2014年12月27日土曜日

勝手に参戦(笑)”父と娘のマジトーク” 世の中の仕事の9割はつまらない、か?!

 BusinessMedia誠さんの連載に「父と娘のマジトーク」なるものがあります。


 面白いですね。中山順司さんという方が書かれているのですが、中学生の娘とお父さんが、いろんなテーマについて”マジで”話すというもので、いろんな意味で着眼点が面白いです。


 これが父と息子のトークになると、全体にトヨタのBOXYのCMみたいな「男の夢とロマンとガキっぽさ」が詰まった話になるので、あえての娘さんというところがいいかんじです。



 さて、その連載に今回こんな話がテーマとして登場していました。




父と娘のマジトーク・クリスマス特別企画:
世の中の仕事の9割はつまらない?――中2の娘と4時間半激論してみた 

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1412/25/news049.html




 おお!なんだか私が先日まで書いていた「高校生のための人生の教科書」みたいだな、とまっ先に思いました。


 ヨシイエ的に考える「人生と仕事」観と、ナカヤマ家的に考える「人生と仕事」観。そこに共通点はあるのでしょうか?あるいは何か違いがあるのでしょうか?


 というわけで、今回はもういちど、「仕事」について考えてみたいと思います。


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1) 働くことはしんどいことか?!・・・「世の中の仕事の9割はつまらない?!」

 
 今回の中山親子の話における第一のテーマは、「大人が働いている姿はしんどそうだ」「仕事は基本つまらないものなのではないか」ということでした。


 中学生の娘さんから社会を見たときに、「仕事」を持つ大人の誰もが、どちらかというと「しんどそうに」仕事をしているように見えてしまいます。


 しかし、仕事をする人がすべて「つらそう」なのかといえばそうではありません。中にはいきいきと仕事を楽しんでいる人もいるし、「好きなこと」を仕事にできている幸せな人もいます。


 そうしたことを捉えなおした時に、中山親子は


「同じ仕事でも、その人の心次第で楽しいか辛いかは変わる」

「単純に『仕事とはしんどそうなものだ』とイメージしないほうがいい」


ということをひとつの結論としました。


 ・・・・・・さて、ヨシイエ的にはこのことをどう考えているのでしょうか?答えは簡単です。私の考え方は、「仕事」とはエサをゲットすることが本質であり、それが形を変えたものです。


 ということは、仕事の影には「飢えの苦しみと不安」が常につきまとっています。ですから、お腹がすいた状態でも、仕事を遂行しなければエサがゲットできないという意味での「辛さ」が本質的に内在しているわけで、その部分は認めなくてはいけません。

 仕事において「楽しい部分、いきいきとできる部分」のみで、それを遂行することは難しく、もちろん、そうではない「苦しい部分」は抱えているのが当然だと考えるわけです。


 では、仕事における「いきいきできる部分」とはなんでしょう。それは元々はエサをゲットする行為ですから、エサを入手して飢えの不安を払拭できる喜びや、仲間と協同してエサをゲットできたという達成の喜びなどがあります。個人的にであれ、共同体的にであれ、仕事は完遂できれば即喜びに変化します。それは生の喜びそのものなのです。


 仕事が面白い!と思えるということは、この「生のサイクルの確立」に他なりません。いくら仕事をしても、それが成果に繋がらなければ、どんなに好きな仕事でもそれを好きなままでいられることはありません。逆に、どんなに嫌だった仕事でも、達成の喜びで人は大きく受け止め方を変えることができのです。


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2) 新しい仕事が生まれ続ける、そんな未来がやってくること


 中山親子の会話で、もうひとつポイントになるのは、父の時代と娘の時代の「仕事」のあり方が変化するだろう、という予想予測についてです。

 これまでの人たちが知らないような仕事が生まれ、また無くなってゆく仕事もあります。

 また、クラウドファンディングのように、「やりたいこと」を掲げてそれに対してお金を集めることができるようなシステムも生まれていることを例示します。



 ・・・・・・ヨシイエの見解は、前半についてはまったくもって同意です。同じ話を「高校生のための人生の教科書」にも書いている通りです。

 ただし、まっ正面から反対意見を述べたいのは「クラウドファンディング」の部分です。

 ☆別にクラウドファンディングそのものを否定するのではありません。


 どこの部分にヨシイエがハテナを感じているかといえば、


「これこれこういうことをしたい!」と思い、それに対してお金が集まり、それを仕事にして遂行できる


という一連の流れは、これまでの「仕事観」に対しての新しい仕事観として提示しないほうがいいのではないか?ということです。


 なぜか?それは、「一部の能力がある人が、イノベーティブなアイデアを提案して、コミュニケーションを使って実現の方向へ努力する」ということは、特殊な形態であって、それを「一般の人が仕事として遂行できる」というような夢をみさせてはいけない、と考えるからです。


 ユーチューバーという新しい形態で稼いでいる人がいますが、それを一般の仕事として捉えるのは非常にマズイと思いませんか?


