し、集約することで「食料問題と経済問題を一気に解決(入手)」するという形を取っていました。
しかし、ポスト”戦国”資本主義の場合は、他者から収奪すべきは「貨幣(あるいは価値)」です。幸いなことに資本主義によって、「貨幣は収奪しても、回転させればただ奪うことにならず、万人を生かすことができる」ということがある程度判明しているため、貨幣や価値を互いに「奪い合う」ことはもしかすると「総体としての経済発展」を促すかもしれません。
↑希望的観測??
もし、この「貨幣や価値の収奪合戦による経済成長」を理論化することができれば、私はマルクスを超えることができるでしょう。わはははは。
この部分、人口減少の日本においては、
「人手不足なので、労働力という(貨幣)価値を互いに収奪し合う」
↓
「労働力は、経済的価値が収奪しあうことでアップしてゆく(給料が上がる)」
↓
「上がった給料で、商品を収奪しあう(インフレ)」
↓
「経済成長」(なのかな?)
ということですな。
パチンコでもっとも勝てるのは(玉が出るのは)回転率が高い台です。ということは経済も一緒で、回せば回すほど、結果として玉がたくさん出るわけで。
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