 デイトレードもそうです。パチプロなんかも広義にはそれに入るかもしれません。


 プロ野球選手という仕事があるぞ!と提案するのはいいけれど、「それはかなり一部の人たちの話だ」ということも理解しておく必要があるのと同じです。


 上記のような、有能な一部の人たちは革新的な仕事を生み出しますが、そこには「強烈な淘汰と競争」が待っています。その陰には何万もの屍があることも忘れてはいけません。

 「バンドマンやミュージシャンっていう生き方がこれからはあるんだぜ」なんてことを30年前なら自慢げに話せたかもしれませんが、今では「アホなことを考えるな」ですよね。それに似たところがあります。


 クラウドファンディングは、みかけは今風ですが、本質は「株式会社」による資本主義そのものです。ユーチューバーとて、本質は放送作家とタレントそのものなのです。単純に、新しい仕事観としてみるには、問題があると感じます。

 
 私は、個人的には「日々食べるための仕事」と「自分のやりたいこと」を両方追求する姿勢が好きです。具現化するには、一般の人にとっては「副業」や「趣味」という形になることが多いと思いますが、ある程度ルーチン化された「不安が少なく食べてゆけるシステム」に乗っかることは大事だと思っているのです。

 それを薦めているわけではなく、「能力があると誤解しているけれど、実はしょーもない人」でも、なんとか食べてゆくことが出来るシステムは、社会全体として幸せだと考えるからです。

 もし、そうでなければ、「夢見る夢子ちゃんたちが挫折した、踏まれたあとの屍たち」が食べられないことは社会的リスクになってしまうではありませんか。それはけして良い社会ではありません。



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3) 仕事をすれば、仕事をさせてもらえるようになる


 この部分は、もちろん同意です。とくに議論すべきことはないので軽くスルーしておきましょう。


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4) 学校で学ぶべきものは何か、=問題解決能力


 直接仕事の役に立たないことを、なぜ学校では勉強しなくてはいけないのかという大問題について、中山親子は


 問題解決能力


だと結論付けました。いわゆる教養主義のスタンスですが、もちろんヨシイエも同意します。


 ・・・・・・ただ、ひとつだけ補足しておくならば、



「学校で身につけるべき素養は問題解決能力だが、学校で学習することができるのは問題解決能力ではない」



というところが真のポイントです。


 意味わかりますか?簡単に言い換えましょう。


「問題解決能力を身に着けて学校を卒業することは大賛成だが、残念ながら学校で勉強しても問題解決能力は自動的には身に付かない」


というのが今の学校教育の究極の問題点だということです。


 従って、「高校生のための人生の教科書」では、学校で得られる知識を「これまでに誰かが発見してくれたことをパクらせてもらうための最小限リスト」と表現しました。


 これも実は「教養主義」そのものです。


 でもしかし、じゃあ、どうやったら「知識・教養」をベースにしてそこから「問題を解決する力」へと発展させることができるのか、という難問が残るわけですが、これについてはヨシイエは、


「それは、コミュニケーション能力を養うこと」


しかない!と力説します。最終的には、知識や技術は「人と人の世界」で扱われます。そして「人類の問題・課題の100%」は、結局は「人と人との問題・課題」に帰着してしまうのです。


 だから「コミュニケーション」(人と人がともに生きること)が重要になるわけです。



 くしくも、東日本大震災で明らかになったのは、原子力という科学技術そのものが問題なのではなく、それを人がどのように解釈し、運用したかが問題だったということでした。

(安全とは、人が勝手に想定しないことでした)


 ロケットとして科学を使うのも人であり、ミサイルとして科学を使うのも人なのです。

 
 銃は守るために撃つものですか?それとも、最初から争おうとしているのは銃ではなく人同士なのではないですか?


 そして逆に、人はコミュニケーションの手段(主に力関係の構築)のために科学技術を使うこともあります。(冷戦など)


 最後は、人と人とのコミュニケーションを問い直すこと以外には、この世界を救う方法はないのです。



 


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